家族の形
信長が自身の床几に結わえられた鎖を外し、その鎖を手に巻きつけて池田恒興をしょっ引きながら見回りに出ていった後、希美はもう一つの家族の事が気になり、輝虎とそちらに向かう事にした。
そう。例の『お父さんはお母さん。ついでにお父さんと結婚したのはお義父さん』事件が現在進行中の、あの家族である。
え?河村久五郎?
兜についていたデンジャラスなテポ○ンを外して「go!」と全力でぶん投げたら、「ハッハッ」と息を切らしながら追いかけていったぜ?
飛ばしたテポド○が三好軍の陣のある方にとんでもないスピードで飛び去り、あっという間に見えなくなったから、流石の河村久五郎でも回収は困難だろう。
(おっし、『危ない兜』はデリートされた!!)
希美は、無慈悲にほくそ笑んだ。
河村久五郎の事はさておき、希美達は存外早く頼照親子をみつける事ができた。
織田の陣の一画、加賀衆のスペースで、昼ドラばりの複雑な人間模様を醸し出しているのだ。
目立たぬ筈がない。
加賀衆一向門徒のまとめ役である杉浦玄任が、気を利かせて親子水入らずのスペースを作ってくれている。
ちなみにその親子には、義父の茂部茶羅郎も入っているのが益々気に入らないのか、頼照の息子である仲孝は体育座りでひたすら自分の殻に閉じこもっていた。
「おお、頼照、お疲れー。で、どうなった?」
希美の問いに、頼照は首を竦めて答えた。
「見ての通りです。話しかけても、ああやってだんまりで……」
「なるほどねえ」
希美は仲孝の傍まで行き、腰を下ろした。
「こんにちは!柴田権六だお!」
「……」
「仲孝君も一向門徒なんでしょ?やっぱ阿弥陀様とか、好きなの?」
「……」
「ねえねえ、もう『父の仇ー!』って、私の事、襲わないの?」
「……」
「いいよ?私の事、襲っても……///」
「……」
仲孝は自分の膝に顔を埋めて、うんともすんとも言わない。
希美は「はあ」と一つため息を吐くと、仲孝の背中をポンポンと叩いた。
「そりゃ、お父さんがお母さんになったらショックだよなあ。産みのお母さんも草葉の陰からビックリしてるよ、絶対」
「母は、生きておるわあっ!!!」
「ええーーー!!?」
仲孝の突然のシャウトに、希美は仰天した。
即座に頼照を問いただす。
「お、おい!奥さん、生きてんの?!」
「ピンピンしてるはずですよ?」
「おいーー!重婚!邪淫!お前、曲がりなりにも一向宗でしょ?『えろ』が邪淫だっつって、私を暗殺しようとしたんじゃないの?」
頼照は胸を張って言った。
「邪淫じゃないわ!下間頼照は死んだのよ?実際、妻は下間頼照が死んだと理解してますし、私は『てる』として茶羅郎といっしょになったのだもの」
「??ど、どういう事だってばよ……?」
「説明するとね……」
つまり、こういう事だ。
朝倉義景と共に加賀に攻め入ったが、大失敗したので柴田勝家を暗殺する事にした頼照は、その事をこっそりと奥さんに手紙で知らせた。
『成功しても失敗しても、恐らく自分は柴田家中の者に討たれるから、手紙が来なくなれば死んだと思え』
そんな事を書いたらしい。
しかし、柴田勝家はなかなか死なず、失敗しても暗殺自体が明るみに出なかったので自分も死なず。
そのうち、あの最終手段『女装で夜這い』作戦を決行するに当たり、いよいよ死を覚悟した頼照は奥さんに手紙を書いた。
『柴田勝家を暗殺する最後の作戦に出る。自分は確実に死ぬだろうから、下間頼照は死んだと葬式を出すように。夫婦の今生の縁もこれまでである』と。
その結果、奥さんサイドは頼照は死んだと思って葬式を出し、仲孝君は十二歳にして元服。
こうして精神的にも現実的にも男の『下間頼照』は死んだため、新しく生まれ直した女の『てる』が茶羅郎と結婚するのは『初婚』だ、というのである。
「え?じゃあ、『てる』からしたら仲孝君はもう息子じゃないじゃん」
「そこは、前世の息子みたいなものですわね。前世の結婚はともかく、記憶があれば息子を愛しく思う気持ちに変わりはありませぬもの」
仲孝が頼照に噛みついた。
「ふざけんな!下間頼照が死んだなら、もう父はいないって事だ!お前は、赤の他人じゃ!」
仲孝は腹を立てている。
確かに息子からすれば勝手な言い分に聞こえるだろう。
ともすれば、自分を捨てて新しい人生を選んだという事になるからだ。
だが、希美には頼照の気持ちもよくわかる。
自分だって新しく柴田勝家の人生を歩んでいる。
もう過去には戻れぬし、好きな人ができれば結婚したいとも思うだろう。重婚だとかは悩むまい。
ただ、息子を想う気持ちは、生まれ変わったからといって、無くなりはしない。
希美が頭を悩ませている横で、仲孝が頼照に殴りかかった。
だが、頼照は女になったとはいえ歴戦の坊官戦士だ。
軽くいなされ、仲孝は叫んだ。
「母上がこの事を知ればなんと思うか!母上に謝れ、糞親父!!」
「知ってるわよ?」
「「え?」」
仲孝と希美の声が重なった。
頼照が事も無げに言った。
「色々と戦が重なったから遅くなったけど、この前ちゃんと『女』として茶羅郎と夫婦になったって伝えたわ」
「「ええーー!?」」
輝虎が頼照に聞いた。
「で、お主の妻の反応はどうだったのじゃ?」
(さっきから黙って反応ないなと思ってたら、案外興味津々だったんですね、ケンさん!だが、私も気になるぜ!)
希美は、頼照の言葉を待った。
頼照は言った。
「喜んでいたわ」
「「は?」」
「『でかした!』ですって。私が死んだと思って最初は気落ちしてたみたいなんだけど、なんだか最近夢中になるものが出来たらしくて、お友達と大いに盛り上がってるらしいわ。知っている?『朝柴物語』」
皆、首を傾げた。
「『朝柴物語』?」
「聞いた事はないな」
「し、知らんぞ!母上からそんな話、聞いた事もない!」
頼照は、ふふと笑った。
「でしょうね。あまり男に見せるものではないもの。でも、今女達の間でとても流行っている恋物語なの。うふふ……知らぬは本人ばかりなり、ね」
頼照にちらりと見られながら含み笑いされ、希美は何やら嫌な予感がした。
恐る恐る頼照に聞く。
「『朝柴物語』って、何なんだ……?」
頼照が希美をじっと見つめた。
「殿、怒らない?」
「……怒らん」
「禁書にしたり、作者に『書くな』と圧力かけたりしない?」
「……怖いわ!そんなにまずい内容なの?!」
「約束して下さいな」
「糞っ、わかった。しないよ」
頼照は語り始めた。
『朝柴物語』の内容を。
希美の顔がどんどん青ざめていく。
輝虎と茶羅郎、そして仲孝までもが、なんともいえぬ視線を希美に投げかけた。
「というわけで、朝倉館の女中が今も書き続けていますの。で、新作が出ればあっという間に写本が出回って、一部は『朝柴』専門の絵師が絵物語にまでしてるとか。越前周辺だけじゃなく、京でも大阪でも堺でも凄い人気で、『朝柴物語』の新作を待ち望む女は多いみたいですよ。朝倉館と尾山御坊の女中になりたがる者も多くて、玄任が首を傾げていたわね」
希美はふらりと眩暈を起こし、輝虎に支えられた。
頼照が仲孝に言った。
「仲孝、あなたしばらく尾山御坊にいるといいわ。母なら、この戦が落ち着いて私達が尾山御坊に戻った頃に、お友達と『越前・加賀聖地巡礼の旅』に出るというから、私達の屋敷に泊める事になってるの」
「はあ?!だ、だって、父上は男なのに女で、新しい夫と……!そこへ友達と泊まる?!」
「大丈夫よ。よくわからないけど、私と茶羅郎は『尊い』んですって。子宝祈願のお守りをお土産に持ってくるって文に書いてあったわ」
「いや、てるは男だから、子宝も何も……」
希美の突っ込みに頼照は笑って答えた。
「『頑張れば、尻で孕める』とか書いてたわ。あの女、こんな面白い女だったのねえ」
「あ、あわわ……。父上がわしの弟か妹を……!」
「落ち着け、仲孝君!人は尻では妊娠しない!」
仲孝がショート寸前の模様だ。
希美も、なんだがこんがらがってきた。
とりあえず整理してみよう。
頼照の妻が完全に貴腐人と化し、もう戻れない所まで来ているようである。
だが、見方を変えればドロドロぐちゃぐちゃの修羅場は免れたのだ。
むしろ、新しい一つの家族としてまとまるかもしれない。
うん、いいね!家族にいろんな形があったっていいじゃないか!
希望が見えてきたぞ!
希美が頑張ってポジティブシンキングしようとしていると、輝虎の呟きが聞こえた。
「朝倉殿は、『朝柴物語』が事を知っておるのだろうか……」
「ふ、焚書じゃあああ!!!」
「殿、約束!」
「はい。ごめんなさい」
希美は、ただただ『朝柴物語』が後世に残らないよう祈った。
残念ながら、その祈りは届かない。
その頃三好軍の陣では、とんでもない騒ぎが起こっていた。
突如三好の前方の陣に物凄い勢いで飛行する謎の物体が天より飛び込み、たまたまそこに見回りに来ていた岩成主税助の頭部に激突。
岩成主税助が帰らぬ人となってしまったのである。
岩成主税助の命を奪った謎の物体を拾った兵は、恐れ戦いた。
それは、えろ大明神柴田権六勝家の兜に付いていた『悪魔』だったのだ。
まさに逢魔が時の時分の事であった。
その恐怖は、瞬く間に周囲に伝染し、三好の陣の前方はパニックに陥った。
『悪魔』を拾ってしまった兵は、恐怖からそれを投げ捨て陣の奥へと逃げ出した。
そしてそれに続くように、皆、後方へと逃げ出す。
辺りはどんどん暗くなり、誰が誰やらわからぬ中、三好の陣は前方から崩れ、それに引きずられるように後退を余儀なくされた。
三好義興は、突然の事に驚き、なんとか陣を立て直そうと指示を出す。
しかし集団パニックは、そう簡単に治まらない。
しかも、もう夜の闇がすぐそこまで迫っている。
結局義興は、一晩中、後退を続ける自軍と格闘する羽目になり、朝日が昇りようやく兵共が落ち着いた頃、気が付けば織田軍との距離は倍以上に開いてしまっていた。
そしてその原因が、柴田勝家が身に付けていた、ただ一本の『悪魔』であると知り、虚脱した。
しかし三好軍は、これから更なる恐怖を味わう事になる。
一方その『悪魔』であるが……。
「ううむ、この近くからお師匠様の御神体の『えろ』波動が……。おお!こんな所に御転がり遊ばされておりましたか!」
無慈悲な希美が打ち放ったテポド○を追いかけてきた河村久五郎が、大事そうに目的のものを拾い上げた。
辺りはすっかり真っ暗だ。
来た方角を振り返れば、かなり遠くに織田の陣の明かりが見える。
夢中になって駆けてきたが、ずいぶん遠くまで来てしまったようだ。
「ふうむ。この辺りは、三好の陣だったような……?」
だが、辺りには人っ子一人いない。
何か色々捨て置かれたものがあるのみだ。
「まあ、よいか。これもえろ大明神様のお導き。帰るとしよう」
そう言って歩き出した久五郎は、不意に何かに躓いた。
しゃがんで確かめる。
死体だ。それも、立派な身なりの。
「兜はつけておらんようだが、手触りから鎧は見事なもののようだ。ふんどしは……つけておる」
久五郎は、ニヤリと笑った。
「これは、当たりだの。やはりえろ大明神様の為される事よ。神力(物理)にて討ち取った敵将の首をご所望であったか。えろえろえろ……」
久五郎はその死体の刀をもって首を切り落とすと、『御神体』と『首』を持って織田の陣へ戻った。
こうして、希美の無慈悲な遠投のせいで、後の三好三人衆が一人『岩成主税助友通』は討ち取られてしまった。
だが、希美にとって最もショッキングな出来事は、デリートした筈の『危ない前立て』が戻ってきた事に違いない。
(ああ、やはり、呪いの兜……!)
希美は『えろ』に呪われている。
残念なお知らせですが、『三好三人衆』は『三好二人組』へと歴史改変されてしまいました……




