近江の秘密
五月二十日。
希美率いる柴田勢一万は、蒲生の使者からの情報を元に、近江のえろ国人武将の城で休憩させてもらいつつ、やっと日野城へとたどり着いた。
するとそこは……。
既に戦場だった。
うおおおおお……
かかれえい!かかれえい!
ぎゃあああ!
うわあああ!
「おい、日野城が囲まれてんぞ!者共、かかれええい!!」
希美の掛け声で、柴田勢が背後から一気に攻め寄せる。
日野城を攻める軍勢の本陣は、隅立四つ目結の紋を掲げている。
六角氏の家紋だ。
十中八九、六角義定の軍勢だろう。
不意を突かれ、大混乱となっている。
希美は、自身も敵方をちぎっては投げちぎっては投げしながら、大音声で呼ばわった。
「わはは、この混戦状態では奴等の鉄砲も役に立つまい!おい、藤吉、奴等が落として行った鉄砲は拾っていただいてしまえ!武器も具足も、兵糧もだ!皆にも伝えよ。早い者勝ちだとな!」
「「「「「ヒャッハアーーー!!!」」」」」
途端に柴田勢が世紀末な集団となる。
混乱して逃げ惑う敵兵を追い回し、槍でぶち叩いては、落とした武器をゲットしていく。
「キャアアアアア!」
「やめてえ!イヤアア!!脱がさないでー!」
「わはは、よいではないか、よいではないか!」
相手の鎧を直接脱がす猛者まで現れた。
普段柴田勢は、乱捕り刈田を厳しく禁じている。それが、敵兵相手とはいえ、略奪解禁である。
俄然やる気になっている。
戦国男子なんて、実はこんなんばっかだ。
「ご、強姦は絶対禁止だからなーー!!しかも相手、男だぞー!」
まあ、こんな戦場で事に及ぶ馬鹿はいないだろうが、一応希美は言っておいた。
なんせこの時代の武士は、多くが男もイケる口なのだ。
女オンリーな秀吉など、むしろマイノリティである。
大体、命の奪い合いをしているからといって、何でもアリにするわけにはいかない。
ヒャッハー集団にだって、最低限の規律は必要だと希美は考えていた。
(まあ、武器だの具足だの奪われたら、流石に戦意喪失して逃げるだろ)
こんな計算もある。
その読みが当たったのか、六角勢は脱兎の如く逃げ去ってしまった。
後には、勝鬨を挙げる柴田勢と、急な展開にやや呆然となっている蒲生勢が残った。
間違えて蒲生兵を剥いてしまった柴田の兵が、何故か全裸で胸を押さえて涙目で踞る蒲生兵に、「ご、ごめんね……?」と気まずそうに具足と下着、そしてふんどしを返している様子もちらほら見られる。
(ふんどしまで……。鬼か、あいつら)
希美はそんな鬼畜兵に呆れながらも、大声を上げた。
「私は、柴田権六勝家だあっ!蒲生下野守殿に、六角家当主のお届けものでーす!!」
「いやあ、かたじけない、柴田殿。おかげで助かり申した」
日野城本丸にある居館の一室に通された希美と六角義治は、蒲生定秀、賢秀父子と対面していた。
定家は五十代半ばの品のよいおじさん僧侶だ。
色白で目は鋭いが、対照的に口元はかわいらしいおちょぼ口である。
息子の賢秀は三十代か。
父親よりもがっちりした体つきだが、やはりおちょぼ口だ。
(ほう、優性遺伝……)
何が『ほう』か。希美はどうでもいい事を考えたが、それを断ち切るように頭を少し振ると、定秀に答えた。
「なんの、無事でよう御座った。それにしても、一体どうしてあのような事に?」
定秀は先ほどまで戦いに身を投じていたとは思えぬほど緩やかな動きで扇子を開き、自身を扇いだ。
「いやはや、かいつまんで話しますとな、わしが次郎(六角義定)様の召集を拒んだのが発端で御座る。恐らく、先代の死の真相を知られたと考えたのでしょうな。何、わしもこっそり国人衆等に使いを出して、『これ内緒なんだけどお……』と触れ回りましたから、そりゃ怒ったでしょうなあ~」
「それ、女子の噂の広まり方……」
希美は女子校時代を思い出した。
息子の賢秀も話に乗ってきた。
「それで、けっこう多くの国人衆が日より見を決め込んじゃいまして、次郎様、涙目でうちに攻めてきたので御座るよ」
「三日前であったの。大勢で押し掛けて、結局攻めきれずにいた所へ、今日、背後から柴田殿に不意打ちくらって、身ぐるみ剥がされてのう……」
「大慌てで逃げましたなあ」
「「ぶわーっはっはっ!!」」
蒲生父子、大爆笑である。
「「ひーっひっひっ……」」
「次郎様のあの慌てっぷり!」
「腹痛え!!」
希美は隣の義治に耳打ちした。
「こいつら、いつもこんななの?」
「はうんっ!」
「あ、ごめん……」
耳に息を吹きかけられ、ビクッとなった義治は、なんだか艶っぽい目で希美を見ながら問いに答えた。
「蒲生下野守は、お祖父様の頃からうちに仕えておるので御座る。父も頭が上がりませぬ。ただこの父子、人を食ったような性格のため、有力な家臣ではあるのですが、どうしても真面目な後藤の方に多くの支持が集まるので御座る」
「でしょうねー」
希美は蒲生父子を見た。
六角家中でも、力のある家臣だ。
そんな家臣が何故……。
「なあ、下野守殿」
希美は笑い過ぎて呼吸を整える定秀に問いかけた。
「何故、六角が織田に降るのを黙認するんだ?あなたが向こうにつけば、六角は守護大名として大きな顔をしていられるじゃないか」
定秀は、ゆっくり息を整えてから希美に答えを返した。
「そうですなあ。確かに当主の器としては次郎様でも悪くはないですなあ。それで、今まで通り近江の守護として君臨し、そうしていつか、上洛する織田に磨り潰されるのでしょうなあ」
希美と義治はギョッとして、定秀に目を向けた。
定秀は遠く、過去を見つめながら話し出した。
「承禎様のお父上は、本当によく国人衆の心を掴むのが上手い方でなあ。周りの国の動向にも常に目を配り、好機を逃さず領土を広げた。承禎様は、あの方に比べると、真につまらぬ主で御座った」
「あんた、故人にも容赦ないな!」
「その子はさらに劣っているのだから、先々の六角家の子孫を思うと、どんな阿呆が生まれているやら。わしはまだ、承禎様や四郎(義治)様が主で幸せというものですなあ。ああ、よかったよかった……」
「止めてあげて!四郎が泣いてる!!」
義治が唇を噛み締めている。
「父上」と賢秀が定秀の毒舌にストップをかけた。
「本末転倒で御座るぞ」
賢秀の言葉に、定秀はやっと義治の心を抉るのを止めた。
「おお、そうそう。その承禎様ですがな、馬鹿なんじゃが、武将としての嗅覚は本物じゃった。国内のキナ臭さを嗅ぎ付け、己れが消される予測を立てておった。その承禎様が判断したんじゃ。織田を頼るのが最善じゃ、とな」
「それで、織田を受け入れたのか」
定秀は義治に目を向け、ふっと笑った。
「それに、わし等は仲間を守り、仲間を殺した者には相応の報いを受けさせる。そういう決まりなのじゃ」
「仲間?」
定秀は義治に優しく語りかけた。
「鎖。よく似おうておられる。同志よ」
義治は、鎧に巻き付けた鎖を思わず触った。
定秀と賢秀は、おもむろに上の衣を脱ぐ。
そこには、身をきつく縛る鎖が装着されていた。
(蒲生よ……。お・ま・え・も・か!!)
定秀が告げた。
「我等は、ここ南近江で承禎様が立ち上げた、鎖を愛し、鎖に縛られし者達のための秘密組合「鎖愛尊」の一員で御座る。歓迎致します、同志よ」
「『くさりーめいそん』て、おい……」
希美は、謎の秘密組織の存在に頭を抱えた。
義治は、目を輝かせている。
定秀は続けた。
「『鎖愛尊』の組合員である国人衆等は皆、同志承禎様と同志四郎様の判断を指示しまする。そしてえろ大明神様の名のもとに、この鎖の友を決して見捨てませぬ!」
「見捨てませぬ!」
蒲生父子が輪唱した。
(全然私の名のもとじゃないよお……。結果オーライだから、つつかないけど、私の名のもとにって言いながら、完全に私には事後報告だよね?!)
近江攻め。
思ったより、義治派がいるのは朗報である。
だがその代償は大きかった。
日本に謎の秘密結社が爆誕してしまったのである。
秘密組合『鎖愛尊』(Wikipediaより)
六角承禎が立ち上げた秘密組織である。
当初は、承禎が『鎖愛の尊さ』を説いてまわり、近江国内に組合員を獲得していった事から、この名がついた。
組合員になるには条件がある。
『鎖で縛られる事をこよなく愛する事』
『鎖で縛られた仲間と助け合う事』
『えろを受け入れる事』
秘密の組織であるため、現在も多くの組合員を抱えているが、その実態は定かではない。
様々な歴史の裏には、『鎖愛尊』組合員が関わっているとの噂もある謎の多い団体である。
入会の儀式には、鎖が伝授されると言われている。




