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女中『てる』の恋

急にラブロマンス。

柿色の小袖にきちりと帯を締め、元結もとゆい掛けした黒髪のかつらを被る。

柴田勝家が、女中に実演していた化粧の手順を思い出し、顔に白粉を薄くつけ、紅をひいた。

そうして頼照は、改めて鏡で自分を見た。


「こ、これが、わし……?」


鏡の中に映るのは、ごつい髭の熟女である。

しかし、当人には謎のフィルターがかかっているようで、「髭が無ければなかなか良いではないか」と、満更でもない。

とはいえ、髭は長年頼照が育ててきた大事な相棒である。

剃るのはためらわれる。

仕方無しにそのままでいく事にした。


頼照に、ほんのりと冒険心が湧いた。

自室の戸を開け、少しだけ顔を出す。

「誰も、おらんな」

一歩、踏み出した。

今立っている場所は廊下だ。自室ではない。

誰が来てもおかしくない。

心臓がバクバクと鳴った。

その時、遠くこちらに向かってくる者達の声が聞こえた。


ガタタッ、バンッ!

頼照は慌てて自室に戻り、戸を閉めた。

しばらくそのまま、外の様子を窺う。

話し声は頼照の部屋の前を通り過ぎ、次第に遠ざかった。

ドッドッドッドッドッドッ……

いまだ、心臓の音がうるさい。

「あ、危なかったのう、ホホホッ」

頼照は着替えると顔を隠しながら手水場まで行き、化粧を落とした。

その夜、頼照は興奮でなかなか寝つけなかった。


次の日の夜も、頼照は女中姿となった。

そして、廊下に出る。

耳を済ませ、話し声や物音がしないのを確かめると、廊下を歩いてみた。

どこかでパシリと家鳴りがした。

ガタタッ、バンッ!

頼照は部屋に戻った。


次の日も、その次の日も、頼照は女中になった。

毎日夜が来るのが楽しみになり、仕草や化粧など頼照の女っぷりにも磨きがかかってきた。

人が来ない時間もわかるようになり、しゃなりしゃなりと廊下を歩く距離が伸びていった。



そんな時である。

自室に戻ろうと歩いていた頼照の後ろから、

「そこなお女中、止まれ!」

と誰何の声がかかったのは。

自室まで、後ほんの少しの所であった。


頼照は飛び上がるほど驚き、青くなった。

(まずい!わしが頼照と知られれば、全てが終わるっ)

終わるのが暗殺計画か、この楽しい女装タイムなのか、頼照にも判断がつかなかったが、まずいのは間違いない。

「ここは女人禁制だ!こちらに顔を向けられよ!」

頼照は、袖で顔を隠しながら振り向いた。

少し向こうに、勝家の近習の一人が走って来るのが見えた。

(あ、あれは、茂部伽羅郎もぶきゃらおの弟、茂部茶羅郎もぶちゃらお!!)

頼照は袖で顔を隠したまま声を高くして言った。

「お許し下さいまし!私、ら、頼照様のお部屋に呼ばれているので御座います!」

そうして、自室に飛び込んだ。

冷や汗が流れ、体が冷たいのに心臓の鼓動は激しく鳴り響いている。

廊下から、茶羅郎の声が聞こえた。

「下間殿、今こちらに女中が入っていったのですが、存じ寄りの者で?」

「あ、ああ。わしが呼んだ。殿の部屋には近付けぬ故、見逃してくれ」

「……ほどほどに為されよ。決して殿の部屋には近付けさせぬよう」

「相わかった。かたじけない」


足音が遠ざかるのを確認し、頼照は「ほう」と安堵の息を吐いた。

「みつかったのが茶羅郎でよかった。あやつもたまに女を連れ込んでおるからな」

勝家の寝所周辺の守りは固いが、そちらに女を入れなければ、茶羅郎のような男ざかりの好き者がこっそりと女と逢い引きする事があるのは、頼照も知っていたのである。

「しかし、あやつ、わしを完全に女中と思っておったぞ?ふふ……。わしは、女としていけるという事よ」

頼照は嬉しくてたまらず、その日の夜はずっと鏡を見ながらニヤニヤしていた。



頼照は、懲りなかった。

次の日も、女中になって廊下を歩いた。

心なしか、女としての自信もついていた。

「あ、昨日の女中殿!」

ギクリ。

袖で顔を隠しながら見ると、茶羅郎アゲインであった。

茶羅郎は、頼照のお墨付きがあるのでもう疑ってはいないようで、馴れ馴れしく近付いてくる。

「また顔を隠して。俺に見せては下さらぬのか?」

頼照はドキドキしながら答えた。

「み、見せてはならぬと頼照様が……」

「ちっ、ケチかよ、あの爺」

ガツッ。

「いってえ!!」

頼照は茶羅郎を踏んづけた。

しかし茶羅郎は、さして気にした様子もなく頼照に絡んだ。

「なあ、名前、何て言うの?」

「ら……てる、『てる』で御座います」

頼照は『照』の字からもじり、適当に名乗った。

「へえ、てるさんかあ。下間殿とは長いの?」

「いえ、少し前から」

「あの人、五十前でしょ?けっこうな年だけど、なんで下間殿なのよ」

「年を言えば、私とてあの方と変わらぬ年ですので……」

「え、そうなの?見えないなあ。髪なんか、艶々してるよ」

茶羅郎はさりげなく、頼照の鬘に触れた。

頼照は、顔を隠している袖で、こっそり鬘を押さえた。

「これは、特製の鬘なので御座います。年で、髪が見苦しゅう御座いますので」

「へえ。女の人は大変だね。今日も、下間殿の所へ?」

「は、はいな」

「そう……。羨ましいなあ。俺、去年妻を亡くしてさあ。寂しいんだよね」

「そ、それは、お気の毒に」

茶羅郎は、頼照に身を寄せた。

「俺、年上が好みなんだ」

そう言って、頼照の尻をぺろりと触った。

「!!?」

「下間殿との逢瀬の口止め料。楽しんでおいでー」

茶羅郎は、手をひらひらさせながら去っていく。

頼照は唖然として茶羅郎を見送った後、我に返ると自室に駆け込んだ。


「あの男、何を考えておるんだ……」

戸惑う心とは裏腹に、茶羅郎に触られた尻が熱い。

「わしを女として、求めたのか」

頼照は、女の格好で外を歩く緊張とは別の胸の高鳴りを感じ始めていた。



それから頼照は、女中の『てる』として、廊下で茶羅郎との逢瀬を楽しんだ。

茶羅郎との会話は面白く、茶羅郎も頼照を女として気に入っているようで、その事も頼照の女心を満足させた。

そんな毎日は続き、頼照の中の『てる』が段々と茶羅郎に惹かれているのを、頼照は感じていた。

それは、頼照の心に暗い影を落とした。

『てる』は頼照なのだ。

五十前の男だ。

それを知られれば、『てる』は茶羅郎との日々を失ってしまうだろう。


その日の茶羅郎は、少し様子が違っていた。

茶羅郎は言った。

「なあ、そろそろ、顔を見せてくれてもいいだろう?」

「そ、それは……」

「そんなに、下間殿が大事なのか?俺は、てるさんの事、本気だ。俺を選んでくれよ。そうしたら、俺は……」

「どうしたの?茶羅郎さん、いつもと違う……」

戸惑う頼照に、茶羅郎が答えた。

「縁談の話が来た」

「……!」

頼照は、息を呑んだ。

「上役からの話だ。悪い話じゃないし、妻を持ったっててるさんと会って話をする事も、てるさんさえ良ければてるさんを俺の女にする事だってできる。だけど、俺は、本気になってしまったんだ。妻は、てるさんじゃなきゃ嫌だ。本当は、てるさんが下間殿の部屋に行くのが嫌で仕方無いんだ!」

茶羅郎の激しい想いに、頼照は胸を打たれた。

茶羅郎の妻に……。なれるものなら、なりたい。

だが、断らねばならぬ。

頼照は、『てる』の想いを胸に押し込めた。

「茶羅郎さん、私は年老いた女なのよ。もうお婆さんの年だし、顔だって美人とは言えない。体も大きいし、胸もお尻もカチカチで他の女みたいに柔らかくないのよ」

茶羅郎は『てる』を真っ直ぐ見つめた。

「知ってるよ。顔はわからないが、手の感じからずいぶん年上だって思ってた。口止め料で少しだけ触らせてもらうから、尻の固さも、なんだか男の俺が羨ましくなるほどのがたいの良さだって事もわかる。だけど、俺は見た目であなたを好きになったんじゃない。あなたが、とんでもない醜女でも、人間じゃなくたって、あなたへの気持ちは変わらない!」

(嘘よ……。私の顔には、髭があるのよ。立派な武将髭が……!)

頼照は「ごめんなさい」とだけ言うと、茶羅郎のもとから走り去った。

自分を呼び止める声が、頼照の逞しい背中に矢のように刺さる。

頼照は、そのまま自室に逃げ込んだ。


頼照は、部屋で鏡を見ながら心を決めた。

「明日、柴田勝家を夜這おう」


化粧を落とす気になれず、そのまま就寝した頼照の頬には、涙の跡のままに白粉が崩れていた。



そして柴田勝家暗殺実行日の朝が訪れ、夜がやって来た。

頼照は、同僚から不寝番役を交代してもらい、勝家の寝所の次の間で『てる』になった。

そうして、寝ている勝家にそっと近寄る。

基本的に、勝家は寝てしまうとなかなか目を覚まさない。

頼照は、これまでの暗殺失敗の経験から、その事を知っていた。

勝家の帯を、震える手でそっと解き、単をくつろげる。

そして、ふんどしに手をかけた。




一方、まさに今柴田勝家として、命と貞操を狙われている希美は、懐かしい夢を見ていた。

高校時代の頃の夢だ。

希美は寝坊してしまい、慌ててセーラー服に着替えている。

黒いプリーツスカートを履き、黒のセーラー服をガサッと被る。

襟の三本線と同色の白いスカーフを巻き、うまくふくらむように調整しながら、胸の前で結ぶ。

そうして、鏡で仕上がりをチェックしたときに、はたと気付いた。

(あれ?私の姿、これでよかったんだっけ?)

すると、鏡の中のセーラー服の少女が、途端にムキムキに!!

鏡の中には、セーラー服を着た柴田勝家おじさんが堂々と立っている。


「う、うわあああっ!!私が、男の娘!!?」


希美は飛び起きた。

すると、目の前に髭のおじさん女中が!


「ぎゃあああっ!!違う男の娘があっっ!!?」


正確には、『男のおばさん』である。

『男のおばさん』は希美にかじりついた。

「殿っ!一夜で良いのです!どうか、私にお情けをっ」

「その声、お前、頼照か!?」

「頼照ではありませぬ!女中の『てる』に御座います!」

「うちには、髭の女中なぞおらんわ、阿呆!」

ドタンッ、ガタンッ!

主の寝所が騒がしいのに気付いた近習や、近くの部屋の輝虎等が、何事かと希美の部屋に雪崩れ込んだ。


そこには、髭の女にのしかかられる半裸の希美の姿が。

「曲者!」

と頼照に斬りかかろうとした近習達を、希美は慌てて止めた。

「待て!こいつ、頼照だから!何故か知らないけど、頼照なんだ!」

戸惑う近習達の中から、

「まさか、てるさん、なのか……?」

という声がした。

茂部茶羅郎だ。

「み、見ないで!」

希美の上に乗ったまま、頼照が袖で顔を隠した。

茶羅郎は近習達の中を掻き分けて、頼照の前にやって来た。

「どういう事なんだ、てるさん!なんであなたが、下間殿なんだ!?」

「わ、私は……」

「俺を騙して、笑っていたのか?」

「違うっ!そうじゃない!私だって、あなたの事は本気だった」

「なら、何故?!」

「だって、私には、信仰が……」


(確かに頼照の事情と二人の関係は死ぬほど気になる。ただこれ、私の上でずっと続くのだろうか……)

希美はこの流れで「どいてほしい」とは言えなかった。


頼照は語り始めた。

「私が殿のもとで小姓を始めたのは、第六天魔王である殿を暗殺するため。でも、なかなか死ななくて……。それで殿の寝所に近付ける私が女になって、殿を夜這う事にしたの」

「頼照、お主、あれほどゴンさんに世話になっておきながら!」

輝虎の非難に、頼照が叫んだ。

「わかってる!本当は、もうわかってた。殿が良い主だって事は。顕如様が言うような悪魔じゃないって事は……!だけど、それを認めたら、私がこれまで信じてきたものが崩れてしまうと思った。いえ、もう崩れてしまっていたのよ」

頼照は、茶羅郎を見た。

「女として生きる事の喜びを知り、茶羅郎さんを好きになってしまった時から……」

「てるさん……」

茶羅郎が呟いた。

「ごめんなさい、茶羅郎さん。こんな武将髭の生えた女……。いえ、女ですらないわね。幻滅したでしょう?」

頼照の頬を涙が伝う。

茶羅郎は、そんな頼照を抱きしめた。

「いや、あなたは女だよ。俺にとっては髭が生えてるだけの、ただの女だ」

「茶羅郎さん……」

頼照が嗚咽を漏らした。

茶羅郎が頼照に微笑んだ。

「俺の気持ちは変わってないよ。あなたに髭があろうと、男だったとしても。てるさん、俺と夫婦になってくれ!」

「……はい!」


二人は抱き合った。

希美の上で。

わあっ!!と歓声が上がる。

「なんか知らんが、おめでとう!」

「わしは応援するぞー」

「茶羅郎、年貢の納め時だのう!」

「弟嫁が、下間殿かあ……」

集まった者達が、口々に祝いの言葉をかけた。



「ちょっと待ったあ!!」

愛し合う二人の下から、物言いがついた。

茶羅郎と頼照が下を見て希美に気付くや、慌てて飛び退き平伏する。

希美はよっこらしょと起き上がると、胡座あぐらをかいて、二人を見やった。

「頼照、お主、私を殺そうとしたのを忘れたのか?」

頼照は身を固くし、茶羅郎は頼照を庇うように前に出た。

「殿、どうか御慈悲を!」

希美は断じた。

「ならぬ。頼照は主の私を殺そうとした。よって、下間頼照は今日この時より、死ね!」

頼照が平伏したまま震えている。茶羅郎は顔を苦しげに歪ませた。

「そして、私付きの女中『てる』として生きよ」

頼照が、はっと顔を上げた。

「殿、私は殿を……」

「頼照、まだ私を殺したいの?」

「い、いえ!最早、そんな気持ちは……」

「なら、私の女中として働くのは問題ないな!頼照は処罰したし、お主が私やえろ教徒に危害を加えぬ限り、好きに信仰を持てばよい。だからな、心置きなく『茂部てる』として勤めよ」

希美は、にやりとどや顔を晒した。

「殿……、ありがとう御座います!!」

「殿、てるを助けて下さり、真に、真に……!」

目の前で感涙にむせぶ年の差カップルを見て、満足そうに頷く希美に、周囲は「えーろ!えーろ!」の大歓声。

大団円である。



かくして希美は、『男の娘メイド』ならぬ『男のおばさん女中』を手に入れた。

新婚の『てる』は、小姓課から女中課に異動し、毎日幸せそうに働いている。

彼女の武将髭も、健在だ。


一度、希美は、てるに聞いてみた。

「お主、女になりたかったんだろ?なんで髭を剃らないの?」

てるは答えた。

「私の髭は、元服してよりいつも私と共にあった相棒に御座います。女になったからといってかえりみぬのは、薄情に御座いましょう?」

「……」

希美は、越後を任せっ放しの家老あいぼう吉田次兵衛に手紙を書く事にした。




それから数日後、六角承禎の訃報が希美のもとにもたらされたのである。

そういえば、ペタジーニさんは離婚したんでしたっけね?

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