縛られる者
「いやあ、驚き申した!まさか、この短期間に加賀と越前を手に入れるとは、流石えろ大明神様よ」
「まこと、今でも信じられませぬ。まるで狐につままれたような心地に御座る」
尾山御坊にて、希美の前に通された六角承禎と息子の義治が、希美に賛辞を送っている。
この二人、態々祝辞を述べに加賀くんだりまでやって来たという。
急な大物えろ大名の来訪に希美は驚き、二人をもてなすために、一先ず輝虎に茶を点ててもらったのである。
しばらく茶を飲みながら歓談した後、承禎は切り出した。
「実は、えろ大明神様にお願いが御座いましてな」
「何かな?」
「良ければ、朝倉左衛門督殿の終焉の地を見せてはもらえまいか?」
「?構わないが、お二人は友人だったのか?」
承禎は昔を思い出すような遠い目をした。
「あれは、同じ守護職でもあり、遠い昔、六角と縁もありましてなあ。別段仲が良いというわけではなかったが、会えば話をし、たまに文のやり取りもする程度には付き合いが御座った」
「へえ。ならば今から参りましょうか?」
希美の言葉に、承禎は頷いた。
「お願い致しまする。……上杉殿、貴殿が良ければ、息子に軍事の事など教えてやっていて下さらぬか?こやつ、貴殿に憧れておるので御座る」
義治も頭を下げた。
「是非に!川中島での戦の事など、お教え下さい」
「構いませぬよ」
輝虎が了解したので、希美と承禎は連れ立って尾山御坊の外、朝倉軍と一向門徒が盛大に相争った現場へと、足を向けた。
あの日、朝倉勢と門徒共の死体が一面折り重なっていた地は、今はただの荒れ野と化していた。
元は田畑が広がっていたが、流石にあれほどの血が流れては、土壌が汚染されているはずだ。
しばらくは、生産性の見込めぬ土地となってしまった。
やはり、戦争は悪である。
そんな虚しい地に立ち、六角承禎は手を合わせ念仏を唱えている。
やがて気が済んだのか、承禎は顔を上げてこちらに振り向いた。
「かたじけのう御座った」
「なんの」
承禎はぽつりと漏らした。
「朝倉左衛門督は、無念であったろうの」
希美も同意した。
「うん、そうだろうね……」
この時代の武将は、戦ばかりしているから、無念だらけだろう。
希美はそんな事を考えて、承禎を見た。
史実では、六角氏はいつの間にか空気になっていたイメージだ。
承禎がどうなったのか、希美は知らない。
討死だろうか。もし、そうなら……。
「もし承禎さんが死ぬ時は、何が一番心残り?」
承禎は、ギョッとして希美を見た。
「神力で、我が心を読まれたか?」
(あ、そんな事考えてたのねー)
肯定すべきか否定すべきかわからず、希美は適当に、どうとでもとれるアルカイックな感じのスマイルを浮かべた。
承禎は、「えろえろ」と希美を拝み、心の内を語り始めた。
「まずは、お家。武士ならば、お家の行く末を案じるでしょうな」
「武士ならば?承禎さんもお家が心配という事か?」
「流石にえろ大明神。全てお見通し、という事ですな」
(え?な、何が??)
とりあえず、希美はアルカイックなスマイルで、阿弥陀っぽいポーズをとった。
承禎は、勝手に語り始めた。
「実は、家中に不穏な動きがありましてな」
「不穏な動き?」
「恥ずかしき話、野良田で浅井に敗けてより、家中に我を頼りなしと見る者等が出ておるようなので御座る。先年の三好との戦では、そやつらに三好が接触を図ったという話もあり、わしは急きょ三好と和睦する事に致し申した」
「え、そいつらはどうしたの?」
「確かに通じたという証拠が見つからず、中には重臣の名もある故、動きを見張るのみにて止まらざるを得ませなんだ……」
「証拠不充分で起訴できず、かあ」
「だが、見張りからの報告によると、先日その重臣の屋敷に大坂からの商人が入ったそうに御座る」
希美は思わず、親指と人差し指の輪っかを崩した。
「大坂本願寺か!」
「わかりませぬ。捕らえて訊問し申したが、吐きませなんだ」
「そうか……ただの商人かもしれないしな」
「だが、用心に越した事は無い。もし、三好や大坂がそやつらの後ろ楯となれば、六角が潰されかねぬ。そこで、えろ大明神様、息子を、四郎義治をこちらに置いていただけませぬか?」
希美は驚いた。
「え?あの人が今の六角の当主でしょ?」
「だからこそ守らねばならぬ。芦名の若当主も、しばらくあなた様の元に滞在したと聞いておりまする。どうか、落ち着くまでこちらで政などを学ばせていただきたい。よろしくお願い申す」
承禎が深く頭を下げる。
その禿げ頭に、希美は前世の父親のてっぺんハゲを見た。
(実家に帰ったら、いつも美味しいものを食べに連れていってくれたなあ。家族のために、ずっと働いてくれてた)
「いいよ」
自然と了解の言葉が口をついて出た。
「承禎さんの心残り、息子さんなんだね」
承禎は、苦笑して再度頭を下げた。
「もし、わしに何かあれば、息子達をよろしくお願い致す」
「了解。必ず私が守るよ。でも、承禎さんも危なくなったらすぐうちに逃げておいで。命大事に!だからな」
「心得申した。まあ何かあっても、すぐに逃げ出せるように手筈は整えておりますがな。ああ、そういえばもう一つ心残りが」
「なんだ?」
「一度でよいので御座る。……えろ大明神様を、鎖で縛らせて下されぇ!!はあはあ……」
「絶対に嫌だわ!!」
希美の反応に、承禎はからからと笑った。
帰り道、希美と承禎は、連れ立って城下町を散策した。
途中、斎藤龍興が主導して建設しているえろ教の修行場や、河村久五郎が急ピッチで建てている遊女屋『睡蓮屋』などに立ち寄り、承禎に説明する。そんな風に城下町をそぞろ歩いていた希美は、ふと承禎の襟が気になった。
(ん?タグが出てる?)
気になった希美は、興味深げに町の様子を見る承禎の襟についている黒っぽいものを引っ張ってみた。
ジャリジャリジャリジャリッ
「おわっ!!く、鎖ぃっ!?」
承禎はイタズラがバレてしまった子どものように、『しまった』という顔で振り返り、はにかんだ。
「おお、バレてしまい申したか!実はこの鎖、以前浅井下野守さんが使っていたものを譲り受けましてな。こうしてこっそりと小袖の下で身を縛り、暴れ出そうとするわしの『えろ』を戒めておるので御座る。いや、これをつけて人の前に立つと、わしの繖山が常に噴火待ったなしでしてなあ」
「じゃあ、ダメじゃねえか!!すぐに浅井に返してこい!」
「いや、下野守さんはすでに次の段階に入り、もうこれは必要ないんだとか。なんでも、常に鎖に縛られ、ひたすら鎖を見、鎖に触れ、舐めしゃぶり、話しかけていたら、鎖が無くとも己れを縛りつける鎖が見えるようになったそうな」
「うわあっ!!それ、特殊な能力に目覚める前のやつぅ!?」
「そのうち、あるはずの無い鎖が……」
「あ、あわわ……、まさか、具現……」
希美は、危険な兆候にごくりと生唾を飲み込んだ。
だが希美にとって、真実はさらにおぞましかった。
「えろ大明神様の形を取り、その冷たく硬い肌で下野守が望むままに淫らな責めを……」
「戦じゃあ!!今から北近江を攻めるぞお!あの変態爺、マジで琵琶湖の底に沈めねば!」
「な、何故?!えろ大明神様がご乱心!」
承禎の声を聞きつけて、町の人間が集まってきた。
「なにい!?えろ大明神様が何だって?」
「えろ大明神様が暴れてるんだってよ!」
「もしかして、またあの妙な躍りが見られるのかねえ」
「えろ大明神様の乱舞開場は、ここじゃろうか……」
「「「「「えーろ!えーろ!えーろ!えーろ!」」」」」
「な、何が起きておるんじゃ……?」
承禎は、すぐに熱い乱舞を目にする事になる。
ひとしきり憤った希美は、気がつけばマイコー若村のダンスを望む観客に囲まれており、よくわからないままにノリノリで『スリラー』他を踊りまくった。
思いもかけぬゲリラライブに、町は熱狂の渦に包まれ、承禎も溢れ出すリビドーをそのままに、全身で熱くリズムを刻んだ。
そして、鳴り止まぬアンコールの中、ライブは終わった。
「では皆さん、大変混雑しておりますので、お気をつけてお帰り下さいねー!本日は、私えろ大明神こと、柴田勝家のライブにお越しいただき、誠にありがとう御座いましたー」
ぞろぞろと人々が帰り始める中、希美は何故こんな事になったのか首をひねりながら、興奮冷めやらぬ承禎を連れて帰途についた。
見ると、承禎の襟から出た鎖が、先ほど激しくリズムを刻んだせいか随分長く伸びて、地についている。
希美がそれを承禎に指摘すると、「どうも衣の中で鎖が緩んだようですな」と言う。
これをここで巻き直すわけにもいかず、衣の中に入れて着崩れさせるのも憚られ、希美は悩んだ挙げ句、とりあえず地面に引きずらぬように、鎖の先を持ってやる事にした。
そのまま、城下町を尾山御坊に向けて歩く。
てくてく。
「……はあ」
てくてくてくてく。
「はあ……はあ……」
てくてくてくてくてくてく。
「はあはあ、はあはあっ、はあっはあっはふうっ!」
「うっせええ!!なんで、そんなに息が荒いんだよ!」
希美のシャウトに、承禎は恍惚の表情で答えた。
「えろ大明神に鎖を引かれて、縛られたまま平然と人前で歩いておると思うと……、な、何やら、堪りませぬぅっ」
なるほど、つまり希美の今の状態は、鎖で縛られたままの承禎を、その鎖の先を持って、町中をお散歩中というわけだ。
完全に、『ぷれい』である。
「うわああっ!いつの間にか、どえすえむ!?」
希美は、持っていた鎖を承禎に投げつけた。
「ひ、人をぷれいに巻き込むんじゃねえわ!」
そこからは、承禎が自分で鎖を持って歩いた。
何故、最初からこうしなかったのか。
後悔は先に立たない。
それにしても、承禎は残念そうだ。
こうして無事、尾山御坊にたどり着いた希美達は、城の者達に六角義治の滞在を告げた。
そして三日後に、承禎は供の者を連れて南近江に帰っていった。
田では代かきが盛んに行われている、四月の始めの事であった。
史実では六角氏は衰退したものの、六角承禎さんは、豊臣秀吉に仕えたんだそうですよ。




