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白い粉はダメ!絶対!

景紀と希美は、主殿の縁側から濡れ縁に出た後、手を繋いだまま常御殿に回り、そこにいた女中から適当な草履を借りた。

そしてまた手を繋ぎながら主殿へ戻ると、濡れ縁から草履を履いて中庭に降りた。

中庭には、花壇が設けられており、この時期は牡丹が可愛らしくも優美な蕾をつけている。


「もう少しすればこの蕾が開き、桃色の牡丹が大輪の花を咲かせる」

景紀は一人言をするように呟いた。

希美は、

「へえ、それは見事でしょうなあ」

と相づちを打った。

不意に忍び笑いを漏らした景紀に、希美が「どうされた?」と問う。

景紀は、少し頭を振って答えた。

「いや何、昔の事を思い出した。まだ倅の孫九郎が幼子の頃、あの時もこんな風に倅の手を引いてここで花を見た。……あれは、石楠花しゃくなげであったか」

景紀が懐かしむように、月明かりに照らされた牡丹を見つめている。

その目は、先ほどとはうってかわって慈しみに満ちていた。


「倅は、あの時言ったのだ。『父上やお祖父様のような立派な武将になって、必ず殿をお守りします』と。あやつ、殿も守れず、自分も死んでしまいおった」

「九郎左さん……」

景紀は吠えた。

「何故じゃ!!主を失い、倅を失い、何故御仏は斯様な仕打ちをわしに……!」

いつしか景紀の眼から滂沱ぼうだの涙が流れていた。

「おのれ、御仏め。何故代わりにわしを連れていかなんだ!倅も、倅の代の朝倉も、まだこの牡丹の蕾であった……これからじゃった……」

「でも、史実通りなら、朝倉の未来は……」

「信じられぬ!!何もかも、わしには信じられぬ……」

景紀が希美の手を握る力が強い。

それでも、手は繋がっている。

それが希美には、景紀からのSOSに思えた。

何もかも拒否し、信じられぬと言いながら、どこかで救いを求めている、と。


希美は、景紀の手を引いて濡れ縁に腰かけさせた。

そして自分も隣に座る。

「ねえ、織田の殿は身内になれば優しい人だよ?確かに九郎左さんは大事なものをたくさん失ったけど、まだ朝倉は残ってる。これからも朝倉を残すなら、織田うちを頼ってよ。じゃないと、史実通り朝倉は滅びてしまうかもしれないし、滅びずとも越前が荒れてしまう」

「この乱世で、他国の将を信じよと?一向宗とて最初は、我らとの遺恨を捨て、共に加賀を攻めようと、この一乗谷を朝倉と共に出立したのだぞ?その結果がこれじゃ。わしはもう信じられぬ」

「じゃあ、どうするの?返答次第では、明日朝倉は滅ぶかもしれない。九郎左さんは、朝倉の宗家を道連れに死ぬつもりなの?」

「わからぬ……。わしには、わからぬのじゃ……」


景紀は震えて泣いていた。

厳めしく鍛えられた肉体が、萎んで小さく、弱々しく見えて、希美は思わず景紀を抱きしめた。

「九郎左さん、悲しいんだよねえ」

希美の胸の中で景紀の嗚咽が漏れた。

いまだ繋がっている希美の手は、景紀によって固く握りしめられ、希美はもう片方の手で、子供をあやすように景紀の背中を優しく撫で続けた。

いつまでも、撫で続けていた。




チュン……チュンチュン……


「ん……?」

瞼を透過して届く光の明るさに、希美は目を開けた。

いつの間にか眠っていたようだ。

子供に添い寝するとやたら眠くなり、いつの間にかいっしょに寝入ってしまうのは何故なのか……。

そんな事を考えながら、希美は少し身動みじろぎした。

ふわりと、加齢臭が漂い、希美の鼻孔をくすぐった。

(昨日、嗅いだ加齢臭だ……)

見ると、景紀が纏っていた下着のひとえが希美にかけられている。

(ああ、九郎左さんの匂いか。やだ、自分の単をかけてくれるなんて、後朝きぬぎぬの朝みたい。まさに朝チュン……)

瞬間、希美はがばりと起き上がった。


「え?!まさか、やった?やっちまった!!?」


希美は自分の体をあらためた。

服は、……ちゃんと着ている。

尻に違和感、無し!!


「び、びっくりしたあ!!ガチの朝チュンかと……」

希美は、心底ほっとした。

多分あの後、希美が寝入ってしまい、気を遣った景紀が衣をかけてくれようとしたのだろう。

ただ、流石に肩衣や小袖をかけると会所に戻った時に皆に不審がられる。そこで、無くてもまだ目立ちにくい自身の下着の単をかけてくれたのかもしれない。

希美はそう推察し、洗って返さねば、と景紀の単を畳もうとした。


「あれ?」

何故か、穴だらけだ。

自分の体をもう一度よく見る。

希美の着物も穴だらけである。

「なんで??」

辺りを見渡す。

昨日の中庭、濡れ縁だ。

だが、希美の回りには、折れた刀剣類が散乱している。濡れ手拭い、縄、割れた壺……。

そして、三方に乗せられた米、塩、水、酒などの、よく神社で見るお供え物セット。


「わ、わっかんねえ……。寝てる間に、何が起きたの??」


希美は混乱したが、いつまでもこうしているわけにもいかない。

人通りもそんなに無い所を見ると、まだ夜が開けてそんなに経ってはいないだろう。

景紀の単を掴んで立ち上がり、廊下を抜けて会所に向かう。

会所の障子戸をそっと開けて中を覗くと、げっそりとした重臣共がまだ会議を続けていた。

その中に景紀もいる。

話から察するに、何故か昨日の夜のうちに反織田派がほとんどえろ教に転び、景紀が一人で『織田の支配は許容できぬ』と頑張っているようだ。

よく見ると、景紀は単無しで小袖を着ている。

希美は「ふふっ」と、ちょっと笑ってしまった。

景紀と目が合った。

景紀は希美の持っている単に気が付くと、口の端で苦笑した後、気まずそうに目を逸らした。

希美は、またそっと戸を閉めた。


その後希美は常御殿に行き、女中に新しい着物と湯殿を頼んだ。

女中達は希美を見ると、何故か「まあまあ、敦賀様ったら、随分と激しく為された事!」だの、「傷に効く軟膏も御座いますよ」だの、「私達は応援してますからね!」だのと、姦しい。

「いや、違うから!そんな事実は無いから!」

と希美がいくら訴えても、「はいはい、そういう事にしておきますね!」と、女達は一切聞く耳を持たない。

希美はそんな女達に気圧されながら、腐臭漂う視線に晒されつつ、身だしなみを整える羽目になったのである。




午時うまじになった。

織田の名だたる将達を引き連れた織田信長を、新当主朝倉阿君丸と高徳院、そして一門衆を筆頭に朝倉の重臣達が主殿の広間で出迎えた。

「殿!」

希美は、信長の元に駆け寄った。

信長が希美を見て眉を潜める。

「なんでその方が『三盛木瓜みつもりもっこう』の紋をつけておるのじゃ?」

「いや、なんか衣がボロボロになったから、館の人に貸してもらって……」

「朝倉一門にしか許されぬ紋じゃぞ?」

「え?」

希美は振り向いて常御殿の辺りを見た。

その時に景紀の衣服が目に入る。


黒色の肩衣に『三盛木瓜』紋。同色の袴。

白小袖に柿色の単。


(わ、私とおそろ……)

「は、謀りおったなあ、あの女中共おお!!!」


「「「「「ほーほほほほほほ!!」」」」」


常御殿から女中達の笑い声が聞こえた気がした。

頭を抱える希美を信長は微妙な顔で見、希美の耳元に顔を近付けて囁いた。

「その方と揃いの衣を纏うておるあの男、落とせたか?」

希美は頭をポリポリ掻きながら報告した。

「あー、なんか、九郎左さんを『よしよし』してるうちに、気が付いたら寝ちゃってて……」

「その方等に何が起きたんじゃ!?」

「そして、気が付いたら、九郎左さんの下着と加齢臭に包まれていました」

「お、おいいーー!!?」

「そして、回りに折れた刀剣やお供え物が……」

「わからん!どんな状況なんじゃ??」

「私にもわかりませぬよお!!」

「この、大うつけえええ!!」


「いい加減にしなされい!!」

林秀貞の一喝で、信長と希美は、しれっと定位置に戻った。

そして、呆れ顔の朝倉勢と織田勢の会談は、ここに正式に始まったのである。



「それで、織田か滅亡か、決めたか?」

信長の問いに、阿君丸を抱いた高徳院が答えた。

「朝倉は織田の支配を受け入れまする」

信長が満足そうに頷いた時である。

「わしは、受け入れぬ!」

信長が険しい表情を声の主に向けた。

朝倉景紀であった。


景紀は立ち上がった。

「わしは、敦賀に戻る。後の者は勝手に織田にでもなんにでもつけばよい!わしはわしで、勝手にさせてもらう!」

「敦賀殿!」

「九郎左さん!」

高徳院と希美が声を上げた。

朝倉の重臣達がざわついている。

信長は景紀に声をかけた。

「このままわしが、おとなしくお主を帰すとでも?」

景紀はじろりと信長を睨んだ。

「わしを殺すか?好きにせよ。わしとて、ただでは殺られぬぞ!」

景紀は衣の中から、脇差しを取り出して鞘から抜いた。

織田の家臣が一斉に動き、主君信長を防御する。


希美は、織田勢と景紀との間に入った。

「九郎左さん、考え直して。織田の殿は、ちゃんと朝倉を守るから!さっきのは、いつもの憎まれ口っていうか、ちょっとカッコつけたかっただけのアレだから!!」

「おい、権六ぅ!!」

どっかでツンデレ武将が叫んでいるが、希美は無視した。

景紀は、少し瞳を揺らして、それでも冷たい眼で希美に向いた。

「言うたはずじゃ。わしは、誰も信じられぬ、と」

「じゃあ、私は?私も、朝倉と織田の間に立って、どっちもうまくいくように頑張るからさ!私の事も信じられない?」

景紀は苦しげに断じた。

「信じぬ。お主は、悪い男ではない。だが、お主は織田の臣じゃ。もし、そこの男に阿君丸を殺すよう命じられれば、お主は断れまい」

「いや、普通に断るよ!むしろ、『こんな子どもを殺せとか、馬鹿じゃねえの?!』ってぶん殴るかもしれない!」

「おいい!!わしは主ぞ!?」

「お主、子どもを見逃して滅んだ平家の習いを知らぬのか?!」

信長と景紀が声を揃えた。

「いや、普通に無理でしょ。子どもを殺すとか。嫌だよ」

希美は冷静に返した。


「ヒィーッ、ヒィーッ、ヒヒッ、ヒ」スパーンッ

どっかの滝川一益が秀貞にしばかれた音がした。


希美は景紀に言った。

「ならば、私の所においでよ。私といっしょに朝倉を守ろう?」

景紀は頭を振った。

「すまぬ。わしは、信じたくとも……」


「ならば、人の本質が見えれば敦賀様も安心できるのでは?」

景紀は訝しげに、乱入してきた僧を見た。

「御坊は、波着寺の……」

「照任で御座いまする」

波着寺の照任であった。

「拙僧は、このえろ大明神様のおかげで天啓を得ましてな。人の本質がわかるようになったので御座います」

景紀は益々怪しげに照任を見た。

「まさか……」

希美と信長は、目を逸らした。

照任は景紀に申し出た。

「正直、拙僧と同じ天啓を得られるかはわかりませぬ。が、ここに、拙僧が天啓を得た切っ掛けとなったよすがが御座います。一か八か、天啓を得られるか試してみませぬか?」

そう言って照任は、守り袋から小さな薬包紙のようなものを取り出した。

中には、怪しい白い粉が入っている。


信長が、慌てて前言撤回した。

「あー、朝倉敦賀殿?わしは思い直した!今、命は取らんから、そのまま領地に戻られよ。その後に、改めて戦を致そうか!」

「ふん、信用ならんわ!」

景紀に一蹴された。

信長は、必死に言い募った。

「本気じゃ、敦賀殿!なんなら、わしが送り届けてもよい!」

「何故、そこまで……。怪しい事よ。よし、御坊の申し出、お受け致す!」

「のおおおおおお!!!」

逆効果だった。


照任が説明を始めた。

「これは、えろ大明神様が持ち込まれたものを護摩炊きした時の護摩檀の灰で御座る。これを服さば、もしかしたらわし等と同じ天啓を授かれるやもしれませぬ。ただ、この力には困る事も御座いましてな……」

「くどい!飲むぞ!」

「あああっ!!」

景紀が白い粉を一気に煽り、信長が悲鳴を上げた。

「だ、誰か!水を持ってきてあげて!」

希美が言うや、小姓が台所に走った。

「ぐ、ぬぬぬう…………」

景紀は踞って、唸っている。

すぐに小姓が水を持ってきた。

広間の外は、女中や侍衆が何事かと集まり、野次馬と化している。

小姓は、景紀になんとか水を飲ませた。

景紀はしばらく踞っていたが、そのうちのそりと起き上がると、希美に向かって突進し、驚く希美にのしかかり……



ペロペロペロペロペロペロペロペロ……

希美「ギ、ギィヤアアアア!!!」

女中「「「「「キャアーーー!!(腐喜声)」」」」」

照任「あ、敦賀様、直接はいけませぬ!!」


景紀は希美をひとしきりペロペロした後、

「ぬおおおおおおお!!」

と吠え、ばりぃっと諸肌脱いだ。


希美は、文字通り這う這うの体で信長の所まで逃げてきた。

景紀は最高に締まりの無い顔で叫んだ。

「なんという、なんという味じゃああ!!陰と陽が混沌とした圧倒的な力!圧倒的過ぎて、他には何も見えぬ!まさに宇宙そのものじゃあ!!……っ!はふうっ、はあはあ」


希美は照任に掴まりながら、震える声で尋ねた。

「な、何、あれ……。九郎左さん、どうしちゃったの?!」

照任は答えた。

「『ペロペロ』の力は、えろ大明神様からもたらされたせいか、やたらにえろ大明神様所縁のものをペロペロしたくてたまらなくなるので御座います。故に我らは、河村久五郎様にお頼みして、えろ大明神様の身につけておられた最高のものをお譲りしていただいたのですが……」

希美の脳裏を、成願寺城で起こった『河村久五郎ふんどし泥事件』がよぎった。

「おのれえ、河村久五郎お!!」

河村久五郎は既に広間の外に逃亡している。


照任はなおも説明した。

「ただ、気をつけねばならぬのは、えろ大明神様を直接ペロペロする事。刺激が強すぎて、興奮のあまり気が付けば衣をはだけさせ、果ててしまいまする。わしはその日の夜にあれが来ましたが、さすがに直接体に取り込んだ敦賀様は反応が速う御座いますな!」

信長が照任に問うた。

「あの白い粉は、まだあるのか?」

照任は頷いた。

「たくさんありますぞ!代々、受け継ぐべき波着寺の宝ですな」

信長は命じた。

「全て捨てよ。でなければ、寺を焼き討ちする」

「おお、魔王の所業!!」



そしてその後、信長も景紀に、めちゃめちゃペロペロされた。

『後朝の朝』

平安時代の貴族の結婚は、男子が三日、夜中に女子のもとに通うのですが、共寝ともねした次の日の朝、男子が女子に自分が着てるものを渡す決まりがあったそうな。


『平家の習い』

平清盛は、子どもだった源頼朝や義経の命を取らずに助けたら、後々そいつらに平家を滅ぼされ

ちゃったよ。

子どもといえど、敗けた武家の子どもを生かしておくと、ろくな事にならないね!という乱世の教訓。

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