悪夢
登場人物ざっくり紹介
・マヤ
人間族、女性、12人の婆さん達の長。占いと魔法の達人、ディアス達は知らないことだがかつては王都で活躍していた?
・サーヒィ
鷹人族、男性、狩人。狩りだけでなく伝令や偵察、手紙の運搬などで忙しい鷹人族のリーダー的存在、再起な忙しくなりつつあるが、セナイとアイハンの狩りの相棒役を優先している。
――――織場で機織りをしながら マヤ
カトンカトンと軽快な音が響かせる織り機が並ぶ織場には、いつも何人かの子供達が遊びに来ていた。
このイルク村では珍しい歯車仕掛けを見ることが出来るとか、優しいマヤ婆さん達と話が出来るとか、理由は様々だったが、子供の姿が絶えることはなかった。
子供達の中には手伝いをしてくれる子や、お茶を淹れてくれる子、調子の悪い機織りの様子を見てくれる子なんかもいるが、マヤ婆さん達は子供達がただそこにいてくれるだけでも嬉しいと、そう言いながら歓迎をしていて……子供達にもマヤ婆さん達にとっても憩いの場となっていた。
そんな織場でマヤ婆さんが手を止めて、痛む腰へと手を伸ばしていると、すぐさま子供達がやってきて、背中をさするとかぐいぐい押し込むとかして、マヤ婆さんのことを労ってくれる。
子供達の柔らかな手で押し込まれると、それが良い具合に痛みを和らげ、ほぐしてくれて……しばらくそれを受けていると痛みが引いてすっと立ち上がることが出来る。
立ち上がって気分を入れ替えるために織場の外に足を運ぶと、子供達も一緒に来てくれて……子供達と一緒に青空を見上げていると、突然草原中を魔力が駆け抜け、光の壁が作り上げられ……子供達がざわつく中、その魔力の動きを見たマヤ婆さんはため息混じりの声を上げる。
「……あのお馬鹿は全く、こんな未熟な練り方で魔脈に手を出すなんて……」
そう言ってからもう一度ため息を吐き出したマヤ婆さんは、仕方ないかと首を左右に振ってから、懐からいくつかの石を取り出し、地面に放り投げての簡単な占いを行う。
そしてその結果を確かめたマヤ婆さんは少しだけ顔色を悪くし、占いの結果に関する伝言を頼むためにサーヒィ達が住まう鳥小屋の一帯へと足を進めるのだった。
――――魔法の世界で 老神官
一体何が起こったのか、老神官には理解出来なかった。
突然魔力が制御不能になり、どこかへと走っていってしまい、そのどこかから何者かが現れた。
先程の相手と違ってその姿をハッキリと視認することは出来ない、何度見ようとしても姿がボヤけてしまう。
何故そんなことになってしまうのか? その相手はまるで魔力を持っていないかのように存在がおぼろげで……だというのに確かな存在感を有したまま、こちらへと突進してきている。
それはいつかに見た光景と似ている気がした、かつて神殿で争った相手と似ている気がした。
その相手も何故だかおぼろげな姿をしていて決して折れぬ心を持っていて……最終的に排除は出来たものの、老神官に確かな敗北感を植え付けた相手であった。
それと同じような存在が迫ってくる、そして先程の相手のように拳を振るってくる。
だがそれは先程のそれとは全くの別ものだった、鋭く重く、直撃した瞬間首がもげおちたかと、頭が弾け飛んだかと錯覚する程の威力が込められた拳だった。
格闘技の心得がない老神官にも分かってしまう、それに込められた確かな殺意というものを。
完全に殺す気だ、一切の手加減がない、人を殴ることに躊躇がない、全くの抵抗を感じていない。
先程の相手も大概狂人じみた存在だったが、今回の相手は確実に狂人だと断言出来る程の威力で拳を放ってきていて、老神官は休むことなく繰り返される拳を前にして何度も気絶寸前まで意識を削り取られてしまうことになる。
魔法を中断させる訳にはいかないのと、神々との繋がりが維持されている関係で気絶することはないのだが、何度も何度も目の前が暗くなり全身が重くなる、気絶寸前の恐怖を味わうことになり……老神官の心がだんだん弱っていく。
実際の所、相手から……魔法を受けたディアスからしてみるとそこまでの殺意を込めたつもりはなかった。
普通に殴っているだけのつもりだった。
だけども実際に放たれている拳の威力は、ディアスが考えるよりもかなり上を行っていて……疲労という概念がない世界なせいか、そんな威力の拳が何十何百と繰り返し放たれ続ける。
……普段のディアスは基本的に手加減をしてしまっている、その優しい心からどんな相手であっても気遣ってしまっている。
しかし今はそれがない、魔法の世界ならば相手が死ぬことはないと、そう思っているがために手加減と気遣いが一切ない。
モンスターと戦う時のように容赦なく、肉体という枷から解放された拳が放たれ続ける。
ディアスにとっての理想の一撃、生涯を賭して一度出せるかどうかの最高の一撃が、何度も何度も、何度も何度も何度も何度も老神官に襲いかかる。
そして数十回も気絶寸前まで追い込まれた神官は、神々との繋がりから得た魔力でその相手を攻撃しようとする。
そうしなければ殺されるからと、殺意を持って魔法を放とうとしてしまう。
魔法の世界の中で。
魔法の、相手の心を責めるための世界の中で、攻撃魔法を放ったとしても相手の肉体が傷つくことはなく、ほとんど意味はないのだが、それでも今自分が殴られて気絶しかけているように、相手の心にもダメージが与えられるはずと魔法を放った―――瞬間、白かった世界は一瞬で黒く染まり、おぼろげだったディアスの姿が跡形もなく消えてしまうのだった。
――――ディアスの様子を見守りながら エグモルト
突然魔穴から放たれた光を見るなり、自分が対処すると不思議なお守りを手渡してきたメーアバダル公。
そんな彼は光に触れた瞬間意識を失ったが、意識を失いながらもしっかりと両足で立っていて……意識を失っているはずなのだが、そうとは思わせない存在感を放ち続けていた。
そんなメーアバダル公のことも興味深かったのだが、それよりも不思議な力を持っているらしいお守りの方が気になってしまったエグモルトが、お守りを眺め……眺めに眺めて、どんな構造なのか、どんな力を持っているのか、その辺りのことを確かめるためにいっそ分解してしまおうかと、そんなことを考えていると、バッサバッサと力強い翼の音が響いてきて……大きな鷹が姿を見せ、エグモルト達に向けて大きな声を張り上げてくる。
「おぉーい! マヤ婆さんが良くないことが起きそうだから、そこから離れろってよ!
ディアスは平気だけど、他の連中は良くないってさ!!」
その声を受けてエグモルトは大口をあけて、今までの生涯で一度も見せたことのないような、驚愕に染まった顔を周囲に見せつける。
鷹が喋ったことにも驚いた、だがそれが理由ではない……ゴブリン族や犬人族に既に会っているのだから、予測の範疇だ。
それよりもこんな所で師匠の名前を耳にしたことが何よりもエグモルトを驚かせていて……そんな表情のままエグモルトは、隣に立つ妻を見やる。
すると妻であるオリアナは、涼しい顔でもって素知らぬ振りをし……エグモルトはいやいや、貴女が知らないはずないでしょ!? と、そんな声なき声を胸中で吐き出す。
それからエグモルトは外れかけた顎を、自分の手で叩くことでどうにか戻してから……師匠がそんなことを言うのであれば何はともあれ避難だと、安全らしいディアスだけをそこに置いて周囲の人々に声をかけ、ディアスを置いていけないと粘る者達をどうにか説得しながらの避難を行うのだった。
――――不意に意識を覚醒させて ディアス
「ん? あれ?」
なんとも不思議な形で魔法の世界が終わってしまい、私は首を傾げながらそんな声を上げる。
あの魔法を打ち破った際はもう少し手応えがあったというか、確実に相手を倒したという確信を得られるものなのだけど……今回はそれがなかった。
何と良いのか、突然魔法が中断されたような、そんな感覚があって……そして魔法の光も消えてしまっている。
もう一度入り込もうと手を伸ばしてもダメ、試しにと数歩前に進んでもダメ、どうやってもさっきの魔法の世界に入り込むことが出来ない。
「……なぁ、突然魔法が消えたんだが、何かあったか?」
と、そんな問いかけを周囲にいたはずのエグモルト達に投げかけるが……周囲には何故か誰もおらず、エグモルトもダレル夫人も、犬人族達もかなり離れた所に立っている。
それを見て私はもう一度首を傾げてから……何があったのか話を聞くために、エグモルト達の下へと足を向けるのだった。
――――黒く染まった世界の中で 老神官
老神官にとっての最悪の悪夢が始まった。
自らが作り出したはずの魔法の世界が黒く染まり、制御下から離れて暴走し始め、何をしてもどうやっても解除できず、世界から脱することが出来ない。
魔法の世界に心を囚われた魔法使いなんてのは、おとぎ話の世界の話で、実際に起こるはずがない現象だったはずなのだが……それが実際に今、老神官の身に起きてしまっている。
原因が分からない、何故そうなったのかが分からない、解決法も当然分からず、困惑を通り越して混乱してしまっていると……今までに聞いたことのない、生命力や息遣いを感じない、冷淡な……男とも女とも思えない声が周囲に響く。
『許されない』
「……は?」
誰が? 誰を? どうして?
老神官の混乱が悪化していく。
『我々の力を使ってあの尊き方々を害するなんてことは絶対に許されない、あってはならない、企むことすら許されない、許されない、許されない、許されない、許されない、許されない、許さない。
絶対に許さない、あってはならない、ふざけているのか。
……開闢以来の、未だかつてない屈辱だ』
何かが怒っている、いや、怒りなんて言葉では表現出来ない程に激発している。
誰が? 何故? あの方々とは? 老神官は何も分からずただただ戸惑うことしかできない。
『契約は遵守されるべきだ、我らの力は正しく使われるべきだ。
あの尊き方々を守るための力で貴様は、一体全体何をしようとしたのだ、何故貴様らはそこまで愚かなのだ?』
どこまでも平坦で冷たく固く……人ではない何かの声が響き続ける。
と、その時、混乱のままに周囲を見回していた老神官の目に犬の姿が入り込む。
首飾りをし、服を着た小型の犬の姿。
実のところそれらは、老神官が魔法を使い始めた頃からそこにいた。
木々の陰に隠れ、老神官達を見張り、いつでも奇襲してやるとぞ構えながら老神官達に近付いていていた結果、魔法の光に巻き込まれ魔法の世界に入り込み……ずっと静かにそこで事の成り行きを見届けていた。
クラウスが頑張っているから、ディアス様が頑張っているから、自分達が何かをする必要はないだろうと、関所で働く犬人族達はただ静かにその様子を見守っていた。
『……ああ、君達は良いんだよ、巻き込んでしまったことを許しておくれ』
老神官と同時に犬に気付いたらしい何者かが、打って変わって息遣いを感じる、母親かのように優しく温かい声を犬達に投げかける。
犬達の視線が、それぞれあらぬ方向へと向いていることから察するに、犬達にその声の主の姿は見えていないようだが、それでも何故だかそこにいると確信しているようで、犬達は嬉しそうに尻尾を振り始める。
『悠久の時を経ても与えられた使命を忘れることなく、その血を守って過ごし、そしてあの方を支えようとし続けている君達こそが、本当の我らの子だよ。
正しい、実に正しく賢く可愛く、良い子供達だ。他の連中が情けない姿を晒す中、君達のような誇り高い者達が生き残ってくれていることは、何よりの慰めだよ。
……さぁ、あのお方の下へお帰り、そしてこれからも使命を全うするんだよ、良いね?』
と、その存在がそう言った瞬間、黒い世界から嬉しそうに尻尾を振り回す犬達がいなくなる、すっと……黒い世界に溶け込むように消えて気配すらしなくなる。
それを見た瞬間、老神官は僅かな希望を抱く。
この存在はこの黒い世界からの脱出法を知っている、そして今それでもってあの犬達をこの世界から脱出させた。
ならば自分も……老神官も同じように戻してもらえるかもしれないと考えて老神官は、訳が分からないながらも、その存在に向けて……声がしてきている方向へと向かって頭を下げ、下げた頭を地に擦り付け、これでもかと情けない姿を晒しながら謝罪をし、その存在に慈悲を乞おうとする。
『詫びたいのであれば、その手でもって自らの心臓をえぐりだすと良い。
その汚れた血の全てをその体から吐き出すと良い。
そこまでしても尚、貴様の罪は許されるものではない』
しかし老神官が謝罪の言葉を口にするよりも早く、その存在は先程よりも冷淡な声をかけてきて……老神官は思わず、下げかけていた頭を上げてしまう。
そしてそれを視認してしまい、思わず絶叫に近い声を張り上げる。
「な……なんだ、なんなんだ貴様!? そ、そのおぞましい姿は!?
ま、まさか、お、お、お前! お前なんかが神々なのか!? そんな醜悪な有様で神を名乗っているのか!?」
『おぞましく醜悪だと、尊き方々が言うのは許されるが、貴様ごときが言うのは許されない。
契約違反と合わせ重罪だ、死罪を言い渡す。
……だがお前ごときでは償い切れぬ、よって周囲の者達にも連座を言い渡す』
「ふ、ふざけるな!! お前なんぞ神々であるものか、神々であったとしてそんな力なぞ持っているはずがない!!
神々を名乗るもおこがましい下劣な存在め!! が、がらくただ、貴様はがらくたの神に違いな―――」
それが老神官の最後の言葉だった。
足元からせり上がってきた、液体のような黒い何かが背中から頭から覆いかぶさり、飲み込み……老神官の精神は消え去ってしまう。
その直後精神だけでなく、魔法の世界の外側……現実の世界の老神官の体も消え去ってしまう、そして周囲の神官達の体も消え去ってしまう。
その瞬間を歩廊の上から見ていたクラウスとモントは、驚愕の表情を浮かべながら声を上げる。
「き、消えた!?」
「消えたっつうか、地面に飲まれたように見えたが……ほ、他の連中もか?
そうすると……一瞬でどこかに移動する、脱出か何かのための魔法……か?」
クラウスの声にモントがそう返し……クラウスは森の中に隠れてもらっていた犬人族達に周囲を探索するようにと指示を出してから……自分なりに先程の状況を思い返し、考えてそれを言葉にする。
「あの神官、俺に魔法を破られた後……どこからか魔力を引き出してましたよね?
直後、地面の下でなんか変な感覚があって……連中の魔力が増えて、それから変な間があった後に消えたって感じで……えぇっと、地面に飲まれたってことは、地面の中を走るような魔法ですか?
……地面の中ってことは洞人族の誰かに聞けば何か知っているかもですね」
「……わざわざ地中を走る理由はなんだ? 魔力の無駄じゃねぇか?
逃亡する方向を見られねぇっつう利点があるにしても、走るってなら街道なり空中を走る方が速くて楽そうだが……魔法使いにとってはそうでもねぇのか?
……ああもう、くそったれ! 訳がわからん!!
今後は見張りに魔法に詳しいやつも追加しねぇとだな」
そんな会話があって神官達は魔法の力によって逃げ帰ったものと解釈された。
全く未知の不思議な魔法で逃げ帰ったものと……。
そしてどういう訳か、あれだけの人数を失ったにも関わらず、所属していた神殿がなんらかの捜索や調査をすることはなく……そうして老神官達の存在は、時の流れと共に忘れ去られてしまうのだった……。
お読みいただきありがとうございました。
次回はその後のあれこれです。




