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第86話 灯台下暗し

全編三人称です。最近サイド描写が多くて読みにくく感じるようでしたら申し訳ありません。

 尾張国 清洲城


 報告に赴いた織田弾正忠信秀を、上座にいる斯波の武衛は至極上機嫌で、側に控える織田達勝(たつかつ)は対照的に苦虫を噛みつぶしたような顔で出迎えた。


「よう来たの、弾正忠。其方の活躍は尾張中で噂されておるぞ。」

「武衛様がお元気そうで何よりに御座います。三河を今年征伐できましたのも武衛様のご威光あってのこと。」

「いやいや、余の威光なぞ大したものではない。足下に光が届かず困っておるくらいだ。」


 そう言う武衛こと斯波義統は口元を隠しながらジト目で側の織田達勝を露骨に見る。

 織田達勝は視線に気付きつつあえて気付かぬように言葉を発した。


「吉良殿とは揉めておらぬか?」

「ははっ。我らとは同盟関係となりました故問題御座らぬ。東西に分かれた御家も円満に統一された模様にて。」

「そうか。くれぐれも寝首をかかれぬようにせよ。」


 弾正忠の言葉に面白くなさそうな顔で応えた達勝は、まだ話したそうな主君を差し置いて多忙を理由に面会を中止すると伝え、弾正忠を下がらせた。


「やれやれ。部下の苦労を労うのも仕事と思うがの。」


 そんなお小言を呟いて、武衛は最近のお気に入りである狩野一族の扇子を扇ぎつつ部屋を出て行った。



 場に残されたのは大和守家の当主である織田達勝とその養子となった元因幡守家の信友である。

 怒りにこめかみを震わせる信友は養父に掴みかからんばかりの剣幕でまくし立てる。


「このままで良いのですか義父上!何の為に某が後継になったとお思いで!?」

「大和守単独で弾正忠に対抗できぬ程に奴等が勢力を拡大したからよ。」

「このままでは彼奴の力は比類無きものになりましょうぞ!この場で討つべきでした!」

「そうもいかぬ。名分がないであろう。」

「主家を蔑ろにしたことです!」

「我らが仕える武衛様の御父上の代から、遠江の支配は悲願と言っていいものだ。それを思えば蔑ろにしたなどとはとても言えぬ。」

「先日は嫡男の婚約も我らに断りなく決めて、文で報告してきたのですよ!」

「武衛様の許可は得ていた。土岐の太守もお認めの事を我らが覆すわけにはいくまい。」

「斎藤などと名乗っておりますが、あれも簒奪者の家。弾正忠も我らに取って代わろうとしているのです!」

「落ち着け。今弾正忠と敵対しても我らが逆賊扱いされるのみぞ。」

「ではいつ討つと仰るので?」

「彼奴が遠江を落としたとしてもその平定には時間がかかる。それに兵も多くを置かねば支配は進まぬはず。その頃に那古野や古渡ふるわたりも手薄となるはずよ。」

「そのような悠長な……。それに、その時都合良くあの男がいるとは限りませぬぞ。遠江にいるやも。」


 信友は怒りが収まらない様子だが、達勝は声を落として続ける。


「実は弾正忠の御正室から嫡男の吉法師について相談を受けておる。己の言う事を聞かぬ、うつけ者だから何とかしたいと。」

「では、もしや……」

「弟の方が利発で素直と御正室は言っておった。弾正忠を生け捕りにして家督を弟に譲らせ、尾張は我らが、遠江は弾正忠がという形にすれば……」

「武衛様も弾正忠を持ち上げて騒ぐこともなくなるというわけですな。成る程。」


 2人は先程までとは打って変わって笑顔となって部屋を出て行った。


「やれやれ。尾張も一枚岩じゃないねぇ。蝶姫様は大丈夫なのか?」


 誰もいなくなった部屋に、天井から小さな呟きが漏れた。


 ♢♢


 美濃国 大桑おおが


 2人の男が顔がくっつきそうな程の至近距離でひそひそと話していた。


「で、首尾は如何だ?」

「はっ。彦五郎(織田信友)様は此方と是非懇意にしたいと。」


 1人は土岐二郎頼栄、対するは揖斐いび光兼みつかねという二郎の最側近とされる人物である。


「なんとか彼奴だけでも取り除かねば、土岐の飛躍は成し得ない。弾正忠との婚約を破談にできぬというなら、弾正忠が邪魔をして来ぬよう大和守家と連携せねば。」

「斎藤左近大夫様は良く御働きかと思いますが、良くわかりませぬ。」

「あれはいつ此方に牙を向けてくるかわからん。それに……」


 二郎はその瞬間、斎藤左近大夫利政に睨まれ、逃げ出した時のことを思い出す。歯がガチガチと震えながら僅かに歯ぎしりを起こす。慣れた様子で光兼は両耳を両の小指で軽く塞ぐ。


「とにかく、彼奴とその一族は土岐の為にならん。何としてでも討ち取る。」

「長島も頼りになりませんでしたからね。」

「左近大夫も我らも同じ様に敵と見做している様だ。坊主は使えんな。」

「それもありましょうが、何やら不穏な気配も感じました。坊主同士で口論になっていた場面も見ましたので。」

「宗論か?他宗派ではなくか?」

「恐らく同じ長島の者の様でしたが。」


 彼らは本願寺が蓮淳れんじゅん主導で証如しょうにょを頂点とした石山本願寺派と、蓮悟主導で改革と融和を訴える東光寺派に分裂している状況を正しく理解していない。それを利用して弾正忠が内部分裂を誘って工作をしていることも。


「ふん。坊主の力など借りずとも兵さえ整えれば左近大夫なぞ物ともせぬ!」

「とはいえ、今は万事順調なればその様な力づくのやり方は出来ぬでしょうな。」

「まずは味方を増やすことよ。小姓の中にも信の置けぬ者がいるのだ。慎重に、誰にも知られぬよう進めるのだぞ。」



 そう二郎は言って肩を叩くと部屋を出て行った。気が重いと言いたげな表情の揖斐光兼は、


「強く御諌めも出来ぬし、困ったことだ……」


 と独りごちた後に部屋を別の襖から出て行った。


「やれやれ。美濃も一枚岩じゃないか。弾正忠様も苦労なさるだろうな。」


 誰もいなくなった部屋に、床下から小さな呟きが漏れた。


 ♢♢


 甲斐国 躑躅ヶ崎(つつじがさき)


 武田の若き後継者は、持っていた文を読み終わるや否やくしゃくしゃに丸めてしまった。


「父上は!いつまで!今川にかかりきりになる心算だ!!」


 そのまま丸めて床に叩きつけると、ドカドカと大きな音を立てながら中庭の見える廊下に飛び出した。

 丸められた文を開いて読み始めたのは弟の信繁である。理知的な雰囲気を纏った彼は、丁寧にくしゃくしゃになった紙を開いて読み始める。


「田植えの前に出て行かれて、ただでさえ苦労したのに、収穫時にも帰らぬ予定とは。兄上を信頼して……なら良かったのですがね。」

「ふん。あれが俺にその様な想いを持つわけがない!甲斐の民を第一に動けぬあの男が!」


 この武田の嫡男は甲斐国という場所への愛着が強い男である。執着と言っても良い。


「伊勢を一度抑える為にあれだけ苦労して、もう一度小田や里見が都合良く動いてくれるとは思えん。このまま今川と共倒れするくらいなら……」

「追い出しますか、父上を。」

「その前に伊勢……北条と和睦だ。いつまでも背後が怪しくては信濃に兵が出せぬ。」


 若き虎は四面楚歌を避けつつ甲斐の利となる道を模索している。それがたとえ父をその手で追放する様な形となろうとも。


「今年も身売りする娘が出る……斯様な屈辱、いつまでも許してたまるものか!」


 その瞳に宿る決意は、親子の情などでは覆らないであろうほど強いものだった。

 そして、その様子に耳をそばだてる者がいることを、誰も知らなかった。


「武田を先に崩すべきと、殿に伝えねばな。これ以上の包囲網は上杉との戦に響く。」


 ♢♢


 遠江国 懸塚かけづか


 船が動かない様子を見て、隻眼の男は渋い顔をした。杖を突きながら回転すると少し離れたところで待っていた女性の元へ歩いていく。


「どうでしたか?動く気配とやらは?」

「ないな。感じぬわ。他の商人の船ですら動けそうにない。」


 女性はさり気なく男の横に立つと、すっと杖を取ってバランスを崩す前に杖を持っていた腕を自分の肩に乗せる。


「なんとか曳馬ひくままで来たが、戦に巻き込まれて船も出せぬとはな。」

「やはり追われるほど大した身ではなかったのですから、あの時にさっさと船で三河まで渡っておけば良かったのではありませぬか?」


 駿河で世話になったから追われぬ様にと船を使わず馬で逃げるという小細工をした結果が、今の戦に巻き込まれる状況を招いていた。


「もう少し堀越が粘ると思ったのだがな……今川も戦は上手だったようだ。」

「今は町の外に兵が大勢いますから、動くに動けませぬよ。」

「わかっておる。」


 曳馬は今川と敵対した飯尾いのお氏の居城だったため、他より兵が多くいる。懸塚湊は曳馬に近く湊として栄えている関係で同様に今川軍が警戒して近辺に居座っている。



「しかし今川様は思い切った事をなさった。結果が如何なるかわからぬが、公方様による和睦の道は無理と判断したのであろうな。」


 宿として借りている部屋に戻って早々、隻眼の男は宿の主にそう切り出した。


「公方様も先日都に戻られたばかり。此方の状況に関与する余裕がないのでしょうね。おまけに弾正忠様は斎藤典薬頭様を堺へ送るのに協力されたとかで。」

「公方様の敵ではない。むしろ今川様より自らの為に動いている、か。ならば動きは鈍かろうな。」


 宿主は若く、才気煥発で情熱に溢れた風貌をしている。


「ある意味、だからこそ公方様の勘気を被るのも恐れぬのでしょう。自分の為でも、弾正忠様の為でも容易に動けぬと見てのお触れかと。」

「守護不入の否認、他国者を雇うのは許可を必要とす。……早めに動いていなければ武田を頼らねばならぬところだった。」

「摂関家の荘園も検地なされたとか。流石に初倉はつくら荘は無事だったようですが。」

雪斎せっさい殿が臨済宗だからな。南禅寺なんぜんじには手を出せなんだ。とはいえ圧力はかかったと噂だ。」


 今川仮名目録。その追加を義元は発表した。8条のそれらは守護不入を否定したり家臣団の統制を強めたりするものだった。

 守護不入地にある盗品も取り返せること、既存の条項の悪用に対する罰金、他国者の仕官不許可、他国の人間との文のやり取りの禁止などである。

 遠江の旧堀越派の所領から厳しく年貢の取り立てができないが故の、苦肉の策でもあった。


「曳馬の城主は何方様になったので?」

「鵜殿様の遺児である長照殿が入ったそうだ。堀越は朝比奈が管理するらしい。」

「父の仇なれば死に物狂いで守るであろうということですかね。」

「若いが、開城明け渡しだった為に主だった家臣が残っていた故なんとかまとめているようだ。」

「そのまま安定して戦が無くなるなら良いのですが。」

「無理であろうな。武衛様が遠江を狙う限り。」


 で御座いますよね、と青年が呟く。彼は商いに手を出し始めたばかり。今は土豪である父からの仕事などを請け負っているのみだが、船で物を運ぶ仕事もある。それが遅々として進まぬのは彼にとって大きな障害といえる。


「まぁまぁ松井殿。焦っても良い事はない。弾正忠様は恐らくこのまま年を越す事と思うぞ。志摩の鳥羽湊は使えぬのか?」

「橘が討たれ、跡地を領地にした九鬼とかいう海賊あがりとはまだ繋がりがないもので。」

「北畠様も此方の争いに関与したくないのか動きが無い。難しいの。」


 伊勢の北畠は現在勢力の拡大真っ最中だ。鳥羽湊は先日北畠晴具(きたばたけはるとも)の手に落ち、その地は戦功著しかった九鬼泰隆(やすたか)に与えられている。


「となると、当分は大人しくするしかないか。せめて脚さえ動けば国境を渡るのだがの。」

「色々な話も聞けましたから、屋敷に居られる限り御世話はさせて頂きますよ。その代わり、何処かに仕官されたら御贔屓頂きたく。」

「わかっておる。飯の恩義は必ず返す故な!」


 隻眼の男は、そう言って胸をどんと叩いた。


 男がむせて出た鼻水が、青年の服にべったりと絡みついた。

達勝さんは読み方複数ありますが今作では「たつかつ」です。

信友は因幡守家からの養子ということにしております。


史実より今川仮名目録の追加が早く、少なくなっています。

遠江から収入を確保するために義元が氏親時代から始まった守護不入の否定を更に強めるため出した形です。


各地の歴史が大きく変わっていますが、細かい部分まで描写しすぎるのも主人公の動きが見えにくくなるので、あくまで主人公と関わる地域のみ描写していくと思います。

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― 新着の感想 ―
[一言] 内野聖陽氏演じる山本勘助で脳内再生されるのでありました←
[一言] もう既に本編完というのですが、この辺りで主人公のライバルが登場してほしいところです。
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