第64話 拡大する弾正忠家
三河国 安祥城
大広間に多くの人が集まっていた。
若武者が、下座で耐えるように目をじっと閉じていた。
脇に居並ぶ諸将は佐久間全孝始め織田方の諸将。ひそひそと話しながら青年と後ろに控える3人の老将を見ていた。
青年の名は松平広忠。そして後方に控えるのは阿部定吉と鳥居忠吉、本多忠豊の3人である。
織田弾正忠信秀が部屋に入ってきた。広忠は目を閉じたまま頭を下げる。
ややもったいぶるように腰を下ろした弾正忠は、そのまま数秒広忠を眺めた。
「面を上げられよ。まずは御父上のこと、お悔やみ申し上げる。」
「ありがとうございます。ただ不運な出来事だったと、そう思っております。」
「うむ。故に岡崎城は本来の持ち主たる貴殿にお返ししたいと思ったのだ。勇猛であった御父上のことは今も覚えておる。戦場で敵として見えたあの時の恐怖は今も忘れられぬ。」
伏し目がちに言葉を聞いていた広忠は、弾正忠信秀の話の切れ目で目を見開き、言葉を発した。
「戻る条件を、お聞かせ願いたい。」
「ふむ。基本的に対等な関係でより良き明日を共に目指せる同盟にしたいと思っておるが……」
「綺麗事は結構で御座います。今川殿が家中の掌握に手間取っている今、岡崎に戻るには弾正忠様に従う他城に戻ることは叶わぬと分かっております。」
その言葉に、弾正忠信秀は顎の髭を撫でながら後ろに控える3人の老将を見る。
今川家は現在遠江の堀越今川氏(九州探題今川了俊の子孫)当主堀越氏延と遠江井伊谷領主の井伊直盛が今川義元の家督継承に反発を続けている。
これは北条氏と弾正忠信秀による支援があって活発化しており、義元とは一触即発の状況である。そのため今川氏は三河に介入する余裕が無く、牟呂城にいた松平広忠を支援することは出来なかった。
「織田の娘と婚姻せよと仰るなら致しましょう。人質が必要なら用意致しましょう。本願寺と戦えと仰るなら戦いましょう。父祖の地が戻るなら。」
「………少々、予想外よ。話で聞いた以上に肝が据わっておる。」
そう答えると、弾正忠信秀は居並ぶ諸将の1人に向かって頷いた。合図を受けた将の1人、水野信元が頷くと僅かに前に出て、4人に向かい合う。
「某の妹にあたる於大と婚姻を結んでいただきたく。岡崎城には某の弟が出仕致しますので、宜しくお願い致します。」
「他にも、佐久間右衛門尉と酒井左衛門尉が岡崎城に入る。後ろの阿部殿と鳥居殿、本多殿と併せ、6人で領を治められよ。」
織田家側の要求は家老格として佐久間右衛門尉信盛と酒井左衛門尉忠親、水野信近が阿部定吉と鳥居忠吉と共に岡崎城に入る案だった。実質的に佐久間が目付役という立ち位置である。
「あと、何かあれば安祥城にいる息子の信広を頼られると良い。此奴には西三河の差配を任せる。」
「いつでも頼りにしてくだされ。」
安祥城は弾正忠信秀の長男織田信広が入る。岡崎の目と鼻の先に監視役が置かれた形だ。
「未熟な身ですが、宜しくお願い致します。」
広忠は意志の強い目を閉じ、信広に頭を下げた。弾正忠信秀はそれを視界の端に見ながら後方の2人へ言葉を投げかける。
「それとな、水野殿に仲介を頼み石川党の帰参が決まった。水野殿の弟の家臣として今まで通り岡崎にて働いてもらう予定だ。」
「弟はまだ元服したばかりですので、石川党の皆様にお助けいただく所存です。弾正忠様に弓引いたとはいえあくまで松平家中を思ってのこと。特別罰は課さぬとのことです。」
「有難き幸せに御座います。」
「ところで、大久保党の者は如何したかな?確か岡崎城を出た後其方の元に行ったと聞いたが。」
「……大久保党は、今回の件で弾正忠様の勘気を被ったであろうと、野に下りました。」
「なんと!あれほどの忠義の士、すれ違いがあって戦になり御当主は討死されたとはいえ、松平殿を支えてほしかったのだが。」
「我らに弓引く気はないと言っておりました。恐らく下野にいる家の祖である武茂氏を頼ったかと。」
「そうか。残念よの。では残った者で松平を立て直してもらいたい。」
全く残念そうではない弾正忠信秀はそう〆ると、挨拶をしてその場を去った。
広忠は最後まで、弾正忠の家の人間と目線を合わせることはなかった。
自室としている部屋に帰った弾正忠信秀は、届いていた文を開き読み始めた。
1つは本證寺へ総攻撃をしている弟信光からのものである。
「ふむ。下方弥三郎が一番槍か。優秀と聞いておるが、噂にたがわぬ活躍よ。」
更に、本證寺周辺の寺院が続々と焼き討ちで潰れていること、降伏した寺は寺領の一部を没収して高田派に改宗が行われていることが示されていた。
「本證寺に服部党の姿があった、か。長島から数少ない援軍が入っていたということか。」
弾正忠信秀は一向門徒に加減は無用であること、高田派に改宗した寺は高田派の僧によってそれが偽装でないか確認させることなどを認めて弟への返信とした。祐筆が書にしている間にもう1通に目を通し始める。
「典薬頭殿か。吉法師への添え状はいつも通り絵本と婚姻の件か。そのまま渡せば良かろう。……形原松平の領内に温泉が出る所あり、か。如何なる手段で知ったかわからぬが……薬師如来の生まれ変わりの名に恥じぬ見識か。それともマムシが鬼か妖と手を結んだか。まぁ我らに利あらば何物でも構わぬわ。正室は飛鳥井の養女となった摂津守護代の妹。我が家では格が合わぬが……血縁は濃い方が良いな。」
礼状を書くよう祐筆に伝え、念のため探らせるよう形原松平に伝えるようにも命じると、彼は自ら筆をとって文を書き始めた。
その中身は尾張守護である武衛への手紙。三河攻めは武衛の命で行っているため、大和守織田も邪魔ができない。武衛にとって遠江の復権は悲願のため、その道程にある三河攻めは大いに奨励されていた。
彼が遠江の堀越今川氏を支援して今川家中の家督継承に関する混乱を助長するよう今後も進めることなどを報告する文を自筆で書き、祐筆の書を確認し終わると陽が落ちる時間となっていた。
「もう夜か……。次は田植えの時期だな。故郷に一度兵を返さねば年越しまでかかったので不満が出ていよう。」
そう呟いた後、小姓に寝床の準備をさせつつ腹の虫を収めるべく部屋を出た。
♢♢
絶望の年越しを終えた本證寺が焼け落ちたのは松平広忠が安祥城で弾正忠信秀と会談した4日後だった。
本多信重・本多俊正・内藤清長らが討死し、本證寺住持の玄海と蓮如の子孫である勝祐・了順は本堂焼失と運命を共にした。
本多広孝らは幼い俊正の遺児らを連れて東条松平の領内へ逃げ込んだ。
また寺を脱出した服部党の服部左京亮は佐々政次らに逃走中に見つかり、激戦の末討ち取られた。
一連の三河での戦で活躍した7名を、弾正忠信秀は岡崎七本槍と呼んで激賞したという。
史実より強大な織田によって三河が圧迫され、松平広忠は岡崎に戻るため信秀に頭を下げました。
酒井氏は実質織田の家臣化、水野も岡崎に入り佐久間と共に松平広忠の体制を管理します。
石川は力を失いました。大久保は関東に逃げています(三條西家を頼るのはないかなと思いました)。史実徳川の重臣はバラバラです。
松平広忠の室を変えなかった理由は水野との関係性+年頃の嫁候補が諸事情で信秀はここで嫁に出したくないだろうことなどから娘は出さないだろうという考えです。
安祥城に史実より安心な周辺状況で庶長子がいますので、西三河は織田の勢力圏になったと言って良いと思います。
史実ではこの時期かなり今川義元が堀越今川氏に圧力をかけていますが、最終決着は川越夜戦の直前だったことを考えるとまだまだ勢力が活発なのかなという感じです。
この世界では信秀の支援も入り、飯尾氏もこの動きに加わっている設定です。
だからこそ義元は鵜殿氏と血縁関係になった部分もあるのかなと。
三河一向一揆は終息しました。僅かに加わっていた服部党は佐々一族により討死。史実の小豆坂七本槍は岡崎周辺で活躍したので名前が変わっています。




