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第55話 従五位下 斎藤典薬頭利芸

 山城国 上京


 延びに延びた帰国だが、流石に収穫間近ということで家臣の一部を先行させた。一週間以内に挨拶回りを終えて帰る予定である。帰り道は150人ほどの小集団での帰国となる。



 飛鳥井殿に挨拶に向かうと屋敷の前に馬が多数止まっていた。どうやら数名の公家の方々が集まっているらしい。

 何かの会合中だったのかと思ったらそのまま中へ通された。複数の公家の方に会うほどしっかりした服装ではなかったのだが押し切られ中に入った。


 中にいたのは右近衛大将今出川公彦(いまでがわきんひこ)様、飛鳥井雅綱あすかいまさつな様、山科言継やましなときつぐ様、刑部卿ぎょうぶきょう錦小路盛直にしきこうじもりなお様、半井驢庵なからいろあん殿といった面々。

 更に最も上座の位置に座っているのは……会ったことが無い人であった。とりあえず頭を下げる。今出川殿より偉いとか摂関家か。


「顔を上げられよ。帝よりの使者として参られた前関白であらしゃる二条尹房にじょうただふさ様ぞ。」

「そちが典薬大允てんやくだいじょうか。」

「は、はい。御目にかかれまして恐悦至極に存じます。」


 顔を一瞬上げたが、名前を聞いて慌てて頭を下げ直した。さ、前関白は重要人物というより雲の上の人すぎやしませんか。


「良い、良い。畏まるのは結構なれど、畏まられすぎても話ができぬのじゃ。顔を上げよ。」

「は、はい。では失礼致しまして……」


 顔立ちは整った眉と細長い目が雅さというものを強く感じさせる。口元にかざしている扇子は美濃和紙の物だ。お買い上げありがとうございます。


「実はの、其方の手伝った施餓鬼せがきと種痘の普及の事、帝が殊の外お喜びでの。」

「い、いえ。臣として当然のことをしたまでで。」

「しかも先日の大風の際も民を避難させ、傘を貸し与え、家屋の修繕などまで手伝ったとか。」

「く、公方様のお仕事を手伝っただけでして。」


 今回の一連の行動は対外的には公方様の仕事を自分が手伝ったとか、持明院家の施しや寺社の施餓鬼を手伝ったとかそういうことになっている。


「建前は良い。大事なのは、其方の行いは民のためになったこと、それを帝がお喜びであることよ。」

「も、もったいなき御言葉。」

「そこで、秋の補任でそちを従五位下典薬頭に任ずることになった。公方からも了承を得ておる。」

「はぇ?」


 いやいや、先日従六位下典薬大允もらったばかりなのですが。


「それと同時に、皇子様たちへの種痘もそちにしてもらいたいと帝は仰せだ。」

「い、いや、そういうのは殿上人である半井の御家でやっていただいた方が……」


 半井驢庵殿は宮内大輔くないたいふだ。昇殿できる人に任せたいのが本音である。今回の任官でこちらも殿上人になってしまうのだ。これ以上は悪目立ちである。


「既にこれは決定事項での。拒否は許さぬ。既にここには医家の名門が集まっておる。その全てがそれで良いと言っておるのだ。」


 飛鳥井雅綱様は20年前に断絶した知基とももと流の丹波(錦小路)家の娘を正室とした御方であり、御正室も既に了承済み。錦小路宗家の当主盛直様もここにいて、和気わけ半井家の当主驢庵殿もいるし、もう一方の半井家も今回の件で手伝ってくれている。更に薬関連の重鎮山科言継様もいて……いかん、逃げ場がない。


「というわけだ。秋の収穫が終わり次第また京に来るように。安心せよ、持明院殿も右衛門督うえもんのかみに任ぜられる。公方にも帝直筆の書を下賜することになっておる。」

「ご、御宸筆ごしんぴつで御座いますか……」


 宸筆は帝直筆の書だ。とてもありがたい物だが、朝廷の運営費のため今世の帝は結構たくさん書いて売り捌いている。

 自分も目立ちたくないのでそのへんで手を打ってほしかったです。

 そして肌が浅黒いのに更に黒い表情をした山科言継様が会話に入ってきた。


「それとな、わしが少し関わっておる薬種商の座だがな。其方の商品を中心に今後扱うことにした。」

「斎藤の漢方をで御座いますか?」

「然り然り。畿内で今後斎藤の漢方をわしが広く扱うことにしようと思う。堺の商人にも既に文を送っておいた。小西行正という薬種商の男が既に返事を寄こしておる。美濃は当然として伊勢と尾張、そして越前三河までの薬座も其方で管理できるよう取り計らっておく。」


 流石薬座の黒幕。というか越前と三河って……。


「越前は朝倉が座に特権を与えていますよね?」

「どうせ敵対しておるじゃろ?先日も戦で其方の父左近大夫が活躍して朝倉に痛打を与えたと聞いておる。越前から流れてくる薬なぞ畿内から追い出せば良い。」

「ほほほ。美濃和紙で紙はもう代替がほぼ可能になっておるでの。」


 飛鳥井雅綱様もノリノリである。というか錦小路様は朝倉に荘園ありましたよね。良いのですか。


「あ、2,3年したら相模で世話になることになっていますので、越前を手に入れたら荘園の保障だけお願いしますね。あと来年相模に挨拶に行くので典薬頭殿も付き合っていただきたく。」

「ほほほ。尭慧ぎょうえ殿も下野との連絡に相模に進出したがって居りましたからお付き合い致すとのことで。」

「然り然り。うまくいったら相模の薬座も其方に管理を任せられるように取り計らうぞ。」


 公家の皆様の高笑いを聞きながら、俺は蝶姫や福姫たち家族と幸にお土産として何を買うべきか考えることで現実逃避することにした。


 ♢♢


 美濃国 大桑おおが


「納得いきませぬ!!」


 土岐二郎頼栄(よりひで)の耳をつんざくような大声を聞きながら、流石は父親と言うべきか、澄ました顔で鷹の絵を描き続ける太守土岐頼芸(よりのり)


「何故あの者が某と同じ従五位下に任ぜられるのです!しかも父上はそれに許可をお与えになった!!」


 二郎が叫んでも太守の反応がないことに苛立ち、強烈な歯ぎしりが部屋に響く。

 肩をいからせ紅潮した顔で荒い息をつくその姿に、一区切りついた頼芸はふーっと息をついて向き直る。


「そもそも、典薬大允の上洛とその活動に土岐が関与しないと決めたのは其方であったろうに。」


 実は根回しの一環で斎藤左近大夫利政は事前に土岐に話をきちんと持って来ていた。


『種痘と施餓鬼への協力予定で御座います。土岐のお名前でもご支援いただきたく。』


 この言葉に反対したのが二郎頼栄だった。


『種痘などという怪しげなもので万一摂家などに亡くなる方が出たら土岐の責任となります!やるなら斎藤の単独でやらせるべきで御座います!!』


 六角の娘との間に男の子が産まれていないこともあり、発言力が嫌でも増しつつある二郎の言葉を太守が受け容れた。そのため、この件には一切土岐が関わっていないと畿内中に喧伝されていたのである。

 そこには日頃から左近大夫利政が二郎の周辺で種痘は痘瘡に一度罹ることには変わりないから危険だなどの真偽不明の噂を流していたことも影響しているのだが。


 結果として、今回の一連の動きは「土岐の許可を得て」独自で斎藤氏が功績を上げたものということになる。


「諦めよ。其方の官位はそれはそれで右大臣(鷹司)と相談しておる。それに典薬頭は武家のための官位ではない。ならば武家として其方の格が上なのは揺るがぬ。」

「くそ……何故彼奴が帝に褒められるのだ……活躍した我が武名ももっと響いて良いものなのに……!」



 大風で沿岸部の水田地帯が海水に浸かるなどして壊滅した朝倉は、似たような被害を受けた加賀ではなく豊かな土岐攻めを画策した。

 被害を越前の山々に受け止めてもらった形の東氏の領内は安定して米が育っていたため、ここを目指して朝倉軍4500が大野郡へ出兵。

 この対応を揖斐いび五郎光親(みつちか)が総大将、一手の大将として土岐二郎頼栄が対応した。

 更に温見ぬくみ峠から斎藤左近大夫利政も兵を率いて朝倉領内へ奇襲をかけ、朝倉宗滴とほぼ互角に戦ってこれを援助。


 結果として遠藤盛数(もりかず)の夜襲が最後の一押しとなって大野郡から朝倉軍は得る物なく撤退した。二郎頼栄も活躍はしたが、前回の汚名を雪いだという程度の評価であった。


「これで分かったであろう。武だけでは為せぬことがあるのだ。余が描いているこの鷹も、余から右大臣への贈り物であるぞ。」


 太守頼芸からすればこの一件で教養を磨くことの重要性を理解してほしかったのだが、絵に興味がない二郎は興味なさそうにそれを一瞬眺めただけで耳に残るような歯ぎしりの音を残し部屋を出て行った。


 部屋を出ていく二郎を横目に見ながら深いため息をつくその姿は、隣国大名を圧倒しつつある土岐の棟梁にはとても見えないものだった。

当時の医療系の重鎮と全て繋がったためこんなことになりました。逃がさん……お前だけは!


史実1540年の朝倉による東氏領侵攻は石徹白討伐の色が強かったようですが、今作では困窮から逃れる強奪を主目的にしています。失敗してますが。計画自体は春ごろからあったようですが台風の影響で領内が不穏になる前に始めたのが史実。ここでは台風でいよいよ切羽詰まったので攻めた形です。

土岐の家が施餓鬼などで表に出てこないのは二郎サマの陰謀(?)でした。


今月中に正室関係を終わらせる予定が京都編を分割しすぎたので来週・再来週の火曜日は投稿します。でないとそこまで終わらないので……。

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― 新着の感想 ―
[一言] 活躍したとはいっても「自領を守った」ですからねぇ。 帝や公家からすれば「やって当然」としか見えない。 帝の苦悩と御宸筆の下賜を描写されている作品に初めてお目にかかりました。
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