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第45話 翻弄される者たち

全編三人称です。土岐二郎頼栄と織田弾正忠信秀のお話。

 美濃国 大桑おおが


 土岐二郎頼栄は、真夜中の寝所で飛び上がるように起きた。


「はぁ……はぁ……っ!!」


 強烈な歯ぎしりに、隣で寝ていた若い女性が眉間に皺を寄せながら目を覚ます。

 しかし女性は一瞬で眉間に宿った険を霧散させ、甘ったるい声で二郎に声をかけた。


「またですかぁ、殿。」

「くそっ!くそっ!おのれ左近大夫!!おのれ新九郎!!」


 罵倒する相手は斎藤の守護代親子。二郎は最近毎晩のように彼らと会う夢を見ていた。左近大夫利政に詰られる夢。そして新九郎に高所から見下される夢。


「大丈夫ですよぉ。ここにはそんな悪い人はおりませんから。」


 女性は甘い声で二郎の首をなぞる。耳元でささやかれる声は徐々に二郎の肩の強張こわばりを緩めていく。


「……落ち着きましたかぁ?」

「……さ、最初から取り乱してなどおらん。」


 気恥ずかしさからか僅かに顔を赤くした二郎に、女性は「可愛い」と呟く。


「さ、明日も次期当主になるための鍛錬が御座いましょう?お休みになってください。」

「当然だ。明日も腑抜けた小姓どもを鍛えねばならんからな。」


 二郎はそう言うと肩にかかっていた女性の手を跳ね除け、背を向けて寝始めた。すぐに寝息が聞こえ始める。今度はうなされた様子はない。



 と、先程までの甘ったるい声とは打って変わった冷たい声で女性が呟く。


「全く。手のかかる坊ちゃんですね。」

「全くだな。」


 天井から答える声。その声は不思議と響かないで虚空へ消えていく。


「前にも言いましたが、方針変更は困りますよ。流れの方向を変えるのは楽ですが、今回の指示は流れを正面で受け止めてき止めるようなものでしたから。」

「苦労を掛けた。殿が暴発を抑えてしばし様子を見たいそうだ。」

「新九郎様のためでもあるというなら、仕方ないですけれどね。石鹸のためにも油座とは仲良くしたいと聞けば納得もできます。」


 女性は左近大夫利政が10年かけて二郎頼栄の傍に仕込んだ埋伏の毒である。それも媚毒。脳がとろけるような、彼を溶かしていく甘美な毒。

 油の大山崎座は幕府との関係が深い。もしここで幕府と密接な土岐が揺れれば石鹸の売れ行きにも影響が出かねないというのも彼女を使った策の変化に関わっている。


「そういえば、あの村の出身だったな。」

「あの御方に仕えているのは姉の子です。産まれた時の嬉しさは今も覚えてますので。幸せにしてあげて欲しいです。その名の通り。」

「安心せよ。あの御方なら大丈夫だ。」


 もう10年会っていない姪を思いつつ、彼女は仕事を続けている。


「最近はこの坊ちゃんも随分歪みましたわ。ねやに入れるのは2人だけ。新九郎様が優秀すぎるおかげか、昔より暴力をふるうことが増えたので。」

「噂が本当になってしまったか。」


 彼の最近見られている粗暴さは最近になって出始めたものだが、こうなってしまっては鶏が先か卵が先かは関係ない。


「そういえば、殿がこれに反旗を翻す事も辞さないって言ったらしいですね。」

「それは太守様に伝わっているのか?」

「いいえ。太守様は会う度に新九郎様を褒めるから顔を合わせたくないんですって。」

「発奮させたいのだろうが、こういう男には逆効果だな。」

「子育ては難しいですから。いつか私も産めるのでしょうかね。」

「少なくとも、父親が隣の男でないことを祈っている。」

「ええ。私もはらむならこの男以外が良いので、直接交わることは殆どありませんから。」

「良くそれではべっていられるな。」

「男はただただ擦り寄るより手の中に完全に収まらない、それでいて逃げ出さない女が好きなのです。ただ擦り寄るだけでは飽きられます。褒めて褒めて、ただただ受け容れて、でも体までは易々と渡さないから私はここにいるんです。」

「なるほど。そういうものかもしれん。」


 ♢♢


 尾張国 古渡ふるわたり城建設地


 織田弾正忠信秀は、完成しつつある城を眺めながら笑みを浮かべていた。


「如何ですかな、殿。」

「良い調子だ。流石だな、佐渡守。」

「勿体無いお言葉です。」


 縄張りを命じられた林佐渡守秀貞(ひでさだ)も、弾正忠信秀の様子に満足そうである。


那古野なごやの城は吉法師きっぽうしにやる。わしはここから三河を窺うことにする。」

「西の長島が大人しくなって、三河に力が入れやすくなりましたな。」

「斎藤との関係も良い。金にもなるし北と西が安定しているなら東へ向かうが必定よ。」

「石鹸については、やはり海藻と油で作っているようです。温めると粘りが出るのを確認しましたが、しかし如何作ってもあの爽やかさが再現できませぬ。」

「忍びもあの城には近づけぬ、か。まぁ、海藻を売るだけで儲かっている。今はそれで良い。」

「申し訳御座いませぬ。あと、東ですが清定きよさだはまだ態度を曖昧あいまいにしております。」

「愚かな。遠江にいる清康の子の方が余程肝が据わっておる。決められぬ主なぞ許されぬよ。」


 松平信定の子清定は、父の死後も岡崎城にいる。しかし父信定と違って織田と組むわけでもない中途半端な、或いは状況を変えようとしない立場でいる。

 一方で松平清康の遺児いじ竹千代は早々に今川を頼って落ち延びた。今は遠江のどこかで今川の支援を得るべく活動しているらしい。


「では、攻めますか。」

「まずは安祥あんじょう城をとる。年が明けたら行くぞ、支度を十全に済ませておけ。関東が不作だったとはいえ尾張はいつも通り。兵糧に困ることはなかろう。最悪斎藤から買えばよい。あそこは豊作で京周辺に売り捌く余裕がある。金を積めば買える。」

「では、城を落とすのですな。」

「可能ならばそのまま上野上村うえのかみむら城にも脅しをかける。岡崎と両睨みも面白いな。」


 弾正忠信秀は年甲斐もなく若々しい笑みを浮かべながら、野心という名の爪を鋭く研ぎ澄ましていた。

マムシは頼栄排除の策をかなり昔から仕込んでいる(ことにしないと史実で嫡男が早々簡単に廃嫡になるわけないと思うのです)という話。


織田家も土岐斎藤の支援が厚いことで軍事活動がより活発で積極的になっております。

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