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後話7 北条氏政の憂鬱27 北からの火種

今月分遅くなり申し訳ございません。

もう来月の発売の方が近いですが、今月も月刊少年チャンピオンで連載中です。

 磐城いわき県 磐城いわき


 北条氏内部で鉄道に対する好意的な意見が広がる中、水戸延伸を主張し始めた北条氏光は仙台から磐城まで延伸が終わった鉄道の視察に来ていた。

 磐城では「地の脂」として石炭の利用が限定的に行われており、天下統一の後に石炭鉱山の開発が進む中で磐城でも正式に発見された。磐城・弥勒沢みろくさわの石炭鉱山は元蘆名氏の領内や伊達・最上領を繋ぐ鉄道用の石炭として重宝され、奥羽最南端の駅の一つとして大規模に発展しつつあった。

 氏光は案内役として同行する元蘆名家臣の平田ひらた善五郎ぜんごろう範重のりしげに、磐城の鉱山へ向かう坂の道すがら尋ねた。


「温泉を求めてやって来る者もいれば、石炭鉱山に関わる仕事で出入りする者もいるのか?」

「はっ。磐城から相馬、仙台せんだいを繋ぐ鉄道と、仙台から山形、酒田湊も繋いでおります。また、福島、郡山、白河の関までもこの石炭を用いて動かしておりますので、商いや働く場所を求めて人が多く訪れますな。稀に、各地の商人らが湯治場として来ることもあるとか」


 戦乱の時代は難しかった旅行が可能になり、近畿では有馬温泉や金刀毘羅宮ことひらぐうが、濃尾では下呂げろ温泉と伊勢神宮が大人気となっている。どこも海路の安全と鉄道の整備で行きやすくなったのが理由だが、同じ理由で奥羽各地からは磐城と上山かみのやまの温泉が人気となっている。いわき温泉は延喜式えんぎしき神名帳じんみょうちょうで日本三古湯に数えられていることもあり、寺社の関係者がこぞって訪れる地の1つとなっている。


「そして、ここから水戸を繋ぐのは可能という話だったが」

「はっ。水戸までは容易かと。高萩などの海沿いを進む形になりまするが」

高萩たかはぎは我らに協力的な大塚殿だ。問題はない」


 高萩の国人・大塚氏の当主・大塚大膳は珍しく氏光ら北条氏の方針に協力的である。これは高萩のすぐ北にある磐城の、特にその湊である小名浜おなはまの発展が支配地域の民衆に目で見てわかる状況のためだ。大規模化していく小名浜の湊と高度な漁船の運用。少し沖合に出れば嫌でも地域の支配者が北条氏か、中央政府かがわかるのだ。民衆からの突き上げが激しくなっている大塚氏にとって、鉄道敷設の話は所領の支配を安定化させるための格好の一手に見えていた。


「できれば水戸から鹿嶋までを繋ぎたいところだが」

「鹿嶋でございますか」

「あぁ。鹿嶋を繋げば、剣術道場や鹿嶋の神宮に行く者も増えよう。周辺の米も今は那珂なか湊から運んでいるが、鹿嶋から霞ケ浦を使えるようになり、より総州に近い地域から運びやすくなる」


 下総の北部、特に香取かとりなどの地域では、近年の米需要の増大と馬需要の減少から牧場を稲作地に変えていた。こうした地域は江戸湾まで米を運ぶ手間があり、今回の鉄道敷設の計画でも新田のために後回しにされている。霞ヶ浦を利用して鹿嶋に米が運べるようになれば、この地域の発展に大きく寄与するのは間違いなかった。


「それだけではない。久慈の金山からの運上も鋳造所に運びやすくなる」


 常陸北部の久慈郡では国内有数の金山があり、貨幣鋳造を行っている摂津まで運ばれていた。海外貿易ではヴェネツィア金貨より安定した金貨と呼ばれ始めているため、新貨幣の鋳造は特に高い需要を維持していた。逆に、明の貨幣は徐々に使用されなくなっている。ヨーロッパ諸国も国際貿易にはヴェネツィアのダカット金貨、日本の金貨、スペインの銀貨を使用しているため、その需要も増加しているのだ。そのため、金貨をどんどん鋳造し、欧米諸国の金貨・銀貨を回収し、一部を鋳直して日本金貨として流通させている状況だった。


 このため、中央は金鉱山からの収入を今回の鉄道敷設の支払い担保にしており、秩父の股の沢がその対象となっていた。


「この久慈の金を担保にすれば、水戸方面の鉄道敷設も容易だろう。江戸・古河こが・宇都宮までの延伸後に改めて合議では敷設に時間がかかる。南北双方から進めた方が伸ばすのも無理がない」

「となれば、あとは小田原での認可さえ下りれば」

「ああ。そちらは何とかしよう。来月の合議で提案してくる」


 元々、水戸は宇都宮まで延伸した後に笠間などを経由する予定だった。それでは鉄道が来るのにあまりにも時間がかかる。そのため厩橋まやはし延伸と宇都宮延伸で対立することになっていた。今回の敷設案は双方の対立を解消しうるもので、しかし宇都宮の氏忠だけが敷設に時間がかかるものだった。


「鹿嶋まで鉄道を伸ばした後で白河から宇都宮の延伸をする形で提案すれば、氏忠殿も乗るだろう」


 いわきから水戸を通って鹿嶋へ至る道は現在敷設計画が進む小田原から古河の距離より短い。古河に敷設が進む頃には水戸側も終われると氏光は見込んでおり、そこから厩橋延伸と同時に白河・宇都宮が結べれば誰も困らない。そう考えていたのだった。


 ♢♢


 相模国 小田原


「それはあまりよろしくないかと」

「左様。いささか利に目が行き過ぎている」


 しかし、宇都宮氏忠だけでなく、武蔵滝山の大石氏照らがこの案に反対した。氏政は特に発言することなく、この議論を見守っていた。


「氏照殿、利に目が行き過ぎ、とは?」

「北条としてのまとまりが無くなりましょうや」

「左様。此れを認めれば、国人の大塚は我らではなく、中央の申す事を聞くようになる。水戸の衆とて、氏光が我らと心を共にしても、家臣までそうとは限らなくなる」


 経済的な依存が強まることで、中央との交渉で内部からほころびが出る。これを彼らは危惧していた。北条から養子に入っているからこそ、氏照や氏忠は北条氏としての結束を重視していた。


「確かに我らが経済的に大きく中央と差が開いているのは事実。だが、我らがこの国にとって必要なのもまた事実。陸軍の質は今、北条から派遣される者が随一と称賛されており、坂東武者の如き戦場で活躍できる兵を出せる我らが求められている」

「左様。その北条が一つにまとまれなくなれば、いよいよ関東独立は無に帰しましょう。北条は関東管領として、中央政府に全面協力して国を支えるのが肝要」


 鉄道というものの性質を、北条氏の一門の大半はこの短期間で正しく理解していた。それは人と物の交流が鉄道に依存するということ。鉄道を中心に人が交流し、情報も鉄道が発信源となっていく。そのため、鉄道の交差点では人と物と情報が集まる。東海道線と伊勢線の交わる那古野、山陽鉄道と紀州鉄道が合流し京と繋がる大坂。北陸と山陰の鉄道が合流する敦賀。そしてそれらが全て集まる京。故に京はこの国の中心となっている。

 だからこそ、人と物と情報の関東における集積地は小田原か、古河であることを目指していた。中央の情報は小田原に集まり、関東の情報が古河に集まれば、両方を押さえる北条氏の関東支配は揺らがないのだ。

 だが、しかし。ここで水戸が独自の鉄道網を持てばどうなるか。もう1つの集積地の誕生は北条のまとまりを間違いなく破壊する。氏照と氏忠はそう考えていた。


 氏光は北条を名乗っているからこそ気づいていなかったが、現状の関東独立は危ういバランスで成り立っている。先日の反乱を早期に収めたために独立を維持できているが、もし鎮圧に時間がかかっていれば国人の一部が『北条危うし』と見て中央政府に助けを求めた可能性があった。そうなれば北条の面子は丸つぶれであり、摂家将軍が安全を理由に引き上げることで関東管領の名分の喪失もありえた。


「氏光、確かに水戸の敷設が現状の議論では遅くなっている。だが先日の反乱もあって、水谷氏が鉄道敷設に賛同したのだ。水谷みずのやの下館から笠間を結び、そこから水戸に通れば鉄道は当初より楽に敷設できる」


 笠間氏の領内が鉄道を通すことに賛同したことで、下館の水谷氏の領内を通せば小山から水戸への鉄道敷設が可能になった。筑波山の北を通るルートが現実的になったのである。


「久慈の金山を担保にするのは良い。故に古河までの敷設後は上野と下野・上野の双方へ同時に敷設を進める形にしよう」

「ですが、それでは大塚らが」

「国人衆は中央政府に合流すれば土地を失うのを理解しているはず。その方が収入が減るのだから、大塚大膳も理解していよう」

「確かに、大膳はそうでしょうが……」


 氏光は大塚大膳よりその甥にあたる親成ちかしげを警戒していた。しかし、この親成は氏政に縁談を頼んでおり、今は陸軍で派遣されている状況で、すぐに危惧すべき存在ではなかった。しかし、陸軍へ派遣される前から領内の米をいわきに直接売ることを主張している人物だった。そのため、民衆の間では高齢の大膳より人気があり、仮に中央政府に加わった場合民衆の人気を背景に元老院入りを狙える人物と氏光は考えていた。


(当主にはなれないが、もし関東独立が崩れれば最も得するのはあの男なのだが……。愚か者ではない故、扇動などに手をつける者ではないのだが)


 氏光の困った顔を見ながら、氏政は次のアプローチ先に大塚氏を考え始めるのだった。

今回の話は常磐線+大洗線と水戸線という鉄道の再現がどちらが先になるかという話です。東北本線は古河まで確定しており、宇都宮延伸も将来的には確定。前橋までは高崎線のルートだと国人の反対で難しいので、迂回する両毛線ルートを敷設することになっています。


話を書く上でいわき湯本の石炭・化石館ほるるに行ってきたのですが、温泉も石炭鉱山の展示も素晴らしかったです。惜しむらくは採掘設備の一部が震災の影響で破損し最近撤去されたこと。自然災害には勝てません。原敬の方で参考にしようと思っていたので、残念でした。筑豊に取材に行く機会がつくれたらそっちで見学してきます。


蘆名家臣だった平田舜範の子・慶徳範重ですが、養子に出されている原因となった戦いが発生していないため、平田氏のままです。

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― 新着の感想 ―
うーん、作中の東北発展具合を忘れてしまいましたが、この時代に郡山が? 近代に拓かれた疎水の開拓以前には大きな町は存在しなかったはずだし、福島市は1590年代の杉目城改名以後に発生した地名のはずですが。…
>「高萩は我らに協力的な赤塚殿だ。問題はない」 赤塚氏と最初の方の会話で触れられているのは、 竜子山城の大塚氏の誤植でしょうかね?
あー、国境の国人ムーブ 高萩と那須は関東のほかの部分と違って、関東の国境越えやすい上に 高萩は海だから猶更比較されやすいかぁ 内陸組はこの辺の危機感伝わらないかもしれないですね。
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