後話7 北条氏政の憂鬱25 権謀の一手
4月分が遅くなりました。なんとか5月分はどこかのタイミングで書きます。
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京都府 大山崎
大山崎の要である八幡社から1kmほど離れた、天王山の麓に海野氏の屋敷があり、その周囲には元家臣が数名家を構えていた。馬車で屋敷に入った北条氏政一行を、家臣筋の1人である小田切昌次が出迎えた。
「ようこそおいで下さいました、北条様。姫様も息災の御様子」
「姫はやめて下さい。もう私は北条に嫁いだ身ですよ」
「そうでした。いや、二十年などあっという間ですなぁ」
「御世話になります、小田切殿。そちらにいるのは、どなたですか?」
「北条様、お久しゅうございます。こちらは根井殿の次男、源次郎殿です」
出迎えにいた若者は緊張した様子で直立不動で氏政一行を見ていた。その様子を見ながら、小田切は氏政らに話を続ける。
「源次郎殿の兄上は既に京都の大学進学を決めており、来春から通う予定でして。ここからでは通い難いので、ここ数日大学周辺で良い住居はないか探しに出ております」
「それは優秀ですな。普通は冬の試験で来春の入学者を決めると聞きましたが」
「ええ。春季総合選抜という試験で、毎年五名ほどしか受からないと聞いております。海野家臣からその様な誉高い合格者が出て、我らも三日三晩の宴を開いた程でした」
そこまで話したところで「立ち話ばかりでは殿に怒られますな。ささ、どうぞ」と小田切は慌てたように屋敷に案内した。扉を開けそのまま応接間となっている畳敷きの部屋に通された。そこに待っていたのが屋敷の主である海野幸光だった。
「久しいな、氏政殿」
「義父上、ご無沙汰しておりまする」
「噂は聞いておりまする。ご活躍のようで、何よりです」
「家臣の皆様も大いに名声を轟かせておいでですよ」
「真田らには海野の家名に縛られるな、と申しております。それに囚われて立身の機を失するなかれ、と」
海野幸光は既に陸軍を引退し、かつて斎藤氏に人質として差し出した弟の幸貞が陸軍で働いている。しかし、出世街道を突き進む根井実幸と違って、彼は北陸方面の駐屯地で兵站担当の責任者としてのんびりと過ごしていた。組織が違うとは言え、主家を超える出世をためらう根井に、幸光はそう言って応援していた。
「そう言えば、この畳は随分上質ですね」
「これは、最近流行りの備後の藺草ですな。宇喜多様が地元の備前で良質な藺草を近年栽培させているとか」
住宅需要の激増、しかも京周辺に移住した元大名や元重臣の高級住宅が特に必要になった。この事態を先読みしていたのが元備前の宇喜多直家である。宇喜多氏は元領民らを指導して上質な藺草の生産を開始し、京周辺に供給することでその名を高めつつあった。
「真田一門出身という根井実幸殿と会いたいのですが」
「今日の夕方には帰ってくる。そこで話されるがよろしい」
「助かります」
「それと、その子が我が孫ですかな?」
「はい。此の度、尾藤重吉殿の御息女と婚約することになりまして」
後ろに控えていた親政が氏政に呼ばれて少し前に出る。
「お初にお目にかかります。北条氏政が嫡男、親政と申します」
「氏政殿に似て、精悍な顔つきですな」
「いえ、まだまだ父上には遠く及びませぬ」
「将来が楽しみですな」
上機嫌になった海野幸光は、そのまま北条一家が今日泊まる部屋に案内すると、その後は孫や娘との懇談に時間を使った。一方、氏政は小田切や源次郎から尋ね人である根井実幸について聞いて過ごしていた。
♢♢
元老院で外務評議員となった根井実幸。彼は外務卿の部下としてスペインとの外交交渉を成功させ、スペイン・ポルトガル同君連合に対しトルデシリャス条約の更新となるルソン条約を結んでいた。その功績から、つい先日休暇に入っていた。
しかし、息子の京の新拠点を決めるために数日間京に通う日々を過ごしていた。
「氏政様。いやぁ、申し訳ない。不動産屋とやらとの約定を簡単に動かせなかったもので」
「急に押しかけたのはこちら故、お気になさらず」
そうして夕方に鉄道で戻ってきた実幸は、夕食を終えた後に2人で屋敷の一室で話をすることになった。
「休暇中は何をされているので?」
「入道様や内府様の許可を得て、台湾や樺太、そして大陸を見に行きもうした。台湾では面白い本を手に入れましたぞ」
「面白い本、ですか」
「ええ。フランス人の書いた『エセー』という書です。台湾では翻訳された物が出回っておりまして」
彼は使用人に『エセー』を持ってくるように命じる。
「この本で、フランスという国の知者が如何あの戦争を捉えているかが分かり申した」
「日西戦争、ですか」
「ええ。作者のモンテーニュなる者は正しきイエスの教えを知る我らが何故極東の日本に負けたのか、というのを、『神の教えと言いながら、それを免罪符のようにして人の欲望を叶えんとした者への神罰だ』と申しております」
「ほう」
「キリスト教徒は彼らの教えを知らぬ者を『野蛮』と称するそうです。しかし、この本は『野蛮』か否かを教えではなく人間の本質的な行いから見出すべき、と考えているのです」
「確かに、キリスト教が正しく強いなら、我らはイスパーニャに勝てないはずですからな」
「左様。それが彼の地で大きく影響を与えているとか」
エセーが最近出版した追加版には、こうした物質的充足を求めたスペインの末路であることが示唆されていた。エセーはそれを『国家と人は足るを知るべき』という形で主張し、この追加版を締めている。
「我が国が強いからこそ、他国に奪われずにすむ。そして、己で己の進む道を決められる」
「根井殿」
「大国に挟まれ、力なき国は他の国のご機嫌をとらねば生き残れませぬ。余程の胆力がなければ、蝙蝠など出来ぬのです。少なくとも、某にはとても出来ぬでしょうなぁ」
それはフィリピンの話かもしれないし、北条氏のことを暗に示しているのかもしれなかった。
「ただ、蝙蝠をするにも伝手が必要です。羽がなければ鳥の仲間にはなれず、毛と牙がなければ獣の仲間にはなれないのです」
「成程。仲間であること、血縁があることか」
「お役に立てましたかな?」
「ええ。我らの状況をよくご存じで」
「いやいや、偶々です。先日の慶事に、たまたま中御門家の一族からも参加者がおりまして」
中御門家は根井実幸の正室の実家である。つまり、彼はしっかりと公家のパイプももっている人物だった。だからこそ一度は斎藤・織田・北条らに敗れた家の人間でありながらここまで出世出来た部分もあった。新当主である北条新九郎の婚儀には摂家将軍の関係で公家も多く参加していたため、その1人が中御門家でも氏政は気に留めていなかったのだ。
「何名か、中央の役人方と縁談を勧めてみます。それが相互理解にも、円満な交流にも繋がるでしょうから」
「氏政様ならば、必ずや仔細まで良くされるでしょう」
2人はその後も一見他愛のない話をしながら、様々な話し合いでこれからについて意見交換をした。妻と子が実家の交流を楽しんでいなければ、会談の長さに怒られたであろう程度に夜遅くまでその会談は続くのだった。
『エセー』の作者であるミシェル・ド・モンテーニュはコンキスタドールを批判しており、教化を題目として現地の「高貴な野蛮人」を虐殺したキリスト教徒ははたして本当に野蛮ではないのかを問いました。そんな彼が日西戦争で日本が勝利したことを知れば、どう著作に影響を与えるかな、というのが今話の一部です。あくまで自分なりの解釈なので、モンテーニュを良く知る方から見れば稚拙な部分もあると思います。ただ、もし読んだことのない方ががいましたら、『エセー』は明確に当時としては三歩先をいっている倫理観・道徳観で描かれているので、是非一度お手に取っていただければ幸いです。
ちなみに、蝙蝠外交の元になった逸話はイソップの寓話集です。そのため、義龍が信長の為に絵本にしており、ある程度言葉が広まっています。
源次郎という幼名、あの大河ドラマでかなり広まった気がします。草刈正雄さんの名演、最高でしたよね。
藺草は今でこそ熊本県産が日本の大半を占めますが、宇喜多氏の支援もあってこの頃は史実でも備後藺草の名でブランド化が始まっています。




