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後話7 北条氏政の憂鬱24 石山建設(株)と労役土木

今月も月刊少年チャンピオンにて漫画版連載中です。今月はかなり見どころ満載ですので、ぜひ紙面でご確認ください。

 京都府 大山崎


 翌日。

 大山崎の油座と斎藤氏の縁は、斎藤氏の祖とも言える導三入道義龍の祖父・西村にしむら正利まさとしの室が油屋だったことに始まる。種痘しゅとうに関わる義龍の京遠征でその補佐を行い、その後も石鹸製造の原材料確保などで協力関係を築いた大山崎は、石清水いわしみず八幡宮と離宮りきゅう八幡宮を中心に大いに栄えた。天下統一後は商売に勤しむ者は神人じにんを辞めて各座の中央組織化(現在進んでいる商務省化)に協力し、それ以外のものは義龍御用達の名声を元に氏子を増やして栄華を極めていた。さらに、石山本願寺の御坊ごぼうが京都の本願寺再興で明け渡され、石山の再開発が進んだことで、鉄道の大山崎駅は京と石山改め新都市大坂を結ぶ中間地点となった。


「そんなわけで、ここは中央政府の要所にもなっているわけだ。わかったか、親政ちかまさ

「成程、勉強になります、父上」


 せっかくこちらまで来たので、北条一家はお見合いの帰り道に大山崎に寄ることにした。次回は小田原で会うことが決まっており、その後これから向かう石清水八幡宮で婚儀を行う予定だった。


「尾藤氏が仕えた小笠原氏の氏神は信濃の松尾にある鳩ヶ嶺(はとがみね)八幡宮だ。この鳩ヶ嶺は石清水八幡宮から勧請かんじょうを受けている。松尾は今も武田の領地故、今は関わりたくない。故に入道様との縁も含め、この石清水に決まったわけだ」

「我ら北条も鶴岡つるがおか八幡宮が氏神ですから、そういう意味でも良い話となりましたね」

「そうだな」


 氏政はこれに加え、半強制的に北条氏の関係者を中央に招く口実になると考えていた。国人衆の中にはこうした理由でもつけないと外に出たがらない者が多い。先日の小田原での婚儀のような慶弔以外、自領に引きこもって源頼朝の安堵状を飾って過ごす者が一定数いるのだ。彼らは最近小田原で売られ始めたガラスの額縁に頼朝自筆の御恩を示す安堵状を入れ、一族の誉れと子孫に言い聞かせるのだ。隣に摂家将軍と関東管領の安堵状を飾っているだけましとも言える。


(ここで鉄道に乗せる、都市を見せるのは良い機会になる。養子の話は置いておいて、この状況は悪くない)


 大山崎駅を出た氏政一行は、駅前に一昨日見た馬車が停まっているのを確認した。氏政は昨日の養子の話もあって身構えたが、小笠原長隆もさすがに何日も同行する余裕はなかったようだ。案内役と御者だけが待っており、氏政は安堵しつつ長隆の好意に甘えることになった。


 ♢♢


 馬車の中で、正室が手紙を取りだした。そこには彼女の父である海野うんの幸光ゆきみつからの書状があった。


「しかし、父がまさか大山崎に住んでいるとは」

「早々に廃藩した後、織田様に許可を願って住んだと聞いている」


 今回の大山崎訪問の最大の目的は、久しぶりに氏政の正室・多香たか姫と父であり最後の海野氏当主・幸光を会わせることだった。幸光は信濃動乱で斎藤氏に降伏した後、家臣の真田氏らを連れて早々に廃藩に応じて大山崎に居を移していた。海野氏降伏の条件の一つとして氏政に嫁いだ多香姫はそれを知らず、今回出発前に届いた手紙でそのことを知ったのだった。


「教えて下されば良かったのに」

「海野様も2年前まで多忙でな。スペインとの戦でも薩摩の補給に関わっておられたし、その後のシキホルの整備も携わっておられた。大山崎に腰を落ち着けられたのはつい最近なのだ」


 日西戦争で海野家臣である真田氏が活躍し、その後方支援のため海野幸光は薩摩の内城で陸軍の業務を補佐していた。そのため、海野氏の一門が大山崎に移住したのは1年ほど前のことだった。


「海野氏存続を成し遂げるべく、彼らも奮戦した。それだけの事。そもそも武田と戦い続けた家故、武田が強く出れば取り潰しもあったからな」

「入道様に寛恕かんじょいただかなければ、父は今頃墓の中でしたから」


 氏政が積極的に関東解体を狙うことに正室が協力的なのもこうした事情による。北条家中では彼女の人脈はあまり生かせないが、中央に合流すれば省庁で活躍する一門がいるのだ。彼女は子供たちが外について学ぶことに一切反対しなかった。外にこそ自分の血縁がいるからだ。


 馬車は規則正しく四角に整地された田んぼの点在する道を進む。全四回となる巨椋池おぐらいけと大和川の工事に向けた準備が進んでいる様子も目視できたため、氏政は息子に工事準備の様子を見るよう伝える。


「あれが中央の力を示すものだ、親政」

「大規模な土木工事、ですね」

「うむ。京周辺にはああした工事を生業なりわいとする者が多くいる。一年中工事をして生活できるのだ。それだけ多くの仕事があり、それを仕事に出来る人がいる」


 関東で大がかりな土木工事となれば人夫を各村から集めることになる。しかも農繁期は稲作で人が集まらず工事が進まないため、冬などの農閑期に作業が集中する。つまり、中央政府ほどの大規模かつ長期間の工事は不可能なのだ。


「関東は暴れ川たる坂東太郎(利根川)がある。これを何とか出来ればまだまだ耕地はあるのだ、親政」

「しかし、暴れ川を何とかするためには人が足りない」

「呑気に何年もかければ、途中で川が大暴れして工事の成果を洗い流す」


 実際、史実では徳川家康の関東入府から江戸の河川整備事業を始めた。江戸幕府が利根川を総力で常陸側に流すルートに変えたのに要した年月は80年近くになる。東側へのルート変更だけでも60年近くを要したのだ。天下統一した江戸幕府でもそれだけかかった事業を、今の北条氏が単独で行えるはずがなかった。


「だから、中央政府の助力を得るか、中央政府に合流するしかないと」

「うむ。この旅行で説明したことを理解してくれて何よりだ」

氏成うじしげ殿もそれをご存知と」

「あやつが学んでいた経済には、規模の経済という考え方があるらしい」


 経済の専門でなくとも、高校政治経済で「規模の利益」あるいは「規模の経済」として習う基礎概念の1つだ。大企業の方が多く使う設備を機械化したり、システムを効率化することで得られる恩恵が大きくなる。義龍は前世で大病院と個人病院では使える医療機器に差があることなどでより理解していた。そして、その考え方は需要・供給といった考えと共に経済学にもたらされ、北条氏成も学んでいた。


「曰く、より大きなことは大きな企業や大きな政府でないと出来ないらしい」

「であるならば、北条氏だけでは出来ぬことは中央で行うべし、と」

「左様」

「ですが、そうなれば益々関東独立は難しい。金と人を借りるで済ませるにせよ、その分求められる事は増えましょう」


 もちろん、大規模な工事など行わないという選択肢もある。しかし、人口増加を続け農業生産量が増えている最中の北条以外の領内の様子を知っていれば、より大規模に、効率的に稲作を進めなければいずれ自分たちの経済が立ちいかなくなるのは間違いないのだ。目の前の巨椋池干拓が終わり、広大な農地が出来れば。越後の湿地帯が水田に変われば。そうなった時に北条の米を輸出して経済的に最小限の資金流出ですんでいる状態は破綻する。そしてそれは10年あるいは20年後には現実になる可能性が高いのだ。


「せっかくだ。海野の義父殿の家臣にも相談するか」

「誰かいるのですか?」


 正室が首をかしげて問いかける。


「あぁ、根井ねのいを継いだ元真田氏の実幸さねゆき殿だ。先日までアメリカ大陸の後始末を兼ねてメキシコシティの公使館に出向していたが、三月前に帰ってきたそうだ」


 根井実幸。史実では真田昌幸と名乗っていた男は、海外で大国スペインだけでなくイギリスなどの交渉まで見事にまとめあげた功績を評され、半年の長期休暇に入ったところだった。

真田氏は次男・昌輝が生存しているので彼が継ぎ、三男だった昌幸はそのまま根井氏を継いでいます。

昌輝は元老院にいます。外交官として諸外国に見事な交渉をして利益を勝ち取ったため、『表裏比興』と評されています。海野氏の大山崎への移住を勧めたのも彼です。次回登場します。

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― 新着の感想 ―
史実通りなら1583年で真田昌幸36歳か・・・ 信之・信繁は京都で学生かな?
昌幸に大軍背景の交渉させたらそりゃね… 武田時代に上野でどれだけ調略したかを考えると
スペインやイギリス……地球をまわってますね
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