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後話7 北条氏政の憂鬱22 堺駅

今月も月刊少年チャンピオン連載中です。

また、来月号は8巻発売記念でセンターカラーになります。

8巻につきましては来月の投稿分でお知らせいたします。

 大坂府 堺


 北条氏政は尾藤重吉と会うため堺にやってきた。尾藤が婚儀の後、堺の行政官として派遣されていたためだった。少しずつ春の息吹が芽吹きつつあることがわかる街路樹を見ながら、氏政は駅の待合室で息子の親政ちかまさや正室らと椅子に座って待っていた。


「今も信じられませぬ。箱の中に乗っているだけで富士の麓を通り、淡海おうみを越え、京の都を過ぎて堺に来たなど」

「そう言えば、其方を鉄道に乗せたのは初めてか」

「小田原をここ数年出ることは御座いませんでしたから」


 正室が目をまわしているのと対照的に、乗り慣れた親政は出入口から迎えが来たらすぐ反応できるよう目を配っていた。


「此度の挨拶は世話人の右馬頭うまのかみ様が務めてくださるからな。夫婦で行かねば申し訳ないのだ」


 右馬頭とは小笠原長隆のことである。尾藤重吉の元上司であり、三好の庇護下で淡路島に館を与えられ、暮らしている。


「お蔭様で殿の申される昇降機エレベーターなる物に初めて乗れましたし」

「昨日の旅館は淡海が部屋から眺められる良い宿だったろう」

「ええ。温泉もとても良い湯で」

「あれは正しくは温泉ではないそうだ。入道様がそう申されていた」


 彼らが泊まったのは四木よつぎの宿で、ここには『かなぼう』と呼ばれる源泉15度強の鉱泉が湧き出している。斎藤義龍導三入道の風呂好きから、ここは鉄道駅が造られてから鉱泉を沸かした湯が名物の宿が出来た。入道御用達、しかも名前が四木ということで、安産祈願も兼ねて世継と呼ばれるようになりつつあった。ちなみに、入道は前世の温泉に関する衛生規定をほぼそのまま導入したので、ここは温度不足から温泉扱いではない。


「まぁ良い湯なのは違いない。鯖も美味だった」

「今宵は尾藤様が御用意下さるとか。ありがたいですね」


 そんな話をしていると、駅の出入口に紋付き袴を纏った壮年の男性がやってきた。整った髭と家紋、お付きの武士らしい風貌の護衛がいる姿から、氏政と親政は彼が小笠原長隆であることを察した。2人が立つのにほぼ遅れずに立ち上がる正室が理解力の高さを見せ、氏政は先頭に立って挨拶すべく歩み寄っていく。


「小笠原右馬頭に御座います。馮翊ひょうよく様をお迎えに参りました」

「わざわざ御足労いただき痛み入る。北条右京大夫氏政にございます。こちらが此度お世話になる我が子・十郎親政にございます」


 氏政は自分をかつての官職の唐名で呼ぶ小笠原長隆の様子から、昔からの呼び名と名乗りが必要と考えて答える。最近では名乗ることがなくなったものだ。彼は氏政より自分の官職が低い右馬頭だからという理由でこちらにかしこまった様子で対応してきた。今では名誉職で与えられる官位以外はもう存在しないのにも関わらず、だ。氏政としては年上なので目上という感覚だったが、ある意味昔の価値観が生きている相手とも言えた。


「先の公方様は息災ですかな?三好の世話になっていた時分に、伊勢殿と共に織田様の使いとして古河に行った事がありましてな」

「あぁ、私が米沢に出向いていた時の」

「ええ。足利最後の公方様という大任を終え、御屋敷を訪れる者も少ないと聞きました故」

「まぁ、国人共も邪推されたくないでしょうからな」


 足利晴氏。足利氏最後の鎌倉公方となった彼は、幽閉処分となり出家させられた息子の藤氏が天寿を全うするために、小田原で北条氏の完全管理下にいた。彼は二度と北条に逆らわないことを示し続けるため、自分から他者とは関わらない生活を送っていた。


「世話役から病などなく、日々書を読んで過ごしていると聞いておりますよ」

「そうですか。今回の縁がなれば式の時にでも訪ねたいですな」

「是非。喜ばれるでしょう」


 そんな会話の後で、小笠原長隆は駅を出て駅前のロータリーに向かった。ロータリーには1台の6人乗りの馬車が停まっていた。


「これは……乗合馬車ではないのですかな?」

「ええ。こちらは大学から借りた馬車です」

「大学?というと、堺商大ですかな?」

「ええ」


 堺商業大学。昨年新設された大坂2つ目となる大学で、堺では初の大学だ。商業と数学を学ぶという理念がある。現在の学長には隠居して子の宗凡に天王寺屋を任せた津田宗及が就任している。馬車の側面を良く見ると、大学の印章が施されている。


「借りられたのですか?」

「一応、某も大学に身を置いていましてな」

「なんと」

「御恥ずかしながら、数年前に入道様が出された数学入門が実に面白く。解いてもわからぬ部分を近所に住む毛利という青年に教わりながら、学んでいたところで大学が設立するので職員として働きながら学んではどうか、と」

「それはそれは。縁とは不思議なもので」


 馬車の扉を長隆の護衛が開け、長隆が氏政らを招いて乗りこむと御者が馬車を発車させる。馬車の中、天井には少し角ばった円のような図形が描かれていた。

 天井を見たのが親政と同時だったようで、長隆は親政に説明するように話し始めた。


「此方は入道様が考案された正二百五十七角形でございます。円規と定規で描ける図形との事で」

「円規と言うと、あの円が描けるという道具ですか」

「ええ。あれと三角定規は数学の考え方の基礎なので」


 長隆は自分の円規コンパスと三角定規を懐から出してコンパスを動かしてみせる。この時代に本来は明かされていない多くの定理や証明が既に明かされ、数学は台湾に多くの研究者が押し寄せる理由の1つにもなっていた。そんな台湾の数学科をより専門化したのが堺商業大学であった。


「さて、では尾藤が用意した宿に向かいますか。大学の近くで、静かな場所を用意していますよ」

「楽しみですな」


 京や大坂、堺などの一帯では耐震性に配慮した建物が造られており、一部では鉄筋コンクリート造も実用化されていた。これは義龍が慶長の大地震(1596年)を知っていたからで、漫画で読む秀吉の生涯から前世に知っていた知識だった。そんな建物が並ぶ街並みを抜け、郊外に出た直後に塀で囲われた旅館の前に馬車が停まった。


「此方が今回泊っていただく宿にございます。主は三好家臣の河村かわむら左馬亮さまのすけ殿ですな。阿波や淡路、和泉などでこうした駅周辺などに宿を多く作っているそうで」

「成程。そういう仕事もあるのですな」


 氏政は自分の泊まっていた宿も誰かが運営していることを自覚した。小田原にはまだこうした宿はほとんどない。今後を考えて、自分が宿を小田原に開くのを考え始めていた。


(静岡の月ヶ瀬忠清に相談してもいいか。以前の約束を果たすことにもなるだろうし、な)

数学は教科書に載るようなものはドンドン義龍が進めてしまっているイメージです。

なのでチェバの定理とかlog、微分積分、複素数、ベン図とかを台湾や堺では普通に使っています。結果的に、航海の安定性も増しています。

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― 新着の感想 ―
正直、仕方ないよね 刀帯びて生きるか死ぬかの乱世から江戸時代丸々すっ飛ばして急激に明治維新してるようなもんですもの それでいて中央政権から物理的にも精神的にも離れた、もはや田舎者扱いの関東武士達 …
 関東民としては、北条含めた関東武士達の残念さが際立つ。
台湾、近隣諸国なりヨーロッパなりの裕福な層で大学に入れなかった人向けの学問所とか私塾とかもできてそう。学生なり受験生なりのレベルでも世界的にに見て激しく学問レベルが上昇してるわけだから講師できそうだし…
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