後話7 北条氏政の憂鬱19
体調不良もあって大分間を開けてしまい、申し訳ございません。
また今月から投稿を徐々に再開いたします。
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相模国 小田原城
一昔前ならば11月は冬の寒さで人の往来が減り、日本海側に近づくほどそれは雪の影響が加わって顕著だった。
しかし、鉄道の開通や港湾の整備が進んだことで、沿岸部では物流が滞らずに活発だった。特に新潟湊は庄内湊や富山湊を繋ぐ日本海側の重要港湾都市として整備されたため、冬季でもある程度問題なく利用されていた。
この流れは小田原の鉄道開通で北条領にも受け継がれ、人と物の流通は冬になっても動き続けるようになっていた。
氏政は日西戦争後にアメリカ大陸から持ちこまれ、台湾で栽培されたグァバを使ったジュースを兄の氏親と飲みながら、極秘会談に臨んでいた。
「新九郎は京を見て何と申していた?」
「兄上の予想通りでした。最初は目を回しておりましたが、慣れてからは真剣に道や建物について案内の者に尋ねておりました」
「そうか」
「魚介を、特に鯖の寿司に驚いていました。越前で獲れた鯖をその日の内に堺で食べられるのは鉄道あってこそですからね」
「寿司、か。久しく食べていないな。日持ちするものではない」
「土佐で獲れた鰹が節ではなく、表面を燻した生の物だったのも驚いていました」
彼らは新しい当主である新九郎が中央政府にどのようなイメージを持つかを考えていた。敵対心を抱かず協力する姿勢を持つことが第一。協力関係を破壊するようにならないことが氏親の狙いであり、そこから中央政府への『憧れ』を抱かせるのが氏政の狙いだった。『憧れ』があれば中央政府との合流にも協力してもらえる。だから、氏政は現実的な差がある部分を見せつつも良い部分を存分に見せる旅にしたつもりだった。
「我らは生の物を食すことは少ないからな。中央では氷室を多く用意し魚を運んでいると聞くが」
「導三入道は若狭湾や北海で獲れた物ならば、氷室を使えばある程度生食も出来ると申しておりました。ただ、大平洋の鯖や鰹は腹を下す虫がいることがあるそうで、塩漬けでも確り火を通したほうが良いと申されていましたな」
北海こと日本海と太平洋ではアニサキスの種類が微妙に違い、日本海側は発症リスクが低い(ゼロではない)。前世で一時話題になっていたため、導三入道はこの特徴を覚えており、それを元に厚生大臣布告として生魚に関する様々な衛生基準が広まっていた。
「九十九里浜で獲れる鰯は我らの農地における良き干鰯となっているし、房州の鰹は節に良しとされ手を入れ始めたところ。だが、やはりこれだけでは弱いと言わざるをえませんよ、兄上」
「新九郎が今の房州の鰹を如何思うか。稼げると思わぬかもしれぬな」
「今後、鉄道によって米は他の地域と同等に売れると見込まれまする。しかし、米だけでは外との差は広がるばかり」
「分かっている。其方が言いたい事は。だがな、子に北条の家を継がせたいし、此処で関東管領が途絶えるのは忍びないのだ」
「……出過ぎた真似を致しました」
「いや、いい。氏政が北条の名を、それも民に慕われたまま残そうと考えている事は重々分かっている」
関東独立。そのための斎藤氏との縁。織田との協力。それは間違っていなかった。しかし。
「まるで導三入道が現れてから、時が早回しに進んでいる様だ。私も、北条氏も、長尾も、武田も。皆その流れに気づいたらついていけなくなっている」
「織田だけは共に進んでいると言えましょう」
「そうだな。我らがそうなる事は……出来なかっただろうな」
北条はどこまでも武士の名君であり、どこまでも武士だった。その気質がために陸軍で若手世代では優秀な軍人が多いと評されるようになりつつあるのは、戦場の空気を忘れられないためであり、大いなる皮肉と言えた。既に多くの地域から戦争の空気は失われ、急速に武士はいなくなり、軍人だけが残りつつある。開拓者のスピリットを持つ者はアラスカを、オーストラリアを、そしてフィリピンなどの東南アジアを目指す。故に武士の鍛錬を続けた後に陸軍に派遣される北条の者たちは信頼される。台湾などの最前線を任されるのは名誉でもあり、だからこそ時代遅れであることを如実に示していた。
「せめてあの子が、己の意思で関東管領の名跡を如何するか決められる日まで。その時までは、保たせてほしい」
氏親の言葉に、氏政は頭を下げることしかできなかった。
♢♢
氏政は小田原城から退出し、帰り際に北条氏成と茶屋で合流した。
時代の進みは止まらない。氏政はそれを痛感していた。
半年行かないだけで大坂や那古野の景色は様変わりする。稲葉山もそれは同じだ。人混みに揉まれながら年中開く市で買い物をしても財布が盗まれることもなく、刀を持たない男と女が買い物をしていても安全に過ごせる。その様子を見れば、戦国の世が終わっていることを強く意識させられるのは当然と言えた。
そして、同じ景色を見たことのある氏成もまた、急速に変化する社会を実感していた。彼がそれを最初に感じたのは大友征伐の際、織田・斎藤・三好の連合軍が気球を利用していたことだった。まるで囲碁や将棋を打つ時の様に戦場を俯瞰する目。上空から敵を見られれば、陣形の穴や動きが丸見えだ。戦国の世で光った戦術は電信と気球によって封じられた。それ以来、それらの戦場を変えた技術とその根幹となった経済力を知るべく、氏成は那古野での学問に勤しんでいたのだ。
「やはり御隠居様はまだ関東管領に拘りを持っているのですね」
「確かに父・氏康の代からは中央に正式に関東管領が認められ、摂家将軍を預けられての安定した運営が出来ている。しかし、これは摂家の役職がなかった妾腹共の名誉職だ。学か芸のない公家など、あと10年もすればいなくなる」
「京にある公家出身者の通う学校では、官僚育成と芸能継承、そして政治家養成の科に公家が通うのを義務としたとか」
「そして、政治家養成科に属さなければ貴族院は継げない。そこで尊王と国体護持の必要を教えることで、帝の周囲に変な思想の者を生まぬ仕組み、か」
導三入道義龍が危険視している共産主義思想はインテリ層ほど夢を見るある意味『究極の理想』だ。400年後の世界でさえ現実に達成できないという点を考えなければ、知識層である公家出身者ほど染まる可能性がある。そうした思想面を守るため、彼は天皇家の側近たる公家の教育を重視していた。
「そして、その仕組みが摂家将軍をいずれ不要とする。中央で働けない者を名誉だけでも与えるために存在する摂家将軍とその側近は、教育が進めば必要ない官職になるのだ」
「それがいつになるか。私は、20年はかからぬかと」
「氏成がそう申すなら、そうなのだろう」
「となれば、いずれ摂家将軍は奉職できぬ愚か者の集いとなります。遅かれ早かれ、将軍が軽んじられれば管領も中央から重用はされなくなるでしょう」
「只の御守り役と見なされぬためにも、今は陸軍で力を示し続ける必要がある」
中央政府は今の関東独立を潰そうと思えばいつでも潰せる。摂家将軍を辞めさせれば関東管領の大義名分はなくなり、北条はただの関東の支配者になる。しかし、その状況になって最も困るのは国人衆だろう。彼らは中央の支配下で生き残れるとは考えていない。早々に中央政府の支配下に入った国人の中には一定の優遇を得た者もいるが、もうそういう時期は過ぎているのだ。だから、彼らは摂家将軍に対する過剰とも言える接待を交代交代でし、摂家将軍は続けると摂関家にうま味がある状態を継続させようとしている。氏政はその様子を常々冷ややかに見ていた。
「陸軍で力を見せながら産業を育て、そして領内を統制して摂家将軍の派遣を続けてもらう……か。それが新九郎様の代の間続けられるかな」
「少なくとも摂関家を歓待し続けるための資金は、米が売れる間しか用意できぬかと。米が売れなくなったら、終わりでしょう」
「以前、京の大学で編纂していた辞書に、面白い言葉が載っていた。『金の切れ目が縁の切れ目』というものだ」
「良い得て妙ですね。国人と摂家将軍の蜜月は金が続く限り。接待ができなくなれば摂関家との縁も終わるでしょう」
だからこそ、氏成は先日工場の件で誘った国人を摂関家の接待に参加していないか、あまり積極的でない家に絞っていた。佐竹氏や佐野氏といった国人は他の国人程余裕がなく、だからこそ摂家将軍に阿ることなく北条とともに動くと判断されたのだ。
「5か年計画を成功させ、そうした国人の余力も削り、少しずつ『已む無し』という雰囲気を作る他ありますまい」
「可能な限り血は流さぬように、先日の騒動もあった故な。慎重に頼むぞ」
2人は頷き合うと、氏成は若手の新当主側近の会合に参加すべく小田原城に向かっていった。そして氏政は年内最後の京での議会参加に向けて、準備のために自宅へ向かったのだった。
史実では江戸時代、先に流通が発展したのが日本海ルートだったのですが、今作でも北条氏が独立独歩の姿勢を保ったために同じ流れが維持されています。
鰹節は土佐で発展し房総に伝来という史実とは違う流れになっています。北条が何故米の生産で収入を得られるかの答えの1つが干鰯なので、生鮮食品関連とともに出しています。肥料なしに増産は出来ないので、その理由がここにあったよという形。




