後話7 北条氏政の憂鬱18 国立銀行融資案件
体調がようやく戻ってきたので、投稿します。
安芸県 広島
小康状態となった北条氏親の容態は、昏睡状態とは言えしばらくは問題ないと判断された。半井家の医師が常駐することになったため、北条家中ではひとまず安心という空気が流れていた。そして、そうした空気を北条氏成が利用するのは必然とも言えた。
「集団接種も終わりましたし、皆で那古野と京、そして広島と博多を見に参りましょう」
国人衆を引き連れた氏成はそのまま新当主を連れて那古野・京都を回った。国人たちには所領安堵の書状を出すことを条件に、広島までの同行を求めたのである。そして、那古野・京の視察後、国人の一部が知恵熱で倒れるなどのアクシデントはあったものの、国人衆は全員が博多の訪問を終えて最後の目的地・広島に着いた。
彼らは那古野で蒸気機関の製造現場を見て、京の大型建築物を見て、博多の復興具合を見てきた。
そして、広島にある海軍基地で彼らの脳みそは完全にパンクしていた。
「陶器すら割る蒸気の力を抑えこむことで力を機織機を動かすのに使うとは」
「あれでは我らの領内でとれた生糸を布にするとかえって高く売れぬのも道理か」
「糸繰りさえあの蒸気でやるとは……長く務めた職人でさえあの速さは容易じゃない」
「容易どころか、休まず働くことは人には無理にございますぞ」
彼らにとって最もわかりやすかったのは、那古野の生糸工場だった。関東や信越地域で進む養蚕事業の行きつく先を、彼らは見せられたのだ。
特にこの工場に衝撃を受けていたのが佐竹氏の当主である親重だった。
「このままでは、乾坤一擲の養蚕さえ、我らを救うものには……」
親重は自分が造った手工業による生糸工場では勝負にならない。それを彼はまざまざと見せつけられた。周辺の領主から繭を買い、それを熟練の職人による手繰りで生糸にし、中央政府に売る。これで失った領地分を少しでも補う収入にするために彼は動いていた。だが、今回の見学はその計画を根本的に破壊するものだった。
「むしろ、中央政府と独自に交渉してこの機械を導入し、鉄道を使って生糸にしてから中央に売る形を模索すべきか……」
彼は独自に交渉することも視野に入れていたが、そんな様子を見ていた氏成は夜に宿泊する旅館で話をしないかと提案をするのだった。
♢♢
夜。広島湊で水揚げされたクロダイやタチウオ、アナゴを使った海鮮料理に、特に内陸部の国人たちからは驚きの声があがり、彼らはその余韻を楽しむように部屋に戻って行った。その中で、大半の国人は密かに旅館の会議室に入った人々に気づいていなかった。
会議室には氏成と氏政、そして国人の佐竹親重、成田長親、小田友治、佐野宗綱の6人が集まっていた。氏成は4人に対し、資料となる紙束を配ってから黒板を使いつつ話を始めた。
「お集まりいただいた皆様には、こちらを見ていただきたく」
「此れは……」
「はい。関八州の産業育成計画です」
そこには利根川流域と霞ヶ浦の治水にともなう新田開発、養蚕事業・鉱業による産業育成の計画が記されていた。そして、この恩恵が最大化するのはこの4つの家だ。
「此れは、我々にとっては天恵にも等しいものですな」
霞ヶ浦沿岸にいる小田氏、鉱業で石灰岩の鉄道輸出が出来るようになる佐野氏、利根川周辺に新田が増える成田氏、養蚕で拠点となる佐竹氏。
氏成はここに来るまでの視察の様子から、この4家は取りこむことが可能だと判断していた。新しい物に恐怖や敵意を感じても、それをどう自分たちに生かせるかを考えている様子があったからだ。
「この計画は北条氏と中央政府、そして皆様が参加する形で進めようと思っておりまする」
「中央政府も?」
「ええ。鉄道の敷設は宇都宮まで決まりました。その鉄道を利用する上で、懸念点になっているのが利根川です」
利根川は坂東太郎とも呼ばれる暴れ川であり、鉄道がこの川を横断することは避けられない。小田原の先に向かうことが決まったことで、利根川が鉄道に悪影響を及ぼさないようにする必要が中央政府側から示されたのだった。
「利根川が溢れても揺るがぬ橋と、そもそも溢れにくい堤の整備。それが北条氏に依頼されました」
「其れは……随分大掛かりな普請になりますな」
「正直、これは厳しい」
普請に必要な人手は最低でも50万人。必要な費用は北条氏の年間予算に匹敵する。無理なく支払うなら、25年は必要な費用だ。その間、目立ったことは何もできない。北条氏が主導して何かが出来なければ、その支配は大幅に緩まることになる。
「そこで、中央政府の国立銀行から融資を受けようと考えています」
「国立銀行?あの那古野で見た?」
経済の中心となっている那古野・大坂。その内織田のおひざ元である名古屋に、国立銀行が設立されていた。国立銀行は民間銀行と違い、政府系機関や民間銀行にのみ貸し付けを行う。そうして貸し出された資金で、現在までに5つの民間銀行が設立していた。長宗我部氏の元家臣や三好元家臣の入江定重、元六角家臣の三井高安、といった面々の会社だ。
北条氏は現在まで融資を受けておらず、武田氏は1度融資を受けたことがあった。島津氏は融資が必要な状況になったところで、島津歳久が廃藩を主導し政府に合流した。この件で島津歳久は九州に居場所がなくなり、今は京で隠棲している。しかし、その決断は日西戦争後にサツマイモを政府が入手し、薩摩・大隅(鹿児島県)の食糧事情を改善したことで批判も徐々に収まりつつあった。
「ええ。国立銀行なら、年利2%で借りられます。米価が上がっている今なら、問題なく支払えるでしょう」
「しかし、試算では20年で完済となっている。此れは難しいのでは?」
「それは、産業を育てることで増えた収入を見込んでのものです。例えば養蚕は明から一部輸入している分を我らが用意できるようになれば、その分北条氏全体の収入も増えるので」
「新田も増産に繋がるという試算か」
「ええ。何より、中央政府は今人口増加と食料供給でかなりギリギリになっています。人が増えればそれだけ米を食べるので、利根川流域の新田は中央にも歓迎されるでしょう。しかも、鉄道の近くで増産ならば日本各地への輸送も容易にございますれば」
「石灰岩とやらは、漆喰の材料か」
「ええ。京だけでなく、台湾や対馬、九州と蝦夷・樺太では漆喰の建物が次々と建てられています。これに近年は越後・仙台などでも材料さえあれば建設をしたいという話が出ているそうです。漆喰の材料になる石灰は周防や土佐、近江、八戸などで用意されております。ここに我ら関八州から武蔵や下野の石灰を加えれば、特に越後・仙台の新築に我らの地の石灰が使えれば、かなり収入を増やせるかと」
石灰を運ぶのも当然鉄道だ。そのため、鉄道からまず国立銀行の融資で敷設し、川の整備を行う。養蚕や石灰の鉱山もそれぞれ進め、最後に全てを鉄道網でつなぐ。
「そこで、この開発で恩恵を受ける皆様には融資の共同受益者、つまり連名で融資を受けていただきたく」
「な、我らの名を入れろと?」
佐野宗綱は氏成のその言葉に目を見開いた。共同で融資を受けるということは、名目上北条氏とこの4国人が対等になることを意味していた。北条氏が融資を受け、それを彼らが借りた方が上下関係が明確で北条氏の支配を考えれば都合がいいはずなのに、である。
「如何いう心算かな?」
「一つは、工場などが皆さまの物になる、ということ。所有者が融資を受けて建てたとならねば、その工場は我ら北条氏のものにしかならない。それで皆々様が本気になるでしょうか?」
この計画は各地の国人が本気で取り組まなければうまくいかない。中央政府相手に利益を出すには、各地で利益をきちんと追求しなければならないからだ。それなのに、その資本を全て北条氏が握れば、国人はうま味が足りず、本気になれない。リスクも込みで参加させることで、利益も最大化する機会を彼らに与えるのが目的だった。
「ここで連名に加わっていただければ、工場からの利益はここにいる各家に入ります。そうすれば、中央に置いていかれない経済力が身につくでしょう」
「確かに。己が田畑でなければ、民は熱心に作物を作りませぬしな。正直我々の一族が北条様の工場で良い人足を揃える気がしませんし」
当主となる血筋ではない成田長親は北条氏の懸念をよく理解できていた。中央政府とのパワーバランスを可能な範囲でとろうとするのに、国人が足を引っ張ってはうまくいかない。自分たちにも責任を持たせて収入というエサを与えることで、改革を進めるつもりなのだと理解していた。
一方、氏成は斎藤導三入道が経済学部で取り入れた『私有財産であることの重要性』という考えを考慮して今回の判断を下していた。これは政治経済で習う『私有財産を否定して発展性を失い崩壊した共産主義国家』を念頭に置いた内容だが、いわゆる小作と土地持ちのモチベーションの違いという形で氏成には理解されていた。
「なので、北条氏・小田氏・佐野氏・成田氏・佐竹氏で国立銀行に融資を申請し、その資金で諸々の支度を整えます。如何でしょう?」
その言葉に、4人は頷いた。成田長親だけは「本家を説得する」と答えたものの、先日の活躍もあって成田氏内部で長親の発言力は強まっている。この提案は通るだろうことを氏政も予想していた。だから彼をこの場に呼んだと言ってもいい。
♢♢
話合い後、2人きりになった氏成は氏政にもう1つの計画書を見せた。そこには「5か年計画」と書かれていた。
「5年か」
「ええ。新九郎様が学校を卒業し、実務を行うようになる前に北条氏を中央政府の管理下に置く必要があります」
「やはり、小手先だけでは如何様にもならぬか」
「ええ。養蚕は信濃でも順調。東北各県でも奨励されています。無論利益を出せるよう尽力しますが、それだけで独立独歩を許されるわけがありませぬ」
「5年で産業も育成し、議会の議席を得つつ、中央政府にとって最大化した利益を渡すことで双方が納得する合流を目指す」
「仲間がもっと欲しいですが、それさえ何とかなれば、この計画通りに進められるかと」
氏政は満足そうにその計画書の中身を覚えると、囲炉裏の灰の中にその紙束を埋めた。
氏成も頷くと、小田氏などに見せた資料を持って今日泊まる部屋へと戻って行くのだった。
発売から日数経ってしまいましたが、月刊少年チャンピオン8月号発売中です。
新連載の方もいて拙作もいいかんじに悪い顔している人たちが出てくるので、是非ご一読ください。




