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後話7 北条氏政の憂鬱17 世代交代

漫画版6巻は明日発売です。

また、月刊少年チャンピオンは本日発売です。よろしくお願いいたします。

 相模国 小田原城


 ある意味予期されていたものではあった。しかし、実際に起こると関東は動揺した。

 北条氏当主・北条氏親が病で意識不明となった。

 正確には既に息子・新九郎に当主の座は受け継がれており、実質的当主と言った方が正しい。

 ただし、関東の諸将は今も当主は氏親だと思っていた。あまり寝所から動けない状態であっても、彼の一言には大きな影響力があったのだ。

 関東の国人たちがこぞって見舞いに訪れながら、同時に新当主となる新九郎に顔見せをしに来た。彼らの狙いはわかりやすい。


 すなわち、『次代も我らは独立独歩で行けますよね?』である。

 国人たちは日本中が既に中央政府の管理下に入っていることを知っている。あの武田氏でさえ、廃藩に向けて動き始めているのだ。石高で言えば北条と大差なかった尼子・毛利・島津さえ既に土地を手放したとなれば、いつ自分たちが北条氏に巻きこまれて土地を手放すよう強要されるかわからないという状態だ。


 しかも、先日の大規模な反乱で益子や今泉、笠間といった国人が所領を没収されたばかりだ。関東におけるパワーバランスは北条が圧倒的であり、鉄道敷設ももはや誰かが反対できる空気ではなくなっていた。


 だから彼らはこの機会に新九郎を前にお見舞いの言葉とともに、こうのたまうのだ。


「某の家は先々代より快翁活公(氏綱)様の頃から長く北条氏を支えて参りました。今後も一層の忠勤を―」

「我が父が川越夜戦にて御祖父上を迫りくる矢の雨より守ったように、何かあれば此の身に変えましても殿をお守り致す所存で―」

「佐竹氏が下野に侵入した際、雨の中先鋒としていの一番に敵陣へ突撃した我が伯父上の忠節、私にも受け継がれているところで―」


 隣の部屋で別の作業に勤しんでいる氏政にも、こうした声はよく聞こえた。彼らは必死に、北条氏への忠誠を語りながら、その実自分たちの所領を渡さないという圧力をかけているのだ。同じ作業に従事する板部岡いたべおかごう雪斎せっさいも、その真意を理解しているのか、小さなため息を漏らした。


耳触みみざわりの良い物では御座いませぬ。きっと周りの臣から連中の魂胆こんたんは伝わるでしょうに」

「それでも、言わねば奪われると思っているのだろうな」

「むしろ、他の元国人より優遇されそうな待遇でしょうに」


 中央政府からは、廃藩した場合、各地の国人だけでなく北条一門の国主格にも元老院での議席が与えられると説明がされている。現状でも北条氏だけで上野厩橋の北条氏繁、下野宇都宮の佐野氏忠、常陸水戸の北条氏光、下総古河の伊勢氏邦、上総久留里の武田綱重、安房岡本の里見氏尭、武蔵小机の北条時長、相模玉縄の北条親為と当主以外に8人も議会に送りこめるのだ。元老院の現状が100人で、国人含めると24人を派遣できる北条氏はそれだけで一大勢力を築ける。

 大名・有力国人・公家の人数の変化もあり、今の人数に武田氏の廃藩終了後に加わる人数などを考慮しても十分な議席数である。しかし、自分たちが失う目の前の領地に彼らは囚われている。それはある意味当然でもある。彼らは収入源をそこにしか築いていないため、中央政府からいつ与えられなくなるか分からない給金より、毎年安定して収入が入る土地を重視するのは戦国時代の思考なら当然といえた。


「織田でさえ一門合わせて6人しか議会にいないのだから、北条がある意味最大勢力になる好機なのだがな。江雪斎も意味がわかったであろう?」

「ええ。京に行き、先日完成した大蔵省の建物を見て、播磨の布引ぬのびき堰堤えんていを見て思いました。あの頑丈な建物と治水こそ必要だと」

「明応の那為揺ないゆりでは大仏殿さえ壊れたと聞く。あれを防ぐなら、ああいう建物が欲しいところよな」


 明応7(1495)年に発生した地震で、鎌倉は大きな被害を受けた。北条氏はこの地震の復旧で活躍したことで民心を掌握したと言ってもいい。もしそれを今後中央政府にされれば、今度は自分たちの地位が危うくなる。


「拙僧としましては、民衆の様子も違いますが、災害に強い国は大きな政府でないと難しいと痛感いたしました」

「先日申していた教育だけでなく、か」

「教育も大事に御座います。災害とは何かを知り、どうすれば良いかを知らなければ、人は無力に御座います」

「仏僧ならば、天罰とは言わぬのか?」


 少しいじわるそうに江雪斎に聞く氏政に、彼は少しおどけた様子で返す。


「残念ながら、末法の世になってから随分経ちました。元より災害があるのは当然の事。ならば人がそれに如何応じるかは最早人が考える事にて」

「そうか」

「それに、本当に御仏が我らを守る心算なら、高野山が燃えることはありませんでしたので」


 その言葉に、氏政も苦笑いするしかなかった。


 ♢♢


 斎藤義龍導三入道が小田原にやってきた時、氏政は同じ便に乗ってきた北条氏成を出迎えていた。入道自身があまり大仰に迎えられるのを嫌がるため、今回は新当主を支える面々が担当していた。そして、以前氏親と話して決めていた新しい後見役の1人でもあり、京を知る人材として氏成うじしげを迎えるのが北条宗哲と氏政の重鎮2人だった。


「良く戻ってきてくれたな、氏成」

「御家の為なれば当然かと。氏政様も宗哲様もお元気そうで何よりです」

「かかか。明日死んでも可笑しくないぞ、此の身は」


 杖さえつかない健脚ぶりを見せながら、宗哲は氏成にそうおどけて見せる。


「この通り、もう歯も入れ歯になってしまったからな」


 カチカチと音を立てる宗哲の口の中には、最初期の作成となるゴム製の入れ歯が入っていた。硫化したゴムを使って作られた土台を使い、ロストワックス法で作られた銀歯が並んでいる。


「それでもあまり制限なく食事が出来るのですよね?」

「そうよ。鉄道のおかげで那古野に行かずとも銀歯の点検をしてもらえるようになった。ありがたい話よ」


 人間は食事ができなくなると、老化が進行しやすい。顎の筋肉を使う頻度が減ることで顔全体の筋肉量が落ち、顔が老けて見えるなどの影響が出る。代謝も落ちるので影響が大きいのだ。精神的にも食べ物を食べないのは自分が弱っていることを自覚してしまう。そうした意味で、食事ができる状態は宗哲の寿命に大きく影響していた。


「そう言えば、氏成はここ2年向こうで何を学んでいたのだ?」


 宗哲の言葉に、氏成は手持ちのかばんから本を一冊取りだした。


「経済です」


 ♢♢


 氏親を診た導三入道は、氏政ら重臣たちの控える部屋に戻って来ると氏親の状態を説明した。


「胃がんの可能性が高い。やはりピロリ菌を除外するのが遅かったのが原因でしょう」

「胃がん、ですか」


『がん』という病気を最近になって知った北条氏の家臣は、現状では不治の病であることしか知らない。そのため、彼らは落胆の声しか漏らせなかった。


「ピロリ菌は乳香とペニシリンである程度長期的に除去を進めたため、3年前には活動が抑えられました。しかし、それまでの蓄積した胃への悪影響が、がんを発生させた可能性が高いです。無論、胃潰瘍などの可能性もありますが、痛みの感覚などはそうした症状とは違いそうです」


 誰も正確に話を理解してはいなかったものの、目の前の人物で救えないなら無理だと諦めの境地に達していた。


「治る可能性を考えて明から輸入している金克ふあいあを投与します。どこまで効くかはわかりませんが、もう少し体力が回復すれば手術による切除も考えられるでしょう」


 現状では手術に耐えられる体力が残らないかもしれない、というのが彼の読みだった。手術中に死ぬのは避けたいため、彼は漢方で多少なりと効果が出る可能性に賭けると説明したのだった。家臣たちは次代に向けた準備を進めるのがやるべきことだと語り、大殿様に申し訳ないが我らは動かねばならぬと話し合うのだった。


 ♢♢


 台湾島への視察に新九郎ら20名ほどを向かわせるという案が小田原に帰ってくる前の氏成から提案されていた。家臣団は1週間前まで反対意見が根強かった。しかし、ここにきてまだ氏親が生きている内に外を経験すべきではと言う意見が大勢を占めるようになった。


「新九郎様はいずれ陸軍の長官となるのです。大陸を知る事が肝要かと」

「然り然り。明さえ手が届かぬ地もあることを知る必要が御座います」


 氏成の意見に、樺太遠征などに貢献した家臣らが同調する。


「しかも、今は鉄道のおかげで京に事前抗体接種に行くのも容易」

「入道様は、『絶対に喉痺こうひを断絶させる』と語り、抗体接種を徹底せよと仰せ。今なら支度が整う」


 斎藤義龍導三入道は中央政府内で喉痺ことジフテリアや破傷風のワクチン接種を義務付けている。これは天下統一後に薩摩藩領内でジフテリアが流行していたことをうけて急遽開発したワクチンだった。ホルマリンの製造工程が確立したことと、戦争で馬が使われなくなって実験用に回す馬がいたことがこの対策に繋がった。氏政らも北条の領内と中央を行き来する関係で既に接種済みである。


「むしろ、今回を機に領内で抗体接種を領民に義務付けても良いのでは?」

「しかし、それには医者が足りぬぞ?」


 氏成の提案はあまりに影響が大きいので、国人領主を中心に反対意見が出る。


「では、ひとまず我ら北条の主な家臣団まで一斉に接種しましょう。その方がいいです」

「だ、だがそれで誰かが具合が悪くなりでもしたら」

「おや、快翁活公様も診て絶大な信頼を得ていた入道様を疑うなら、先々代からの忠節に励んでいたという貴殿の言葉も疑う必要が出ますよ?」

「いや、そのようなことは!受けます!受けますとも!」


 国人たちを手玉にとってうまく接種拡大に誘導する氏成を見ながら、氏政は次の世代の成長が著しいことを実感していた。

ホルマリン自体はずっと作れていたものの、ジフテリアと破傷風は本編では手を出していなかったのもあり、教育制度の発展とともに手を出していたよ、というお話です。

兎で用意できる痘瘡と違い、馬を使うワクチンは天下泰平になってからの方が数が用意しやすいのです。

この時代ならアナフィラキシーショックも少ないと思われます。


フアイアは明代までは確実に中国で採取されているので、貿易均衡のために結構多めに輸入されています。多分槐の老木ごと輸入して国内で栽培できないか試していると思います。


あと、実は別作品の連載をしています。

平民宰相は不定期に数話まとめてアップしていますが、割と書きやすい毎日投稿している作品もあるので、もし良ければ覗いてみて下さい。

https://book1.adouzi.eu.org/n6767it/


漫画版の絵はこちらです。

挿絵(By みてみん)

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― 新着の感想 ―
[気になる点] 「播磨の布引堰堤」 布引は、摂津の国ですね。
[気になる点] 面白かったです。 今後の国内統一からの北米西海岸進出あたりの話が読みたいです。
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