後話7 北条氏政の憂鬱15 適応できない者たち
遅くなりましたが月刊少年チャンピオン最新号が5日に発売しております。
今月のグラビアが松平健さんでかなり爆笑できたのでぜひ一度ご覧ください。
相模国 小田原城
佐倉の組紐商人から手に入れた情報で、北条氏政は主犯を笠原新六郎親尭と断定した。氏政は笠原に悟られないために佐倉から新宿までの街道を封鎖し、更に新宿から我孫子までも笠間氏の反乱などにより危険という名目で封鎖することで笠原の目を誤魔化すことにした。
この結果自分が追い詰められていることを終ぞ知らなかった笠原新六郎は、風魔党が半孤立した笠原領だけで流した情報で逆に領内が混乱していると思い込んでいた。
実父の松田憲秀と弟で松田氏を継いだ親秀は自主的に小田原の屋敷に謹慎し、彼と呼応する人間はいなくなった。上野の国峰で反乱を起こしている旧長尾家臣の小幡実貞さえ討てば、もうこの騒動はほぼ終わりだった。そして、厩橋城主の北条氏勝と成田氏の成田長親が佐竹氏に協力したことで小幡が討ち取られると、小田原から4000の兵が高齢の北条綱高を総大将として出陣した。
氏政は一連の動きを見届けると、小田原城に帰還してこの一件で中央政府との交渉を担当していた板部岡江雪斎と2人で会談をしていた。
「中央政府は信濃・甲斐への支援に鉄道を利用しておりました」
「浅間山が噴火したのは鉄道を壊した事に天が怒っていると噂が出ているな」
天正19(1582)年2月に浅間山が噴火した。この噴火が鉄道路線の爆破が行われたすぐ後だったため、国内では中央政府の怒りを神が示したのだと噂になっていた。中央政府は浅間山噴火に関わる被害支援を早々に打ち出し、家屋への被害なども災害緊急支援予算から復旧を支援するとしていた。この報を江雪斎は聞いていた。
「こうした時に大きな国というくくりがあるのは大きな意味があるのかもしれませんな」
「左様だ。特に入道様は病害・災害に対し思い入れが強い様子」
「しかし、我らはその恩恵を受けられませぬ。甲斐は最早武田氏が廃藩を決断している故支援が受けられましょうが」
「これをどう見るかだ。関東独立を唱える限り、道は平坦にならぬし鉄道は思い通りに敷けぬ。濃尾で進んでいる上水道とやらが整備されることもない」
「関東の米が売れるのは足りぬから。関東の人はあまり増えず、濃尾や大坂、博多や札幌なる蝦夷の都市で人がどんどん増えるため、食糧が追いつかぬと売れております。しかし、もし蝦夷で米が作れるようになれば……」
「売れぬだろうな。この前視察した新潟津周辺の沼地は大規模な人手をかけて新田になっていた。あれで越後は百万石を目指せようぞ」
実際、新潟津周辺でできた新田は2000haを超え、これにより越後全体で70万石の増収が将来的に見込めるものだった。人口増加によって必要な米も増えていることから、関東の米も必要とされている。しかし、新田での収穫が人口と釣り合うようになれば、関東の外的収入源はほぼ失われると言える。
「此度初めて拙僧は関東の領主ではなく、京の皆様とお話をしました。京にて話をし、其の後市井の民を見て参りました。彼らはただ繁栄を謳歌し、明るいこれからを信じておられました。民が新しい服を買い、武具を一切持たず、童が皆本を持って学校に通う。なんと恐ろしい事か」
「村の民さえ本を持ち、学ぶ。これは恐ろしい事だ。だが、その先にこそ、真に強い国家が生まれる」
「しかし、あの国に拙僧らの様な学僧は多く必要ありませぬ。学を教える教師という職があり、医師という職があるのです。僧は寺を守り、仏の教えを求道するのみ。寺で子どもに学を教えることは、あの国には最早ありませぬ」
「良い事ではないか」
「現世で求められぬと本当に求道者たる僧しか残れなくなります。此れは恐ろしい事」
「政教分離、と入道様は申しておった。数多の寺社が既に僧兵を手放し、罪は警察なる武士の一団に咎められる。更に心の病はそれを担う医師が癒す」
「我らが現世で為せと教えられた事が政府によって行われるなら、政府こそ御仏に適うものとなってしまいましょう」
「それこそ十七条の憲法の頃や聖武帝の御代に望まれた世界であろう?」
「しかし、そこに拙僧らの居場所はあるのか」
「そういう悩みがあるとはな」
万人にとって生きやすい世界にはならない。実際、中央政府の地域で仏門に入る人間は減っている。子どもは教育が受けられるし、仕事は新田が増えていることや蝦夷開発のため場所さえ選ばなければ十分ある。生きていくために僧になる人間は減っているのだ。
「難しいな。難しい」
「其れでも、貴方様があの明るい国を関東でも造りたいと思う理由は、わかったような気が致しまする」
そう言った江雪斎は、眉間に強い苦悩を浮かべていた。
♢♢
老境の綱高にあっという間に制圧された笠原新六郎は、小田原に来るまで状況が掴めずに評定の間に連れてこられていた。拘束されると思っていなかったらしく、居住していた内城館の内部に兵が雪崩こんだ時に抵抗らしい抵抗はほぼなかった。綱高は「すわ最後の戦かと張り切ったのに、興醒めよ」と言いながらも、帰城時に武具を纏った最後の雄姿を孫に見せていた。
評定の間で当主の新九郎氏親が席につき、主だった北条一門が並んだことで彼はようやく事態を少し理解した。
「笠原殿、先ずは此の書状に見覚えは?」
北条時長がいつも通り進行役として笠原新六郎に声をかけると、書状を広げた小姓を面前に向かわせる。それは佐倉の組紐商人の元に残っていた書状だった。
「そ、其れは」
「佐倉では書状は燃やして残すなと厳命されていたと聞いておる。しかし、万一の際の保険も兼ねて、一通だけ写しを用意し、此れを其方の部下の前で燃やしたそうだ」
「な、ぐっ」
「燃えたのは写し故、直筆の物かは此方にある貴殿の書状と照らし合わせて確認済みだ」
佐倉の商人は蜥蜴の尻尾切りにあうのを恐れていた。そのため、彼らは何かあった時はこの書状を交渉材料にしようとしていたらしい。結果的に、商人が生き残るための策で笠原新六郎は死ぬことになった。
「申し開きは?」
「そ、某はただ、戦場でも働けると示したかっただけなのです!」
「其の為に、父も主君も裏切ったのか」
「う、う、う」
「此方を見よ」
時長が下座に控えていた小姓に合図をすると、小姓は一度下がってから塩漬けの四つの首級をもってやってきた。そこに並んでいたのは小幡信貞・今泉高光・笠間長門守高綱・益子勝宗の首級だった。
「貴殿が唆した者もいれば、吉良殿に唆された者もいる。だが、全ての始まりは新六郎、其方だ」
首級を見せられ、新六郎は自分が誅罰されることに初めて気づいた。
「討たれる覚悟があって、此度の事を為したのだろう?覚悟されよ」
罪状が読み上げられ、実父である松田憲秀が連座し弟が所領半分没収となることも知ると、彼は青ざめた顔で歯をカタカタと震わせはじめる。
「以上、執行は明朝とする!」
「あ、あ、あ、あ……」
最後まで声にならない声をあげながら、1人の中途半端な野心家は退場させられた。
♢♢
今泉領の没収と笠間・益子領の没収は鉄道計画に影響を与えた。移封予定が没収となったため、民衆の不安定化などを招いたためだ。笠間領の一部を水谷氏への恩賞として配ろうとしたものの、蟠龍斎はこれを断って現当主で甥の勝隆を陸軍に出向させる許可を願い出た。氏政は蟠龍斎が既に中央政府への合流を視野に入れていることを察した。また、成田氏も長親の提案で当主の嫡男・氏範が陸軍に出向となったことで、一部国人が現実を見始めていることを理解した。
氏政はこの見解を当主である氏親に話し、鉄道の敷設が進む程中央政府に近づく国人領主は増えるだろうと伝えた。
「兄上の影響が残っている内はそこまで明白には動かぬでしょうが、外との繋がりを結ばんとする者は今後増えるかと」
「そうか。となると、厳しいやもしれぬな」
「はっ」
氏親はなんとか息子の関東独立を維持したがっている。綿花の売上で鉄道の料金は払える見込みだが、これから更に関東の立場は危うくなるだろう。それは政治的にではなく、経済的にだ。軍備に金を費やすことを今回の出来事は是認する方向に働くだろう。もし似たような反乱が起きたら困るから、と。
しかし軍事費は経済発展を考えれば出来る限り少ない方がいい。それこそ中央政府に任せ、機械化やインフラ整備に資金を投入した方がいいのだ。だが、そこまで割り切って行動できる筈もないのも事実だった。
(なんとか若当主たる新九郎様を京都にお連れし、現状を知ってもらわねば)
氏政はそろそろ一度稲葉山に留学中の北条氏成に連絡をとり、協力を仰ぐ時かと考え始めていた。
覚悟があるタイプなら笠原新六郎はとっくに何か出来ていた。でも出来なかったのです。そうなれば結論はこうなります。北条領はしばらく反乱と処分の影響で荒れそうです。
浅間山は史実で1582年2月に噴火し、武田氏滅亡に大きな影響を与えました。7月にも噴火したようで、この年の関東・甲信地方の作柄はとても良くなかったようです。次話はそのあたりのお話になります。




