後話7 北条氏政の憂鬱⑪ 綺羅星たちの終末期
一日遅れましたが、今月の月刊少年チャンピオン発売中です。
今月は六斎市あたりのお話になります。
京都 帝御所
天正19(1582)年の始まりは、宇喜多直家の危篤という情報からだった。
京都に滞在していた直家が倒れ、稲葉山で年始を迎えた斎藤家中に緊急で連絡が来た。急いで鉄道に乗り京都医大病院に向かうと、患者の状態を調べていた医師からデータを受け取り、本人を確認した。確認が終わって院内の休憩室に入ると、信長が待っていた。
「如何だ、義兄上」
「おそらく、大腸がんだ」
血尿も含め、その可能性が高すぎる。患者の直家は特に節制をするタイプでもないし、年齢的にがんが進行していてもおかしくない。
「無理か?」
「手術を受けられるだけの体力があるかどうか次第だな。生き汚なさとか執念があればなんとかなるかもしれぬ」
「なら、なんとかなるだろうよ」
確かに、生き残るための執念なら宇喜多以上の者はいないか。器械吻合が出来るほど設備もない状況だし、どうしたって手術時間はかかってしまう。並の戦国武将ではないのだ。耐えてもらおう。
「まぁ、明日には開腹手術だな。嫡男もシキホルに出張中だし、出来ることはやらねば」
「本人のことも考えれば急ぐ方が良かろうな」
どれだけ危険な人間でも命は命。助けられる可能性があるならやるしかあるまい。
最近は人体には使えないまでも、室内の空間除菌を目指してフェノールを利用するようになった。フェノールは無菌室への大きな一歩だ。アルコールだけでは殺菌・消毒・除菌は効率が悪いし、生産量も限られる。最近は海藻からヨウ素を生産しながらいわゆるヨードチンキの生産も始めており、盲腸切除を行った昔よりはるかに衛生環境は整っている。
知識だけなので詳細な位置は知らないが、千葉県にはガス田があってヨウ素が生産できたと記憶している。どうやればヨウ素を取りだせるかは知らないので、このあたりは稲葉山や京の大学で研究してもらうことになるけれど。入っているのはわかっているので、早いところ調査したいのだが、千葉にあたる下総・上総・安房は大半が国人領主の土地だ。千葉氏・高城氏・相馬氏などが各地に点在し、千葉氏の傘下にも原氏・武田氏・酒井氏・海上氏などが実力者として存在している。そして土岐氏の親類もいる。文字通り勢力混在だ。そのためかつて依頼したガス田調査も元里見領である安房だけになった。安房では見つからず、おそらく土気の酒井氏領周辺だろうということがわかっただけだ。
点滴で栄養と水分を投与しながら、集中治療室で待つ宇喜多直家のことを考える。自分も衰えたが、直家ももう50歳を超えている。白髪も増えたし、足腰は健在でも内臓には不調も出ていたのだろう。
信長が部屋を出た後、京都医大で行われていた直家の定期健診の結果が届いた。尿検査の結果は糖・蛋白は正常値に近く、潜血はやや高めだった。糖の検査は羊毛が中国から安定的に入手出来るようになってから塩化錫を使って検査できるようになった。蛋白は加熱で凝固する様子から実験データの蓄積により外れ値を割り出せる。潜血はコークスの副産物であるベンゼンをベンジジンにし、ベンジジンに浸した試験紙を血液が酸化させる反応を見て判断している。まだまだ現代レベルの検査技術ではないが、徐々にこうした臨床検査も出来るようになっている。
側にいた医師が直立不動かつ緊張した面持ちでデータを見る俺を待っていた。
「大丈夫だ。仕事に戻ってくれたまえ」
「はっ!しかし某、ここで入道様の補佐をせよと命じられました!」
名札を見ると久志本常顕と記されていた。久志本と言えば伊勢神宮系の医師の家系だったか。7年ほど前に復興後二代目斎宮となった和子内親王(母親は目々典侍様で、先代である祥子様の妹だ)様から京の医大を卒業したと聞いていた。
「久志本殿はこの検査結果を見てどう思う?」
「はっ!そうですね……血便だけでなく血尿の気もあるとなれば、胃か腸で出血していると思われまする」
そう。両方で血が検出されたとなれば肛門の病気とは思えない。それ以外の徴候も含めれば大腸がん濃厚だが、まず胃腸に注目するのは大正解だ。
「食生活を見るに酒量は控えめ。栄養状態も良好です。睡眠時間も十分ですので」
「そうだな。大腸がんと思われるので、手術室の準備を頼む。明朝行う」
「はっ!御正室に御伝えいたしまする」
そう言えば、宇喜多直家の嫡男は秀家ではなかった。まぁ豊臣秀吉が元服させたから秀家だろうと思うし、そもそも生まれ年も明確に違うから色々変わったのだろう。
♢
手術は朝7時に開始した。手術室の隣がガラス張りとなっており、その向こうでは各地の医大の重鎮や一部の権力者が見学していた。肛門から浅い位置には腫瘍が触診で発見できず、開腹から30分ほどで発症部位と見られる部位を発見できた。そのまま切除にかかる。結腸がんなので人工肛門は不要だ。研究段階だったので不確定な人工肛門は避けたかったので良かった。吻合まで4時間半。手術自体は成功したものの、転移している可能性は残る。腸の切除範囲もそれなりだったので、食事に関して制限を加えざるをえないだろう。
助手を務めた北小路俊慶が患者の直家とともに部屋を出ていく。片付けを任せ俺も部屋を出ると、同じく器械出しを務めた豊の次女・依茶が俺に温かい布巾を持ってきてくれた。用意されていた部屋の椅子に座って顔を拭いていると、依茶が満面の笑顔でこちらを見ていた。
「さすがは御父様です。縫合の手捌きも切る手の迷いの無さも、繊細な剥離もすべてが御見事でした」
「いやぁ、最後は足ガクガクだったけれどね」
体力は落ちたなと素直に思った。別の看護師から受け取った果実水を飲みつつ、息を整える。初めて手術をした時に冴え渡っていた視界も、ルーペがないと不安になる。それでも前世の死ぬ前よりはしっかり視えている気はしている。あの頃は眼精疲労も溜まりに溜まっていたと今になれば思うので、半隠居によるストレスの少なさは影響しているだろう。
「夫も助手を務めて多くを学べたでしょうし、箔も付きました」
「俊慶殿は術野の確保も上手かった。良い医師になるさ」
俊慶殿が医学を学び始めてからの情熱はすごかったと聞いている。依茶が花嫁修業をする中で婚約した2人だったが、色々勘違いした俊慶殿が京の医大を受けて医師になり、卒業まで婚儀が出来なかった時はどうなるかと思ったものだ。錦小路家や丹波家もうちの子どもたちが継いだので、別に北小路家にその役割は求めていなかったのだが……。まぁ、これだけ頑張っていたので否定するのもという感じだったが、今日になってみれば情熱のある良い医師が増えたと個人的には嬉しい限りだ。信長も「お飾り公家共に手に職をつけろと言える良い見本だ」と喜んでいたし。
台湾産マンゴーとオレンジの優しい甘みに瀬戸内のレモンの酸味が体に沁みる。この年齢になると手術後に何かする気にはならないものだ。のんびりしていると、こちらに来られない信長から伝言が来た。
「蘆名殿が?」
「はっ。黒川に帰省していた盛興殿から、止々斎様御危篤とのこと!」
蘆名止々斎こと蘆名盛氏の危篤。戦国の英雄たちが、次々とその命を散らしつつあるような気がした。
♢♢
北条氏政の元にその情報が届いた時には、既に宇喜多直家の手術も終わり、導三入道は北陸経由で陸奥黒川入りしていた。距離的には近いはずの下野にいながらその情報が遅かったことを知った氏政は、慌てて蘆名の見舞いに馬を走らせることにしたのだった。
「この話が広まって、鉄道敷設の気運が高まれば良いのだが」
自分の寿命を左右しうる治療を受けられる体制は鉄道がなければ手に入らないというのは今回のことで明確になる。それを国人領主もどう考えるか。
久しぶりに馬に揺られての移動に、便利さに慣れきった自分の体の変化を感じながら彼は荒れた道を北上するのだった。
宇喜多直家は最初の正室である中山勝政の娘・奈美と離縁していないので、そのまま奈美との間に子供ができています。なので史実の宇喜多秀家は生まれていません。直家は義龍に警戒されているので暗殺などはほぼ行っていない関係で、この世界の直家は謀将扱いされないかも。
蘆名盛氏も寿命が少しだけ伸びている組です。医療レベルの向上・栄養学の発展などに加え、嫡男のアルコール中毒が改善してまだ生きているのでストレスが低減された影響です。




