後話7 北条氏政の憂鬱⑩ 思惑乱れる国衆
美濃 稲葉山
京に上る途中、北条氏政は稲葉山城下の駅で鉄道を下車した。駅から馬車で指定された料理屋に向かうと、そこには既に黒田官兵衛がおり、個室でくつろいだ様子で待っていた。
「官兵衛殿、お待たせしたかな」
「いやいや、乗ったのが一つ前に稲葉山に着いた鉄道でございます故」
彼は座敷席の手前で茶を飲みながら氏政を待っていた。彼は後ろに続く笠原玄蕃助親綱を一瞥し、向かいの奥の席を勧めた。
氏政が座敷に座ったところで、料理屋の主人が挨拶にやって来る。
「ここは某の好きな鱈料理が食べられるのです」
「鱈か……。確か奥州で良く食されると聞いたが」
「蝦夷でも良く食べられておりましてな。先日、女直の支援に火縄銃を樺太経由で運んだ際に食して、気に入りまして」
彼らの前に、前菜と清酒が並ぶ。三者が飲み始めると、目の前に唐辛子漬けにした鱈の子、すなわち明太子が運ばれてきた。
「これが絶品なのですよ。入道様が伊達領と蝦夷で造らせている物で、鱈の子を唐辛子に漬けたものだそうで」
「これは……塩気も強いが、舌に刺さるような辛味」
「酒に合うのです。樺太では気つけに諸将が毎日のように食しておりました」
笠原も一口食べてその味に目を見開く。小田原では決して味わえない珍味だ。言葉を失っている笠原を見て逆に冷静さを取り戻した氏政は、本題を切りだした。
「吉良氏について、中央で何か聞いた話はありませぬか?」
「吉良氏。あぁ、北条にもそう言えばおりましたね」
足利将軍家の一門衆でも別格と称されたのが吉良氏である。状況次第では将軍を継ぐことさえ許されていた吉良氏は三河吉良氏と武蔵吉良氏があり、三河吉良氏は織田の三河進出によって信長に娘を嫁がせており、信長の四男・吉良信持が産まれて吉良氏を継承している。一方、武蔵吉良氏は徐々に家臣団を北条氏に解体され、名ばかりの存在となりつつある。とはいえ同じ吉良氏ということもあり、両者は多少の交流があった。武蔵吉良氏の当主である吉良義親と吉良信持(持の字は先代の吉良持広から受け継いでいる)はこれまでに2度駿河で会合をしたことがあり、家臣団にも多少の関係性が存在していた。氏政はこの縁で北条側では把握していない縁があるかを探ろうとしていた。
「信持様の近習に義甥の櫛橋政伊が加わっております。少々探りを入れましょう」
「助かります」
「しかし、今吉良氏ですか。武蔵の吉良氏は本領が蒔田と世田谷。鉄道の敷設予定地ということは」
「お気づきか。左様、少々入れ知恵した者がいるようでして」
「その様子ですと、あまり中央の力を借りたくはなさそうですな」
「今中央が関われば過剰に反応する者が増えて内乱になりかねませぬ。ここは北条で収め、国衆の力を削ぐのが肝要かと」
「成程。では今は何も致しませぬ」
意味深に「今は」を強調すると、その後はいつも通りの情報交換が進んだ。しばらくすると、官兵衛の家臣・栗山利安が部屋に入ってきた。
「殿、先ほどの件ですが」
「ほう、何かわかったか」
電信で宇和島にいた吉良信持の元に連絡し、櫛橋政伊から情報を得た栗山利安がすぐ情報を伝えに来ていた。
「どうやら鎌倉の吉良屋敷に献上される佐倉の組紐が増えていると」
「佐倉ということは、千葉氏の本拠近く。では、吉良氏と会っているのは千葉氏か」
「いや、氏政殿。その判断は軽々かもしれぬ」
佐倉の組紐を手に入れるだけなら千葉氏でなくても手に入る。むしろ、千葉氏に目を向けて所業を隠したい者の仕業ではないか。そう、官兵衛は推測した。
「組紐を手に入れる事が出来るならば、周辺の誰でも吉良氏と会っているかもしれないと言えますな」
「佐倉で態々組紐を買う……そこまで致しまするか?」
「しない所以がありませんな」
敵の手を煩わせるならば自分が毒を飲む事さえ厭わない。そういう狂気を官兵衛は覗かせた。氏政は思わず息をのむ。
「ま、ここまで手を尽くすならば、我らに感付かれたと気づけば吉良氏を使うのを止めるでしょうな。己に辿りつかれるのが困る輩でしょうし」
「となると、本命は国衆か」
「北条領内の情勢は『良く知り申さぬ』のですがね」
官兵衛はある程度は知っているが、あえて知らぬふりをするようだ。彼自身も国衆出身のため、氏政の苦労は理解しているためだ。
「やることは決まりました。感謝いたす」
「いえいえ。北条の『良き未来』を願っておりますよ」
そう語る官兵衛の箸は栗きんとんに伸びていた。勝ち栗代わりか、はたまた金は中央にありと言いたいのか。氏政にはその両方のようにも見えた。
♢♢
下野国 益子城
益子勝宗は吉良義親から手に入れた書状を火にくべながら、共謀相手である水谷蟠龍斎と暖を取っていた。
「しかし、吉良の御輿が騒いだところで、此方に鉄道とやらが来るのは変わらぬのではないか?」
「いや、揉めていると知れば道然斎も駄々を捏ね始めよう。彼奴は己の利になりそうなら動く男だ」
太田康資、現在は家督を嫡男の親資に譲って道然斎を名乗っていた。彼は猛将でありながら利に聡い男であり、北条有利な関東情勢を理解して長年北条に協力した国人領主だった。そのため稲付城から赤塚城にまたがる広い領地を保有し、7万石近い石高を治めていた。
「そうなれば北条家中も無理はできないか」
「でしょうな」
「となれば、彼奴の申す通り我らにも機が……」
「また相談いたしますぞ!」と言いながら笑顔を浮かべる益子勝宗に対し、水谷蟠龍斎は笑顔を浮かべることなく軽く頷いてその場を後にした。本丸を出て輿に乗ると、彼の家臣が密かに話しかける。
「上々で?」
「あぁ、益子は此れでいい。此れで益子を亡ぼせる」
水谷正村こと蟠龍斎は本当はさっさと中央政府に合流したい人間である。結城四天王とも呼ばれる結城氏の有力傘下国人の中では新興と言える水谷氏は、蟠龍斎の手腕で結城家中を成り上がった。しかし、結城明朝の子が夭折し、多賀谷氏が長尾氏に内応して討伐されたことで、北条に家中を乗っ取られつつあった。自身の年齢も60を超え、長くないと悟った蟠龍斎は、甥・勝隆の代になって勢力を減じてから中央政府に合流するより、今の高く身売りできる状況での身売りを考えていた。そのために、現状維持を訴えて過激な妨害をする国人衆の勢力を削ろうと画策していた。
「益子はそもそも叔父の高定が芳賀氏を乗っ取った家故、斎藤の家とは折り合いが悪い。それでも早期に北条に下った故許されているが、北条にとっても狙いやすい相手。討たれれば鉄道の敷設には追い風になろうよ」
芳賀兄弟が出奔した原因の一部をつくり、芳賀氏を乗っ取っていたのが益子勝宗の叔父にあたる芳賀高定だ。そのため宇都宮氏討伐の際は真っ先に降伏していなければ許されなかっただろうと言われている。その際の降伏の仲介を水谷蟠龍斎がしたこともあり、勝宗は定期的に彼に相談をしていた。そこで、蟠龍斎は益子氏の動きを把握したと言える。
当然勝宗が野心家だが思慮が足りないとは言っても、蟠龍斎の考えが北条氏と同じ改革派と知っていれば相談はしなかっただろう。しかし、甥で事実上当主となっている勝隆は現状維持派と仲がいいからこそこの動きは成り立っていた。蟠龍斎の内心は勝隆すら知らない。ところが、蟠龍斎は密かに遠江の国主を任されていた柴田勝家と接触しており、陸軍内に知己を増やして生き残りを図っていた。
「さて、此度の件、北条にはどう売るか。益子を動かす者を探り当てるのが最上だが」
暴走する益子勝宗にたまたま相談されたのは幸運だったと思っている蟠龍斎。彼もまた勝宗の背後を探り、あわよくばその情報を売ってもう一歩良い地位を中央政府で手に入れようとしていた。
結城政勝の子・結城明朝は史実では痘瘡により死亡しています。しかし、この世界では義龍によって痘瘡に罹らず、1574年に亡くなっている設定です。
益子勝宗は諸説あるのですが、今作では勝宗(三男・芳賀高定の芳賀氏乗っ取り、天文年間に死去)ー正光(若くして死去)ー勝宗(今話登場の孫)という設定にしています。お爺ちゃん勝宗と孫勝宗という設定です。
水谷蟠龍斎は名前的に当初義龍と絡む可能性があったのですが、プロット段階で結城氏とのかかわりが消えたので登場しませんでした。その分、今回は状況的に出てくる方が自然なので登場してもらっています。史実でも結城家臣なのに家康と交流したり、一騎討ちで敵将の首とったりしている名将です。




