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後話7 北条氏政の憂鬱⑤ 義信隠居と10年計画

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阿蘇大宮司氏が領主に拘る理由ですが、阿蘇大宮司として神社を独立採算で運営したいという考えがあります。その費用を政府に頼らずに運用し続けようとしています。(これは江戸時代も熊本藩加藤氏家臣として大宮司家が所領を受けて神社を維持していたので阿蘇大宮司の基本方針だと思います)

あと、甲斐宗運は阿蘇大宮司の存続絶対第一で他は全て切り捨てる人(と自分は思っています)なので、宗運が元気なうちは阿蘇が領地を手放すことはありません。


相良氏は内乱になった上村一族が史実と違って存続していたために、領地返上をしたくない上村一族の反対で大名として存続し続けていました。上村一族は相良氏の一門だけに、史実でも排除するまで相良氏は中央集権的な政策を全く行えませんでした。本来排除される時期に天下統一がなされて手が出せなくなってしまったことによるバタフライエフェクトです。

 京都 伏見議事堂


 伏見の桃山に2年前に完成した伏見議事堂内の貴族院講堂は、現在元大名や公家による議会の活動場所になっていた。御所周辺で執政官や閣僚が行う活動とは違う国権であることを示すため、法整備に関しては徐々にこちらで審議が行われるようになってきている。


 北条氏政はこの講堂での朝議に参加資格を有していた。そして今回、彼は同じく参加資格を有する武田太郎義信からの報告を貴族院の面々ととも聞いていた。

 義信への質疑を担当するのは中立性を担保するために尼子義久が担当した。義信だけでなく、騒動に関わっているために高坂昌澄も招集されていた。


「では騒動について、太郎殿最初からどうぞ」

「はっ。事の発端は年始に病死した内藤修理亮の後継についてでございます」


 内藤修理亮はいわゆる武田四天王の中で最後まで現役にこだわっていた人物だった。高坂弾正・馬場美濃守・山県源四郎は既に引退しており、馬場美濃・高坂弾正は既に病死していた。彼らが隠居する中で内藤修理亮は現役で武田の重石となっていた。その内藤が急逝したのだ。史実では養子となっていた保科正俊の子内藤昌月だが、保科氏は武田氏との戦いの中で高遠氏とともに徹底抗戦した後に海野氏の下に逃げこんでいた。そのため武田勝頼が諏訪領を継承した際に保科氏は家臣に存在せず、内藤修理亮の後継者は誰にすべきかという問題が突如生まれたのだった。


「養子をとるという話は前々から決まっており、修理亮は飯富おぶ兵部の子・藤蔵をという話に了承していました」


 飯富兵部虎昌の次男・飯富藤蔵が養子となる案が提案されていたと義信は主張していた。しかし、そこに納得していなかったのが反義信派の家臣たちだった。彼らは武闘派で知られる金丸昌恒を推しており、『新四天王』の高坂昌澄や馬場昌房らが支持していた。


「そして、この後継者を決める話し合いの中で弟を担ぎ出す者が現れた次第で」


 現当主は武田義信の子となっていたが、その後見を義信がしていた。しかし、後見職を信玄三男の信之にしようと反義信派の一部が画策していることが判明した。厄介なのが、このクーデターともいえる動きに同調している者には城主格が多く、躑躅ヶ崎は義信支持者が固めているだけに面倒な状況になっていたのだ。対応を間違えれば内乱となりかねないとして、義信は政府に対応の仲介を頼んだため、今回の朝議が実施された形だ。


「弟の信之は何処かの城に逃げこんだと見られますが、行方はわかりませぬ」

「太郎殿は何故時流を見ずに古臭い城に籠る家臣など守っておられるので?」


 尼子義久は歯に衣着せずに本音をぶつけていく。相変わらずな様子に導三入道は苦笑しながら、信長は口元をおさえつつ爆笑しながら聴取を続ける。


「いや、父祖代々我らを支えてきた家臣ですし……」

「でも、太郎殿を支えてはおりませんよ?」

「領主として各地を守っておりますし」

「火縄銃で守っても意味はございませんよ?尼子兵も今は政府軍に組みこまれておりますし、誰から守る必要があるので?」

「そ、某の命を隅々までいき渡らせるのには人手が」

「電信と鉄道があれば無用ですね」


 電信と鉄道の仕組みはわかりませぬが、と尼子義久はつぶやく。言葉を失った義信に、見かねた信長が口出しをした。


「そこまでにせよ、義久殿」

「いや、某は頭が悪い故、如何にもわかりませなんだ」

「世の中には本心が明かせぬ事があるのだ」


 そう言われると、義久は頭に?マークを浮かべたような表情のまま後ろに下がる。予定通り、高坂昌澄への聴取は久我氏支流で式部省次官の岩倉いわくら具堯ともたかが担当する。


「つまり、高坂殿は武田領内がまとまるには武力が必要と?」

「はっ。武田の騎馬兵こそ実り少ない甲斐をまとめあげる源泉にて」

「武田領は検地をおこなっておりませぬ故、仔細は政府にもわかりませぬが、甲斐と信濃はもっと実りを増やすことは可能と聞いておりますが」


 武田氏には既にブドウの栽培を拡大するよう政府側から依頼がされている。水田を潰してブドウ栽培に切り替えれば甲斐・信濃の収入は1.5倍ほどになるという試算も行われていた。さらに、水田などの泥濘が生息地となる宮入みやいり貝が日本住血吸虫を生みだし甲斐の人々を苦しめている。それをブドウ生産に切り替えることで甲斐の風土病は撲滅され、生活も安定し収入も増えるという計画だった。特に導三入道は日本住血吸虫を早く全滅させるべく、日本住血吸虫の被害が確認されている筑後川流域と備後国の神辺かんなべでセメントの水路建設を既に完成させている。セメントの水路では宮入貝が繁殖できないため、導三入道はこれを宮入貝生息地で全面普及させる方針だった。筑後川と神辺では宮入貝の捕獲も進んでおり、10年以内に日本住血吸虫の被害を大幅に減少できると推測されていた。

 しかし、稲作をやめて食糧生産を他地域に依存する選択を武田家臣はできなかった。躑躅ヶ崎周辺ではブドウ栽培を拡大して金の枯渇分を補填しようとしているものの、金山収益の減少速度には追いついていない。


「米がなくば人は暮らせませぬ故」

「米は美濃だけでなく越後で今後爆発的に生産量が増大するでしょう。甲斐だけで賄う意味はないかと」

「しかし、危急の際に頼れるのは己が地の米でございますれば」


 高坂昌澄は京に来る間に鉄道を利用しており、その際に自分たちが今の状況を維持するのはもう無理だと理解できていた。しかし、甲斐を出るまで、彼は一所懸命による中世武士の価値観で動いていた。今の自分が甲斐に戻って同じことを主張できないと知りつつ、彼はかつての自分を弁護し続けた。


「昨年、加賀の白山がまた噴火したのはご存じか?」

「ええ。信濃からでも良く見えました故」

「畿内では大きなないゆり(地震)もありました」

「大殿様(義信)より伺っております」

「ですが、その影響は既にありませぬ。尾張・美濃・越前府中から鉄道で米を運び、食料の心配はありませんでした。一部漆喰の建物は大きな揺れにも動じず、家が壊れた人々の仮の棲み処も素早く用意されました」

「……」

「政府に合流すれば、甲斐も同じになりましょう」

「それは今の話とは別かと」


 事情聴取は続けられた。その間、武田家臣の擁護をしつつ武田信之の居場所はわからないとする高坂昌澄は、信之の疑惑については否定しつつ、内藤修理亮の遺領は金丸昌恒を推し続けた。


 その日は事情聴取で終わり、最終的に中央政府領内でも武田信之を謀反人として指名手配することが決定した。今回の一件で後見の仕事が十全に務まらなかったとして義信は完全に隠居を表明し、その代わりに飯富藤蔵が内藤氏を継ぐことが家臣内でも納得されることとなった。

 京都の状況を確認した高坂昌澄は、その後半年の間に一部職務を罷免ひめんされる処罰を受けた馬場昌房や小幡昌盛を京に連れて行った。彼らが現状を理解したことで、甲斐の内部でも急速に穏健的な改革容認派が増えることになった。そして、武田信之がその年の秋に剃髪して信濃・善光寺に入ることを条件に躑躅ヶ崎に出頭し赦免された。


 義信の後見職を引き継ぐべく突如担ぎ出された諏訪(武田)勝頼は、なお強硬に武田の現状維持を訴える浅利昌種や多田正春、土屋昌続と四苦八苦の日々を過ごすことになるのだった。


 ♢


 美濃 稲葉山


 稲葉山の市街地で一連の騒動の決着を聞いた氏政は、北条でも同じような立場の国人領主がいることを改めて思いだしていた。

 稲葉山に来ていた島津義弘と茶室で会談している彼らは同じ悩みを持っており、しかし島津氏は既に鉄道の敷設が国防上の理由から完成していた。鉄道と電信による九州の発展は明確で、主要鉄道駅を一門の本拠地にして繁栄を確保した島津氏は急いで領地を返上する理由がないという理由から府県設置を行っていなかった。


「北条は関八州を治めている故、難しいでしょうな」

「ええ。大身の国人も多く、彼らは現状でもそれなりに生活が豊かなもので」

「しかし、鉄道と電信が普及すればそれも変わるでしょう」

「そうだと良いのですが」


 鉄道さえ消極的だったのが結城氏・成田氏・武蔵吉良氏・上田氏・赤井氏などで、4万石以上またはそれに近い領地を保有していて相応の兵力も動かせるものだった。


「氏政殿は貴族院で多くの議事に関わり御多忙でしょうしな」

「いやいや、軍務が多い義弘殿ほどでは」

「昨年までいた函館などは敵もおりませんし、暇でしたよ?寒いので冬場は建物内で訓練しかしませんでしたし」

「それでも、満州の女真族支援で数名の教導官の派遣とやらもしていたでしょうに」

「全国から血の気の多い武士が志願するので、人選も困りませぬぞ」


 女真族のワンカオ支援には全国の戦好きが次々と投入されていた。特に活躍していたのが九戸政実や矢島満安ら東北の猛将たちで、彼らは自分の騎馬を持ちこんで女真族とともに平原を縦横無尽に駆け回り、明に味方する部族と戦いまわっていた。


「そういう意味では、武田の武闘派こそ、早く合流すべきなのでしょうね」

「そうですなぁ。うちの領主にも、戦場が島津一族と一部の家臣にしか与えられぬなら政府に合流して戦働きをしたいと申す者が出つつありますし」

「家久殿がルソンで活躍したのもあって、そういう意見も増えているのでしょうね」


 日西戦争で島津家久が活躍して褒賞金を得たこともあり、島津の国人領主の中にも『独立を維持するより政府の一員になった方が儲かるのでは?』という意見は少しずつ広がり始めている。島津氏は政府と関りが深い立地のために少しずつ意識面の改革は進んでいたといえる。


「今度、北条一門から資金を集め、小田原に学校を創ろうかと話しておりまする」

「ほう」

「そこに領主の子息を集め、鉄道や電信を見せ、学校の視察として京を見せようかと」

「井の中の蛙に大海を見せようと」

「ええ」


 氏政や氏邦、氏繁ら北条一門は現状に危機感を持つ者が多い。彼らは内向的な国人の目をなんとか外に向けさせようとしている。その彼らが画策したのが、10年計画による領内の意識改革だった。


「今のままでは緩やかに北条が滅びるのみですので」

義信の完全隠居回です。次話か次々話で時系列が最終話に追いつく予定です。

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― 新着の感想 ―
前回の相良に続いて義信くんと勝頼くんかわいそう… でも武田は史実を考えると生きてられるだけマシなのかな
[良い点] ここまで一気に読ませて頂きました。 しっかりと構成が出来ているのでしょう、冗長な感じを受けず、適切な表現で飽きずに読ませる良い文章だと思います。 時折挟まれる軽快なギャグも心地よく、楽し…
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