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後話7 北条氏政の憂鬱① 近世と近代の国境

なんとか年末に1本出せました。今年最後の投稿になります。


来年は2月に漫画版の2巻発売予定です。詳細は追ってお知らせいたします。

 駿河国 駿府


 鉄道の鳴らす汽笛の音を憂鬱な気持ちで聞くのは、発展を続ける日本でもこの男だけだろう。

 北条氏政。北条氏康の次男で、当主である氏親に代わって京都での政務を担当している。天正17(1580)年の年末になり、議会の大納会が終わって小田原に帰国する途中だった。


「お荷物は馬車に載せれば宜しいでしょうか?」

「ああ、頼む」


 民間が運営する旅客馬車の御者が駅まで迎えに来ていた。電信を使って事前予約をしていたため、時刻表通りにやってきた鉄道からすぐに馬車に乗り換えができたのだ。


 駿府駅は東海道鉄道で京都から1日で行ける限界の駅だ。韮山から京都を結ぶ鉄道は一日で日本の政経中枢都市を通過し、夕方には北条領に近い駿府まで彼を運んでくれた。


(逆に申せば、京と名古屋に駐屯する近衛師団がいつでも武田領や北条領に攻めこめるということ)


 良好な関係を築いているとはいえ、関東で独立独歩を貫く北条氏は列島の完全統一という意味では邪魔な存在だ。いつ攻めこまれてもおかしくないのも事実である。北条氏は万一の際に箱根の山を防衛拠点とすべく関所を設置している。しかし、そんなものは物の役にも立たないだろうと氏政は考えていた。



 街道が整備された駿河の街中までの道を馬車に揺られていくと、ガス灯と灯台の先に宿場に着く。冬はもう暗くなっているが、ガス灯のおかげか町の中はまだ明るい。そのまま駿府で北条氏が贔屓にしている宿の前で馬車を停めると、氏政は宿に入っていった。


馮翊ひょうよく様、お待ちしておりました」

「今宵も世話になるぞ、主人」

「部屋までご案内いたします」


 宿を経営しているのは月ヶ瀬忠清。元は浅井家臣だったが、近江の領地を失った後に帰農していた。氏政が密かに援助して駿府の北条氏拠点となる宿を整備させていた。といっても、月ヶ瀬忠清に織田斎藤三好に対する反抗心はない。ただ、中立な人材を北条氏が欲していただけであり、忠清の息子の1人は名古屋の大学に通っている。馮翊という氏政の呼び名はかつての官職の唐名である。


「いかがでしたか、京は」

「大和川の付け替えが決まった」

「なんと。あの暴れ川ですか」

巨椋おぐら池や新開池しんがいけ深野池ふこうのいけを全て干拓する大計画だそうだ」


 河内平野・京都盆地一帯に大きな影響を与える大和川。大雨などの際、この川がおこす水害は多くの人の生活にも悪影響を与える。水運は便利だが、鉄道の整備が進んでいる現状、その存在は必須とは言えない。そのため、鉄道整備を機に大和川を含む周辺河川や水系の整備を行うことが決定した。ダムの試験的建設も進んでおり、木曽三川の整備事業も終了したため、次はこちらという意味もあった。


「昨年は児島湾の干拓が開始しておりますし、一昨年には庄内の大堰整備も行われましたな」

「そうだ。おそらく京都政府は各地の問題を人夫を集め、土木事業によって解決するつもりなのだろう」


 京都政府は天正15(1578)年から都市消防局を整備し、各地の大都市に消防隊を設立した。そして消防局内に災害救助特別隊を設立し、昨年2月15日に発生した地震で彼らが活躍した。その成果は全国的に喧伝されており、これまで災害=人間は無力という思考だった人々に、こうした動きは大きな変化を与えつつある。

 また、震災後に政府が主導で行った復興対策も各大名に大きな影響を与えた。災害からの復興に政府からの支援が入ったため、中部から畿内一帯では建物の早期復旧や被災者支援が行われた。大垣城などの城が全壊したが、大部分の城は既に使用されていなかったために倒壊に巻きこまれた人もほとんどいなかった。ただ、地盤沈下や液状化などの被害で死傷者が発生した地域は多数あり、これらの地域では災害救助特別隊が大いに活動した。


「地震によって倒壊した城はそのまま破却されている。都市整備も大きく変わりつつある。大和川も、これを機に京都から堺周辺までの大改造を目指しているからだろう」

「一大名にできることではございませぬなぁ」

「左様。それを一門衆が理解してくれれば良いのだが」


 北条氏は自分たちの独立を守るため、技術支援などをあまり受けていない。そのため鉄道は韮山で終点となり、旅客馬車も三島の前までしか通っていない。防衛の観点から北条氏は箱根周辺の街道を整備せず、駿府から船で小田原に入るのが一般的になっていた。浜松や熱海からの直行船便は北条氏の許可がないと出せない決まりとなっており、このとても面倒なルートが一般化していた。


「電信だけは小田原と繋がっているが、京の噂が白河の関を通じて下野にもたらされるのは如何なものかと思わなんだか」

「京から直江津、庄内、山形、米沢、猪苗代までは電信ですぐに情報が届きますからね。宿に泊まったお客に聞いた話ですが、常陸の将が蝦夷から来た船で京の様子を教わった話を聞いて驚きました」

「このままでは、関八州がどんどん置いて行かれるのだがなぁ」


 電信網は現在、主要都市をほぼ結び終わっている。しかし、大名の地位にしがみつく安東・武田・相良・阿蘇などの領地には電信も鉄道も整備されていない。物流で大きく差の出る彼らの領地では、経済的な格差が広がりつつある。それでいて人間の移動は自由なので、各大名は自領から逃げだすように人がいなくなっているという状態だ。初期の同盟者である北条と武田だけが人の移動を制限できているものの、大和東部に国替えとなった相良氏は人口減少に歯止めがかからない状況だ。震災の支援も領地の返納をした地域が優先されたため、困窮した当主の相良長頼(三好長慶より偏諱)は現在領地の返納手続きを開始している。


「塩津潟の干拓ももうすぐ終わるそうですし、陸羽や蝦夷の交易路はどんどんあちらに奪われつつあります」

「それか仙台から浜松の直行便だな。どんどん大型の船が増えているそうだし、それも時間の問題か」


 現在進行中で最大の干拓事業が越後の塩津潟干拓だ。これは越後を一大稲作地帯にすべく三頭政治末期から計画が進んでおり、現在大規模な工事が進んでいる。完成予定は2年後だ。北条氏の領内を通過する際の規制もあり、日本海側の交易が近年大きく伸びてきている。


「では、今年も説得ですか」

「ああ。前回の帰省時は兄上の体調が優れなかったからな。今年は調子も良いそうだから、何とか話を聞いてもらうつもりだ」

「そうなり次第、ここ以外にも関八州内にて鉄道利用客の取りこみを始めたい所存です」

「世話になった分、そのくらいは口利きしよう。まずは今日の食事から頼むぞ」

「お任せを。近海の魚と清酒を用意しております」


 鉄道が延伸となり北条領に鉄道が敷かれれば、駿府に土地を持ちいつでも宿を大型化できるよう月ヶ瀬忠清は準備していた。この利益で氏政は彼を味方につけていると言っても過言ではない。


 ♢


 相模国 小田原城


 久しぶりに戻ってきた惣構えの城を見て、北条氏政はため息をついた。3層目の城壁を直す職人の姿に、工業化の香りは一切感じられない。

 既に国内にあった城郭の半数が放棄されている中、北条氏は全ての城郭を定期的に修復し、維持していた。陸軍駐屯地を整備しつつ陸軍を整備している京都の政府に対し、農兵制と武士を維持する北条氏では軍事費の負担が大きく違っていた。そうして浮いた軍事費をインフラ整備に投入することで経済成長において大きな差が開きつつあった。

 氏康こと武榮入道は2年前に亡くなり、当主の氏親も体調が安定していない。氏親には政府の陸軍元帥という称号はあるが、実態は参謀本部が陸海空軍の統括をしていた。


 氏親には嫡男である新九郎がいる。しかし幼少のため、実際の政務は相模では北条氏照・北条康種・北条氏繁・北条綱重ら一門衆が行っている。これを北条宗哲・北条綱成・北条綱高が後見する体制である。


「兄上、お久しぶりです」

「氏政、遠路ご苦労だったな」

「いえ、京と遠江は近いですから」

「京と遠江は、か。やはり、鉄道というものは凄まじいのだな」

「ええ。京の軍勢が、1日で駿遠国境に展開できる程度には」

「電信で京といつでも話せる。直江津とも話せる。白河ともだ。つまり、京都の政府がその気になれば」

「同時にこちらに攻めこめます。ですので、もはや領内の軍備に意味はありません」


 氏親は導三との交流もあり、その意味を十分理解している。しかし、北条の家臣で京・名古屋・大坂・稲葉山における産業の発展を正確に理解している者は少ない。関東は綿花栽培や稲作・養蚕の安定化、常陸の銅山の影響で経済的に潤っていた。しかしその分第三次産業では大きく出遅れており、清酒以外は原料の供給地に近い状況となっていた。これに危機感を覚えた北条氏繁の息子・氏成(九州に観戦武官として参加)は稲葉山の大学に留学し、その技術を学ぼうと必死になっていた。


「それでも、政府に出向している一部家臣以外は変わるのを恐れている」

「七年前の公方様のご婚儀で、自分たちの代は安泰と思った者が多いからでしょうな」


 鎌倉公方・二条にじょう信良のぶよしと足利晴氏の娘の婚儀が天正10(1573)年に行われた。摂家将軍ならぬ摂家公方の存続により、関東独立国は名目上保たれた形だ。北条氏は人材を一部政府に参加させる代わりに政府からの援助を受けず、独立財政での運営を認められていた。その担保として関東将軍という職務が新設され、初代として二条晴良の三男・二条信良が就任したのだ。


「氏政、おそらくこの身、長くない」

「何の、兄上にはまだまだ頑張っていただかねば」

「いや、厳しいだろう。息子の婚約は決まったし、まだ翁様(北条宗哲)が元気だ。家中は何とかなる。年に数度入道様(導三)が診てくれているが、長くはもたぬと思っている」


 嫡男新九郎は5年後に信長の娘の1人と婚姻が決まった。家の安泰はほぼ間違いないが、年々自分の活動が鈍っていることも氏親は理解していた。


「故に、この身が朽ちる前に楔を打たねばならぬ」

「楔、ですか」

「ああ。相模と駿府の間にある、壁に打ち込む楔だ。この楔で、関東を救ってほしい」


 技術的に大きな格差が生じた箱根と白河の関所。近代と近世を隔てる関所を破壊するため、氏政は密命を受けることになる。

実は氏親と氏政では見ているゴールが違います。

氏親:なんとか技術移転などして関東独立状態を維持しつつ経済で後れをとりたくない

氏政:技術だけでなく資本が不足しているのを理解しているので中央政府に吸収されるしか道はない

大規模な公共事業のあたりからこのあたりを氏政は理解しつつあります。鉄道敷設にどれだけ金がかかるかも氏政は理解しているからです。

氏成については九州での最後の戦いに従軍しており、若いために発想が柔軟です。作品内で語る余裕がないのでここで書きますと、氏政も留学前は氏親に近い思想でしたが今は氏政に近い考えになっています。


皆さま、よいお年を。

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― 新着の感想 ―
[一言] あけましておめでとうございます。 今年も楽しませて頂いてます。 現状で満足してしまうのも分かるんですよね。 嘗てよりは生活がよくなってるわけだし、更に上とか別に良いじゃんってのも 氏政は辛…
[気になる点] 欄外の、「氏政も留学前は氏親に近い思想でしたが今は氏政に近い考えを~」というところ、二人氏政がいるのですが…。
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