後話6 明の混乱(後) ワンカオ支援で満漢分断が日本の対中政策の基本
漫画版の連載している月刊少年チャンピオン、2023年1月号は昨日発売です。もしよろしければお手に取ってください。
日本 京都
鶏むね肉を醤油と砂糖で味付けした照焼きを頬張る。甘辛い風味が口の中に広がり、数十年にもなった昔の記憶が舌を通じてよみがえってくるようだ。実際には記憶が消えていない人間なので、関係ないのだけれど。
つけ合わせのもやしがバターで炒めてあるのに気づく。かなり食が近代化したのを感じつつ、バターの風味に慣れていない家族が困惑しつつも美味しそうに食べているのを見て満足する。お満は全部は脂っぽくてきつそうだったので、お満の分ももらって食べた。うん、美味しい。
傍に控えていた饗応担当の日根野弘就の四男・日根野豊弘に話を聞く。
「台湾にいるヨーロッパ人はこれの出来をどう言っていたんだ?」
「好評だったようにございます」
「そうか。なら何より」
弘就の長男・和弘は陸軍の輜重担当で頑張っている。弘就のような剛勇ではなく、後方で兵站の計算をする方が性に合っているそうだ。長男が現在中佐に相当する役職にいる。従兄弟で日根野盛就の子である日根野和盛は年齢的にまだ陸軍学校で士官訓練をうけている最中だが、仲良くしているらしい。和盛も大病を一度患っているので、後方勤務が主体になりそうだ。
「それと、鹿児島医科大学からの報告で、高鍋でキナ栽培が成功したそうです」
「おお!ということは、高知に続いて4か所目か!」
「はっ。これで国内向けのキニーネの量産も視野に入れられそうです」
現在台湾・奄美・高知で栽培しているキナの樹。日西戦争中にパナマの植民都市周辺での調査で、日本調査団はキナの樹を手に入れていた。これをガラスで造った温室で台湾・奄美で栽培し始めていた。その後、スペインとの交易で苗を多数手に入れて旧土佐国の高知・日向国の高鍋でも栽培を開始。ガラスの温室の管理・研究は各地の医科大学でしてもらっていた。
「となれば、もう少し日本人の海外進出規制を緩められるかもな」
「仔細は執政官の御二方とご相談いただければ」
「先に厚生卿と相談しないといけないがな」
昨年、最初の厚生卿となった豊の子である豊成が主体となって救貧法を制定。戦傷による年金制度の整備とともに、福祉制度が少しずつ完成してきた。予算規模や優先されるべきものが多いのでまだまだ色々なものが足りていないが、間違いなく明治中期日本くらいの体制にはなってきている。
「それと、女真族の件で、元老閣下がお話があると」
「信長が?わかった。明日の昼頃には安土に行くとしよう」
♢
近江県 安土
安土城を息子に譲った信長は、初代元老として安土城下にある屋敷で半隠居生活を始めていた。
「最近は息子たちとよく話せるようになったよ、義兄上」
「それは何よりだ」
「義兄上ほど忙しなく働いていないからな。出家した意味があるのか?」
「いや、だって各地の大学から講演頼まれたりとか研究状況の確認したりとか」
「頼られて応えるからまた頼られるのだ。こっちは断り続けていたから随分静かになったぞ」
そのしわ寄せが俺に来ているんですけれど?
「琥珀の息子だがな、飛び級で義兄上の息子の正利とともに那古野大学に進んだのだ」
「あぁ、そういえば正利も言っていたな」
幸の末子は祖父・西村正利の名前を受け継がせて斎藤正利となった。油座を発展解消させて製油会社をつくる予定で、その初代社長になる予定だ。琥珀は井伊から嫁いだ信長の側室だ。彼女の最初の男は井伊信直という名前で井伊氏を継いだ。信長の四男にあたる。うちの子どもたちはあえて飛び級させていないが、信長の家臣やうちの家臣は早めに初等・中等教育を施している分、全国的に見れば学力が突出している。そのため全国の中等教育が整うまで、飛び級の利用が認められている。
「そうしたら、越後で最優秀だった長尾の旧臣の息子が同学年らしい。かなり優秀だそうだ」
「へぇ、名前は?」
「樋口秀兼。藤吉郎が管理していた時期に突出した才を見せたとかで、喜んだ藤吉郎が自分の秀の字を与えたそうだ」
樋口か。上杉家臣でそんな名前いたかな?直江氏や宇佐美氏は上杉滅亡で断絶したって聞いたし……。まぁ平和になったことや教育の影響で新しい才能が出てきた可能性はあるか。
「大学を卒業したらぜひ財務か農商務で働いてもらいたいところだな」
「優秀な人間はいつだって大歓迎だ」
俺ももう少し子どもたちと交友したいなぁ。あとお満と稲葉山でゆったりしたい。なんでこんな働いているんだ?長生きするために働いているのは正しいのか?
「本題だが、女真族の話だ」
「お、おう」
やっぱり信長だって俺を働かせているじゃないかと口から出かかった。
「建州の女真、特に明に反抗的なワンカオという有力者を支援してきた」
「明の一強体制を崩すためだな」
「そうだ。明が本気を出せば台湾を維持できるかはわからん。それだけの国力が明にはある」
信長はこれ以後の歴史を知っている訳ではない。ただ、前世では明の衰退の一因となった日本の朝鮮への攻めこみが存在しない世界だ。その影響がどのように現れるかわからない。だから、信長が明を脅威と考えるのは当然だし、明が内向きになるのは何がトリガーか俺の知識ではわからない。わかっているのは、世界史で習った張居正の死後に宦官が跋扈して明の政治が腐敗する、ということだけだ。実際、俺が習った歴史では張居正の死後、宦官が台頭するという話だった。もう世界史レベルでも歴史は変わっているのを確信した。
「張居正は失脚した。義兄上の話では万暦帝は無能だ。万暦帝の間に、明を崩しておきたい」
「成程。であれば樺太方面から他の女真族を援護に動かせれば、ワンカオはさらに戦えるようになりそうだが」
「火縄銃と土木支援だけでもかなり戦えているが、もう少し支援を強めるか」
「羊毛の取引でかなり日本側にも利のある状況だし、な」
現状、明とはガラス関係のおかげで輸出が上回っている(実際にはポルトガルが仲介しているので明にはわからないだろうけれど)。一方、女真族には羊毛輸入と火縄銃・漆喰で一部バランスをとりつつ、野人女直とは食料と薬、塩などを中心に取引している。
「理想は明が女真族に追われ、遼東半島を失うことだ。女真族が明を亡ぼすのはあまり嬉しくない」
「彼らが日本を頼る程度に勝つ、ということか」
「で、あるな」
「ならばヌルハチはあまり支援しすぎない方がいいかもな」
「何故だ?」
世界史の英雄だからだよ、とも言えない。
「優秀だ。ワンカオの孫らしいが、其方の若い頃のようだ」
「それは危険だな。だが、調べたかぎり、生半可では女真族をまとめることはできぬであろう」
日本が安定化しはじめた頃から調査して分かったのだが、この時代の女真族は明確な指導者がいない。有力者でも動かせる兵が500前後なのが普通だ。居住地域は広大だが、集住していないのでわかりやすい都市もない。日本との交易拠点となっている尼港くらいだ。
「義兄上は見る目がある故、心配する気持ちはわかる。ただ、多少の危険より明の方が脅威だ」
「それもそうだ」
「それに、女真族は義理を大事にする。ワンカオを支援し、ヌルハチも個人の友誼があればある程度は問題なかろう」
「個人の友誼か」
「ああ。で、ヌルハチはいくつだ?」
「19だな」
「であれば弟分になる者を遼東に派遣しよう。晴由がいい」
織田晴由。信長の五男で、幼少期から行動が信長そっくりと評判だ。ある意味乱世向きの青年といえる。本来南部晴政に養子入りしたのだが、南部に嫡男が生まれてしまった。南部氏内部は混乱しかけたが、晴由本人が、
「俺がいない方が家中がまとまるなら俺は那古野に帰る」
と言って織田に戻ったことで解決した。幼い信長の子にそう言わせてしまったことで、今度は晴由支持派の筆頭だった九戸政実・実親兄弟らが反発。さらに信長の庶兄である信広の娘・恭姫が先日シキホル島で活躍した大浦為信と婚姻した。最上がうちと、大浦が織田庶流とつながった状況で、周囲で唯一中央とつながりが無くなってしまったのだ。その影響もあって結果的に家中混乱を収めるため、南部氏は東北で最初に領地を政府に返上し今は京に住んでいる。晴由の行動が、結果的に奥羽の大名解体を進めた格好だ。晴由は義理の弟としてこの晴政の嫡男を可愛がっているが、将来をどうするかが宙に浮いているのも事実だ。
「洞院家の再興は琥珀の2人目で決まっているし、晴由には戦の匂いがする場所の方がよかろう」
「まぁ、南部の馬で毎日遊んでいるような男だしなぁ」
南部時代から馬を乗り回し、相撲を好んでいた。その武人気質なところが九戸らに気に入られていたそうだ。信長が死んだら位牌に灰を投げつけそう。
「というわけで、樺太経由で晴由を尼港に送る。ヌルハチは今経済の勉強もかねて尼港にいると聞いているし、友誼を結ばせればよかろう」
「樺太・勘察加管轄の秀吉が目を回しそうだな」
「忙しくさせるから、先の樋口とやらは樺太の財政局に派遣するか」
「いや、それは出世から外れるからやめてやれ」
「で、あるか」
まぁ、人材不足になりかねないのは事実だ。となればむしろ、九戸らを晴由につけて軍事訓練の教官にでもした方がいいかもしれない。
「古勒の山城はまだ持ちこたえそうなのか?」
「ああ。ワンカオは優秀だ。しかも、此度の失脚で追放されたり、役を失ったりした将兵の影響で明兵が退いているそうだ」
古勒はワンカオが3年以上籠城している古城だ。ワンカオが籠城する前に日本から派遣した技術者が漆喰などで防備を固め、城内には籠城する兵より多い火縄銃が搬入されている。硝石は吉林にそもそも鉱山がある。自前で用意できる状況だ。木砲も用意したが、半年で全部壊れたそうだ。
「万暦帝の間に明を弱体化させ、こちらに目を向ける余裕をなくさねばな」
「それが永続化すると尚いい」
「間違いない」
すでに松花江の中流にいる海西女直の有力者ワンダイや、ワンカオがいる古勒の東部でワンカオに同調している建州左衛最大の酋長・朱長草らも支援している。彼らからすれば、交易で制限を受けている上に遠方の明相手より、制限なしで交易拠点を近くに置いて交易ができるうちの方が都合がいいのだ。松花江は黒竜江の中流にある支流なので、尼港から船で行ける分、うちも交易相手として明の妨害なく取引ができている。せっかく遼東側の九連城の役人が交易を黙認していたのに、李成梁が異動となって今は九連城方面の交易が低調なのだ。
「金州衛に張居正の親族や近臣が集まっていると報告があった。彼らがワンカオ支援に加わるか、市井に混ざるかはわからぬ」
「可能ならワンカオに助力してほしいな。漢人が協力すれば官僚制度も整備しやすい」
今は個別の交易だけだが、今後を考えるときちんと条約を締結して国境の画定などもしたい。特にオホーツク海沿岸部や尼港をどう考えるかは重要だ。できれば李氏朝鮮の宗主権も持っていてほしい。宗主権が原因で日本軍を朝鮮半島に常駐とかコストが尋常じゃないし、朝鮮側も朝貢するならうちより女真族だろう。
「あと、ロシアが滅んだというのは本当なのか?」
「わからん。伴天連の情報にはいつも奴らの都合がいいものが混ぜ込まれているからな!これも何回目だ?」
ロシアの雷帝イヴァンが死んだという話が何度か来ている。しかし、そこまで歴史が変わるものだろうか。雷帝と呼ばれた人物が簡単に戦死するとも思えないので俺だけは今も継続的に情報を集めさせている。本当に死んでいるならロシアのシベリア進出は遅れるはずだから、シベリアの領有には好都合なのだけれど。
「あと、蒙古のホンタイジなる者が明に反発しているらしい。かなり難しいが、なんとか手を伸ばせぬか試すつもりだ。うまくいけば北東からワンカオ、北西からホンタイジで明を二方面から脅かせる」
「蒙古は未だ滅びず、か。まぁ、物資の支援も難しいし、うまく連携させられれば御の字かな」
「電信を外に出す気もないしな。そこは出来る範囲で、だ」
信長は電信の軍事的優位性を見抜いている。だから日本軍がいる場所でなければ電信を置くつもりはない。今は樺太の北端までしか電信は整備されていない。樺太の北端と台湾が通信できるというのがそもそもこの時代からすればオーバーテクノロジーなのだけれどね。
「よし、これで明日の会議で話す内容は十分だな。それで、聞いたぞ」
「なんだ?」
「甘いのに米に合うタレが開発できたと聞いたぞ。食わせろ義兄上」
この甘党め。
樋口……いったい誰なんだ(棒)
直江景綱は死にましたが、長尾政景が自身の命と引き換えに家臣を助けたため、樋口氏は生き延びています。
日根野和弘=日根野高吉
琥珀=井伊直虎です。虎つながりの名前にしてあります。
張居正一族は後々ヌルハチを支える官僚になります。
次話はアンケート結果から北条氏政視点で進みます。アンケート結果の詳細は活動報告で後々行います。




