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後話6 明の混乱(前) 張居正の死と北方の不安定化

全編三人称です。

明日月刊少年チャンピオン12月号発売です。

 明 北京


 張居正ちょうきょせいは父の葬儀後、自身の改革を支持していた家臣を失っていた。その中には刑部尚書・兵部尚書である王崇古おうすうこのような蒙古との和睦に関わった中枢の人材もいた。王崇古の甥である張四維ちょうしいは反張居正の立場から伯父を中央や北西部の軍制から遠ざけ、縁の少ない北部へ配置転換をしていた。その分、北部にいた張居正派の応昌おうしょう劉臺りゅうたいらが南部へ配置転換され、皇帝の近臣である太子太保に任命されていた李成梁りせいりょうは四川方面の総督として西方へ派遣されたのだった。


 孤立した張居正は人事を戻そうとしたが、張居正を目の上のこぶと思っていた万暦帝は人事を戻すことを拒否した。そのため、張居正は内閣で孤立したまま改革を断行しようとしたものの、反対や妨害で思うように進まなかった。この結果、途中まで進んでいた書院改革に失敗。1578年半ばに過労で倒れた張居正は、公の職務を辞することを決めた。


 正式に辞職を申し出る直前、張居正は息子のちょう敬修けいしゅうを呼び出した。


「父上、やはりお辞めになるおつもりで」

「無念だ。書院の横暴をもう少し変えたかったのだが」


 眉目秀麗で知られた張居正だったが、加齢と疲労によって見る影もなくなっていた。美しく毛先をそろえていた髭は失われ、皺が目立つ顔立ちとなっていた。

 張居正は学閥改革を目指していた。書院とは一種の大学であり、私塾でありながら科挙官僚の中で学閥を形成していた。また、その法外な学費に規制をかけなければ、科挙を受ける教育が富裕層に限定されている状況だった。しかし、この規制は現在の科挙官僚が子孫や親類を送りこむには不利になるものであり、間口を広げず既得権益化したい反対派を多く生んでいた。


「御安心を。父上の思いは私が受け継ぎますので」

「いや、お前はこの国を出るのだ」


 張敬修は科挙に合格しており、翰林院という中央の役所で出世コースにいた。弟たちも勉学に励んでおり、いずれ科挙を受けると思われていた。


「この国を!?」

「既に宦官の張誠ちょうせいが我らの家財没収を皇帝陛下に進言していると聞いた」

「そのような横暴は法が許しておりません!」

「法を厳格にすべしという我らは皆追放された。これからは皇帝陛下の意向で政務が行われる」

「そんな……せっかく父上がここまで公正な国をつくってきたのに……!」

「宦官共はこれを機に科挙に受かった者を排除するだろう。そなたもだ。申し訳ないが、守ってやれるだけの力はもう、父にはない。弟たちを、頼む」

「……わかり、ました。ですが、父上も同行を」

「父は宦官共に見張られている。逃げぬように、な。だから、父が囮になるのだ」


 この2日後、張敬修は官僚を辞して姿を消した。彼の親族も金品や貴重品とともに姿を消し、張居正はその2日後に病死した。儒学を大事とする張居正一家が、家長を残して消えるとは考えていなかった宦官たちは財貨の没収に失敗した。張居正の保有する財貨を使って自分たちの出世を目論んでいた宦官たちは張居正派の一部を更迭してその領地を奪い、その代わりとした。


 しかし、人事異動によって混乱した北部では、その混乱を見抜いたアルタン=ハーンの子ホンタイジが寧夏を襲撃するようになる。ホンタイジはその成果で徐々にアルタン=ハーンの後継者としての地位を強化していった。後にヌルハチとの同盟を結び、甘粛方面へ勢力を拡大してシン・モンゴル・ウルス(新モンゴル帝国)を樹立していくことになる。


 ♢♢


 明 威海


 張敬修一行は混乱しつつも近臣がいる北部には行かず、南から明の勢力圏を離脱しようとしていた。これは追手が差し向けられるとすればまず北が疑われるのを理解していたからであり、山東半島の威海から遼東半島、そして北東部へ逃走しようとしていた。威海は明が倭寇対策に海軍拠点を整備しており、安全な分遼東半島や朝鮮半島へ船の往来が進みつつあった。


 彼らはこの地で配置転換を拒否して軍を辞めていた陳鵬ちんほうらと合流した。


「わざわざ迎えに来てもらってすまない」

「いえいえ。宰相にはお世話になりましたので」

「女真との国境は、酷いか?」

「総督(王崇古)でなければ終わりでしたね。他の者が着任していたら、李(成梁)の私軍で町が滅ぼされていました」


 李成梁の強さは自身が蓄財した資金を利用して整備した私兵による騎馬軍団のおかげであった。しかし彼は四川方面への移動となり、自慢の私軍を活用できない場所に行くことになった。約7割は収入の保障でそのまま彼についていったが、騎馬民族の血を捨てられなかった一部が遼東半島に残り、暴徒化していた。


「経験豊富な将兵が多数、前線からいなくなったと聞いた」

「最近は都市を襲われて金がかかります。そうやって総督の力を削ぎたいのでしょうけれどね」

「とはいえ、三山海口(大連)は最近日本の船がよく来ますので、身を隠すのに最適です」

「日本ですか。父上が台湾のこともあって、警戒していましたね」

「その日本が、我らを支援してくれると」

「……どういうことだ?」


 警戒心を露わにする張敬修。売国的な行いではないかと、国を出ながらも思う真面目さが彼の良さでもある。


「国を出るのを支援すると。広南ベトナムか女真の元に向かうなら船を用意するとのことで」

「それだけか?」

「ええ。特に何も要求されておりません。船賃だけです」


 明の柱石である張居正が早く失脚するほど、明の状況が悪くなる。隣国、それも海を隔てた隣国が不安定で日本に悪いことはない。張居正の有能さを導三入道から聞いていた信長は、商人経由で得ていた情報から張居正一族や彼らの支持者が国外脱出するのを支援していた。


「本当にそのようないい話があるのか……」

「既に潘晟ばんせい様や宦官の馮保ふうほ様が陸路で女真の地に逃れています。せき継光けいこう将軍も、免官されたので遼東に逃げこんでおります」

「海防の要たる戚将軍までか」


 戚継光。倭寇討伐で名を挙げたこの時代の明における名将である。王直の討伐にも加わり、戚家軍と呼ばれる海軍を育てていた。彼は山東半島の出身であり、彼の逃亡を手助けしたために山東半島の明海軍は日本が支援する逃亡者に好意的になっていた。潘晟は礼部尚書として張居正を補佐しており、馮保は張居正時代の宦官を親張居正でまとめていた人物である。3人とも1年以上前に張四維らによって政権を追われていた。


「港でりょう夢龍むりゅう様もお待ちです」

「おお、父の一番弟子ともいえる梁殿もいるのか」

「はい。罷免された後、山東に来ていたようで」


 戚継光は山東半島全体に影響力があった人物だ。そのため彼の失脚は張居正の死後ようやくなされた。彼は明確に親張居正派だったため、張居正を慕う家臣たちは免官後戚将軍の元に身を寄せていた。


「実は前々から威海では三山海口に停泊する日本の船と度々話し合いをしていたそうで」

「近海を行き来するためですか。彼らは女真族と交流があるのですね」

「女真族から羊毛を買っているようで。かなり大規模に取引しているとか」


 初期の羊毛購入は北方の尼港と呼ばれる港が主だったが、野人女直以外との羊毛取引ができない場所だった。そのため他の女真族と羊毛を取引すべく、日本は三山海口こと大連に船を送っていた。


「日本が野心をもって沿岸を荒らしているわけではないのだな?」

「むしろ、倭寇討伐に協力的だったと聞いておりますな。おかげでここ数年の黄海は静謐にございます」

「そうか」

「ただ、それも戚将軍がいてこそ。今後はどうなるかわかりません」


 戚継光が免官された以上、山東には新たな総督などが派遣される予定だ。そうなれば、山東ごと反乱するか新たな支配を受け入れるしか道はない。


「今しかこの国を脱出する方法はないということか」

「金州衛に隠れ家があるそうですので、ひとまずそちらに向かいましょう」

「わかった」


 こうして、張居正派の軍人や文官が次々と遼東半島に脱出した。名目上明の領土ではあったものの、遼河以東は女真族も住んでいるために警戒の網が緩かった。遼河の検問を越えれば、明の支配力は大きく減衰するのである。


 張敬修らはこうして遼東半島に渡り、免官された家臣たちと合流した。その後、長3年以上明に反抗を続けるヌルハチの祖父・ワンカオやアタイ・アハイ兄弟のいる建州東部に向かうことになるのだった。

現時点で判明している史実との変更点は以下です。

・張居正が史実より短命(1582没→1578没)原因は過労です

・張居正の一族は財産没収などされずに山東半島から遼東半島方面へ海路で脱出

・張居正の家臣は2年前あたりから徐々に追放されている

・李成梁が女真族相手に武勲をあげられていない

・ヌルハチの祖父ワンガオがまだ死んでおらず、反乱中(詳細は次話)

・ホンタイジが史実より明相手に暴れられているため、信望が集まっている


アンケートですが、明日の夕方くらいに活動報告とツイッターで行います。

良心にお任せしますが、できればどちらか片方だけで1人1票お願いいたします。


ツイッターはアンケート機能があって集計が楽だと友人に言われて「なるほど」となったためです。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 北元が滅びずに女真と同盟か これ清はどうなるんだろ。 [気になる点] 張居正の家臣というか、張居正派の廷臣ということでしょうか。
[一言] 張居正が逝ったか。 主君がよりによって中国歴代皇帝ワースト5以内をキープし続ける万暦帝だったばかりに、中国でも中々評価しづらかった名宰相だったな。 まあ、日本のおかげで家族と同朋達はどうにか…
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