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後話5 留学生と天動説 その5

グレゴリウス13世についてですが、彼の思想信条の問題ではなく、単純に時期的な問題です。グレゴリオ暦は1582年発表ですが、内容の制定において1577年は既に専門家による意見の集約がほぼ終わっている時期になります。1578年にはグレゴリオ暦の作成者であるアロイシウス・リリウスの草案がローマ教会内部で検討を開始しており、理論は1577年段階で完成しています。グレゴリウス13世自身がこの時すでに75歳であることを考えると、おそらく自分の代で暦を完成させたいタイミングで日本の情報を持ちこまれても『自分の功績にならない』で次代に回す気はなかったと思われます。あと、イースターのズレがこの暦制定における最大の問題とされており、10日ズレている現状を早めに変えたいという思惑もあったと思います。もしこれがアロイシウス・リリウスの草案が完成する前であれば、むしろ積極的に取り入れた可能性はあるでしょう。

結果として、今から地動説を取り入れて再度計算し直すのは無理という判断から、「間違っている」ではなく「正しくない」という表現をしています。グレゴリウス13世からすれば「(時期的に)正しくない」というニュアンスです。その話題は次の教皇で扱ってくれ、私が今そこを覆したら暦を私の生きている間に制定できなくなる、という考えですね。

 台湾 台北


 ブラーエが乗る予定だった船には、ネーデルラントからの来訪者が乗っていた。リスボン発のその船はルドルフ・スネルとフィリッペ・ファン・ランスベルゲという若き研究者とルイという名の青年を乗せ、台湾までやってきたのだった。

 彼らは同じベネルクス地方出身のペトルス・プランシウスからの報告書をうけて日本の状況確認にやってきていた。表向きスペイン人として審査をほぼ受けずに入国した彼らに対し、スペインから派遣されていた行政官は当初何もしなかった。しかし、その後出身地を確認した行政官は本国に対し緊急連絡を送った。ネーデルラントでハプスブルク家の支配に抵抗する地域から日本へ入国者が多数出ている、という内容である。しかし、彼らは表面上戦乱を逃れつつ学問を修めたいという理由で入国していた。スペインが保有する留学生の枠はフェリペ2世が貴族向けに領内で案内をしていた。しかし戦費がかさみ、かつ東方から最近輸入が進んでいる大型の鏡や安価になった香辛料、さらに真鍮の製品やきれいに染色された布地の入手に必死な貴族はこれに応じなかった。結果として余った留学生の枠は一部の酔狂な貴族と、フェリペ2世に忠実な文官らに与えられた。そして、それでも余った枠がこうして自力で日本にたどり着いた者に分けられていたのである。


『ここに、我らが目指すべき国がある』

『ルイ様、ここで何を手に入れようと?』

『そなたらはとにかく学べ。私はここで、この国の法とやらを学ぶ』


 彼の名前はローデウェイク・ヴァン・ナッサウ。フランスで活動する商人ルイを名乗ってここにやってきていた。その正体はオラニエ公ウィレムの弟である。彼は2年前のムーカーハイデでの戦いで膝を負傷し、戦場に立てなくなっていた。そのため戦場以外でウィレムの助けとなるべく、今回スペインに勝利した国家である日本にやってきたのだった。


『とはいえ、スペインがこの遠方まで兵と船を送る余裕がなかっただけであろうよ』


 これがローデウェイクの当初の見立てであり、日本の製品が直接輸入できていない彼らはその技術力を実感していなかった。途中で寄港した東南アジアの都市では立場上目立ちたくない彼らは都市の様子を見ることが出来る場所にも行っていなかった。そのため、台湾の港まで彼らは日本の技術力を見る機会がなかったのである。

 そして、その見立ては間違いであったことを彼は知った。


『これほどの大きな船……しかも鉄の装甲だと?』


 ヨーロッパでは現在ガレオン船が主流となっている。しかし、日本の海軍は蒸気船などのより大型の船が多数配備されている。台湾島は日本国内では2番目に巨大な海軍基地が存在し、万一明や東南アジア方面で戦争が発生した場合の前線基地となる予定の場所である。最大基地である呉、第三基地である鹿児島、そして対馬・函館・洲本といった他の軍事基地がこれを支える体制は完全に機能していた。シキホルなどの海外拠点とも連携して海洋大国・日本はこの地域において盤石な状況を築きあげていた。


『ここからでも見えるあの大きな筒は……まさか、大砲か』


 彼は様々な物を見て、入国審査を含む多くの手続きを確認したことで、日本への考えを完全に改めていた。


『潤沢に紙を使い、全入国者を管理できる体制を整備する。普通なら無謀だし、手間がかかる。だが、それだけ我らにはない技術を持っているということか』


 彼は兄からこの国について、「法律」を学べと言われてきていた。これは特に日本が国家間条約を複数結んでいることから、独立を視野に入れ始めたウィレムが欲していた情報だった。つまり、国家間の条約とはどのように結んでいるか。戦い続けるわけにはいかないことから、ウィレムはこの頃からベネルクスの独立とその承認という形で戦争を終結させようと考え始めていた。そのために、スペインと日本、ポルトガルと日本などが結んだ条約の内容や、交渉過程を知りたかったのだ。

 しかし、ローデウェイクはこの後この国の憲法や国家制度、法律なども含めた包括的な法律に関する知識を持ち帰ることになる。これは日本という国家が完全に開示している数少ない部分であり、滞在する外国人が知らずに不法行為を行わずにすむためのものだった。そして、この時持ち帰られた概念は独立支援をしていたイギリスに渡り、フランシス・ベーコンやジョン・ウィルキンソンに受け継がれ、トマス・ホッブズに影響を与えていくことになる。

 さらに、翌年にはミヒャエル・メストリンらの日本留学につながり、神聖ローマ帝国内部にも少しずつその影響は広がっていくことになる。


 ♢♢


 ティコ・ブラーエは帰国の支度を終え、乗る予定の船に荷物を運びこんだ。

 ここに残る妻と子どもに、しばしの別れを告げるために一度船から波止場に戻る。この判断には妻が妊娠し、長期の船旅に耐えられそうにないことも影響していた。幼い子どもも2カ月前に体調を崩して一時入院していたため、連れて行くことを断念していた。


『私の顔を忘れないでくれよ』

「言葉、難しいよー」

「私には日本語がずっと難しい」


 いよいよ日本語ばかり覚えていく子どもは、きっと彼が次来る頃には完全な日本語話者になっているだろう。その方がいいのか悪いのか、ブラーエには判断が難しかった。


『私が学んだことは、ここに記した。これはきっと、我が国に大きな進歩をもたらすだろう』


 彼は自分が学んだことと、自分が参加して記録したことを紙にまとめていた。製本用に布製のカバーをつけて、講義中の殴り書きをまとめたものだ。彼なりに内容をまとめて読みやすく、学問分野ごとにまとめている。そして、北欧にまだ渡っていない望遠鏡や単位の記載されている測量器具を持ち帰っていた。持ち出し許可が出た理由として、日本が単位系において優位に立つためだった。日本国内では既にメートル法が普及を始めており、教育現場はメートル法に統一が進みつつあった。この単位をポルトガルでは少しずつ採用しつつあり、東南アジアでもここ2年あまりで急速に普及しつつあった。これを北欧でも採用する国家が出てくれば、国際単位として強い立場が形成できると考えていたのである。こうした考えは国際単位系という未来的な考えのあった義龍こと導三入道だからこそであり、こうした色々な形で自分たちが国際社会を形成する時の主導権を握ろうとしていた。


 彼は船に乗る直前に子どもや妻のことで世話になった医師を見かけた。名は半井なからい慶友けいゆう。導三入道の直弟子で驢庵ろあんの名を受け継いだ半井なからい瑞策ずいさくの妹が嫁いだ半井なからい宗洙そうじゅの子で、京都大医学部を卒業した後に広島・博多で医者として働いた後、台湾に来ていた。


「半井先生、どうされたので?」

「あぁ、そういえばブラーエ殿は今日帰国でしたね。いや実は親戚が亡くなりまして」


 足利将軍家に女房として仕えた冷泉れいぜい為広ためひろの娘と婚姻した半井なからい明英あきひで。先代半井驢庵とは従兄弟関係にあった彼が亡くなった。74歳の大往生であった。彼は義龍の医術を取り入れて主に京都や堺で活動し、晩年は京都大学学長となっていた。驢庵の名を受け継いだ瑞策は日本の医師をまとめる立場であり、兄の寿琳が今も最前線で治療を望んで名古屋大学病院の院長をしているのと同様に医学界を支えてくれる身内として頼りにしていた。

 昨年から体調が悪化していたが、2カ月前に小康状態となっていた。


「昨日、電信で京都から連絡がありまして。これから船に乗って京に戻るのです」

「そ、葬儀に間に合うのですか?」


 遠方で親戚が死んだ場合、葬式や埋葬に立ち会うのはこの時代基本的に無理だ。亡くなったという情報が伝わる頃にはすでに式は終わり、埋葬されているからだ。しかし、亡くなった直後に連絡が来る分、日本では場所次第では葬式に間に合う状況となっていた。


「いや、流石に。四十九日に出席しようかと」

「四十九日……?」

「日本で行う葬式の1つですね」


 ある意味、仏教の四十九日は遠方の故人の知り合いが参加できる葬儀の一環といえる。しかし、本来台湾ほどの遠方では無理なのだが、技術の進化がそれを可能としていた。


「まぁ、久しぶりの京都ですので、少し親族にも挨拶していくつもりです」

「そうですか。ご無事で」

「ブラーエ殿こそ。長旅ですからね」


 ブラーエは今度こそ船に乗りこんだ。欠けた鼻でもわずかに感じられる潮の香りを受けながら、酔い止め薬としてもらった五苓散ごれいさんの入った紙包みを開く。竹筒の水筒の中身を口に含み、薬を飲んだ。薬は慣れるまでの分なので、あと3回分だけだ。日本に来たときは船酔いを薬で治すという発想のなかったブラーエだが、今ではこういう部分も日本との違いだろうと考えるようになった。


『さらば、知の大国よ。私が手にした楽園の林檎は、北欧で必ず花を咲かせるだろう』


 彼の持って帰る記録を見たフィリップ・アピアンやガリレオ・ガリレイが日本に渡るまで、あと5年である。

コミック版の発売から10日ほどたちました。ご購入いただきました皆様ありがとうございます。

ひとまずティコ・ブラーエ編は今回で終了です。

次回は張居正失脚編(多分前後編)を投稿します。おそらく今月末か来月頭に1話、発売1カ月の日に1話の投稿予定です。


これ以後はいくつかある後日談ネタから活動報告でどれを読んでみたいかアンケートとりつつやってみるつもりです。アンケートは月末になると思いますので、ぜひコメントお願いいたします。

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― 新着の感想 ―
[一言] ガリレオ・ガリレイさんが、日本に⁉️
[良い点] 前回の感想への回答有り難うございます。 なるほど、時期的な問題ですか・・・それではどうしようにもないですね。 [気になる点] ティコ・ブラーエで思い出しましたが、史実では彼の助手でケプラ…
[一言] 作中では日本発祥なのに、メートル法は現世と同じくフランス語の「メートル」で良いのん?
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