後話5 留学生と天動説 その4
全編3人称です。漫画版、ありがたいことにweb広告も出ているみたいです。ツイッターやwebサイトなどでもし見つけたら教えてください。私はまだ見ていないので。
台湾 台北
1577年11月8日。
その日、空に大きな彗星が現れた。
ヨーロッパでは超巨大彗星として記録されたそれは、日本全国7か所の天文台で詳細が記録され、3か所で写真撮影に成功した。
技術的な問題で写真の大半は精緻に撮影できなかったものの、2枚だけはっきりと撮影することができた。
ヨーロッパでは数日前から観測されているこの彗星は、ヨーロッパでは詳細を記録した人物が現れず、日本で記録された情報のみ後世の研究資料として利用されることになる。
この頃から、ヨーロッパは暦・天文学において致命的な遅れが生じていく。
♢♢
ティコ・ブラーエは市場で手に入れた真鍮製の楽器を演奏しながら、子どもが寝つくのを待っていた。
ヨーロッパから輸入された楽器を参考に、日本は真鍮製にして輸出していた。これは日本で硫酸の量産が可能になったことで、真鍮の製造が容易になっていたことがある。硫酸と亜鉛と銅板から真鍮メッキを施し、黄金に輝く楽器を完成させたのだ。日本ではどちらかと言えばこの時に発生する水素を利用して酸化マグネシウムや酸化マンガンを還元するのに利用されているのが主である。
『やはりトランペットでは寝つかないか』
子どもはかえってその音色にはしゃぎ、ベッドの周りで目を輝かせていた。
「今日ね、ピアノ、お歌、うたった!」
「そうか。日本語、上手になったな」
「父上と話す時だけ日本語じゃない、苦手ー」
「帰国したらむしろ日本語を聞くことはなくなるのだが……」
日本に滞在して半年以上。幼い子どもは日本に慣れ、日常会話が日本語になりつつあった。言葉を話し始める段階で日本に来てしまったため、このままではデンマーク語がわからなくなりそうだった。年越しもした上、彗星の観測も日本でたくさん行った。一言も日本人の会話を聞き逃したくなかったブラーエは、彗星が観測された時期から家族とも練習に日本語を使っていた。しかも妻は生活費の足しにすべくデンマーク語の講師として台北国際大学で働いていた。日中は日本語溢れる保育所で生活する子どもは、日本語の方が得意になっていた。
『いっそ私とこの子はここに残りますか?語学講師はいいお給料になりますし』
『うぅむ、だが妻と別れ別れは辛いぞ』
『帰国はしたいですが、また戻ってくることも考えた方がいいかもしれませんね』
『この子が日本と我が国の橋渡しになってくれるかもしれない、か』
ブラーエは残り3カ月の滞在期間を自分で設定していた。それ以上は自国に迷惑をかけると考えたためだ。彼はこの国で学んだことを本にまとめ、自国に持ち帰るつもりだった。本当はもっと学びたいことがあるが、そうも言っていられない。妻の収入だけでは心許ないのも理由である。
『一応、最低限の支援は日本政府がくれるが……』
『ここの食料は高いですからね。家庭菜園も勝手にはできませんし』
頼りすぎても国家間の借りにしかならない。そのくらいは彼にも理解できている。だから、期限を設けて帰国することにしたのだ。
『とにかく、今のうちに陛下に帰国の時期を伝えねばな』
手紙を出すのは日本に来るために協力した商人が引き受けていた。彼を通じてデンマーク国王は状況を理解していた。しかし、だからといってブラーエが保有する天文台を放置もできない。彼の研究に理解のある国王も、長時間の不在を許容できるほどではない。帰国時期を明確にすることが必要なのだ。
『ところで、貴方は今どう思っているの?』
『地球は中心かもしれないが、自転しているのは間違いない』
これまでの多くのデータをへて、ブラーエは地動説に近い考えにいたっていた。日本の天文台で年周視差を計測し、太陽が中心でなければおかしいことを理解しつつあったからだ。
しかし、彼はルターも主張した天動説を否定することまで言及できずにいた。ただ、彼は言外に「地動説でなければおかしい」ことを示していた。
ルターが天動説を主張している以上、プロテスタントも天動説が基本だ。だが、ブラーエの目の前にあるデータは、すべてがそれを否定している。彼は葛藤しつつも、嘘は言えない程度に科学的な思考の人間だった。
『私は全ての人間から異端と糾弾されるかもしれないな』
ぼそりと呟いたそれは、彼の苦悩を強く示した一言だった。
♢♢
同時刻。ゴアから再び台湾に再来日したマテオ・リッチとルカ・バレリオも地動説について話し合っていた。
『やはり、どう考えても……』
『日本が見せてくるものは天動説を否定する、か』
『亡きコペルニクス氏の書とも合致しますし』
『しかし、教皇猊下はあの考えは正しくないとしている』
『私の目を神が偽っているのでない限り、それは困難かと』
ゴアに戻った理由の1つが、日本の暦と地動説に関する報告と相談のためだった。ポルトガル副王はこの報告に対し、ローマ教皇はその解釈に応じないであろうこと、しかし対イスラムを考えると日本側を糾弾することはないであろうことも伝えていた。もしここで日本と対立すれば、ローマの活動費の一部となっている上納金が途絶える。しかも、形式上オスマンは日本の勢力圏と挟み撃ちできる状態だから強硬な姿勢に出られないのも崩れてしまう。既にオスマン側が日本に使者を派遣している以上、ここで日本を敵に回す判断まではローマ教皇でもできなかった。何より、日本への肩入れが明確になったポルトガルがローマ教会を離脱する危険性すらあったのだ。
『そういえば、ブラーエはもう日本語を話せるのか?』
『最近はかなり理解できています』
『そうか。そろそろ我らの優位が失われるな』
『彼は半年以内には帰国するようですし、問題ないかと』
初期のブラーエへの翻訳は、実際には一部の授業内容を翻訳していなかった。これはイエズス会が日本からの知識的な権益を独占するためでもあった。日本の知を学ぶならば、日本語を学んでから。その労力をいとわずに全てを手に入れることなど、彼らは許す気はなかったのである。しかも相手は異端である。
『異端が真理に近づくなんてまだ早い、我々がなぜ彼らの言葉を覚えたか、それは彼らの知の集合を取りこぼさないためなのだから』
しかし、同時に固定化した天動説への執着は、プロテスタントよりも強い知識的制限でもある。ルカ・バレリオはブラーエと同じくらい地動説を支持しているが、彼1人でカトリックの考えは変わらない。
『できれば、あの天体望遠鏡を手に入れたいが』
『あれは禁制ですし、中身は我らも見せてもらえませんからね』
中身の点検日は外国人の立ち入りが禁止されている。職人を日本から招こうにも、造れる人間に接触する方法もない。数学的・物理学的知識を身につけ、自国に戻って試作を続けるしか方法はない。しかし、日本側は光の反射と屈折に関する講義を中学校レベルまでしか行っていない。そのため、今の彼らにはその知識が足りていない。
『粉末のペニシリンがようやく輸入できるようになったが、これも交渉に苦労したからな』
『せめて日本人の教授を誰か招くことができれば』
『彼らはここで3~5年勤務することで、名古屋や美濃、京都の大学で出世を確約されている。難しいだろうな』
国際大学に派遣されているのは、成績的にトップクラスの面々だ。最初の教授職をここでこなし、その後各地で研究室を与えられる。その名誉は大きい上、日本にいた方が豊かな暮らしもできる。彼らは遠回しな勧誘に一切興味を示さなかった。
『とにかく、ブラーエには気を配れ。私はもう一度ゴアに戻り、マーキュリアン総長と話してくる』
『わかりました』
来月、イエズス会現総長であるエヴェラード・マーキュリアンがゴアに出向くことになっている。極東に現れた知の大国をどう扱うか、イエズス会としての正念場が近づきつつあった。総長はルクセンブルク出身のため、現在出身地がスペインに反抗して独立しかねない状況だ。ただでさえ批判もあるこの状況で、日本での対応を誤りたくない彼らの懐事情が見える遠征であった。
今回の後話はあと1話で終了です。
本来、ブラーエによる1577年の彗星の記録などがヨーロッパ天文学の発展に重要なのですが、日本側から数段進んだ結果と記録がくるため、今後の天文学者は大体日本に行って日本で研究するようになります。
そして、日本の研究結果をヨーロッパで発表するので、ヨーロッパで独自に研究をするのは歴史に名を残していない、あるいは立場上日本に行けない人々だけになっていきます。




