後話5 留学生と天動説 その3
全編3人称です。時間遅くなり申し訳ございません。
台湾 台北
翌日夕方。
天文台の前にはティコ・ブラーエとマテオ・リッチ、そしてクリストフ・クラウの弟子の1人ルカ・バレリオが集まっていた。
『もう1人が急用で。私とルカだけでお願いいたします』
『そちらが2人でいいというならば構わない』
ブラーエはむしろ自分が観察できる時間が増えるかもしれないと考えていた。案内を担当する天文台の所長は斎藤玄蕃龍定の息子、斎藤在定である。彼の母は幸徳井友忠の妹であり、幸徳井家は陰陽寮に所属し代々興福寺系の暦制作を担当してきた家だった。若い彼がここの所長になったのも、家柄的な意味とともに幼少期からの英才教育の影響であった。彼はすでにスペイン語を話せるため、この場を担当するのに適任だった。
『ようこそ、日本国第四天文台、台北天文台へ。所長の斎藤在定です』
『言葉がわかるのは助かりますね』
スペイン語が堪能ではないブラーエはマテオ・リッチの通訳つきになるものの、複数の言語をはさむことによる時間的なラグが薄い状態で案内が行われることになった。
『これが我が国で4番目に大きい天体望遠鏡、名前は渾天と言います』
そこにあったのは直径80cmの反射望遠鏡。筒状の底に導三入道によって現代数学で計算された反射鏡が設置され、中央付近の接眼レンズから天体を観察することができるものである。名前の由来はこの天文台の設立に多額の寄付をした本願寺派に配慮し、仏教用語かつ天文学系の言葉ということで選ばれた。キリスト教徒が仏教の名が冠された望遠鏡で天文学を学ぶという、意図せず皮肉な結果がそこにはあった。
『ちょうどよい時間なので、ここから覗いて夜空を観察します』
『ここから?それではこの筒の中しか見えないのではないか?』
『簡単に説明しますと、光は曲がるので見えるようになっているのです』
在定は約60cm四方の小型黒板を使い、望遠鏡の大まかな図を示す。
『鏡に姿が映るのはこの光の屈折を利用しているからなのです。そして、その屈折する角度を計算し、それを利用して空の光をこの接眼レンズに集めることでより遠くの星が見えるようになるのです』
『ううむ、スペインでも日本製の望遠鏡は人気ですが、ここまで大型の物はないですな』
『国外への輸出品については、政府から大きさが指定されていますからね』
日西の貿易協定後、日本は望遠鏡を主力輸出品に加えた。これは貿易において1つのネックになっている航海の安全へのアプローチの一環である。同時にヨーロッパの苦境を知り、イスラーム勢力が強くなりすぎないように調整する意味もこめていた。国内では輸出用望遠鏡の工場が複数造られ、稼働している。天体望遠鏡に使われるサイズのガラスは稲葉山・名古屋・勝瑞の職人しか造れないため、秘匿は容易だった。角度計算などが日本の天文学研究所でも秘匿されており、二重で技術と知識が保護されているためである。海軍が使用しているより遠くが見える望遠鏡も、同様に秘匿されていた。
さらに、この天体望遠鏡は筒の内部が見えない。そのため、望遠鏡の鏡部分を見られることもない。台湾が攻められないかぎり、構造も簡易的にしかわからない。日本の技術力を理解させつつ、技術を見せないのに最適と言えた。
『こちらの小型望遠鏡で月が見えますか?』
『うむ。見える』
『これをこちらの天体望遠鏡で見ると……』
『な、なんと大きい……』
『表面の色が違いますね?これがクレーターです』
『ク、クレーター?』
『月の表面の凸凹です。月にも山や谷があるのですよ』
『で、では月にも海があるのか?』
『いいえ、どうやら月の表面に水はないようです。詳細は「月に行って確かめるしかない」と伯父上に言われました』
『つ、月に、行く……?』
彼らの中に一切存在しなかった考え方に、ブラーエだけでなくマテオ・リッチやルカ・バレリオも絶句する。
『月は、空に浮かんでいるのだぞ』
『ええ』
『空を飛ぶのは、ギリシアのイカロスもできなかったことだ』
『そうらしいですね、彼に聞きました』
『彼?』
天文台の調整をしている若者が、自分たちと同じ白人であることに3人は気づく。
『特別研究生のペトルス・プランシウス君です』
『フランドルから来ました』
『フランドル……スペインに反乱を起こしている地域ではないか』
『戦乱に巻きこまれないようにフランドルの東に行ったのですが、そこでこの国の話を聞きまして』
神聖ローマ帝国もヴェネツィア経由で日本のことは知っており、少数の商人が出入りを始めている。彼らはヴェネツィア商人として入国しており、その偵察に余念はなかった。
『なんとか資金を集めて来たところ、受け入れていただきました。もうすぐ半年になります』
『半年も、この地で』
ブラーエは自分より先にこの地にたどり着き、学んでいる若者に少し嫉妬した。しかし、今からでも学べることはあるはずだと気を取り直す。
『これが土星。輪っかが見えますね』
『これは……まさか』
『土星という星には輪っかがあるのですよ。どうやら何かがここに滞留しているようです』
『これほど星が大きく見えるのか』
『日本の中央天文台なら、これの2倍の大きさで見えますよ』
『2、2倍……』
想像もできない、といった表情の3人。
『で、この土星や水星、金星といった周辺にある星々を毎日観察しているのですが、』
在定は地動説に関わるデータの出典として各地の望遠鏡による観察結果を伝える。
『どう考えても地球が自転していないとおかしいわけです』
『う、ううむ』
技術の隔絶による実証観察の精度。そこに明確な差がある以上、マテオ・リッチにも在定の言うことを否定することはできない。
何より、今この場で彼らはその観察できる環境を与えられているのだ。
彼らがヨーロッパにおいて、最も科学リテラシーの高い集団だからこそ、目の前にある技術で示されたものは否定できなかった。
『とはいえ、我らを無条件で信じろというのも暴論がすぎます』
『ま、まぁその通りだ』
『ですから、定期的に観察に参加していただいて、我々が嘘を言っていないか確認してください』
『う、ううむ』
神の教えを否定するわけにはいかない。しかしここにいると禁忌に触れてしまうようで、彼らは逡巡していた。
それでも、ブラーエはここに通うことに決めた。ここにいれば、自分の目指す星々の輝きがまた見れると確信できたからだった。
『もしかすると、これこそがエデンのリンゴなのかもしれぬが、な』
人間の知識欲は、神の教えでも止められるとは限らない。
ティコ・ブラーエは、知識欲に負けたのだった。
♢♢
2か月後。
ティコ・ブラーエは台湾で学び続けていた。
彼はその間に物理学の知識なども少しずつ学び、片言の日本語を身につけつつあった。
マテオ・リッチはインドのゴアに一時帰国していたが、ルカ・バレリオはブラーエとともに滞在を続けていた。
今日は天文台に新設された設備を外国人15名とともに見学する日だった。
その設備は『フーコーの振り子』と史実で言われる設備だった。
地球が自転していることを証明する実験設備であり、大型の真鍮の球体を鋼鉄製で10mのワイヤーが吊った大型の設備だ。
天文台の隣に建設されたこの設備を見て、これが何故自転を証明する実験設備かブラーエはわからなかった。
所長である在定はその大まかな仕組みと法則を2人に説明していく。
『で、およそ1日にこれだけ角度が変わるわけです』
『何もしなくても角度が変わる、ということは分かった。で、ここではどれだけ変わるのだ?』
『ここ台北ならば北緯25度ですので、振り子は1時間で6.34度動く予定です』
『なる、ほど?』
実際、動いている様子を見なければ彼らも判断はしにくい。
『日本にはここ以外に今4か所にこの振り子があります。他の場所は札幌、仙台、名古屋、博多。それぞれが1年以上稼働しており、実験結果は出ています』
『札幌や仙台はここの予定よりかなり大きく動くのか』
札幌のデータは1時間あたり10度以上動くというデータ。この違いが、自転によるコリオリの力を証明していることになる。
『遠心力の話などはもう習っていますよね?』
『ああ』
『物理学において、回転する物体は中心に近づくほど回転する力が弱くなります。それが、自転する地球にも働いているわけです』
『台風が実際に来たときに、台風の目というものを経験するまでなかなか難しかったです。今はわかります』
台湾を台風が襲った際、台北が一瞬だけ目に入ったことがあった。この時、多くの留学生が、回転の中心は穏やかであることを体感したのだ。
『これで学びながら、地動説をまた1つ、証明していきましょう』
ブラーエはこの2カ月で新しい体験をしすぎて自分が若返ったような気がしていた。新しい発見の多くは学びを加速させる。重力、遠心力、地軸、そういった要素を学べば学ぶほど、彼ははるか年下の在定に教えを乞うことに抵抗がなくなっていた。多くの留学生は彼ら教授陣を先生と呼び、その知の結晶を手に入れようとしていた。
『所長はこの知識をどうやって得たのですか?』
『無論、美濃の大学ですよ』
『美濃の大学……きっと、多くの研究がなされているのでしょうな』
『そうですね。今も伯父上を中心に、人の生活をより良くする研究が進んでいるはずです』
台湾国際大学に派遣されるのは、日本で優秀な若手である。
彼らは異国人に教えるという行動によって知のアウトプットを行い、自分の知をより深く磨く。
『ここでも研究はできますが、最新の研究を考えると、来年くらいには美濃か名古屋に戻りたいものです』
『私たちも、そこに行ってみたいですな』
『それは難しいですね。やっと来年、ポルトガルの公使館が神戸に建設されるくらいですので』
日本政府は情報秘匿のため、長年台湾と対馬以外の外国人入国制限を継続していた。
しかし、ポルトガルとの条約により、日本はリスボンにヨーロッパ初の在外公館の設置を決定した。
これに対応する形で神戸にポルトガル公使館を設立する許可を出したのだ。大使館特権も認めたポルトガル側は、日本の力を借りて本気で国力を高めようと考えていた。オスマンとの戦いを前に、日本の海上戦力か兵器の輸入を認めてもらおうという魂胆である。神戸には王族の1人であるアントニオ・デ・ポルトゥガルが派遣される予定で、実質的な人質ともいえる人選にはポルトガルの本気度が示されていた。
『私はもう少しここにいるつもりです。しかし、そのうち本国に戻り、今度こそ正式に国と国との和親を結べるようにしてみせましょう』
『そうですね。世界中と友好関係が結べれば、いつか美濃にも外国人が自由に出入りできるかもしれませんね』
ブラーエは自国もこの国との取引に遅れてはならないと感じていた。だが、国のことを思うよりも知識欲が勝っている彼は、もう半年は確実に学び続けようとも考えていた。子どもたちもこの国の小学校で学び始めた。ここ以上の教育環境はないのだ。子どもたちを誰よりも賢く、そしてこの国とのパイプがある人材にする意味でも、滞在はある程度の期間必要だ、という言い訳が、ブラーエ自身の行動を正当化させていた。
フーコーの振り子は学生時代割と身近だったので、意外と日本国内に多くないと知って驚きました。
ちょっと出かければ見かけられたので。一応義龍が参考にしたのは名古屋市科学館のものということにしてあります。
いよいよ日付変わったので明日漫画版発売です。よろしくお願いいたします。




