後話3 日西戦争 第10話 航海の自由
アフリカ アルジェ
アルジェは現在のオスマン帝国とキリスト教勢力の最前線である。
マルタ島を失ったマルタ騎士団はジブラルタル海戦でオスマン帝国を破った後、このアルジェにローマ教皇の寄進を受けて城砦を築きあげた。後背をスペインが管理していたが、ポルトガル軍はマルタ騎士団の支援時に自由に領内を通行できていた。
そんなポルトガル国王セバスティアン1世は1576年初頭にアルジェの東部へ大部隊を派遣していた。主力となる傭兵はフランスから来た者たちだった。ユグノー戦争が昨年9月に休戦状態となったことで、給与の支払いが停止したルートヴィヒ・プファイファーらスイス人傭兵はポルトガル国王の招聘に応じたのだった。
ポルトガルは日本・明との交易で莫大な利益をあげており、その資金を使ってオスマン帝国側を圧迫する目的だった。
「このままアフリカ・インド回りで香辛料や絹布が手に入らなければ我らは終わりだ。ここでオスマンに征伐を加え、航路の自由を取り戻す!」
宗教的熱狂も相まってこの軍勢は意気軒高にアルジェ東部のオスマン軍拠点を攻撃。8割方を制圧したタイミングでオスマン帝国のララ・ムスタファ・パシャの援軍が到着。ポルトガル・マルタ連合軍は拠点を離れてにらみ合いへと方針転換した。少数による小競り合いは多発したものの、お互い決戦をする決断はできなかった。3カ月のにらみ合いの末、ララ・ムスタファ・パシャはサファヴィー朝の情勢急変により、ポルトガルはスイス人傭兵の契約期間満了により双方兵を退いた。
アルジェ東部で行われた戦いは動員された人数の割に小競り合いで終わったものの、サファヴィー朝のタフマースブ1世が死ぬまでの時間稼ぎには成功した形となった。そのためヨーロッパにおけるイスラム勢力とキリスト教勢力の均衡は当面維持されるという成果を生むことになった。
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日本 京都
2月。太平洋を横断してアメリカ大陸に到達する航路についての報告と、ダム関連の実験に関する報告で久しぶりに京にやってきた。上下水道の整備にも関わり、今後の衛生問題にも直結するのでこの事業は道利叔父の子を責任者としつつ俺が補佐している。最初のダム事業の場所として選ばれたのは美濃の苗木だ。木曽川の氾濫を防ぐことで尾張と美濃の災害を防ぐことにつながる。ありがたいことに周辺の苗木城領主だった遠山氏は代替わり時に稲葉山に移住しており、こちらで苗木周辺は自由にできた。恵那温泉が湧出する地帯は水没しない計画なのは前世の大井ダムと同じだ。
使用するセメントは安藤氏の所領付近にある本巣の石灰を利用している。ここと北九州など4か所でセメント工場を設立し、建築などにどこまで使えるか研究中だ。前世で聞いた話ではセメントに石を混ぜてダムは製造していたらしいので、これを真似する形だ。当然だが水力発電の設備も同時に設置している。プロペラや軸の耐久度含め、大規模なものは調整を進めている。
出張中は温泉宿で毎日温泉に入りながら実験の日々だった。秋冬だったので楽しい日々だった。発電設備が完成したらビンタン島で試掘されたボーキサイトの精錬実験や電灯の実験などを本格化させる予定だ。
「水圧への耐久実験は想定通りに進んでいる。後はプロペラの連続稼働実験をして発電設備の確立を目指したいところだ」
「うむ、細かいことはわからんな!」
信長が全員を代表するように言う。まぁ、わからんよな。息子の龍和もダムの意義と用途は理解しているが、細かい部分まで理解していないので難しい顔をしていた。
「父上、大事なのは実験計画とやらに合わせて進められているかだけです。それさえわかればいいので」
「そこは順調だ」
「では問題なしということで」
年長の執政官である龍和は地位的には日本の行政におけるトップだ。途中経過の管理・監督を担う行政のトップがオッケーといえばこの件は継続実験が許可されるわけだ。
一方、アメリカ大陸への航路については俺の知識不足が発見された。南極側の航路は海流が遅く、時速でいえば5kmですら出ないことが確認された。
「東オセアニア島(ニュージーランド)の発見には成功しましたが、この航路を利用するのは難しいと楠木正辰ら派遣部隊から報告がありました」
「となると、北大平洋の海流を利用するのが一番でしょうな」
「先に北アメリカ大陸に到着してしまうのと、途中で補給が難しいのが難点でしょう」
海軍の小早川隆景からすれば航路の約半分まで補給拠点を用意できる南半球ルートの方が心配は少ない。なので南半球を通れるルートの検討が優先されたのだが、速度が出なければ結局洋上で無補給の期間が延びるだけである。それを考えれば北半球の速度の出る海流の方がよいと判断された。
「補給の問題もあるので、給炭・給水を途中まで行いこちらに戻る船を連れていくべきでしょう」
「石炭は基本的にポトシに近い都市への圧迫時のみ使用し、緊急時にも利用可能とした方がよいかと」
「壊血病とやらも予防すべく、現在薩摩県内でキャベツの増産中です。出発予定の梅雨前の頃にはザワークラウトとやらが積載できるかと」
ポルトガル経由で手に入れたキャベツを使ってザワークラウトを遠征の必需品に指定してある。他にも小麦の栽培を北海道で進め、海軍はパン食を根づかせている。とはいえ、水が豊富な地域にたどり着けば米を食べたいのが日本人。アメリカ大陸到着後は水を入手し次第炊飯できるよう、米俵も船内に載せることになる(というか、載せないと暴動が起きそうだ)。
「では、予定通り春になったらアメリカ大陸へ出発ということで。(織田)信親も相違ないか」
「ええ。航路の詳細な海流は実際に探索せねばわかりませんしね」
大まかな海流しか高校地理の教材でも見たことはない。俺の知識不足はみんなの試行錯誤で補ってもらうしかない。正直、大部分の分野はもうそういう段階になっている。
「ところで、せっかく南アメリカ沿岸まで行くなら、沿岸に生えているイチゴを採ってきてほしい」
「イチゴ、ですか」
「ああ。今イエズス会に依頼して集めているイチゴと交配させれば、いいイチゴが作れるはずなんだ」
「よくわかりませぬが、承知いたしました」
困惑した様子の小早川。まぁ無理もない。このあたりは前世で岐阜のイチゴ農家に訪問医療した時に聞いた話だ。バージニアのイチゴとチリのイチゴを交配して現代イチゴ品種のベースを創ったという話。バージニアはイエズス会が布教活動に上陸しているとルイス・フロイスから聞いた。だから昨年春にポルトガルに戻った宣教師を通じて依頼をしてある。これにチリのイチゴが今回手に入れば……前世で味わったイチゴの4世代前くらいのイチゴが味わえるようになるはずなのだ。岐阜のイチゴ好きだった身としてはこの機会、逃すわけにはいかない。
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翌月。緊急で再び京都に召集された。
内容を聞いていた俺は激怒していた。全員の認識共有のため織田信親が召集目的を告げる。外務の官僚がこれに報告を重ねる。
「アチェ王国がポルトガル船のインドへの航路を妨害しているとのこと。シキホルにアチェ攻撃の支援要請がありました」
「ゴアからマラッカへの航路が機能不全になっている故、イエズス会もこちらに来られません」
「それで、その……イエズス会のイチゴの苗も、ゴアに留まっているとフロイスから連絡が」
必ずやかの邪智暴虐のアチェ王国を除かねばならぬと……なんとやら。食べ物の恨みは怖いぞ。
「アチェに艦隊を送ろう。台湾の商人たちも商品が売れずに困っている」
実際、日本が儲けている航路が潰されたという意味でもこれは許しがたいものなのだ。ポルトガルと同時に、日本全体にも被害が及ぶのだから。小早川隆景も賛同し、状況確認をしたい信親殿と会話が続く。
「アチェはオスマンから武器の供与、船の供与を受けたようで」
「船乗りが足りないのではないか?」
「アチェはそもそもジョホール王国と争っていたのが、我らと条約を締結し武器を購入したジョホールに近年圧されていたようで」
アチェとすれば日本の後ろ盾で強化されたジョホールへの対抗心もあって、ジョホール・日本と友好なポルトガル船に制限をかけているのだろう。オスマンの支援を受けたのもあり、失地奪還を目指してかなり攻め気になっているようだ。
「アチェが不足していた船を充足させた結果、先月ジョホールは海戦で敗北したようです」
「アチェはジョホールを長年苦しめてインドへの航路を混乱させている元凶。2年前にポルトガルと共同で両者の講和を仲介したのに」
「こうなれば、導三様の申された通りアチェを攻め滅ぼしてジョホールにスマトラ島を統一させるのが最上かと」
経済へのダメージは生活に直結する。到底看過できないのだ。
「太平洋横断とは別に、呉から艦隊を派遣してスマトラ島をジョホールの手に戻しましょう」
「アチェ側の非は明白。問題はないかと」
個人的な理由もあるが、ポルトガル商人のためにも、ここは実力の行使が必要不可欠だ。東南アジアの航海の自由は維持されなければならないのだから。
岐阜のイチゴはどうしても福岡や栃木などの知名度に押され気味ですが、とても美味しいので一度ご賞味ください。
アチェ王国は史実でもオスマン帝国から軍事支援を受けたことがあります。その前後でポルトガル・ジョホールとの三角戦争になっていました。史実と違ってジョホールとポルトガルの同盟は日本の介入で長期化し、ポルトガル=ジョホール=日本の同盟対アチェ=オスマンのにらみ合い状態だったのがこの世界のマラッカ海峡情勢です。これがオスマンの支援でアチェが再度侵攻を開始しました。オスマンはアチェによってポルトガルがダメージを受ければ、日本から損害を受けたであろうスペインとともに弱体化させアフリカ大陸北部を制圧できると判断しています。なのでアチェにこれ以上の支援は基本的に考えていません。アチェは鉄砲玉なのです。




