後話3 日西戦争 第9話 フェリペ2世とムラト3世
先週は多忙により投稿できず申し訳ありませんでした。今日から投稿再開いたします。
スペイン・オスマン帝国視点の1575年末~1576年始の情勢です。三人称視点です。
スペイン マドリード
1575
フェリペ2世は別名「書類王」と呼ばれる。それくらい書類を通じて政務を行い、戦争を行ってきた。
しかし、隣国ポルトガルからきた使者にはさすがに書類では対応できなかった。彼らがもってきた日本が宣戦布告した際の書状を読み、即座にそれを届けた商人を召喚したのだった。
「これはどういうことだ。ここは異教徒の地であろう?」
「東南アジア一帯は日本と友好的な部族と都市ばかりです。ここに手を出せば日本が兵を送ってきます」
「だが、神の教えは受けておらぬのではないか?そもそも、日本はここまで兵を出す力があるのか?」
「むしろ、我が国より強固な拠点をもち、何かあれば海賊も全滅させるだけのガレオンを保有しております」
「そんな報告は来たことがない」
「我が国の商人が今使っている地図はご覧になったことがおありで?」
「あの随分精巧な地図か。方角に狂いがないと評判だ。それが何かあったか?」
「あれは日本の地図です」
その瞬間、フェリペ2世は多くを察した。既に己の国も姿を知られている。都市の位置すら描きこまれている。島の形も細かく描かれている。つまり、自分たちは日本の手のひらの上だと。それを理解できるからこそ、彼は本来「太陽の沈まぬ帝国」の皇帝だったのだ。
「総督として派遣したラベザリスは?」
「我らはこの文書を届けるのを頼まれただけですので、派遣された部隊がどうなったかは知りません」
「休戦の使者を出そう。貴殿はマラッカに戻るのか?」
「リスボンに戻れば仲間が荷を売りさばいているでしょうから、それを確認し次第」
「今後アジアには商売以外で我が国の船は近づかぬ。商人の無事のみ保障してもらえれば補償金を銀で払うと伝えてもらいたい。いや、誰かを派遣すべきだな」
フェリペ2世はすぐさま側近の1人を呼び出す。アントニオ・ペレス。イングランド強硬派の側近である。表向きの使者として王家の血をひくビジャエルモサ公爵を派遣しつつ、平民出身のペレスを実務担当として派遣しようとフェリペは考えていた。
「アントニオ。可能ならば日本の領内で休戦を結んでまいれ」
「わざわざ日本まで!?」
「国の様子をその目で見てまいれ。建物・船・大砲・銃・市場。見られるものを可能な限りだ。我が目となれ」
「しかし」
「日本と和議が結べねば、異端と戦うことはできぬぞ」
そう言われ、自身の主張を考慮したペレスは使者として赴くことに同意した。
ラベザリス総督が捕虜となっており、すでにスペイン艦隊が全滅したことを知らせる生き残りの捕虜がポルトガル船によってマドリードに届けられるのは、公爵とペレスが出発した直後のことであった。
フェリペは2人の使者に賠償金に関する指示を与える追加の使者の派遣を決め、書類の山の前で頭を抱えた。
「異端どころではない。フランスに手を出している場合でもない。もしこれが異教徒に知られたら……」
アフリカ戦線で再度の攻勢が始まりかねない。せっかくローマ教皇の資金でアルジェに建造した新しいマルタ騎士団の要塞も大軍には耐えられない。マルタ島を失った彼らもここを失えば資金援助する国や貴族がいなくなり解散となりかねない。ロシアという脅威はイヴァンの戦死もあって崩壊したが、オスマンという最大の脅威は今も健在なのだ。
一度はジブラルタル海峡まで攻めこまれたフェリペ2世にとって、異端は殺さなければならないがイベリア半島を奪われることは最も阻止しなければならないこともまた事実だった。彼は自分の代ではイングランドに手は出せないことと、ネーデルラントの反乱を治めるには軍事力も資金も足りないことをほぼ理解するのだった。
♢♢
オスマン帝国 イスタンブール
トプカプ宮殿には日本から海路・シルクロードを通じて運ばれてきた大きな鏡が飾られていた。同じく日本から運ばれた螺鈿のコーヒーカップでコーヒーを味わうオスマン帝国の皇帝・ムラト3世は、大宰相ソコルル・メフメト・パシャからの報告を興味なさげに聞いていた。
「というわけで、スペインは東で日本に敗れたようです」
「ふーん」
「先々代(スレイマン1世)が支援したアチェの指導者が、この機にマラッカを攻めたいと申しております。支援いたしますか?」
「任せる」
この頃になると、オスマン帝国の皇帝はその実務を大宰相に任せることがほとんどであった。この頃の彼は珍しく一夫一妻を維持しており、ヴェネツィア人の妻サフィエを愛していた。
「ところで、このコーヒーカップ、気に入ったからサフィエにも用意して」
「はっ。万事お任せを」
謁見を終えた大宰相メフメトはすぐにポルトガル船のアラビア周辺での妨害活動を強化するよう命令を出すと同時に、一部の武装と船舶をアチェに送るよう連絡する。彼はポルトガルをこの機に弱体化させ、北アフリカのアルジェにある要塞を突破することを狙っていた。航路を妨害すればポルトガルの交易収入を阻害しつつ、東西の連携を阻害できる。スペインも香辛料貿易がストップすれば経済的な打撃は大きい。アチェが仮に勝てなくても、一時的に東西航路が妨害できればポルトガルのリソースは削れると考えていた。彼のそばにやってきたキプロス島を落とした名将ララ・ムスタファ・パシャも、既にメフメトの考えを聞いていた。
「日本は強大なようだが、インドは越えられまい」
「ムガールの支配するグジャラートに軍勢を派遣するのは許されないだろうからな」
「東でスペインとポルトガルが疲弊してくれるなら(地中海)沿岸部の解放も楽になる。私の率いるイェニチェリも活躍の場が増えるというものだ」
実際にはこの半年後、東にあるサファヴィー朝のタフマースブ1世の死去により、オスマン帝国は東部への攻勢を強化し、アチェ王国の滅亡でインド以東への影響力を喪失することになる。ただし、ポルトガル・マルタ騎士団との国境であるアルジェでは散発的な戦闘が続き、両者の緊張関係は継続していくことになる。
ちなみに、スペインは史実でも1575年に一度破産しています。この世界でもほぼ同時期に破産して、カトリック(を経由して日本)の支援を受けています。ただし、史実より市場に出回る銀の量が少ない分ヨーロッパの経済力もイスラムの経済力も小さめです。




