後話3 日西戦争 第7話 装甲コルベット
ちょっと投稿予定の調整が難しい状況で申し訳ございません。
なるべく金曜投稿で頑張りたいですが、前後するかもしれません。週1投稿はなんとか死守します。
以前出した地図を再掲いたします。途中三人称視点以外は長実視点です。
スラウェシ島 マカッサル
京都で宣戦布告が決定されていた頃。
スペインから派遣された今回の総責任者とも言うべきギド・デ・ラベザリスは、ポルトガルのマラッカ知事アントニオ・モニス・バレットから直接強烈な批判を浴びせられていた。ラベザリスはコンキスタドールの主力を引き連れたゴンサロ・ロンキリョ・デ・ペニャロサとペドロ・デ・チャベスがどこに行ったかもしらされていなかった。しかし、責任者である以上その言い訳はできなかった。
「サラゴサ(条約)からも明確に反していますし、我らと取引のある商人も多く被害を受けています。早急に兵を退いてニューギニアにでも新しい拠点を置けばよろしいではないですか!」
「いや、その、おっしゃるとおりで」
「モルッカ(諸島)のことはあれだけ国王同士で話し合ったのに、それを無視されてはこちらとしても日本との和解を仲介できなくなりますよ!」
「お待ちを。なぜ日本が出てくるので?」
ラベザリスはこの時点までクタイへの攻撃を知らなかった。一方、バレット知事はすでにその報告を受けていた。ゴンサロらがどれだけ暴走していたかがわかる状況である。
「あなたの軍勢がクタイを攻めたでしょう。あそこは交易で日本と結びつきが強い。しかもこのスラウェシ島の北部にあるテルナテはかつて我が国と争い、神の教えに強い反感を抱いている国。今の時点でも日本に軍の派遣を求めているでしょう」
「ク、クタイ?」
「もう10日も前の話です。近くを通ってここに来ておりますので、間違いありませんよ」
「に、日本は異教徒の国と交易だけでなく、軍が協力しているので?」
「そもそも日本は教会があれど異教の教えが根づいている地。少しずつ神の教えが広まっていますが、異教徒の地ですぞ」
そもそも日本の知識も不足し、東南アジアの状況も理解していなかったコンキスタドールを含むスペイン一行。それがここにきて白日の下にさらされた。
「今すぐ軍勢を退き、新大陸へ帰るのがオススメですな」
「いや、しかし……」
フェリペ2世の命令でここに来たラベザリスに、逃げることは許されない。スペインは最初の情報収集の段階から、根本的に失敗しているのだ。そして、それを本国にいる皇帝に伝えるには、この島はあまりにも離れすぎていた。
「とにかく、本国に使者を送りましょう」
「それが良いですな。それまでの間に、日本が兵を派遣しなければ、ですが」
ラベザリスは電信の存在を知らないため、以前ポルトガル経由で手に入れた日本(というより導三製作)の世界地図から想像している。援軍が来る前に事態を収束させれば、軍事衝突は避けられると。しかし、電信によってシキホル島と台湾、そして京都の政府は連携ができており、既に宣戦布告の詔書を持った貴族院副議長・鷹司信房は台湾とルソン島の中間にあるイトバヤット島付近まで迫っていた。
♢♢
シキホル島
台湾艦隊の援軍が到着した。これで正面からでも戦える状況にはなった。ただ、追加の戦力は既に派遣されることが決まっているとのことで、慌てず出撃可能な状態にする準備だけを進める。艦隊を率いてきたのは土佐の元領主である貴族院・長宗我部元親様の弟である香宗我部親泰殿。元服の儀にも同席してもらっていたので、面識はあった。彼は土佐での戦で左頬に銃撃がかすめたことがあり、その傷が今も残っている。
「総督、遅くなりました」
「いえ、香宗我部殿。助かります。心強い限り」
「敵軍の様子は如何でしょうか?」
「クタイの沿岸部を占拠してからはあまり大きな動きはありません。少なくとも、ルソン含む北部諸島に攻めこむ気配はないですね」
「敵軍の全容は確認されましたか?」
「敵の船はおよそ50隻以下。兵数も3000には届かないかと」
「流石にございます。それさえわかれば先ずは十分にて」
援軍はガレオン30隻、そして装甲艦と称される大型船が2隻だ。シキホルには通常置いていないシキホル総督用の「淡路」と台湾海軍司令旗艦「高雄」である。鉄骨の骨組みに木製船体、表面装甲に鉄板を施した船だが、帆でも蒸気でもどちらでも動ける船だ。当然石炭が必要なので、三池炭鉱で採掘された石炭を台湾やシキホル島にも貯蔵している。スクリュー?という動力はここぞという時に潮の流れにも影響を受けずに船速を出してくれる。
その日の夜、早速第一次作戦会議が行われた。島津家久殿が早速主戦論を主張する。
「このシキホル島南にあるミンダナオ島東からスラウェシ島に向かう潮流を使い、テルナテに艦隊を派遣しましょう」
冷静に各国の状況を篠原殿が説明しつつこれに答える。
「テルナテ側はマニラの王子救出と北岸への展開・支援を求めています」
「潮流に乗ればクタイまで石炭を燃やさず帆船の力だけで向かえましょう。ここにいる艦隊で決戦すれば一気に勝てまする!」
「敵がはたしてクタイに戦力を集中しているかがわかりかねますな」
「テルナテ・クタイ以外で船を広く展開するのは無理ぞ。一月程度では潮がわからぬ。じゃっどん、敵はクタイとマカッサルに固まっちょりましょう」
興奮気味で薩摩弁が混ざる家久殿。本格的な合戦を経験する前に戦乱が終わったため、彼は兄弟で唯一の初陣未経験なのだそうだ。首狩り族と戦っていたのは数に入らないそうで、シキホルに居続けているのもいつか戦乱があるとしたらここと思ったかららしい。
攻め気に逸る一部に対し、香宗我部殿が冷静に冷や水を浴びせる一言を告げる。
「全面攻勢に出るにも相手の位置を補足してから。先ずは花火信号を使って敵船の位置を調べましょう。地の利は十全に生かさねば」
少し場が落ち着いたので、全体に確認をする。
「まずはスペイン軍の根拠地を確認。その後相手の規模によって対応を決定する」
これは通信手段が10年、20年前とは大きく違うからこそできるものだ。電信や花火信号があるからこそ、京都から遠く離れた南の地でもある程度連携しながら防衛も攻撃もどちらもできる。必要な戦力を用意できる。兵站の確保もできる。色々なことができるようになったのは、父と義父と信長様が戦乱の時代の中で作り上げてきたものがあるからなのだ。20年前であれば前哨基地周辺で敵を発見したら、そこで戦うか否かを決めなければならなかったそうだ。次に味方と合流した時、相手がそこにいるかわからない。味方と連絡が取れても、その返事がくるまでに状況が大きく変わっているからだ。
「信号弾は5種類を3発の詳細報告型で。島津殿と香宗我部殿はいつでも船が出せるように支度を」
「承知」
炎色反応というものを使って、5色の花火信号が使われている。これを方位・距離で2発使えば大まかな敵位置を伝えることが可能になる。今回はそれに規模を伝える3発型にして相手の状況が花火で伝えられるのだ。
「他に何か意見がなければこれで進める」
そう告げると、全員が「異議なし」と答えてくれた。情報で有利な形を作るのが現状一番だろう。
♢
台湾艦隊の到着から1週間。スペイン船が1隻こちらに向かっているとの報を受け、緊急態勢をとった。たった1隻とはいえ攻撃力のあるガレオン船だ。警戒しつつうちの船でシキホル島に接近する前に進路を防ぎ、拡声器を使いスペイン語で呼びかける。
「ただちに停止せよ。ただちに停止せよ」
さすがに大きな音声に驚いたのか、船が停止する。隣に並んだうちの同型ガレオンから使者が渡り、話し合いが行われたようだ。
ほぼ同時に京都の政府から貴族院副議長・鷹司信房様が到着。鹿児島艦隊と熊本陸軍の半数が到着したので、その場でスペイン船に宣戦布告が提示された。
スペイン船に乗っていたのは総司令官ラベザリスの補佐官だったため、彼は驚きつつも「あまり我々を怒らせない方がいい」と捨て台詞のように言って帰って行った。
鷹司様は宣戦布告の詔書を渡すとシキホルを少しだけ確認した上でマニラへ挨拶をしてから帰ると申されてすぐに帰国された。乗艦してきたガレオンが大砲などをあまり載せていない上、非戦闘員が多いので燃料・食料をいたずらに消費しないようにとの配慮だった。
その日の夜、要職につく軍人と政務官が集まり、軍議を開いた。
「京都も戦を決めた。ならば我らは戦うのみ」
「先ほど、クタイの沖合に20隻のガレオンが確認されました。主力と思われます。国旗がないのでスペインで相違ないかと」
篠原殿の報告で、島津家久殿が笑う。
「では!」
「ええ。台湾艦隊・鹿児島艦隊をもって、スペイン軍をこの海域から排除します!」
宣言に、各々がそれぞれ違った反応を示す。だが、その様子に不安はない。
「明朝6時より、クタイへ艦隊を発進。スペインに、ここは貴殿らの土地ではないと、心底までわからせましょう!」
「「「応ッ!!」」」
こうして、1575年6月10日、後に日西戦争と呼ばれる戦いが始まった。
スペイン側の連携不足と日本の電信による高速通信で後手後手のスペイン。次話はまずスペインの皇帝視点から開始です。(当然まだスラウェシ島に到着した情報も届いていません)




