後話2 文化の発展は生活を豊かにする
10月中に出して文化の日の話をする予定だったのですが、結果的に文化の日当日の夜になってしまいました。
天正12(1575)年
愛知県 名古屋
織田信親が織田信長から執政官を譲られ、織田信親・斎藤龍和体制に移った。信長は公式の官職のほとんどを失い、執政官の相談役である初代元老に就任した。
形式上引退した信長だが、実際の国内運営は信長に相談の上行われていた。執政官に任期は存在しないものの、三家の縁者による世襲化はこの信長以後にほぼ示されたといっていい状況だった。
外務卿補佐と内務卿補佐を歴任してから織田信親が執務官になり、参謀総長から外務卿に就任した三好氏の若き当主三好慶兼が斎藤龍和の後任として今後就任することは周知の事実となっていた。ただし、織田信親と斎藤龍和、三好慶兼と斎藤龍和は血縁をもつが、織田信親と三好慶兼には直接的な血縁がない状況は良くないとされた。そのため、織田信親の執政官就任とともに、織田信長・蝶姫の娘で信親の妹である夢姫が三好慶兼に嫁ぐことが発表された。
♢♢
名古屋を訪れた俺に、蝶姫はお茶を苦そうに飲みながら愚痴なのか惚気なのかわからない話を延々としていた。
「聞いておりますか、兄様」
「聞いている聞いている。それで?」
「ですから、全然うまくいかぬなら兄様に相談なされば良いのです」
「まぁ、正直俺が伝えられることもないんだよなぁ」
「ですが、最初に綺麗な真珠が出来たら渡すと言われれば、その、期待、してしまうではありませぬか」
信長は俺のアドバイスをうけて一昨年から志摩県内で真珠の養殖を目指して実験を始めさせていた。執政官でなくなって議会に出席する機会が減った分、もう少し一緒の時間がすごせると思っていた蝶姫だったが、実際はこの実験にご執心の信長は彼女とすごす時間を増やせなかったわけだ。
「完成したら先ず蝶の髪飾りにしよう!」と意気込んでいたので強くも言えないので、こうして俺に愚痴るという状況だ。
「まぁまぁ。彼奴も派手な物が好きだからな。其れに、真珠は異国に高く売れる」
「異国の方々は綺麗な石がお好きなのですね。ポルトガルの公使夫人は指に3つも石を身につけておいでで」
「まぁ、宝石文化は日本にないよね。日本だとあまりとれないからか」
ヒスイと紫水晶、ローズクォーツあたりは今多少採掘・加工して海外に販売しているが、国内では対外的な交流のある人物以外需要がない。簪はじめ髪飾りがメインで、ネックレスも指輪も文化が存在しないからだ。俺が個人的に嫁たちには贈ったものがあるとはいえ、彼女たちも常日頃から身につけているわけでもない。まさに文化の違いなのだろう。
だからこそ、その中でも髪飾りなどで比較的親しまれている真珠は国内外問わず需要があるため信長も目をつけたと言える。
「しかし、綺麗な丸い真珠など神代の話でもなければなかなかないと思いますが、本当に可能なのでしょうか?」
「可能だ。大事なのは貝の分泌物質と適切な時期に適切に核を埋めこむことだからな」
鳥羽の御木本翁の記念館は小学生の時に両親と旅行で行った場所だ。伊勢海老を食べたいと思い立った父が鳥羽水族館に俺を連れて行くと同時に自分が見たいからと連れて行かれた。夏休みの日記には水族館と伊勢海老の話しか書かなかったが、記憶はきちんと残っている。
「とはいえ、最適種の貝とはまだ言えないからな。そこは交配実験しながら試行錯誤だ」
「交配実験の仔細は分かりませぬが、稲も蝦夷で栽培を目指すために交配実験が何とやらと申されておりましたね」
「我ら日本人が住む場所を増やす以上、そこで米が作れるか如何かは大事な事だからな。蝦夷で育つ米を作るべく、大々的に実験中なのさ」
現在、カムチャッカ半島南東に新都市が建設中だ。ここを拠点にアラスカやベーリング海峡の支配を確立させていくことになるだろう。現地にはアイヌ先住民もいるが、千島列島のアイヌを通訳として友好関係を築けている。保護区を設定して彼らの生活や文化を必要以上に阻害せずにヨーロッパ諸国に領有を認めさせたいところだ。
「しかし、不思議な事で。翡翠や琥珀の美しさは分かりますが、水晶は多くの場所で採れます故」
「他国では手に入りにくい物も多いのだ。逆に、日本にない鉱石が他国で採れる事もある」
日本では金銀は正直大量に採掘できる時期だ。だが今後金の採掘量に限界は訪れるし、希少金属になる。それでいて利用価値は今後ますます高まるわけで。兌換紙幣をつかう以上、海外にはあまり輸出する気はないが、銀については多少外に出して代わりに銅を輸入している。銅線は電気関連でかなり使う上に、銅貨も流通させたい。鉄と同様まだまだ必要な物資だ。
「ところで、兄上の手土産の御菓子はもうないのですか?」
「まだまだ台湾の砂糖は希少なんだぞ」
「そうですか。美味しいので、また持って来て下さいませ」
「少なくとも、信長にはもう此れ以上砂糖菓子は持って来ないぞ」
「偶の休みとなれば甘味甘味と一時期は五月蝿かったですからね。尿が甘くなる病になりかねない程とは」
「まぁ、2年前から節制させているから大丈夫だとは思うが、な」
砂糖菓子の文化が台湾・奄美での砂糖栽培から少しずつ根づきつつある。輸入していた20年前と違い、より広く砂糖菓子を作れる・供給される状況になったわけだ。輸出過多になりやすい我が国にとって、輸入量をある程度増やしても問題ないものでもある。
「確かに数年前より体を動かす機会も減って、それなのに食べる量が減っておりませなんだ。少しふくよかになっておりましたから」
「食事・睡眠・運動。全て歳を重ねるごとに疎かにするほど影響が出る」
「兄様は昔と御変りないですけれどね」
「長生きしたいからな。日々弛まぬ努力だ」
特にここ2、3年たるや、本気で長生きするための生活習慣にしているからな。目指せ17世紀。前世と合わせて120年生きるのが目標だ。
「狩野殿が兄様の絵を昨年描いた時、出会った頃と御変わりないと激賞されておりましたから」
「それは言い過ぎだ。だが、悪い気分ではないな」
そろそろ写真実験もしたいところだ。絵描きの文化もいいが、写真として自分の姿を後世に残したい気持ちもある。ただ、実験に行くためにはまだ足りない要素が多い。ピンホールカメラの構造はいいが、現像させるための液体の成分までは知らないし。このあたりは今までと同じく試行錯誤か。今度若手の誰か優秀な大学研究者に新しいチームをつくらせるか。
「それで、本当にもう菓子はないので?」
「しつこいわ」
本当に気に入ったんだな。いつの時代も女性は甘い物に目がないということか。




