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第323話 長生きするのを目指します!

最終話です。最初は3人称多めです。

 山城国 京 本能寺


 1582(天正19)年6月21日、1つの事件が発生した。


「おかくごーっ!」

「ぐおー、やられたー」


 誕生日を控えた執政府前執政官・織田信長が孫の吉法師(7歳)に襲われ、畳に倒れ込んだ。

 周囲の小姓たちは主の危機でありながら信長を助けず、周りで笑っていたという。


「ううむ、吉法師、其方力が強くなったな!」

「きのうのすもうで、べんきょうしたのです!」

「良いな。勉強熱心なのは良いことだ!」

「つきだし!つきだし!」

「ぐおー、見事だー!」


 彼は25年後、織田三郎信隆となり、父の後を継いで執政官となる。


 ♢♢


 美濃国 稲葉山城


 同年9月、誕生日を迎えて満15歳となった豊太丸こと斎藤新九郎龍徳が元服した。斎藤導三入道の孫であり、将来を嘱望される彼は、しかしまだこの頃は勉強嫌いの夢見る少年であった。彼は同い年の伊達龍宗の嫡男・藤次郎和宗とともに稲葉山の学校に通いながら、彼らなりの青春を楽しんでいた。


「おい、藤次郎!眼帯はどうしたのだ!」

「いや、実は父上に奪われたのだ!このままでは俺の右目に宿る悪魔が目を覚ましてしまう」

「仕方ない。俺の守護帯ガーディアン・バンドを貸してやろう。以前お前がつけていた黒護の鉄帯(ブラック・アイアン)程の呪力はないが」

「いや、かたじけない。いざという時は右腕の天使ガブリエルを解放して何とかしますよ」


 周囲の生徒たちにとって、どう見ても普通の目と腕しかもっていないのに包帯やら眼帯をつける2人は、ちょっと距離を置かれる存在だった。


 ♢♢


 山城国 京


 1月に立太子の儀を終えた誠功親王(1571年生まれ)は、京に造られた皇族・公家の通う学校の成績表を見ながら、御学友である今出川公彦の息子と人力車で移動していた。


「殿下、御気を落とされぬ様」

「もう少し良い結果を報告したかったが」

「国学と理学は、麿では到底及びませぬ。何時も陛下の田植えや草取りを御手伝いされていればこそで御座います」

「何れは日ノ本の帝となるのだ。全ての民の模範とならねば」


 親王と斎藤龍徳、そして先日軍の統合幕僚長として叙勲された三好慶兼の名前は、四字熟語である『功徳兼隆』からとられた。元々唐の太宗を称える言葉として生まれた熟語だが、人徳と功績が多大であることを示す。この言葉を分かち合うことで、天皇を元首とした体制の末長い発展を祈念することになったのである。


「明日提出の宿題は多い。帰って道喜殿の店の新しい餡子餅を食べて、頑張ろう」

「麿も共に頑張るでおじゃる」


 ♢♢


 貴族院講堂では、1人の人物が質問の集中砲火を受けていた。彼の名は斎藤龍和。満38歳となり、2年後に任期満了に伴い執政官を三好慶兼に譲る予定になっている。質問をしているのは今年総裁に就任したばかりの九条兼孝。29歳の藤氏長者である。


「スペインのマラッカ居留地は必要なのか?」

「ポルトガルが無い今、条約で定めた通りヨーロッパとの交易を続けるならスペインが最良に御座います」

「今後、イングランドもアジアにやってくると防衛白書に予想されていたが、それまで待てぬのか?」

「今後10年はスペイン以外がスマトラやマレー半島まで来ることはないかと。オスマン帝国との争いで、双方共に消耗した模様ですし」


 国際情勢に興味津々の九条兼孝は、11月に全権大使としてリスボンやロンドン、そして南米を訪問する世界周航の旅に出る予定となっている。不安もあり、政府首脳部との認識にズレがないようにするためもあり、彼の質問は多岐にわたることになっていた。龍和も、時々内務卿である松平信康や執政官輔の木下藤吉郎と、再三再四確認をとりながらの答弁であった。


「マニラ条約の履行が一切滞っていない以上、スペインが我等を見くびっているという事は無いかと」

「それなら良いが、連中は我等の友好国に突如戦をしかけて来たからな。全権大使としてあの国に向かう以上、警戒は忘れたくない」


 1575年、スペインはフィリピンの国際交易都市・マニラを自国の植民地とすべくゴンサロ・ロンキリョ・デ・ペニャロサと兵1500を送った。これに対しマニラ近郊のシキホル島総督である三好長実はマニラの王ラジャ=スレイマンを保護。台湾へ電信によって救援要請を行った。20日後、台湾から滝川一益台湾総督率いる20000の増援をえた日本海軍は装甲付戦列艦15隻でスペインの部隊を壊滅させ、そのままブルネイ周辺やスマトラ・マレー半島のスペイン人を包囲・降伏させた。ポルトガルの仲介で1577年にマニラ条約が締結され、東南アジアのスペイン植民都市は日本に割譲された。少額ではあったがマニラ王に賠償金も支払われた。またスペインは東南アジア各国を国家として相互承認し、翌年の日西修好通商条約で居留地なども制定された。これ以後東南アジア各国は日本との防衛同盟を次々と締結し、マラッカには海軍司令官の1人である島津歳久が常駐するようになっていた。

 スペインとしては、アジアの戦争が長期化するとオスマン帝国に付け入る隙を与えることになるため、日本側が当初から外交決着を提示していたこともあって最小限の負けですませることを選んだところがあった。その後、ポルトガルとスペインが同君連合王国となったため、一部のポルトガル王国支持派が台湾居留地に逃げこんできた。


「それと、先日発見されたアラスカの防衛拠点適正地への植民ですが、予算に住居整備費がかなり計上されている。此れは多すぎるのでは?」

「現地調査の結果、地盤の脆弱性などから建築資材に鉄の杭を追加で使用する方向になったためです」

「資源採掘開始までの時間を考えると、国民の理解は得にくいですぞ」

「だからこそ、父導三入道も今のうちに橋頭堡を造るべし、と仰っていたのです」

「まぁ、新大陸西海岸にも基地を造らねば、大平洋を守るのが困難になるのは確かか」

「ええ。日ノ本の防衛戦略の上で、新大陸西海岸はある程度こちらで押さえておきたいところです。時間はかかるかもしれませんが、必ず」

「樺太の油田も採算化には時間がかかると聞いた。あまり手を広げすぎるなよ。あくまで身の丈を超えない持続的な開発が求められておるのだ」


 これらの議会での質疑内容は、一部が国営新聞によって各地に発表される。制限選挙制による国民議会発足が8年後に迫る中、結成されつつある政党に参加しようとする人々は、その内容を見ながら自分たちの政党の政策を如何するか、熱く語り合うのだった。


 ♢♢


 日金共有地 尼港


 織田信長の五男・織田晴由(はるよし)は憤慨していた。彼は南部氏に一時養子入りしていたが、南部晴政に実子が生まれると自ら「俺には寒さが足らぬ!」と言って織田に戻り、尼港総督に就任して女真族との交渉担当になっていた。家督争いなどを嫌った行動だったと周囲には理解されており、この一件で南部氏は負い目を感じたからか東北で最初に県制へ移行(1571年)している。


「それは真か、タクシ!」

「ああ、明はアタイを殺そうとしている」

「許せんな!俺が兵を連れて来てやる!」

「いや、それは許されぬだろう。樺太総督の日根野に聞いたが、兵は出せぬと」

「明が何だ!日ノ本の方が強いぞ!」

「しかし、支援は約束してくれた。銃も貰えたし、アタイは俺と親父で助けてくるさ!」

「ぬぬぬ」

「ハルヨシ!お前は俺の息子を助けてやってくれ!俺が戻るまで、寂しがるだろうしな」

「わかった!ヌルハチには俺が鉄砲の使い方を教えておこう!」

「逆に、馬はヌルハチに教わるんだな。未だに普通に乗れていない」

「大きなお世話だ。ヌルハチに酒飲み勝負で俺に負けた事を教えるぞ」

「それはやめてくれ。俺は息子の前では最強でいたいんだ!」

「じゃあさっさとアタイを助けて戻ってこい!」

「わかっているさ!」


 織田晴由は女真族の女性と婚姻し、後に日金(更に後の日清)修好通商条約締結の全権大使を務めることとなる。彼の娘の1人はヌルハチの側室の1人となり、後の日清蜜月時代を象徴する一族と呼ばれることとなる。彼は信長に「最も俺の気質を継いだ」と評されたが、「だからこそ絶対に俺の後は継がせぬ」とも言われた人物だった。


 ♢♢


 美濃国 稲葉山城


 珍しく、堺の千宗易が俺の元を訪ねてきた。

 何用かと思ったら、昨年正式に隠居した十兵衛に茶の湯の師事を頼まれたからということだった。


「十兵衛、如何いう風の吹き回しだ?」

びというものに、興味が湧きまして」

「そうか」


 あのハイテンションで変態なかんじに惹かれたのか、大丈夫か。


「実際、静かな茶室で茶を飲みながら、物思いに耽るのも良いものですよ」

「そんなものか」

「殿も囲碁を御一人で指す時があるではないですか」

「まぁ、確かに」


 それに、十兵衛の人生だ。色々と頑張ってくれた後なのに、一々言っても仕方ない。宗易を呼ぶ件も龍和に報告しているらしいし。

 狭い部屋で少しボーっとしながら、義兄でもある宗易を二人で待つ。といっても、彼はもう三好とは離縁しているので、義兄と言うべきかどうかわからないが。


「御待たせ致しました」


 躙り口から屈むように入ってきた宗易は、既に老境といった風貌だが、以前より落ち着いた雰囲気となっていた。


「導三様、老けましたな」

「宗易殿に言われたくないな」

「確かに」


 苦笑すると、そのまま茶の準備を始めた。今日は静岡のお茶を使っているそうだ。十兵衛は細かい所作や作法を丁寧に意識しながら飲んでいる様子だったが、俺は最低限身につけた範囲でだけだ。龍和の小姓だった古田織部が龍和に茶の指導をしたらしく、龍和の方が細かい部分は詳しい。


「今日の御茶菓子は此方で」

練切ねりきりか。安土の菓子屋か?」

「良く御存知で。蒸気機関車に乗る前に買って参りました」


 現在、実用化第一号の蒸気機関車が、那古野と神戸の間を2日かけて往復している。蒸気機関車の普及は急務だ。最近は合金分野でステンレスの製造にも成功したし、釜石の鉄鋼所も安定稼働し始めた。鉱毒被害予防の仕組みがある程度固まったので、別子銅山も順調である。ここでとれた銅で作った銅線で電信も、樺太・真幸・三利からマラッカまで、無事につながった。一部の地域では公用電信だけでなく、商用電信の整備も始めている。


「其れと、頼まれていた品を御届けに」

「有難い。信の置ける人でないと頼めなくてな」

「いえいえ。良い物を運ばせて頂きました」


 そう言われて悪い気はしない。明日は信長が那古野から来る日だ。喜んでくれるといいが。


 ♢


 翌日。今日は信長と俺と宗易の茶会だ。というか週に5日は誰かから電信で連絡が入り、月に1度信長と龍和と豊成が来ており、さらに月1で別の誰かが相談に来るので、実質休みが週1しかない。隠居とは一体。


「仕方なかろう。まだまだ血の気の多い者が多いし、制度の未熟な面も多い」

「血の気が多いのは、簡単に直らぬよ。戦を100年もやっていたんだ」


 人々の感覚が、常に戦が続く環境に慣れている。裁判所の整備が進んでいるが、自力救済をしようとする人も多い。武士出身者の大半は、台湾やマラッカの最前線で命を張ったり、樺太以北で北方防衛に就いたり、アラスカからさらにアメリカ西海岸を目指す開拓団の護衛をしたりしている。そう言えば南方開拓団からは、ガダルカナル島を発見したという報告があったな。


「血の気が治まるのに、また百年かかると?では我等の代では終わらぬぞ」

「そうだ。だから子に、孫に任せる時は任せるのだ。そして、必要な時だけ俺達に聞けるようにする。主体的に考えさせて、経験を積ませる。我等が死んでも自力で考えられれば、対処出来る」

「ううむ。難しいな」

「難しいさ。刀狩と廃刀令でさえ、終わるのに10年かかったのだから」


 刀狩と廃刀令を徹底するためにかなり労力を使った。逆に廃刀令では、軍人・警察に佩刀はいとうを許す事で、武士の大半を軍人・官僚・警察・消防へと吸収した。回収した鉄は宇佐八幡の復興から製鉄所の整備や化学工場の鉄筋化、装甲艦の建造や港湾整備に使われた。総鉄艦は試作の小型艦が既に進水しており、現在研究班が大型蒸気船の開発計画を進行中だ。


「後、武田から県の設置を御願いしたいと連絡があった」

「そうか。昨年信玄入道が亡くなったからか」

「信玄は北条の力を借りて何とか独自にやろうとしていたが、金山の採掘量が明確に減っていたからな」


 貨幣の統一が行われた後、武田は毎年採掘される金で兌換紙幣をえて支配の強化を図っていた。しかし、周辺地域が政府の手で街道整備や電信の整備、製糸場の建設などで発展していく中、取り残される武田領を何とかしようと中央との協調を第一とする武田義信は、父の信玄と対立していった。だが対立が頂点に達した1575(天正12)年に、義信は家督を7歳の嫡男勝千代に譲り、京都に隠棲してしまった。そして去年の12月、武田信玄が死んだ。


「当主代行の諏訪四郎(勝頼)が信玄四十九日の忌明けに、信親に県制移行を求めてきた。四郎はもう甲斐にはいたくないそうだ」

「そうか。ならば武田領は、松本県と甲斐県で分けて置くのが良いだろうな」


 地図に書いて見せる。前世で長野県と呼ばれた地域を諏訪から南を松本県、北を長野県(長野・千曲・佐久など)としてひとまず整備しているので、松本を中心に分ける形だ。


「県知事は如何する?」

「太郎(義信)は何と?」

「もう甲斐は懲り懲りだと申しておった。今の根室知事に遣り甲斐がある、とも」

「では松本知事に諏訪四郎、甲斐知事に勝千代(義信嫡男)を置くしかないな」

「勝千代元服の烏帽子親は信親にさせるか。金山は再調査だな。金脈が未だ残っているかもしれぬし、青化法でなら採掘出来る金脈もあろう」

「其れと、甲斐では漆喰水路の整備もしなければ」

「あぁ、名前の長い虫の撲滅活動か」

「日本住血吸虫な。奴の生き残りは許さん」


 これで実験ベースだけで進めていた日本住血吸虫の撲滅活動に、漸く手が出せる。甲斐県では全ての水路をコンクリートにして、奴らを絶滅させるのだ。そして稲作をやめた甲斐県は、葡萄と桃とリンゴあたりの一大果物王国になるのだ。インフラの整備を含め、品種改良とか色々やらないといけないことも多い。


「土地改革に際し、水田を廃して果物栽培に移行した農家には補助金を出す。さらにミヤイリガイを集める仕事も募集し、農家の一時的な収入源にしていく」

「其の辺りは義兄上に任せる。俺にはわからぬ」

「仕事を一覧表にして、豊成に振っておこう。こういう時こそ厚生卿の出番だ」


 これで残る大名は北条と島津のみだ。毛利は元就が死の間際に、遺言として県制移行を決定しており、1574年安芸県・吉備県が置かれた。これに負けじと尼子も1575年に県制に移行している。琉球は『特別自治区』という形で、琉球王を置きつつ県知事もいる体制になっている。ここも少しずつ、無理のないように日本に同化していっている。


「後、全国に小学校の設置が終わった。武田領が県になると、追加作業が必要だが」

「他に大学が13、師範学校が30か。そろそろ札幌にも大学が欲しいな」

「先に箱館では?」

「今の札幌・小樽の人口が軍属含めて1万5千人。スペインから講和条件で得たジャガイモ栽培と羊の育成が何処まで上手くいくかだが、今後も札幌は人口が増えるからな」

「そう言えば石炭の運搬に札幌と幌内を機関車で結びたいと申しておったな」

「あぁ、俺にも幌内の試掘が終わったと、鈴木七右衛門(元信)から連絡が来た」


 鈴木七右衛門は米沢近くの豪商の子だが、庄内の学校で抜群の成績を残したので札幌に派遣された、新世代の官僚だ。こういった新世代の人材が少しずつ現れている。石田三成らしき人物も、安土の大学を最優秀で卒業して現在台湾で役人として頑張っているそうだ。一応各学校・大学の最優秀卒業生の名前だけは報告してもらっているが、生まれた年齢で考えると彼だろう。


「育てながら新しい制度を進めるのは難しいが、だからこそ若い力にも頑張って貰わねば」

「とは言え、義兄上の完全な隠居は当分許さぬからな。俺も名ばかり信親に譲ったが、那古野か安土を動く気は無いし」


 まぁ、帝を含め誰も信長が隠居するとは思っていないだろうがな。今でも日本の政府首班は信長といっていい。名目上総裁という藤氏長者が上にいるが、彼らはいわゆる『責任をとる立場』の人間だ。仮に国家間戦争で負けた際、帝が戦争責任を負わずにすむよう責任をとって処罰される立場。だから条約締結などでも『責任をとれる全権大使』として動く。その分、総裁は名目上帝以外の全ての上にいる。俺たちも敬意を払う。摂関家はその立場を引き受けてくれた。このあたりの事情は帝には伝えず、摂関家と織田・斎藤・三好だけが共有している秘密だ。


「そうそう。信長に渡す物があったんだ」

「何だ、誕生日はもう終わったぞ」


 これは京の俺の屋敷から千宗易に運んでもらった、武野紹鷗から今井宗及に受け継がれ、4年前に俺が譲り受けた品だ。千鳥の香炉。前世でやった某戦国ゲームのアイテムとして、豊臣秀吉が保有し石川五右衛門が狙ったと書かれていた天下の名品だ。


「此れを譲ろうと思ってな」

「此れは、千鳥か。茶器に興味の無い義兄上が持つ数少ない名品ではないか」

「興味が無いは余計だ」


 信長は、隠居した林佐渡や森可成などの将に個人的に茶器を贈るくらい、茶の湯に力を入れている。囲碁などの俺の趣味を後追いすることもあった信長だが、茶の湯は自分で気に入って入れこんでいる趣味だ。


「一先ず、其方が執政官を辞めたからな。区切りだから、何か名品でもと思ったのだ」

「そうか」


 手に取り、じっと見つめる信長。


「重いな。重い」

「重すぎるか?」

「いいや」


 即座に、信長は首を振った。そして、俺の目を見ながら、昔と変わらない左ほほのえくぼを浮かべながら、答える。


「面白い」

「そうか」


 その後は、他愛もない話をしながら茶を楽しんだ。木下藤吉郎執政官輔の女癖があまりにも悪いので信長が叱った話とか、松平信康が重要案件のあまりの多さに稲葉山薬園製の胃薬が欠かせなくなってしまったとか、蝶姫が孫に構いすぎて話し相手をしてくれないとか、そんな話だった。お満も孫に構ってばかりだから、気持ちはよくわかる。俺にいつまでもべったりなのは於春だけだ。江の方は龍頼の画展に付き添って各地を飛び回っているし。


 ♢


 信長が安土に帰った後、宗易と2人で茶を飲んだ。信長には出さなかった甘味を添えてだ。後で恨まれるかな。糖尿病にならないためだ、諦めてくれ。


「一区切りですかな」

「そうですね。俺や信長や義兄上の時代から、子ども等の時代になった。其れを一番に支えるのが信長になった」

「未だ未だ頼られるでしょうが」

「其れは其れ。俺にも、もう良く分からぬ事が多いから。相談相手でしかないですよ」


 制度が根付くにはどうすればいいか、政治家出身でも官僚出身でもない俺にはわからない。だから俺もできることだけやる。


「今後は何をなされますか?」

「最近は空き時間に囲碁ばかり打っているよ。此の前打った算砂は強かった。負けたよ」

「今後、導三様が主催で碁の冠位戦をするとか?」

「あぁ、長年の夢だったからね。第一回本因坊杯だ」


 囲碁と将棋のプロ制度はほぼ完成した。毎日新聞で棋譜が届くのが楽しみだ。囲碁は昔一局打った仙也が率いる日蓮宗系の一門と、稲葉山出身の幸が鍛えた一門が二大派閥になっている。囲碁の最先端をこれからも突き進んでほしい。前世で読んだ漫画じゃないが、神の一手を目指してってやつだ。


「他に何かなさりたい事は?」

「医療をもっと発展させねばな。早く無菌室を造れる様になりたいものだ」


 空気の清浄化は大きな課題だ。何度か外科手術で術後感染による死亡事故が起きている。無菌室の仕組みややり方までは、俺は知らない。今後俺を含めてみんなで考えていかなければならないだろう。豊は産婦人科発展のため、全国女医会を発足させた。俺の応援を背に、今日も稲葉山の女医学校で校長業務に勤しんでいる。


「やる事が多いですなぁ」

「宗易殿はやりたい事はないのか?」

「侘びと寂びを極めねばなりませぬ故、死ぬまで隠居はありませんな、恐らく」


 そうか。まぁ、茶の湯の道は果てしないのだろう。そういう意味では、あらゆるものが、受け継がれながら見えないゴールを探すのに違いはないのかもしれない。可能な限り見届けたいとは思うが。


「大きな目標が多う御座いますが、一番の目標は何ですか?」


 茶を新しくしてもらうタイミングで、そう聞かれた。一番。一番か。


「長生きすることを、目指そうかな」

2年9か月の連載に最後までお付き合いいただきありがとうございました。

色々なことがあり、リアルの事情で投稿をお休みした時期もありましたが、皆様に読んでいただき応援をいただいた結果ここまで書くことができました。感謝以外表現ができません。

本編は終了しましたが、書きたいエピソードはあるので、不定期に投稿はする予定です。

もし宜しければ、評価などしていただけますと幸いです。


書籍版も発売から一月と少し経ちました。もし宜しければお手にとっていただけると幸いです。

挿絵(By みてみん)


新作は明日投稿開始です。時代も変わりますが、ご興味がおありでしたら読んで頂けると嬉しいです。こちらになります。

https://book1.adouzi.eu.org/n7421gj/

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― 新着の感想 ―
完結おめでとう御座います。 面白かった。信長か末期の道三あたりに転生者だとカミングアウトするかなと思ってましたがどうやら秘密は墓場まで持っていくようですね それもまたよいかと
[良い点] 詳しく調べまくってて、前書き後書きに補足を入れてわかりやすい。 [一言] 歴史転移転生物で一番じゃないかな? むっちゃ調べてて、歴史が変わった部分とかも無理がなさそうだし。 どっかの信長…
[一言] お疲れさまでしたた。 戦国転生のお話の中でとても楽しめた一作でした。 ありがとうございます。 また楽しいお話を読めるのを楽しみにしています。
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