第319話 未来への道は一歩ずつしか歩めない。立ち止まる者に、先は見えない
あと5話です。
尾張国 那古野城
11月。雪が降る前に九州からトンボ返りした俺は、海路で尾張の那古野湊に到着した。そして、そこで電信の研究員たちに迎えられた。一緒に出迎えてくれた蝶姫には「其の実験が終わったら城で御待ちしておりますから」と、湊で最初に会った時に呆れ顔で言われた。そんなに俺は、実験にしか目がいっていない風に見られたのか。心外だ。
「で、如何だ?」
「銅線の純度が高まったのではないか、という事と、電磁誘導と継電器の精度が1つ問題だったのかな、と」
「接触不良か。良くあると言えばそうだが、其れが中々無くならない」
「表面の酸化で通電しなくなる事も多いので、やはり純度ですな。部品の純度は上げていきたいところで御座います」
コークスは今後手に入るので、先日三好氏が伊予制圧後に発見した別子の銅山で採掘できる銅を、転炉で製錬した後に電解精錬までしてしまえば銅線の純度も上がるだろう。と言う事は、伊予にも水力発電所が必要だな。
「一先ず、信号は送れるのだな?」
「はっ、但し、短波長波信号の記録が上手く行かず、まだまだで御座いますね」
「針の振れ幅は問題ないのだろう?」
「記録する紙の表面に引っかかってしまう様で」
あぁ、記録紙の表面にある凹凸で記録がうまくいかないのか。電信機の出力が足りていない部分もあるだろう。
「6音符号式で連絡をとるためにも、もう少し紙の繊維を細かくした滑らかな高級紙の製造も考えないといけないか」
「まぁ、多少出力重視で頑張れば、現状でも何とかなるとは思いまする。ただ、これを日ノ本全土に張り巡らせるならば、修理面も考慮して出来る事は全てせねばならぬかと」
「1つ技術が進むと新しい課題が生まれる。其の繰り返しだな、本当に」
「遣り甲斐は御座います」
「無理はするなよ」
現状、彼らは替えがきかない人材だ。追加の人材も、後進の育成というより実地研修で無理矢理鍛えている様な状態だ。相当な知識・知恵・情熱がないと生き残れない。大学で教える人材も足りていないのだから、ないものねだりはできない。
「一先ず、此方にも研究員が常駐する形ならば、電信が出来ます。早めに大津とも繋ぎ、少しずつでも修理出来る人間を育てましょう」
「そうだな、予算は来年以降少しずつ増やせる筈だ。戦も減るしな」
「では、人手の募集人数を増やしておきまする。尤も、先ずは大学を増やさねば、大学卒業者は増えないのですが」
「すまんな。今後はそういう人材を増やせる様にせねばなるまいよ」
「如何しても殿を目指して医学関連の方が希望者が多いですから、此ればかりは仕方ないかと」
大学の理学部を卒業した人間の6割は医学研究所を希望する。理学部では、医学校の医師学生とは違う内容の知識(今後の研究内容やら方向性、それに必要な理科知識)を教えるため、ここはどうしても分けるわけにいかないのだ。おかげでストレプトマイシンの発見には人海戦術が使えたわけだが、一方で完全に未知の技術を研究開発する事を志望する人間は、どうしても限られてしまう。
「まぁ、今回の成果があれば募集に応じる人材も増えるだろう」
「そう願いたいところで御座います」
そういう意味では、ここにいるメンバーは究極の物好きたちだ。未知の何かを創るために心血を注ぐ。本来研究とはそういうものだが、この時代にそういう考え方をもつ人間は多くない。大事にしなければ。そのうち、特許制度も整備して彼らの名前を後世まで遺してあげたいところだ。
♢
美濃国 稲葉山郊外
飛騨や木曽三川の上流など各地で育てられた蚕の繭が、季節になると大量にこの稲葉山郊外の工場に運ばれ、そしてそこの大部屋で一斉に熱乾燥することになる。飛騨の山奥などで育てられた蚕の繭は途中の地点でこの熱乾燥までやるが、温度計によって温度管理された部屋で大規模にやった方が費用が抑えられる。しかも品質も保てる。繭はその後品質の選別を行い、品質ごとに煮て繭を解す。
ここまでは規模を大きくしただけで、今までと何かやり方が変わったわけではない。農家は繭になった蚕をうちの輸送業者に渡すだけで金になるので、養蚕を副業にする農家が増えているが。ただし、今迄経験則だった繭を煮る作業を温度計で管理しながら大規模に、しかもマニュアルを作って熟練者で無くとも運用出来る様にしているのだが。
で、現在実験中なのが、解した繭の糸の終わりの部分を見つけたら、蒸気動力の器械に巻き取らせるやり方だ。
「出力の調整が難しいですね。窯の温度が安定しないと糸が崩れるので」
「セリシンは煮ると溶けるからな。糸に戻すにはある程度溶けて貰わないといけないが」
「セリシンの含まれた煮汁は石鹸や美容液の研究班に回しております。其の内試供品が奥方様にも届くかと」
「可能なら美胡都姫の分も頼む」
「はっ」
龍和の正室である美胡都姫は三条家の出なわけだが、三条家は朝廷儀式や公家の作法における装束を司る家だった。そのため、公私問わず化粧含めて服装までかなり気を使っている。うちで作る新しい染色の着物については、布のデザインなどで最終判断を彼女に仰ぐことも多いそうだ。そして、彼女が認めたというのが一種のブランドとして京でも人気が出ている。前世でいうファッションリーダーである。その分、彼女は龍和と共に定期的に各地に顔見せをしてもらっている。九州征伐に同行した諸大名の使者も、彼女が応対に加わり、上方の流行を体現してみせたらしい。本人は緊張しやすい性格なので、あまり話したりはしないのだが、かえって人形みたいに美しいと評判が良かった。
「蒸気動力の巻き取り機は安定しておりまする。水力のものよりも多くの糸を同時に処理出来ますので、生糸の値を更に下げられるかと」
「明産の生糸に対抗出来る、とは言わぬが、少しでも安くしておきたいからな」
明の生糸には関税をかける予定だが、この関税を高額にしすぎると密貿易が横行する。ほどほどの関税ですませ、関税と輸送費と品質を考慮した結果国産を買った方がいい、と言う状態を保つのが理想だ。
♢
一方、大規模に工業化して生産しているのが麻布、というより麻服だ。都市部では、最近布を買って自分で服を作る習慣が薄れつつある。その時間があったら働いた方が稼げるのだ。女性でも春から秋なら、交代制勤務の製糸場や看護師、飲食店の一部などで働いている人が増えている。学校出身の女性教師もいる。その結果、麻布でも売れるが麻服も売れるようになった。定型に裁断された布を服に成形して売り出す。サイズは4サイズ。那古野と稲葉山、京などで販売中だ。この麻服の成形作業も、女性が多い仕事だ。
「蒸気で動かす、という部分は大分色々出来る様になってきたな」
「しかし、馬でも運べぬ車を蒸気で動かすとなると、未だ未だかと」
「蒸気機関車にするなら、筑豊や三池、或いは蝦夷地から良質な石炭を運んで来ねば、な」
蒸気機関車の構造なんて知らなかったので、幼児期に見た電車などの図鑑に載っていた構造からの推測と自転車などの構造からの推測で設計している。車軸の強度が現状の問題である。
試作機は鉄の必要量の多さからまだつくっていない。九州征伐が終わったので、もう少ししたら試作に入れるだろう。
「相良の臭水を動く部分に注すとかなり滑らかに動きますが、其れでも鉄と鉄の部品が噛み合う部分は、やはり強い力を加えないと動きませぬ」
「潤滑剤としては合格か。後はやはり車軸だなぁ」
「我々ももう少し色々と試してみますので、もう少し時間を頂ければ」
「頼む」
「はっ」
機関車の研究班の視察を終えると、次は水力発電所だ。ここは市内から遠いので、その周辺で電気分解や電気メッキの実験を進めている。
「この燭台、見事に銀で鍍金出来たな」
「部品ごとに電極にする事で何とか。金の鍍金は王水と硝酸を使った方が綺麗に固着する様です」
「水銀は可能なら使いたくない。有毒物質なのでな」
「アマルガムは人体を蝕むという事なので、昨年から実用化した青化法を石見銀山と別子銅山にも取り入れておりまする」
「まぁ、どちらも人体を蝕むが、水銀の方が厄介だからな」
明やヨーロッパでは今も水銀は薬として使われているのだろうか。俺が言ったところで変わるかはわからないな。宣教師で錬金術の知識がある者が来たことが現状ないのでなんとも言えない。
「とりあえず、此の燭台は帝に献上しよう。後々、外国に売る事も考えたい」
「ははっ」
電気メッキ技術が安定化したら、電気部品に一部金銀を使うことになるだろう。酸化しやすい銅は修理の頻度が高い。物によっては金銀の方が有用なのは、前世の電子部品を見ればわかることだ。電気工学の発展のためにも、この分野も研究を進めたい。
♢
山城国 京
京の屋敷に戻ると、義兄の長慶が俺の屋敷に来ていた。
「久しいな。九州の件も琉球の件も上手く行きそうで何よりだ」
「義兄上も、京の留守居をして頂き有難う御座いました。しかし南が順調、となれば次は北です」
「蝦夷地か。寒いのだろう?」
「ええ。尋常でなく。其れ故、蝦夷地では米も育ちませぬし、冬になれば海が凍ります」
「其れは、想像も出来ぬな」
蝦夷地探検隊兼基地建設部隊は既にメンバーの選定を終えている。札幌に拠点を建設する第一期探検部隊の総指揮官は、木下藤吉郎秀吉。その補佐に根井実幸と片倉景重をつけ、東北諸大名が派遣する相馬盛胤・野辺沢満延・針生盛信・九戸政実・嘉成重盛等が実働部隊となる。片倉が東北諸将との連絡係である。
これは東北諸大名に色々便宜をはかる対価でもあるが、同時に『中央政府の命令に各大名が従い家臣を派遣する』という先例をつくるためのものだ。このあたりの進め方は信長とそのブレーンがやっていたので、俺はただ頷いていただけである。恐らく台湾出兵時にも似たようなことをやることになるだろう。
「ですので、普通の建物では耐えられぬ訳です」
「で、漆喰に鉄を埋め込むか」
「他にも地中深くに支柱を刺すのもそうですね」
樺太や択捉・千島列島の一部など、各地に拠点を造るのが最終目標となるが、寒さに強い建物である必要がある。暖炉を造るとなると石造りの建物だが、蝦夷地の場合地震への対応も考えて鉄筋コンクリートを使いたい。そんなわけでこちらも絶賛研究中である。先行している探検隊が石灰岩を現地で見つけてくれれば、コンクリは現地で造れるのでかなり楽になるのだが。
「暖炉の燃料は現地で採掘出来ます。問題は装備です」
「毛皮か。アイヌの物を何処まで用意出来るか」
「後は、可能なら自給したいので、栽培出来る作物なのですが」
ジャガイモもサツマイモも、まだヨーロッパの人々でさえ手に入れていない様子なのが計算違いだった。少なくとも、インドから来た宣教師は知らなかった。ジャガイモがあれば、寒冷地での食糧事情は早期に安定化するのだけれど。
「まぁ、何はともあれ来年から。今は明から仕入れた羊が奥羽で育つか試験中です」
「羊の毛も皮も寒さには強いと聞くからな。大槌で育てばよいが」
「可能なら蝦夷地で育てたいですね。寒冷地の方が育てやすい様ですので」
とにかく問題になるのは寒さだ。これに対応できるようにならないと、せっかく眠っている資源も手に入らない。初期は温暖な時期以外は大きな活動をしないと言っても、春でも秋でも寒くなる時は寒くなるのだから。
♢
年末。信長の一時帰京で京に3人が揃った。と同時に、朝鮮に渡った外交使節団の結果報告が行われた。信長が詳細を聞いていたが、俺と長慶にも改めて、ということだった。大納言一条内基様も同席した。
正使として赴いたのは半井治部卿。うちで医師として働く半井兄弟の叔父で参議の一員である。副使は元幕臣である三淵藤英、玉仲宗琇で、随行員は東福寺恵瓊や宗氏家臣の津奈甚三郎などが名を連ねていた。
「やはり無理で御座いますな」
「で、あるか」
半井殿の第一声は、それであった。信長も一言返すとあとは詳細を聞いているので沈黙する。こちらも予め無理はしないように伝えていた。仕方あるまい。
「朝鮮では今年文定王后という王母が亡くなったそうで、王母の一族が宮中から追い出され、儒教の士も追放されたとか」
「となると、これからは鏡も余り売れなくなるか」
「恐らく。王母と懇意にしていた商人も、宮中から追われたとの事」
「新しい実力者は何という者だ?」
「未だ分からない部分もありますが、朴応順なる者が有力な様子」
「知らんな」
李舜臣とかいつ出てくるんだろうな。流石にわからん。政治混乱の最中では日本との外交交渉どころではないだろう。
今後は朝鮮とは没交渉になりそうだ。対馬の守りをしっかり固めておくとしよう。
もうすぐ水銀中毒で嘉靖帝が死にますが、どうしようもないのでそのままです。
実はこの1565~1570年あたりは東アジアは歴史的な転換点でもあります。
李氏朝鮮も明も君主の交代が続き、政策の転換点になったところでポルトガルが隙間を縫うようにマカオにスペインがルソンに進出していくのが史実ということになります。
当然ですが史実と同じ動きは発生いたしません。




