第317話 重商主義政策といわゆる鎖国
本日から完結まで毎日投稿になります。
宜しくお願いいたします。
豊後国 別府
信長が府内で九州各地の戦場の指揮などを行っている間に、俺は湯治と洒落こむため別府にやって来た、わけではない。
別府温泉で明礬がとれるかを探るために来たのだ。
明礬は現状明からの輸入品の1つだが、皮革用の皮なめし剤としてだけでなく、止血剤としても使いたいので国産化を目指している。うちの研究者の数人が九州まで来て、俺と一緒に成分を確認する。
「此の湯では厳しいか?」
「浜辺の湯も明礬が採れぬ様で。水分を飛ばした感じ、少々塩分を感じまする」
「水分を飛ばす前の舌触り、恐らくだが、炭酸泉か?流石に温泉の成分までは分からんな」
別府で利用されている既存の温泉をこれですべて回ったが、明礬が採れそうな気配はない。もしかして、まだ開湯されていない温泉なのか。現地の案内役である降伏した武将、朽網鎮則に問いかける。
「他に湯は無いのか?」
「少し山間の地に、地元の者だけが使う湯が御座います」
「では、其処も調べるか」
せっかくの温泉だが、入る暇がない。夏場だから移動だけでも汗をかくので、今日最後の湯の見回りが終わったら温泉に入ろう。これだけは譲れない。
少し歩くと見えて来た温泉。そこに近付くにつれて強くなって来る臭いに、俺と研究員以外は顔をしかめた。強烈な硫黄の臭い。明礬が採れずとも、硫黄は採れそうなすごい場所だ。
「少し期待してしまうな」
「ええ。早速成分調査の支度を致しまする」
湧いた湯をさらに沸騰させて水分を飛ばす者、お湯の中に輸入物の明礬結晶を入れて冷ましながら結晶化するか確認する者、湯の花を採取する者などに分かれる。俺の護衛などは慣れた様子で周囲の警戒をしているが、朽網らは俺達が何をしているのかわからず、少し所在なさげだ。
「気温が高いから結晶化に時間がかかるのが難点だな」
「しかし、此処は期待が出来まする。湯の花は間違いなく硫黄に御座います」
「鉄粉と反応させたのが此れか。確かに、硫化鉄だな」
「湯の花は用途も多御座いますので、東の草津と西の別府の物を有効利用したいですな」
他の温泉の検体より期待ができる湯の採取ができたので、今日はこれで最後ということで温泉に浸かっていくことにする。家臣が別の場所で働いている中呑気と言われれば何も言えないが、体を休ませる時も必要だ。しかも俺も気づけば数えだと40歳だ。四十にして天命を知る。残りの人生で何をしなければいけないか、考えながらの日々になりつつある。父も死んで、叔父上ももう表舞台には出てこない。俺のやろうとしていることは一族のためになるのか、子どもたちのためになるのか、家臣のためになるのか。色々考える機会も増えた。
「新七郎」
「何で御座いましょう」
只一人、俺と一緒に湯船に浸かっている新七郎に声をかける。新七郎とも、もう30年以上の付き合いとなった。彼の子どもも先日元服し、加納新三郎和輔と名乗って龍和に仕えている。
「今、幸福か?」
「唐突で御座いますな」
「ふと、思ってな」
「そうですな。忙しくて、嫁と娘に会えぬのが不幸に御座います」
軽い答えが返ってくる。見ると笑っている。冗談交じりなのがわかる。
「娘もそろそろ嫁ぐ頃か。何処か紹介してやろうか」
「彼の娘は誰にもやりませぬ」
「最近過保護で面倒臭いと豊に相談しているらしいぞ」
「う」
奥仕えをしながら作法も習っている新七郎の娘なら、どこに嫁いでも大丈夫だろう。問題は娘を手放したがらない父親である。
「しかし、生半可な男に嫁がせるのは嫌ですが、家格が合わぬ家に嫁いでも苦労させそうでして」
「俺の取次を30年務めた男の家と合わぬ家格の家の方が少ないだろう。摂関家でも無ければ大丈夫だ」
「いや、しかし、出来れば苦労せずにすむ収入のある家にですね」
「面倒だな、其方は」
思わず笑いがこぼれた。娘の可愛がりは時代も場所も関係ないのかもしれない。
「新七郎」
「何でしょう?」
「此れから俺と信長がする事は400年の計だ」
「はい」
「だから今を生きる人間にとっては少々窮屈な部分もある」
「左様で」
「其れでも、俺はやりきるぞ」
特に意味のない、決意宣言。中身を理解している十兵衛ではなく、中身を理解していない新七郎に対して。
「殿の御随意に」
「あぁ」
「其れに、殿の力で豊かになった者等が、少々の事で殿に刃向うとは思いませぬ」
「そうか」
「御恩と奉公、で御座いますよ。殿の御恩に、皆必ずや報いましょう」
ある意味その御恩と奉公を壊すんだがな。だが、まぁ腹はくくれた。
「しかし、此の湯は素晴らしいな」
大学で出会った別府出身の友人の言葉を思い出したが、その由来は知らない。
「山は富士、海は瀬戸内、湯は別府、だな」
「確かに。此の湯は格別に御座いますな」
少しだけ時間を忘れて、俺は見事な湯に身を溶かした。
♢
豊後国 府内
3日後、結果が出た。明礬はやはり最後の温泉が一番良い状態で検出された。
「硫黄と共に、安定した採取を目指しまする」
「頼んだ」
正直に言えば、明礬も明から輸入した方が安いだろう。むこうは鉱山で採掘できるのだ。だが、最近の調査でわかった事だが、明の商品は安すぎる。これでは自国の産業を守れないのだ。中華の言葉に偽りなし、なのだ。
だから最近は信長や長慶に、輸入制限を設けたい、と話している。特に何とかしたいのが絹産業。明産の安い生糸を輸入し続ければ、対外貿易収支が赤字に偏りすぎる。綿はある程度仕方ないにしても、絹は国内生産で賄わなければ、銀の流出量が洒落にならない。だから、この5年で美濃・飛騨・越中・越後・上野など、各地での生糸生産を増大させている。明礬も可能な範囲で輸入制限をかける予定だ。重商主義政策・出島貿易。歴史上の人物が考えてきたことはやはりすごいと再確認させられる。出島貿易は一種の重商主義政策だったということだろう。それでも相当量の銀が国外に流出したらしいが。
「可能なら製鉄は釜石と八幡の2か所体制にしたいな。そして総鉄艦の製造所はその近辺であるべき」
「となると、長崎は明の居留地を建てるので」
「佐世保・別府・今治・呉だな。日本海側は舞鶴・松江。後は神戸・安濃津・石巻・庄内・八戸・小樽あたりは我等で準備せねばな」
「多いですな。何れ程資金が必要になるか」
「今後の日ノ本は海洋国家になる。海で戦えねば日ノ本は守れぬし、敵を海で倒し続ける限り、此の国は安泰だぞ」
「成程」
幸い、呉・八戸以外はほぼ三家の領内だ。何とかなるだろう。追加するとしたら横須賀か。ただ、当分の仮想敵は明だし、西側と北側の整備が優先になるだろうな。
ちょうど届いた松浦水軍降伏の手紙を読みつつ、俺は新しい国家体制に向けた準備を進めるのだった。




