第315話 九州征伐 その10 宗麟降伏
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豊前国 小倉
大久保忠世は腹部に四か所、槍による致命傷の刺し傷をうけていた。
「すまぬ、もうすぐ戦が終わるという時に、命を賭けさせてしまった」
上陸戦は、完全に今までの戦とは別物だった。長年俺に忠義を尽くした男を失わなければならないほどに。しかし大久保忠佐は首を振る。
「兄者はずっと、殿の御側で戦えて誉れ高いと申しておりました。殿の為に戦い抜き、九州最強の名将相手に討たれたならば、本望かと」
「其れでも、其方等2人揃って、日ノ本の統一を其の目で見て欲しかった」
「兄者の事ですから、きっと暫く成仏せずに殿を見守っているかと」
俺が大久保一族の松平帰参に協力したため、その礼という形で俺に仕えるようになった大久保忠世と忠佐。本来なら徳川の重臣だったはずの人物だ。忠世の生涯は、果たして幸せだったのだろうか。俺が前に居た歴史より、良い生涯になったのだろうか。
いずれにせよ、次に信長と計画している琉球出兵も、慎重に準備をしなければならないだろう。今度こそ犠牲を最小限におさえるために。
♢
豊後国 府内城
大友勢で抵抗を続ける者は、既に筑前・筑後に逃げていた。大友宗麟本人は、幼い息子の助命だけを願い出て降伏してきた。奈多一族は奈多八幡宮に籠って火を放ち、ともに自害して果てた。島津は肥後にも援軍を送ったようだが、隈本城はまだ落ちていない。
日向の伊東氏は、織田の4万を超える兵に主な城を同時に包囲・攻撃され、そのまま滅んだ。7歳の三男だけが助命されたそうだ。その圧倒的な武威に土持氏は豊後に逃走したが、門司で雷神が敗れたと聞いて織田軍に降伏した。織田軍はさらに北上し、佐伯・志賀・一萬田といった諸将を次々と根切りに近い戦いで潰して残りの軍勢を上陸させた。ここにいたって万策尽きた宗麟は、遂に降伏したわけだ。
一方、一部国人らは今も自城に籠って一部でも本領安堵を願っているらしいが、既に柴田勝家・滝川一益・松平信康が各2万の軍勢を率いて筑後に向かって進軍中だ。うちからも三弟の斎藤玄蕃龍定(副将に竹中半兵衛・岸信周など)と四弟の鷲巣孫四郎龍光(副将に大沢次郎左衛門・芳賀高継など)が各15000の軍勢を率いて筑前入りしている。毛利兵は俺とともに豊前各地を制圧した。といっても戸次兵がいなくなった後はほぼ無防備状態で、それだけ大友宗麟が雷神を信頼していたのを感じる道中だった。唯一といっていい抵抗を示したのが加判衆(家老衆)の田原紹忍が籠った妙見嶽城くらいであり、この城も城主と守備兵150しか残っていなかった。他にも俺達が制圧に向かう前に、城に火を放って一族が自害した城井氏などもいたが、戦闘らしい戦闘は発生せずに俺は豊後入りした。
信長と合流する為に府内に入ると、府内城の外の商人の屋敷を借りて滞在していた信長が、わざわざ入口まで出迎えに来た。
「流石だな義兄上。道雪入道を見事討ち取ったとか」
「大久保の兄と多くの兵を犠牲にして、な」
「仕方あるまい。其れだけ相手が強かったという事よ。大久保と言えば、道雪入道との戦いぶりを聞いた松平の家臣にいる大久保一族は大いに発奮して、筑後行きに志願してきたぞ」
「其れでも、な」
「まぁ義兄上が家臣を、いや、家臣も敵も死なずに済めばと思うのは良いが、家臣の懸命を認めて労う事が一番の供養ぞ」
「分かっている。其れだけは、せめてな」
「なら良いさ」
俺を励ますように背中をたたこうとしていたのだろうが、身長差のせいで腰を叩かれる形となる。
「相変わらず背が高すぎるな。少々俺の威厳の為にも分けてくれぬか?」
「出来るか阿呆」
「で、あるか」
そう言って屋敷の中に案内された。万一爆弾でも仕掛けられていたら嫌だったので、府内城には入っていないそうだ。
「朝敵と雖も武士の面目があるからな。宗麟は此処とは別の屋敷に幽閉しておる」
「成程」
「まぁ、逃げはしまいよ。宗麟の息子は、また別の場所で預かっておる。其の息子の命だけはと申しておるのだ。己が逃げたら、息子が如何なるか位は分かっておる筈」
執務に使っているという部屋に入り、砂糖菓子を食べながら現状の情報を共有する。
「島津の使者が来ている。島津は肥前南西部を制圧したそうだ。大村は松浦を頼って逃げているらしい。少弐は佐嘉城に籠城しておる。筑後では田尻・黒木らが全面降伏の使者を送ってきたが、大友一門の星野・問註所らが当主の助命嘆願と言って籠城して柴田や松平に抵抗しておる。少々面倒だが、潰すという意味では都合が良いな」
「筑前は宗像が降伏した。博多は残党によって燃やされたそうだ。復興には時間がかかりそうだ」
「博多は今後を考えると頭が痛いな」
「幸いと言うべきか、犠牲者はいないそうだ。町衆が警戒していたので、直ぐに火事に気が付いて町民を逃がしたとか」
「とは言え、焼け出された人々の支援はせねばなるまい」
「一番厄介なのは蒲池氏か。筑後最大の国人だ」
「二つ家があるらしいが、何方も残すには大き過ぎる。彼奴等がいる故、田尻も黒木も迂闊に動けぬとか」
豊後北部の海岸防衛を担当していたのがこの両蒲池氏だ。撤退する直前まで豊後北部への上陸を阻止し続けており、大兵力をもつことと合わせて厄介の種と言えた。彼らは仮の総大将に大友親貞を就けて戦う姿勢を保っていた。
「だから、潰す。態々六万も軍勢を送ったのは其の為だ」
「まぁ、筑前からもうちの兵が圧力をかけるので、直ぐに瓦解するとは思う」
大友の主力を担った将は、殆どが既に討死したか捕縛されている。主な将で生き残りは田北鎮周くらいだ。
「まぁ、大友については嫡男を京の寺預かりにすればいい。其れよりも、琉球の話だ」
「帝に使者を出す様伝えた返答か」
九州攻めと同時に島津経由で琉球に対し、信長・俺・長慶の連名で、帝の践祚祝いの使者を派遣する様書状を送っていた。明の皇帝の代替わりには使者を出していると聞くし、それならこちらに使者が来ないのは困るからだ。
「いや琉球の返答ではなく、奄美の島々が琉球に送った其の書状を知って、我等の家臣となりたいと申してきた」
「奄美が?何故?」
「何やら、奄美は内輪揉めが激しい様でな」
現在、我利爺大天丸なる人物が奄美の中心人物らしいが、以前の奄美の島々は、与湾大親という有力豪族を長として琉球に服属していたらしい。しかし、与湾の人気を妬んだ他の豪族(大親)が彼を讒言で討ったらしい。与湾の息子は現在琉球にいて、琉球王はいずれ彼を奄美の支配者に戻そうと考えているらしい。このあたりの事情は薩摩の商人から信長が聞き取りをしたそうだ。
「まぁ、奄美の大親という連中が善とは言えぬ。が、力が物を言う争いをしているなら好都合だ」
「此の儘兵を送る、と?」
「どうせ此の我利爺も、民に好かれている訳では無かろう。ならば、琉球が任じている喜世大屋子なる役人も追い出し、我等が直接統治すれば良い」
「まぁ、琉球王に我等の直接統治下に入る様求めるのに悪くない場所ではある、か」
「ガレオンは八隻に増えた。食料はある程度後から運ぶとすれば千五百は一度に送り込める」
「他の船も動員すれば5000は優に送れるか。我等の船と大砲を見せる良い機会とも言える」
「奄美には其処までの兵はおらぬだろう。素早く奄美を押さえて、更に琉球王に使者を送れと迫れば良い」
まぁ、一種の砲艦外交である。琉球にとって、俺たちこそが黒船となるのか。
「まぁ、俺の方は対馬を何とかするのが担当だからな。任せる」
「うむ。まぁ上手くやるさ」
九州にいる間に片付けないといけない問題は山ほどある。手分けして進めないと、京で待つ長慶義兄上が過労死しかねない。筑前筑後の残党狩りは今派遣されている面々に任せっぱなしになるだろうな。
大友宗麟、降伏。
道雪が討死したことで完全に心が折れた形です。一方、国人領主は降伏したいが自領安堵が認められないため、転封やむなしという領主のみが降伏していきます。
奄美諸島はこの時期ちょうど揉めている最中。史実では1572年に琉球が2000の兵を送って統治を確立させますが、この時期はまだ安定しておりません。そこに付けこみ、琉球への橋頭保を築いて圧力をかけようという状況です。




