第305話 これからのために
後半3人称になります。
山城国 京
今年左近衛中将となった信長。羽林将軍と呼ばれるようになった彼に対し、俺は竜作殿とか竜作様とか呼ばれている。中納言の唐名が『竜作の官』なのと、名前との繋がりかららしい。
春前に京についた後、三好の屋敷にて千薬丸の元服と養子入りの儀式が行われた。千薬丸は長慶殿の〝長〟と実休殿の〝実〟を与えてもらい、三好彦次郎長実と名乗ることとなった。長慶殿が直々に烏帽子親となり、一門の重鎮である三好長逸殿が九州攻めの準備をわざわざ中断してまで京に戻り、儀式の進行を担当していた。
「感謝致します、竜作様」
「此れで三好が安定化するなら。其れに、千薬丸も本来なら跡継ぎにはなれぬ立場から三好の重臣となる。良い事だ」
千薬丸には、別に三好になったからといってうちを頼ってはいけないなんてことはない、と伝えてある。変に相手の家に染まろうとしすぎて頭が凝り固まると碌な事にならないのは浅井久政の件で十分理解している。
「しかし、伊予の仕置は難しい様で」
「来島(村上水軍)は能島(村上水軍)が預かることとなった。西園寺は本家(公家)が預かる。河野は滅んだし、宇都宮以外は伊予国内が空白ですからね」
「伊予西園寺の助命で公家の皆様に貸しが出来ました。如何利用される御心算で?」
「ちょっと荘園関係の部分で、な」
長逸殿との話の途中で長慶殿が近づいてくる。実休殿と元服を終えた千薬丸こと彦次郎も一緒だ。
「孫四郎(長逸)、公家の皆様には荘園の事でやらねばならぬ事があるのだ」
「殿」
「今まで甘やかしてきたのも其の為。配慮に配慮を重ねたのも此の為」
この計画は、現時点で近衛・西園寺・三条・一条・清原・持明院など、多くの公家への根回しが終わっている。あと少しで準備も終わる。
「荘園収入を固定化する。家格ごとに貰える収入を固定化し、政府支出を減らすのです」
「公家の収入を?」
「此れまでの荘園収入から家格ごとに算出した収入を保証する制度になる予定だ」
現状のデフレがまだ強い状態で公家の収入を固定させ、将来の政府負担を減らす狙いだ。そもそも公家に今後も永年で高額の禄を払い続ける気はないわけで。荘園収入を現状の価値で固定させて、今後インフレと経済規模の拡大によって最終的な政府支出を軽微にする。200年後には前世でいう年金に近いものまで公家の収入を形骸化させるのが狙いだ。
「寺社も寺社領が大分制限出来た。商人にかける税も少しずつ草案が纏まりつつある」
「政府に金が集まる仕組みを創り、其の金で物事を進める。我等の目指す形だな」
インフラ整備のような金のかかる事業のためにはまとまった資金が必要だし、開拓事業も同じだ。北海道へのリソース集中も、俺の資金と信長の資金だけでは足りない。お互いの領内でも金を使うのだから。
「商人への課税には、約束した街道整備と湊整備が必要。金金金、結局金が必要なのだな」
「これからの政府が担うのは政経双方。これに寺社とキリスト教を適切に管理する事。やる事は多いですよ」
「惜しむらくは、儂は羽林と竜作二人の描く『此れから』を見届ける事は叶わぬだろう事か。其れは五樹丸と彦次郎に託すしかない」
「いやいや、長生きしましょうよ、義兄上様」
「此の二年程で体も心も一気に老いた気がする。無論、五樹丸が一人前になるまでは死ぬ訳にいかぬ。が、二十年は無理であろう。道三入道様が羨ましい」
父は満足気だった。今頃地獄で国取りでも始めているのだろうか。だとしたら織田の信秀殿と協力しているかもしれない。
「京の事は任されよ。伊予で支度を進めている羽林と共に、日ノ本の布武を終わらせるのだ」
「ええ。御任せを」
義兄・長慶の笑った顔に、今までに見えなかった皺を見つけた。急ぎたい。最低限まで形を整えて見せないと、義兄も安心できないだろうし。
♢
和泉国 堺
新規に建造されたガレオン船が堺に到着した。これで6隻。この船には新しく鋳造した鉄製の大砲が搭載されている。鉄製の大砲はたたらの鉄の頃から試作をしては失敗を繰り返していたが、最近少しずつ安定してきている。金生山の鉄を使うとかなり脱硫工程が楽で、硫黄が少ない鉄鉱石なのが鋳造成功の理由なのかと思うレベルだ。このあたりは要検証だが。
島津から派遣されてきた喜入季久と伊集院忠金が唖然としている横で、一部鉄製のクレーンが米俵を安宅船に載せている。蒸気機関と相良油田の油を使った近代設備の試作品だ。蒸気エネルギーをクレーンを動かすエネルギーとし、上下左右にレバーを使ってクレーンを動かす。ワイヤーの巻き上げで動くので油圧式ではない。そこまではまだまだ技術が追いついていない。だが、人や動物以外の手で米俵が運ばれている様子に彼は驚きっぱなしだった。
「こんな……米俵を一度に四俵も……。一体何が」
まぁ島津との本交渉は伊予で行う予定なので今は放置である。ただ、信長がつけた案内役(万見仙千代)が色々見せるだろうから問題はない。
小西隆佐と今井宗及に作業の進捗を聞く。
「大隅への荷運びは如何だ?」
「もう火縄銃は十分かと。火薬は琉球からの物を確保し大隅に運んであります」
「食料は?」
「ガレオンに載せて三千人が三月戦える量を運んであります。人だけならばもっと送れたと思いますが」
「良い。今後は人しか送らぬ」
当初予定より人が送れそうなので、食料などは気にせず一気に送ることになった。1か月あちらで動ければ十分という判断から、5隻で1往復1100の兵を送りこむ。現時点であちらにいる1800と2往復2200で合計4000だ。その分動きだすのも遅れるが、問題はないだろう。ちなみにこの部隊は、信長の希望で武具を茜色に統一している。ちょうどコールタールからアントラセンを分離することができており、アリザリンがまとまった量用意できていた。このアリザリンはアントラセンの酸化と水酸化ナトリウムなどを使って工業生産しているが、結果的に赤染料としての辰砂もこれで使用を止められるだろう。コールタールは織田領でとれる炭素燃料の残滓だし、織田は現在鉱山で働く人間を石見や生野に配置転換しているので問題ない。
「予定通り進んでいるなら、後は任せるぞ」
「はっ。確と御任せ下さいませ」
俺はこの後瀬戸内海を通って周防の山口湊に入る。日本海側からは弟の鷲巣孫四郎龍光がうちの水軍を率いて主力を長門に向かわせている。そして関門海峡で合流する予定だ。
♢♢
島津氏は、若手を中心に畿内へ交渉使節を派遣して来た。これは今後付き合いが深くなる立場の人間に中央とのパイプを創るためであり、より柔軟に中央の実力を判断できるメンバーに京などの様子を確認させようという意図があった。使節の代表を次期家老となる喜入季久と伊集院忠金が担当し、その補佐を種子島時堯と上井覚兼が行う。
「まさか、あのくれえんなる物が始まりでしか無かったとは」
「鉄砲鍛冶が水車で鉄を打ち、麻布を絡繰りが織る。堺の道は石畳で整えられ、此れが大坂、京、大津、小谷、敦賀、稲葉山、清洲、那古野、岡崎を結んでいる、と」
「真なのか信じられぬ」
「人の往来も激しい。何より、刀を持たぬ童が平然と歩いている。彼れは何だ?」
普通、この時代の人間はほぼ帯刀している。治安が悪いので、帯刀していないと襲われかねない上、身分が低い下人と勘違いされる。しかし、畿内では街を歩く者の中には帯刀せずに歩いている子どもがいるのだ。これを可能にしているのは、街中に複数設置されている三好の兵が常駐する番屋敷の存在。義龍が前世の交番をイメージして各所に設置したそれが、町の治安を担保していた。定期的に見回りも行うこの兵たちは統一された服装のため、人々は彼らを認知しやすく抑止力として機能していた。勿論これは大通りのみだが、商家の小間使いが他の商家に向かう程度であれば、人攫いなどは現れない程度には治安が良好な状況だった。
「織田領と三好領と斎藤領と京が全て此の道で繋がっているならば、如何程凄まじい事か」
「うむ」
「日向の件、大殿(島津貴久)様は南半分は認められたいと仰っていたが」
「無理であろう。豊かさが違い過ぎる」
「ゴアに使者を向かわせては、と南蛮人から誘われたが、其れ所ではないな」
「コウチーノ総督、だったか。我等と、というより織田斎藤と話がしたい様だ」
「仲介出来れば良い手土産になる、と思ったが。却って南蛮人に見下されかねんか」
「南蛮船に織田の一族が乗ってゴアに行った方が良いかもしれぬ」
彼らはこの視察で、今後の交渉方針を大きく方針転換することにした。それは薩摩大隅の安堵という形で、後世に島津の命脈を繋ぐ決断となった。
正確にはこの時期のインド総督はアントニオ=デ=ノローニャですが、情報伝達のタイムラグでズレが生じています。
金生山の鉄鉱石は成分的にリンが国内では比較的多く、硫黄分がほぼないためイギリスのサセックスの鉄鉱石に近いものです。そのため鋳鉄砲の製造に成功しています。




