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第301話 父(中)

 美濃国 大桑城


 翌日。

 父の容態は予断を許さない状態となった。

 朝から起きている時間の方が短くなり、息も弱い。


「誰も、呼ぶな」

「しかし」

「其方が居れば良い」


 明らかに、もう保たないだろう。だが、この場には医者以外誰もいなかった。

 蝶姫が今日ここに到着することになっているが、間に合うかは不明だった。


「叔父上を呼びましょうか?」

「良い。全てもう託してある」


 昨日のあれだけで十分だったのか、以前から話し合っていたのか。多分話し合っていたのだろう。時間は十分あったわけで。

 入道と名を変えても煩悩と欲にまみれ、謀ばかりだったくらいだ。全部引き継いだのだろう。


「其方に何か伝え忘れた事はあるか?」

「5年前には全て引き継いでいたと思いますが」

「大桑は正室と娘と寺社に化粧料でほぼ分けた。其方は何も得る物が無いな」

「姉上達も心穏やかに過ごしているので、其れで良かったかと」

「最期に耳役の首領とだけ顔を合わせるか」

「え。彼の武使松ぶしまつは首領では無かったのですか?」

「何故其方に首領を会わせると思った?儂が死ぬまで耳役は儂の手足ぞ」

「やられた」


 こういう隠し玉を死ぬ直前も直前まで残しておくのがこの人だった。完全に騙されていた。


「甘いな。影武者等誰もが使う手だ」

「いや、俺に家督を譲った後の、飛騨での最後の大戦おおいくさを終えた後で、耳役で会わせたい者がいるなんて紹介されたら、普通は首領を紹介されたと思うでしょう」


 しかも雰囲気もあって顔も最低限しか晒さなかったし。下半身とか筋肉でガッチガチだったからどう見てもそういう立場だと思うじゃないか。


「本当は死んでも隠そうか迷ったがな」

「マムシ」

「死出の賛辞か。受け取っておいてやる。何せ、マムシが龍の親になったのだ」


 口で勝てる日はついぞ来なかった。そう思っていると、音もなく襖を開けて1人の男が入ってきた。以前1度だけ見たことのある、顔に特徴のない男だった。年齢も推測できないが、わずかに首に皺が見えるからそれなりの年齢だろう。鷹司の二位殿を討ったあの男だ。


おんだ。儂も真の名は知らぬ」

「今後、何かあれば御呼び下さいませ」


 声にも特徴がない。抑揚を抑えた声でそう言うと俺に一礼し、彼はまた音も立てずに襖を閉じて去っていった。

 中肉中背。眉毛の太さも顔の輪郭も、全てがどこにでもいる普通の男性といったパーツで、特徴がなさすぎて怖いくらいだった。


「彼れの先代も殆ど同じ顔だった。其方の言う遺伝だな」

「服部党も似ておりますが、顔までは変わりませんからね」

「さて、此れから如何する?」

「俺がですか、政府がですか?」

「どちらもだ」

「俺は、変わりません。此の国の民を守ります」


 日本としての統一がなれば、次は対外政策も視野に入れた国民国家の形成だ。俺としては北は樺太・千島までの確保と南は沖縄の確保で十分だと思っているが、信長や長慶は台湾への進出とオホーツク海の沿岸部までの確保が必須と語っている。言語の違い、距離的な感覚で言えば樺太・沖縄が限界に感じるが、地球儀を見た信長の政治的感覚は台湾とオホーツク海の確保が必要だと判断したようだ。


「其れで、終わりか?」

「此の国の民を、世界一豊かにします」

「南蛮よりも、明よりも、か」

「ええ。日ノ本の万民が他国に脅える事なく、衣食住足りて礼節を知る生活が送れるように」

「難しいな。難しい」

「はい」

「高い山だ。だが、なればこそか。人の住む場所、人の欲する物を揃え、人の心を満足させる」

「職も用意しますし、新しい地も必要です」

「蝦夷で足りるのか?」

「蝦夷もですが、樺太もですね」

「其の程度か?」


 父は息切れしながらも鋭い眼光と表情を変えない。荒い息遣いからは考えられない覇気がこもっている。


「まさか、日ノ本程度で、儂の息子は収まる気か?」

「……」

「其方が作った地球儀、未だ誰も辿り着いていない地が、あるのだろう?」


 確かに、地球儀でカムチャッカ半島などは誰の領地でもないと教えたし、北アメリカ大陸の西海岸も1848年のゴールドラッシュまでは開発が進んでいないので、ここにもまだスペイン人・ポルトガル人は辿り着いていないと説明した。


「龍ともなった其方が、小さく纏まるな」

「不要な戦は避けたいのですが」

「ならば尚更だ。誰よりも日ノ本が強くならねば、何時か誰かに奪われる。人は其方が思う程賢くない。全てを生み出せる者程、誰かから奪おうとする」


 植民地政策・帝国主義は間違いなく生まれる思想なのだろう。大量生産によって新たな市場を開拓しようとする商人と、それを利用して支配者の権力を強化しようとする動きがそれらの思想を生み出す。


「日ノ本が奪われぬ為には、何者にも奪われない国を創りあげよ。其方と信長なら、其れが出来るのだろう?」


 かつて俺が父と2人で対峙した時の、挑戦的な目。それが、ふと思いだされた。


「目指せ。日ノ本の先へ。何者にも奪われぬ国を創るため、何者にも追いつかれぬ国を創れ」


 力の入らない右腕を無理矢理布団から出した父。俺の膝を、軽く、しかし力強い思いをのせて叩いてきた。


「目指せ。そして、新しい地に、儂の名を刻んだ町を造れ」


 ニューヨークみたいに新道三とかかな。この時代はまだそんなに多くないが、前世では道頓堀とか道玄坂とか、北海道の地名にも人名由来の地名が多いとかは聞いた。新しく切り開かれた場所は人名などに由来する地名が多くなる。父はそれを求めているのだろう。間宮海峡も発見者の名前だし。


「では、最北の地にでも名を残しましょう」

「良いな。過酷な地に儂の墓標を刻め」


 強者であること、驕らないこと、それができる人が育つ国にしなければならない。奪うでもなく、奪われるでもない国に。


「高みを目指せ。日ノ本が統一されても、武士の行き所がなければ、また日ノ本は荒れる」

「其れも承知しております」

「ふん。さて、そろそろか。眠くなってきた」


 まぶたが少しけいれんを起こしたように微細動している。


「此れで、死なずに、また起きたら、笑え」

「そうですね、蝶と一緒に笑います」

「そうか、蝶に、会えなかったな」


 涙は出てこなかった。ただ、ただ、空っぽだった。


「天よ、義龍を」


 そう言ったきり、父は死出の旅路へ向かってしまった。

明日、本作の書籍版が発売となります。

是非お手に取っていただければ幸いです。

あまり多くを語るべき回ではないと思いますのでここには書きません。

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― 新着の感想 ―
[一言] 「天よ、義龍を龍にした、始まりの夢を、わしにも見せやがれー」 【息子に裏切られない斎藤道三】というのがどれだけチート武将か、ということで。
[良い点] 最後まで道三らしく、父として息子を後押ししているようで本当に良かった。 この親子の関係がこの作品で一番好きです。
[良い点] 悲劇的最後を遂げたハズの道三が、らしくもありながらも大往生、感慨深いですね 今後がどうなるか本当に楽しみです [一言] 一日早いですが書籍第1巻発売おめでとうございます なんでか一昨日には…
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