第300話 父(上)
毎日投稿も折り返し。頑張ります。
明朝鮮との貿易関係は、大分前になりますが明の嘉靖帝が道教に傾注していた話から繋がっています。日本の鏡を琉球経由で輸入していたのが日向からの交易路封鎖によって明の需要を大友領にあった鏡の輸出で賄っています。明では1559年に後の隆慶帝の子が早世したりして鏡の需要が高まっています。また、李氏朝鮮でも文定王后が儒教政治を強化しており、こちらも鏡の需要が高まっていました。しかし博多を通しての輸入が不安定だったため鏡の入手が困難になっていたため、大友の鏡輸出を受け入れた形です。米の生産量が少ないのに輸出するかどうかは両班の皆様の出世欲・農村の食料事情をどこまで鑑みていたかで判断していただければ幸いです。
美濃国 大桑城
父・道三が危篤となった。
たまたま俺は龍和から情報をえるために近江まで戻って来ていたため、報せを受けて龍和にも直ぐに美濃に戻るよう早馬を出して急行した。
大桑で隠居していた父は、3年前の最後の出陣以降完全に政務に関わることもなくなり、持明院宗栄様と悠々自適の生活を送っていた。
とはいえ年々腰や肩の調子が悪くなっており、最近は起き上がって動けない日もあるという報告は受けていた。
大桑に着いて父の元に向かうと、そこには起き上がって白湯を飲む父がいた。
「危篤?ふん、そうそう簡単に死なぬわ。閻魔大王も儂を持て余しているのだろう」
そう語る父に、後からやって来た龍和や弟たちはホッとした様子だった。安心した皆はひとまず大桑の屋敷に戻っていった。
「で、何日保つ?」
「4日、かな。脈が不安定過ぎる。良く我慢出来たな」
「痛み止めとやらだけ貰っているからな」
叔父の道利と俺だけが残った部屋で父に聞かれた俺は、そう答えた。
「良く生き残ったよ。瑞策はもう無理だと思ったらしいからね」
「半井か。儂の生き汚なさを未だ未だ分かっておらぬな」
寝床に入った父の腕は震えている。たったあれだけ起きているだけで、体が悲鳴を上げていた。今の父は、意地と矜持で生きていた。弱みを見せないように。
「我が死は其方等二人だけで看取れ。其方等に殺されたという疑惑を残したい」
「何言っているんだか」
「兄上は最期まで兄上か」
この人は何も変わらなかった。貪欲で、冷酷で、計算高くて、人を人と思わず、自分の障害となる存在を許さず、子どもに嫌われて。しかし家族には愛情があって、家臣には思いやりもあって、俺の荒唐無稽な部分にも付き合ってくれた。
「今後は其方が全てを決めねばならぬ。今までとあまり変わらぬが、な」
「まぁ、好きな様に隠居生活していましたものね」
「国取りも出来た。民は儂を名君と慕うらしい。皆騙されたままだ」
死に臨んでも、最期まで父は皆を騙し続ける。稀代の謀略家なのに、大名格の大領主や敵対した敵以外にはほとんどその本性を知られなかった。大分昔に父が教えてくれた話だが、謀略家は2つに分かれると言っていた。1つは自身が謀略家であることを明かし、公言することで敵を警戒させ、それ自体を謀略の材料としていくタイプ。もう1つは徹底的に謀略家であることを隠し、ここぞという場面で謀略を最大限に生かすタイプ。父は相手によってそれを使い分けた。民衆には自身が謀略家であることを見せず、しかし一部の将や大名には自身の耳役を通じて自らの謀略家としての面を見せていた。
「息切れが増えてきた。食が思う様に進まなくなった。足腰に力が入らなくなった。一つ一つは歳故仕方ないと思っていたのだが、な」
「恐らくがんだ。肺がんだけでなく、転移しているだろうな」
「がんか。内から体が死ぬ病、だったか」
「ええ。しかも増えたり他の内腑に移ります」
「恐ろしいな。其方でも治せぬ病か。いや、この病も、何時か人は超えられるのか?」
「何時か、きっと」
抗がん剤とて完全ではないし、摘出手術が完璧かどうかは人の技術による。だから、これは後世の人々にお願いする課題になるだろう。まぁ、一つ一つ着実に、だ。
「そうか。ならば良い」
話し疲れた様子の父は木綿の布団にくるまった。もう今日はこれ以上負担になることはしない方がいいだろう。食事も経口補水液しかとれていないのだから。
♢
2日後。大桑城に到着した小見の方は、しかし父に会う余裕なく部屋でお休みになった。小見の方も近年は体調を崩しがちなので、稲葉山の病院で過ごしていた。しかし父の体調悪化を聞き、体調が小康状態になったタイミングで輿に乗ってゆっくりとこちらにやってきていた。
翌日会った2人の会話は、俺からすればいかにも夫婦といったものだった。
「何だ、医者の治療は要らなくなったのか?」
「殿の方が重いと伺いましたので、御見舞いに。御医者様も、此方に集まっておりますし」
「確かに、日ノ本一の名医は此処にいるな」
皮肉を言うが、父はもう起き上がれない。龍和も兄弟一同も、3日前に会った時との父の見た目のギャップに戸惑っているように感じた。3日の間に一気に痩せた肉体には、かつては俺より2回り近く厚かった胸板もがっしりしていた肩幅も、今はない。少しずつ小さくなっていた体が、一気にしぼんだように見える。
「もう此処には来るな。死を呼ぶ」
「死を看取らずとも宜しい、と?」
「儂と一緒に地獄に連れて行かれたら、其方では耐えられまい」
「閻魔様は耄碌しておりませぬ故、共に行けても入口までですよ」
「儂は入口で阿呆を集めねばならぬからな。閻魔に戦を挑む阿呆を」
「死んでも功徳を積もうとせぬのですね」
「功徳なら一つ積んだ。龍を子にしたわ。其れで十分」
父はそう言うと、笑った。いつも通りの、悪そうな笑顔で。
「余り大事にするな。もう斎藤の家は安泰なのだから。其れに、直ぐには死なぬわ」
小見の方はその言葉を聞き、少し笑った後で父に一礼して部屋を出て行った。
弟たちは相変わらずの父の口調に少し安心したようで、仕事をすませて3日後にまた来ると言って帰って行った。
叔父道利、平井宮内卿と俺の4人だけが残った部屋で、父は小さく息をついた。
「何か言い遺す事は御座いますか?」
「隠せぬな、宮内卿には」
多分、明日か明後日が限界だろう。食べる気力もないし、水分は摂取しているのにあまり尿が出ていないと報告を受けた。人間は死ぬ直前になると尿の量が減っていく。多分父もそういう段階になっている。
「某、殿の死に目には会えぬと思います故」
「明日綱正が戻るか」
「ええ。年明けに孫の婚儀の予定でしたが」
「やれ。老いて死にかけの人間一人のせいで祝い事が延びるなど、あってはならぬ。其方の家族の死とは違うのだぞ」
平井宮内卿の孫(平井綱正の嫡男)は昨年「和」を龍和から偏諱され和正を名乗っている。織田家臣の林佐渡守の縁戚との婚儀が決まっているが、宮内卿は父の危篤をうけて延期しようとしていた。それを、父は宮内卿の発言を遮る形で許さないと示した。
「殿の心遣い、確と綱正に伝えましょう」
「死者の為に生者が行いを変えるなどあってはならぬ」
「はっ」
叔父道利はじっと二人の会話を聞いていた。目を閉じながら、腕を組んで。最初から最後までその姿勢のままだった。
叔父も今年で還暦。第一線からは既に退き、義息の長井道勝と嫡子の井上頼次に領地を任せている。
「道利」
「はい」
「任せる」
「御任せを」
兄弟2人は最後にこれだけ言葉を交わして、今日はお開きになった。
書籍発売直前にこれはどうなのか、と言われればそうなのですが。
でもそういう時期になってしまっているので、私はプロット作成時のダイスをねじ曲げることはしません。
発売まであと2日です。よろしくお願いいたします。




