第292話 浅筒討伐戦 その2 海は生き物、雷は光速、龍は水神
今月は週3投稿になります。全編3人称です。
土佐国 中村御所跡
土佐西部に進出していた西園寺実充率いる伊予西園寺勢を主力とした3000の部隊が、撤退を開始していた。織田一族の長野源五郎信藤(亡き信秀の十一男)を大将とした伊勢衆6000の援護を受けた長宗我部元親が、計10000の軍勢で西進を開始したためである。大友の援軍が冬で伊予へと撤退してから、西園寺氏は土佐西部の防備を固めつつ公家である西園寺本家に和睦仲介を願い出ていた。しかし、未だ幼少の西園寺家嫡男の将来の為に本家当主である西園寺公朝は、収入の保障を条件に伊予西園寺氏を見捨てていた。この嫡男は以前病にかかった際にも斎藤義龍の門下に治療してもらっていた。何より伊予から送られてくる資金より織田・斎藤・三好からもらえる収入の方が大きいため、もう彼らに頼る必要がなかった。
伊予西園寺家に突きつけられた条件は、所領半減の上移封というもの。上京して奔走していた家臣の観修寺基詮は義祖父の縁故から比叡山も頼ったが門前払いされ、絶望しながら帰国の途に就いたのだった。
一方、西園寺軍を追いかける長宗我部元親は、昨冬に援軍の斎藤軍が安芸国虎を討伐したおかげで土佐東部を統一しており、上機嫌で土佐西部に兵を進めていた。
「飛騨守(福留親政)、織田様は何と?」
「存分に兵を進めよと。土佐一国は働き次第に御座います」
「ふむ。一条は?」
「京の一条本家に保護されたとの事。家老の土居殿が伊予の戦に参加している様ですが」
「良し。ならば我等は先陣で戦い、土佐を任される様に力を示す他ないな」
「はっ!」
長宗我部軍は最前線を常に請負い、福留親政・吉田貞重を主力として西園寺軍を追撃した。西園寺軍は土居清良が殿となって懸命に主力を逃がしたが、土佐を脱出する頃には雑兵は散り散りになっており、わずか兵500で所領に逃げ込む形となった。
土佐全土を制圧し、一旦軍勢を整えるために進軍を止めた元親は、長宗我部家中の評定でこう呟いた。
「土佐一国か。せめて後十年早く生まれたかったな」
「殿の才気、四国全土でも足りぬもので御座いました」
「すまぬ、愚痴だ飛騨守。三好も織田も斎藤も、我等とは財力が違った。土佐は広い様で狭い。人が少なく山が多い。例え中納言(斎藤義龍)様でも、土佐で生まれていては如何んともし難かっただろう」
「浦戸の湊が暫く賑わっておりますのが救いですな」
「島津は日向南部までを制した様だな。だが大友は、織田・三好・斎藤と交流の多い島津を其の儘には出来まい」
「大友の伊予出兵は、あくまで豊前豊後の守りを固める為の時間稼ぎでしょうな。となると」
「伊予から大友兵が撤退した場合、豊前豊後を固めつつ日向に兵を送るか」
「門司は毛利の頃から信用せずに守りを固めていた様子。門司を突破するのは織田様と言えど容易では無いでしょう」
「となると、やはり豊後沿岸が肝か」
「佐田の岬と関崎は狭い故に海流が激しく、池(頼和)殿でも難しいだろう、と申しておりましたからな」
「如何攻めるのか、天下人の御手並み拝見か」
四国と九州の境目、豊後水道。そこは地図だけでは知ることの出来ない海の難所。地元水軍以外が安易に手を出せば波にのまれかねない、天然の要害である。
大友の防衛プランは、この豊後水道と門司を利用することに要点が置かれていた。
♢♢
伊予国 湯築城
「後一月で伊予から撤収する」
戸次鑑連は大友の主な将にそう告げた。忽那諸島に三好水軍が集結しつつあることが最大の要因だった。梅雨が近づき、海が荒れやすい時期になっているのも大きかった。
「三好の船は百を優に超える。安宅船が二十。更に尾道に織田の船が百五十。安宅船は十。宇和島に近づかれたら終わりだ」
「臼杵も府内も佐伯も、一月あれば整うそうです」
「門司・小倉は上陸を許さぬ様固めた。後は明や朝鮮から仕入れた小碗口(青銅砲)で何処まで斎藤の大筒と戦えるかだ」
大友も博多を押さえた利を生かすべく必死だった。倭寇と宗氏を利用して明と李氏朝鮮から青銅砲や木砲を入手した。領内にあった鏡を含む輸出品を次々と売り捌いての用意だった。当然だが複数回の運用にも耐えられる強度のものは流れてこない。あくまで明の倭寇への横流し品の中からさらに横流しされた物だ。ただし、沿岸部に火砲を配置することができたのが大きかった。
「撃ち返せるだけで兵の士気が変わる。宗氏経由で入手していた硝石で当分は撃ち返せる」
「石積みの砲台も拵えるのに時間がかかりましたからな」
「後は、我等が戻り次第龍造寺を討ち、肥前筑後の兵が動かせる様になれば十分対抗出来る」
「幾ら大軍でも此方に来れる道は僅か。最後の支度まで、上手く時間を稼ぐ他ありませぬな」
「若い将兵を先に逃がせ。十分戦の経験は積ませた。後は我等が上手く退くのみだ」
大友勢は被害を最小に抑えつつ、徐々に撤退を開始していた。河野氏は湯築を失えば終わりだが、彼らの本拠地はあくまで九州なのだから。
♢♢
伊予国 金子城
金子城には織田信長と三好実休・十河一存・三好長逸・安宅冬康・野口冬長が集結していた。ここに来る前に信長は一旦安芸へ上陸し、石見へ塙直政を派遣していた。
議題は当然、大友との戦である。斎藤に任せた浅井・筒井との戦については、もはや彼らが考えなければならないことではない。大友の情報収集を担当していた三好長逸が全員に説明する。
「大友は九州への上陸を水際で阻止する作戦の様で御座います」
「まぁ当然だな。此の伊予の戦も九州沿岸を固めるための時間稼ぎであろう」
「既に門司は石積みと漆喰造りで固められ、容易には崩せぬ様子。対岸からでも中納言(斎藤義龍)様から頂いた望遠鏡で見ても分かる程に、確りとしたもので御座います」
「下関に攻めて来るかとも思ったが、来ないのも当然か。己の地の利がある門司でしか戦う気は無いのだろう」
信長は長門や周防へ大友が攻めてくる可能性も考えていた。しかし、大友宗麟という男は自身の危機に際し、己の能力を存分に使って対応してきた。軽率に動かず、ひたすら九州を固めるという手を選んだのだ。
「で、島津は?」
「日向南部まで兵を進めた様子。伊東が大友に援軍を要請しておりますな」
「筑前・豊前の兵が門司を固めており、豊後と筑後の兵の一部は伊予にいる状況。大友は日向へ援軍を出せるのか?」
「無理でしょう。出すとすれば伊予の兵が退いた後かと」
「余り活躍しすぎても困るがな。筑前は三好、豊前豊後は斎藤、筑後は織田で分けるのまで決まっているしな」
「となると、大湊で試験中の『あれ』を動かしまするか?」
「和歌山湊まで先ずは運び、伊予を押さえたら浦戸・宇和島経由で運ぶ。ザビエルが来て試作開始から十五年。長かった」
信長はにやりと笑う。昔と変わらぬ、いたずらっぽい目と左えくぼで。
「南蛮船。大友の、そして島津の度肝を抜くため。そして琉球統一と南蛮貿易のため、いよいよ御披露目ぞ」
それは那古野の港を大型化する計画の最大の理由であり、日本が島国という枷から解き放たれるための鍵となるもの。
「興和親号。第一号ガレオン船を、九州攻めに使う」
大友・長宗我部の思惑。大友は門司をこの時間で固めていました。大友の狙いは海を利用した防衛。長宗我部は土佐一国という状況に、元親が世代違いなのが悔やまれるという話。
そして斎藤・織田が協力して宣教師の助言の下、ここまでの期間で研究が続いていたガレオン船の投入が決まりました。長距離航行用なので、国内統一段階ではほぼ出番がない可能性もありましたが、対大友に投入される予定です。




