第283話 散る
伊予国 宇多津
意識がない三好義興。顔色は土気色を超えて黄色く感じるほどだ。以前学校などで使用されていたヨードチンキを肌に薄く塗ったかんじの色合いだ。生気というものが全く感じられない。
眼を開けて見てみる。白眼の部分が黄色い。黄疸だ。
黄疸は内臓疾患、特に肝臓や胆嚢に何らかの影響が出ていると発症しやすい。これらの臓器の異常によって、古くなったり傷ついたヘモグロビンを分解した時に出るビリルビンという物質が体外に排出できなくなる。結果として血液中にたまったビリルビンは皮膚に沈着したり、眼球に影響を与えて黄疸という症状が出るのだ。
厄介なのはこの症状だけでは、そのままどこの臓器の異常だと確定できない事だ。黄疸は内臓異常の結果だが、内臓異常の場合それ以外の症状がわからないとどこがどの程度悪化しているかがわかりにくい。患者である義興の開腹でもしないとどこの病気か判断が難しいが、彼に麻酔と手術に耐えられる体力があるようには思えない。
「殿、麻酔は行いますか?」
「暫し待て」
痛みの元などが聞ければいいのだが、既に意識不明の状況では反応もほとんどないので触診ではどうしようもない。汗などもなく、本人の代謝自体が低下していることを感じる。血液検査できる設備は当然ない。麻酔助手を務める俺専属の医師も、即麻酔をかけて良い患者の状況ではないのがわかっているため、俺に確認してきた。
「内臓に異常がある。が、意識不明となると手を出しにくい」
「脈拍少なめ。呼吸も非常に弱く感じます!」
確認された脈拍はおおよそ1分間で40回ほど。義興の3年前の健康診断の脈拍数から大きく減っていた。
「殿?」
「手術に耐えられる体調には見えない。中止だ」
「良いのですか?」
「良くはない。だが、」
もう手遅れだ。義興の体力は残っていない。開腹したらその瞬間に死んでしまう。彼を助けるためにどれだけの人間が犠牲になったか。それなのに、俺は彼を救えないのだから。
倒れて以後、彼はほとんど何も口に出来ていないという話も聞いている。糖分入りの生理食塩水を点滴し、体力的に安定すれば何とかなるかもしれない。そういう極小さい可能性に賭けるしかないだろう。
♢
夜。
三好長逸と野口冬長、そして十河一存が集まった。十河一存は無理矢理前線を安定化させてやって来た。
「無理なのか、貴殿程の腕でも」
「体力が失われ過ぎている。手術をするにしても、先ずは体が耐えられる様にせねば」
「其の様な悠長な事を言える状況なのですか?」
「いや、何とか数日生き残れば体力が戻るかもしれない程度だ」
「では如何しようも無いのか。薬は効かぬのですか」
「腑が悪いのは間違い無い。しかし、どの腑が原因かは腹を開かねば分からぬ。分からぬでは正しい薬は投与出来ぬ。そして、腹を開くには義興殿の体力が足りぬのだ」
予断を許さない状況だ。だが、今の医療設備ではこれが限界といえる。
「後は、本人次第だ。此の状況で、俺は無力だ」
結局、自分の健康とは自分で守るのが大前提なのだ。感染症であっても一定の自己防衛は求められるし、それを越えてくる病気や怪我に対応するのが医者の役目なのだ。薬があれば病気になっていいわけでもない。
♢
7日間、義興は生きていた。本人の若さと生きる意志がそうさせたのだろう。また点滴によって最低限のカロリーや塩分などが補給されたのも影響しただろうし、代謝が低下しているのを補助するために空調・清潔な空間の維持などにも気をつけた。現代で言えば集中治療室だ。当然そんなレベルにはないが。
しかし、緊急に海を渡って来た義兄の長慶が宇多津に辿り着いた頃には、若さと点滴だけでは限界を迎えつつあった。
「義兄上」
「義興は、生きているか」
「正直、驚いておりまする。毎日、何時天に召されてもおかしくない」
義兄上には服装を着替えてもらい、消毒もして義興の病室に入ってもらった。感染症ではなさそうなので、体力的に衰えた状態の義興に病気がうつらないようにするための措置だ。
「今は眠っておられます」
病状の変化を把握するため、看護師にあたる女性が部屋に待機している。何かあれば近くに置いてある鈴を鳴らし伝えてくる仕組みだ。
「待て。動いた」
義兄上が小声ながらはっきりとした声で様子の変化を伝えてきた。俺はちょうど眠る義興を背にしている形だったので、慌てて振り返る。すると、やや痩せこけた頬の義興が目を覚ました。普通なら喜ばしいことだし、その場にいる人間のほぼ全員の表情が明るくなった。だが、俺はその黄色く濁ってしまった眼から、生気を感じられなかった。
「ち、ちうえ」
「此処だ。此処にいるぞ。あぁ、良かった。おい、一存達も呼べるか?」
看護師が他の親族を呼んでいいのかという視線を俺に向ける。俺は頷く。多分、これが今生の別れだ。
「もう、しわけござい、ませ、ぬ」
「良い良い。先ずは休め」
「いえ、もう、無理で、ございま、す」
患者には触らないでと伝えていたが、義興殿の手を握る義兄。今それを言うのは無粋か。
「心配無い。必ずや其方の叔父たる権中納言が」
「我が子は、嫡子、では、ございませぬ、ゆえ、無理に継がせずとも、良い、です」
「落ち着け。未だ顔も見ておらぬ我が子に会う迄諦めるでない!」
「龍和、殿に、すまぬ、と。それが、しが、次の府を、導くと、決めたのに」
着替え途中だっただろう十河一存・野口冬長が慌ててやってきた。俺は一歩下がって2人が近づけるようにする。既に義興の目は半分も開いていない。
「義興!」
「あ、お、じうえ。大事なと、きに、逝く不忠、を、御許し、下さ、れ」
「義興!ならぬ!」
「諦めるな!義興!義興!」
義興の瞼が閉じた。もう彼は、二度と目を開くことはないだろう。
三好式部大輔義興。享年22。
三好一族の唯一の正当後継者はセミの鳴き声が響く夏の盛りに、失われた。
♢♢
陸奥国 白石城
夏までに斎藤典薬頭龍和は伊達氏の一族白石氏の居城・白石城やかつての伊達氏の居城・梁川城、杉目城などを陥落させていた。暑さが和らいできた今は、高館城と相馬氏の新たに建てた駒ヶ嶺の新城を相手に彼は兵を動かしていた。相馬氏の騎馬隊との直接対決は、斎藤方が馬防柵などを用意しすぎて相馬側が戦を回避しており、その実力はいまだ不透明だった。
そんな一足早い秋が東北地方に訪れようとしていた頃。
三好義興の死の報せが、龍和に届けられることとなった。
「孫次郎、殿が?」
「はっ。去る八月に病で」
「莫迦な。だって最後に会った時、彼れ程元気で」
「今年は早めに戻る様に、との殿の言伝に御座います」
龍和と義興は従兄弟同士である。幼い頃から顔を何度も合わせ、そして互いに父親から「次の日本を担う」と言われ続けた同志でもあった。
「父上でも、治せなかったか?」
「伊予の戦場にて支度している最中に倒れたと」
「兆しは無かったのか?」
「今年の式部大輔様の健康診断が、大友の襲来で行われなかった由に」
「何という……何という……」
唇を震わせる龍和。同志と呼べるほぼ同年代はこれで失われた。何より、今後の三好がどうなるかも彼にはわからない。
「一先ず、早々に伊達の内乱を収める他あるまい。中野(宗時)の籠る高館を何としても落とすぞ」
「はっ」
鍋島孫四郎が応じた。中央情勢が変化する中で自分の畿内不在を長くするわけにはいかない。龍和は悲しみつつも状況を理解し、動こうとしていた。
現代のような医療体制がない以上、救えない命はあります。特に三好義興については黄疸が見られたことが記録に残っており、内臓疾患だったことが推測されます。
たとえ世界の名医でも道具もなければ薬もなく、手術のための無菌室もなければどうにもなりません。
現在のアフリカでは一部国家や一部都市以外そういった状況が続いていますし、だからこそ技術の発展や人々の生活水準の向上、そして戦争のない社会が求められるのだと思っています。
次回更新は木曜日です。




