第262話 死への備え
最後だけ主人公視点に戻ります。
最近は昼過ぎの投稿になって申し訳ありません。
出雲国 月山富田城
西暦ならば年が変わった1561年(弘治6年の12月)。冬の寒さが厳しい日本海側の出雲で、尼子晴久は石見銀山からの報告を受けながら来春の出兵について考えていた。
「其れで越中守(本城常光)、銀の採れる量は増えたのか?」
「はっ、宮内大輔様より頂きました銅鍋に石と丹(水銀)と塩を入れると、以前より容易に銀が取れました故」
「熱している間は鍋の磁器蓋を決して開けるなとの指示だったな。実際如何だ?」
「丹が沸いて無くなる故だと鋳物師が申しておりました。蓋を閉めておけば丹は暫くして冷えて戻りますが、湧いた丹は戻って来ないと。丹自体は未だあります故宮内大輔様の方法で進めまする」
「成程。まぁ銀が多く採れるなら其の儘続けよ。我等に損は無い」
「はっ。丹は毒との事ですので、作業は離れた地で行わせます」
「良し。下がれ」
山吹城の城主で石見銀山の管理にも関わる本城常光の報告で、確実に銀の収量が増えていることに晴久は破顔する。
「上々だな。三村は来年中に何とか出来る。長門は守り優先。豊前と博多を何とかせねばならぬか。宗像に銀を少し流すか」
「では、我等は豊前へ向かいまするか?」
天井裏からひょっこりと顔を出す男。晴久を支える蜂屋一族の1人である。
「杉伯耆守(重輔)では心許無いからな。城井民部(貞房)を上手く使える様、越中守(常光)を支えよ」
「御意」
天井裏に消えた蜂屋を見送り、晴久は白湯が欲しくなって立ち上がった。その瞬間、強烈なめまいと共に、晴久の天地が消失した。
「あっ……がっ……はっ?」
「大殿様!」
倒れ込んだ晴久に、側に控えていた小姓らが慌てて駆け寄る。しかし、彼は口の閉じ方すら既に分からなくなっていた。
「ま……もと……り……か」
「誰か、宮内大輔様の御弟子様を!」
「よ……ひさ」
尼子晴久、享年47。死因は様々な記録からくも膜下出血と考えられるが、その死を隠すべく詳細な記録は残されぬまま火葬されたため、毒殺説もささやかれることとなる。
♢♢
月山富田城下で、偶然の援けもあって尼子晴久の死を早期に知った人間がいた。その名は浅井新九郎晴政。浅井滅亡の時、細川晴元など多くの人間の思惑で生き延びた麒麟児である。
彼の願いは織田信長・斎藤義龍の打倒だったが、伯耆国の羽衣石城の城主として近年は毛利元就相手の戦に多数駆り出され、不満を貯めこんでいた。新宮党征伐後の主力の一角としての扱いは悪いものではなかったが、彼の願いはとにかく織田斎藤への復讐だった。新年の挨拶のためやって来た彼は、自らを縛りつけていた男の死に鎮魂の念は抱きつつも歓喜した。
「助けて頂いた恩はあれど、我等が目指すは織田と斎藤を討つ事」
浅井晴政の言葉に、老年に達した近江からの家臣・浅井福寿庵や雨森弥兵衛らが頷く。
「陸奥守(毛利元就)様に使いを出せ。待遇次第では毛利につく、と」
「我等の願いは織田・斎藤との戦。南条豊後守(宗勝)も我等の居城となった羽衣石城を渡せば合力すると申しております」
「良し、先ずは斎藤の医師が京に向かう前に討つぞ。奴等に大殿の死を知られる訳にはいかぬ。尼子の者共は医師を通じて伝える心算だが、彼の者を恨む我等を失念したのが運の尽きよ」
密かに出雲を脱出した浅井一党は尼子に派遣されていた医師を殺害。そして伯耆に戻り、毛利からの返事を待ちつつ挙兵の準備を始めるのだった。
♢♢
安芸国 吉田郡山城
「大殿!未だ動かれぬか!」
「未だ也。浅井だけでは信じられぬ」
晴久の死から2週間後。評定の間で、毛利元就と吉川元春が激しく言い争っていた。
「浅井は織田と戦いたがっておる也。故に晴久死すの虚報を撒かれたやもしれぬ」
「備後や長門になら今でも兵は動かせまする!其の動きを見て決めても良いでは有りませぬか!」
「青い也。其れは相手も重々承知。儂が晴久なら長門に兵を置く」
「他の通じている者共は大した身代では無いのだ。尼子の身内で口止めされていれば知らぬのも無理からぬのですぞ!」
憤慨しつつも隣の小早川隆景に宥められ、元の位置に戻る吉川元春。
そこに、別の尼子家臣から文が届く。
「周布殿ですな。石見の重臣に話が伝わった様で」
「全軍を動かす也。村上(水軍)にも伝えよ」
「で、浅井殿には如何報いるので?」
慌ただしく動き出した諸将を横目に、当主である毛利隆元が元就に浅井をどうするか尋ねた。
「出雲・美作・伯耆・因幡の四国を任せると伝えよ」
「宜しいので?出雲迄とは」
「構わぬ。出雲守に京の彼の男が為っている故な。帝を敵に回す気は無い」
尼子出雲守義久の領地を直接脅かすのは万一の和睦に支障が出る、という判断だった。
「儂は石見と長門さえ手に入れば構わぬ。備中も安定すれば宇喜多や三好と戦う間、死に物狂いで浅井が織田と見えてくれよう」
元就は浅井に破格の条件を提示し味方につけ、春を待たずして雪のない地域で出兵を開始した。
伊予の支配を進めていた三好がこの動きに気付く頃には、尼子内部では尼子義久が出雲に戻るのを待つべきという派閥と、今出雲に唯一残っている尼子晴久の遺児・八郎四郎を元服させて当主代理とすべきという派閥に分裂し、長門や備中の防衛どころではなくなっていた。
浅井晴政は隆元の偏諱を受けて浅井元政と名を変え、南条氏の支援を受けて公然と伯耆・美作・因幡へ兵を送り始めるのだった。
一方、この尼子の混乱を確認した備前の宇喜多は、内々に行っていた三村・庄の備中覇権争いへの介入を止め、尼子混乱から自領を守るという名目で美作に出兵した。中国地方は、新たな段階に向かおうとしていた。
♢♢
美濃国 稲葉山城
年が明けた。弘治7(1561)年だ。帝は長尾討伐が終われば東国も治まるかと信長に聞いたそうだが、信長はまだまだこの国は広いと俺があげた日本地図で説明したそうだ。今度地球儀で世界の情勢を帝に説明してほしいと信長の手紙に書いてあった。
新年早々、後奈良院が御隠れになった。久し振りの院だったので様々な施設も新築され、京の治安も回復し景気も良くなってきた最中だったため、京の人々も悲しんでいるそうだ。様々な儀式を行った後、来年には帝は親王殿下に譲位されて院政に移る予定だ。
冬の間に織田・北条・うちで越後各地の国人領主に対し寝返らないかという誘いが行われた。思った以上に反応が悪かったのは、上野での大規模な国人つぶしの影響か。特に強固に抵抗しているのが越中・越後国境に近い山本寺定長だ。長尾一族ということもあり、一族全滅も辞さずと返事が来た。
可能であればさっさと降伏してくれれば山越えが楽になったのだが、仕方ない。それに今年に限って越後は手伝い戦だ。佐渡と水軍で1万ほど用意するだけなので、越中と能登・飛騨の安定化を最優先で進めることになる。そして、織田と北条から要請されたので信濃へ6000を派遣することになっている。野麦峠を越える難所だが、武田が調子に乗って信濃を支配する形にしないための策だ。信長は越後に全力だが、北条は上野から小県方面へ出兵する予定らしい。
「木曽殿も秘かに我等の出兵を求めて来ましたからな」
「十兵衛を頼るのは良いが、名目上とは言え武田に従属している筈なんだがな」
「我等と織田に逆らう気が無い。良い事では御座いませぬか」
十兵衛光秀的には問題ないという認識らしい。
「しかし、今春は殿も若も出さぬとは思い切りましたな」
「ん、まぁ色々教えねばならぬ事もある故な」
今年は俺も出兵しないし龍和も出兵させない。信濃には真柄・朝倉・不破らを派遣し、能登は芳賀に、越中は大沢の義兄を派遣し蜂須賀に支援させている。佐渡島には大久保と長が向かう手筈だ。
理由は俺にある。前世の歴史上、俺が死ぬのが今年、1561年なのだ。ハンセン病は発症していないし体に問題は感じないので大丈夫、とは思っているが、万一のことがあったらという不安はある。
そのため嫡男の龍和とその側近の大半は美濃と越前で統治の訓練という名目で残らせた。万一俺が急死しても速やかに家督継承ができるように。家中が混乱しないように、十兵衛にも前々から家督は龍和に継がせると明言している。いざとなれば平井宮内卿・宮内卿の息子の綱正・日根野兄弟らがバックアップして速やかに家督が継承されるだろう。もちろん、そうならないのが理想だが。とはいえ、跡継ぎの問題でもめた例は枚挙にいとまがない。豊臣秀吉(この世界ではこう名乗ることはないだろう)だってそうだし、徳川だってペリー来航当時将軍継嗣問題が発生した。応仁の乱にだって将軍の跡継ぎが関わったわけだ。
「未だ未だやらねばならぬ事が山積みだな」
「左様。殿には休む間は余り御座いませぬぞ」
「少しは休ませてくれ」
「良く申される『ゆうきゅう』で御座いますか?出来れば宜しいですな」
部下がいじめる。
「一先ず、年初は尼子の九郎四郎様の元服の儀からですな」
「龍和が取り仕切る初の儀式だからな。美濃の慣れた地でやらせたかった」
尼子晴久殿の三男である九郎四郎殿が先日若狭に到着し、そのまま兄である義久殿と共に美濃に来た。美濃で元服をする予定だ。これについては義久殿も「畿内巡りや公家の御相手はもう飽きたので美濃と尾張が楽しみです」といつも通りの本音トークで賛同してくれた。尼子としてはうちとの繋がりを強くして毛利との紛争を有利に収めたいのだろう。せっかくなので儀式の段取りを龍和にやらせて経験を積ませている。これも後継は誰かを明確にするための一手だ。
「兎に角、兵は半分休ませつつ畿内で何かあれば我等が兵を出す。今年は其の番だ」
「日根野や大久保の兵も少し休ませねばなりませぬ。時期としては良い頃合いかと」
まぁ、日根野本人は常在戦場的な考えではあるのだが。
「今年は穏やかに過ごしたいな。院の死を悼める程度には」
「参議としての御役目は今年は先日の顔合わせのみ。右大弁(信長)様が越後討伐を終えたら遣る事が山積みに御座いますな」
「俺に安息の日々は何時来るのやら」
少なくとも、今年は寿命のこともあって安息とはいかぬだろうな。
尼子晴久の死は死因の関係で史実ほぼそのまま。後奈良院は史実より少し長生きされました。
このあたりの人物の権力の移行が今後に関わると同時に、主人公自身も史実ではこの年に死んでいることもあり、今年は動きが鈍くなる予定です。一度死んだ人間なら尚更死は恐怖の対象でしょうしね。
そして尼子に逃げて少し影の薄くなっていた浅井が動き始めます。越後の決着を含め、激動の日々は続きます。




