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第238話 真の和解への道

 越前国 安居あご


 春。去年より少しだけマシな気温に数日早い雪どけが進んでいる。去年が寒さのピークだったのかたまたま今年だけ暖かいのか、それはわからない。

 畿内も雪どけが進み、晴れの日が多いため昨年より田植えは順調らしい。

 冬の終わりに武田の一行は帰ったが、土産にと少量の醤油を渡しておいた。そちらはサンプルなので欲しかったら当家よりご購入いただきたい。販路拡大のいいプレゼンになるだろう。


 畠山当主である畠山義続からの要請もあって能登へ援軍を派遣することとなった。畠山も雑賀衆を紀伊から派遣するらしいが、うちからは弟の斎藤玄蕃龍定を総大将に朝倉龍景・日根野兄弟・安藤守就・稲葉良通・龍通親子ら7000の陣容だ。稲葉良通の嫡男龍通は初陣であり、弟の玄蕃も総大将は初めてだ。しかし彼らを補佐するのは歴戦の武将であり、特に日根野兄弟は俺の先陣を長く務めている猛将だ。これに鈴木左大夫率いる雑賀衆1000と、遊佐の能登にいる兵1500を加えて9500で能登に攻め込む予定だ。大規模に兵を動かすには美濃から大規模に動員する必要があるが、織田が畿内の治安安定化に兵を大規模に出している以上、うちの兵はあまり東海地方から離したくない。このあたりが安全マージンというやつだろう。

 上杉が介入してくる場合も考え、芳賀兄弟や大久保兄弟、さらに竹中・不破・佐藤らの兵も加賀に移動済みだ。介入を防ぐべく今回は北条とも連動しており、北条は下野で那須資胤による那須氏復帰運動を支援しつつ、上野各地に攻勢をかけることになっている。


 そのため、上杉側が動員をかけてきたのも限定的な戦力だった。越中領主の椎名宮千代が率いる4500と、北信濃の国人高梨政頼と村上義清配下の屋代政国・塩崎六郎左衛門ら2500だ。合計7000。越中に残る元神保家臣からの情報なので間違いないだろう。

 とはいえ、彼らは名目上は中立なので、温井とは連動しているように見えない。どちらかというと俺たちの軍勢が温井の城を攻めた時にでも横槍を入れてこようという方針らしい。



 秋の段階でほぼ完成していた金沢の防衛体制がこの春で完成した。こちらの準備にかかりきりだった芳賀兄弟には感謝である。今回は現状の城下町を内包する総構えにした。そして城壁も城下町の外は2重にし、間の郭に固定砲台からの砲撃が着弾するように整備をした。射角などを全て目盛で記録しておき、反動で大砲が動いても元の位置に戻せばその郭に向けて撃てるようにしてある。砲台を用意してから郭を設置したからこそ出来ることだ。既存の城では城の範囲を拡大しないとできない。

 さらに、城内各所に小さな穴が空いている。いわゆる狭間というやつだ。城内に侵入した兵に対し、角度計算したうえで配置された狭間からの火縄銃の射撃が十字砲火で襲いかかる仕組みだ。敵は進軍の過程でこれら銃兵による攻撃に多く晒され、かつ大砲で痛手を負う。城壁は石灰を利用した漆喰。爆薬などを用意できない上杉がこれを破るにはかなりの労力が必要であり、迷路状の構造と相まって防衛時の金沢城は不落と言っていい規模になっていた。


「やり過ぎでは?」

「十兵衛、民を守る事も考えればやり過ぎ位が丁度良いのだ」


 普段なら南北の出入り口があるが、敵襲時にここの跳ね橋を上げてしまえば敵は迷路を通るしか道がなくなる。敵を疲弊させ、死者よりも精神的な疲弊を強く感じさせることで相手を諦めさせる城と言える。


「金沢を攻め落とす前に確実に援軍が小松や越前から届く。だから此の城は誰にも落とせぬ。落とさせぬ」

「怖いのは内より崩される事。城内の図面含め、内には特に気を配りましょう」


 金沢の城主を芳賀兄弟にしているのも内側から崩されないためだ。上杉と手を組んで下野に勢力を築いている宇都宮氏と芳賀高定は芳賀兄弟の父を殺した仇といえる存在だ。その家臣にも宇都宮に親族を討たれた人間などが多い。信頼でいえばこれ以上の人選はないだろう。


 ♢


 山城国 京


 北陸方面の準備を終え、美濃で改良された顕微鏡の報告を受けると、落ち着く間もなく京に向かった。

 春の除目と共に、3人で話し合わねばならない事案を解決するためだ。


 まずは信長。従五位上へとまた1つ位階が上がった。義兄の長慶は正五位下修理大夫となり、正式に朝廷施設の復興を担うことになった。

 俺もなぜか正五位上へ。宮内大輔は変わらないが、てっきり置いていかれると思っていた大宮殿ともうちょっとだけ対等ということになった。

 更に、3人の後継者で唯一元服と初陣を両方済ませていた義兄の嫡男・慶興よしおきが従五位下となり、筑前守を父から受け継ぐこととなった。


 そして公家では美濃に滞在を続ける持明院宗栄様の子である持明院基孝様が正三位になった。もう4,5年経ったら宗栄様が最後に就いた権中納言に、という話も出ているそうだ。このままいけば代々の家格で定められている極位極官を超えられるかもしれないそうで、基孝様も喜んでいた。

 そして、越前に荘園を有するため近年京で付き合いの出てきた四辻季遠様が大納言になった。これ自体は大きな事には見えないことだ。しかし、近年は財政不足もあって権官しかいなかった大納言・中納言に正官が復帰したことになり、朝廷では大きな騒ぎとなっている。この資金を用意したことも織田・三好・俺の昇叙の理由になっているため、俺たちに対する反発は小さいようだ。

 公家様式の堅苦しい服装で儀式に参加する。3日で覚えさせられた儀式の手順をなんとかこなし、体の節々が痛むなか翌朝を迎えた。俺もそろそろ若くないな。



 翌日は正三位権中納言庭田重保様、従五位下左京亮立入宗継殿を義兄長慶の屋敷に迎えての会談である。御二方も儀礼に参加していたため、お互い堅苦しいことはなしでの会談となった。

 内容は本願寺に関して。山科に本願寺を再建する費用をこちらで出す代わりに、石山を放棄させることは可能か、というものだ。

 庭田様は姉が本願寺の現トップである顕如の母、つまり顕如の叔父さんという立場のため、今回の話し合いにやって来た。顕如も庭田様の決定に従う方針らしい。


「石山の全てを、というのは厳しいかと」

「以前の話で山科へ移り、石山の城は明け渡すという話でしたな」

「御坊は御渡ししても良いと顕如は申しておった。だが道場は石山に欲しい、と」

「確かに、石山内部に本願寺を慕う者は多い。山科に移住出来ぬ者の為に、道場を石山周辺に頼みたい」


 俺としては大阪として後世に大規模に開発することを考え、前世で見た地図を頭の中に浮かべながら会談を進めることにした。

先週祖父が亡くなりました。昨年の祖母の死で大分意気消沈していたので、そういうものも影響したのだろうと思いますが、1月前の投稿が空いた時期に一度意識不明となり、入院し続けていた状況でした。

水曜にもろもろ行われますので、木曜日の投稿はお休みさせていただきます。話の途中で切れる形ですので楽しみにしている皆様には申し訳ありませんが、ご理解いただきたく存じます。

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― 新着の感想 ―
[一言] 俺の爺ちゃんが亡くなって20年以上経つのか…その事実を受け入れるのにどれだけかかったか…頭で理解したのは、棺の中の爺ちゃんの頬に触れた時でした。体温が感じられず冷たかった…それで、ああ、死ん…
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