第234話 戦なき争い(下)
お待たせしました。
体調を崩して仕事を数日休みました。後遺症が完全に退いたのが一昨日だったので投稿の再開に時間がかかってしまいました。
間が空いてしまいお待ちいただいた皆様には申し訳ありませんでした。
山城国 京
佐用赤松の赤松政範はひたすら困惑していた。
「何故某が担ぎ出されたか。正直分かりませなんだ」
話す言葉も1つ1つ絞り出すように、混乱しながらも言葉を選んでいる印象を受ける。
「確かに今の御当主と若殿は不信から仲違いしているとは聞いておりましたが、城を出られたと宇喜多が申した時は耳を疑う所で御座いましたので」
自分は何も言ってないぞ、ということをこれでもかとアピールしてくる。変に反逆者扱いされたくないといったところか。
「左様。決して誰かが望んだ故に申した事では御座いませぬ」
宇喜多の第一声は、以前の彼とは全く違う言葉で始まった。しかし、二言目からは以前のように抑揚はあるものの切れ目のない言葉の奔流がやってくる。
「然し乍ら我等備前衆は赤松家臣となって日が浅く何方に味方す可きか誰を頼る可きか分からぬので御座います」
言い訳としては微妙だが、責任回避の面では絶妙な一言だ。家臣として備前に常駐する宇喜多は、播磨での家中権力争いに基本的に関わっていない。よほど大事な話し合いには呼ばれるが、そもそも親子対立についてはどちらにつくかわからない宇喜多を不用意に誘えなかったらしい。立地的にも赤松晴政側につけば西部一帯すべてが反義祐になり、義祐側につけば晴政側を挟み撃ちにできる状況である。面倒な存在なのだ。
「数度播磨での評定に訪れた際、便宜を図って頂いたのが佐用殿で」
「いや、其れは父上の為さった事で」
「佐用殿は今の我等が頼りにする赤松の御一門故に我等の行く可き道を必ずや示して下さると備前衆一同一致した故此度の様な事になった次第で御座います」
そして、言っていること以上に面倒なのが【裁判という形式を初めて俺たちの体制に訴えて惣無事を守っているのが宇喜多】であり、彼らなりに合理的な理由を提示できているという事だ。少なくとも、正式な当主でありながら今回の発端となった父の赤松晴政が全面的に認められることはないし、実質的当主とはいえ本来の当主と意見の相違があるのを放置していた赤松義祐も優位に立つのは厳しい。その後も順次事情を聴いていくが、どうやら赤松親子は【自分の考えを息子(親)なら理解して譲るだろう的な考えが共通している】ことがわかった。この親子はこの時代の上流の武士階級が習う天道思想を強くもっているようで、息子はいつか父親の正しさに気づくだろうとか、京を制した織田・三好・斎藤に理があることに父もいつか気づくのだとか、そんな考え方でいたのがわかる。
少し呆れながら話を聞いていると、在京官僚として活動している松井友閑が俺に囁いてきた。
「宮内大輔様、此の儘話ばかり聴いていても埒が明きませぬ」
「裁判とは互いの言葉を尽くした上で行う必要がある。だが、そろそろ終わらせねばならぬ、か」
「はっ。宮内大輔様を始め皆様御忙しい御方ばかりで御座いますれば」
聴取が終わったところで3人だけで話す。
「2人は如何思われる?」
「義兄上の判断次第だな。我が織田と黒田は懇意にし過ぎている」
「同じく、義弟たる其方に任せたいな。別所攻めの為、黒田と共に兵を出そうとしていた者として偏りは避けられぬ」
人はそれを完全に丸投げという。おかしい、合議が基本だろうに。
「逆に、義兄上は誰の言い分を如何捉えているか聞きたい」
「ふむ」
「以前より義兄上は律令や式目に代わる新しい『法』が無ければならぬと言うていた」
鎌倉・室町時代につくられた御成敗式目・建武式目や朝廷が機能していた頃の大宝律令・養老律令といった、日本史で習ったようなものが現在の日本の法的な位置づけを担っている。はっきり言って古い。江戸幕府は法度を各種整備していったが、この政権も同じような『法』を作る必要があると信長や義兄殿には伝えていた。最初は法という言葉に仏法(仏教における仏になるための心構えとか修行とかそういう話らしい)と王法(これが俺の考える法に近いものだった)どちらか、という話を聞かれたが、仏法と王法はこの時代の人の中では同格らしく面倒この上ないので説明に苦労した。
「確かに幕府無き今、恵美大臣(藤原仲麻呂)の律令で天下を治めると言うのもそぐわぬ」
「と、筑前守(長慶)殿と義兄上が来る前に話しておってな」
まぁ、俺は世界初の立憲国家を目指したいわけだが。それ以前にやらなければならないことが多すぎる。
「なれば、今後帝より我等に律令に代わる新しき『法』を制定せよという詔を出して頂かねばなるまいという話になっている」
「成る程」
「其処は義兄上に任せるとして、其の為にも此の訴えは義兄上が上手く裁いて貰わねばならぬ」
「何で其れが俺任せなんだ。其方も義兄殿も手伝って貰うぞ」
政権が安定する頃には俺は引退して悠々自適な生活を狙っているのだ。確かに基本構想は俺がつくらないといけないだろうが全部やる気はないぞ。この時代に合わせた形にアレンジするのは信長や義兄殿でなくては。
「兎角義兄上が裁く事で、帝や我等に律令や式目でない新たな形が可能であると示す為にも、此度の裁きは非常に大事という事なのだ」
「で、俺の意見を第一にしたい、と」
「うむ」
せっかくの惣無事も、俺たちに調停能力がないと判断されたら意味がない。更に今回は帝へのアピールも兼ねている、と。
「我等の裁きは後で院と帝に書状で御伝えする事となっている。此の後中原殿が来る手筈になっているしな」
「中原というと、造酒司の中原殿か」
中原家は代々明法家として裁判などに関わってきた一族だ。家格は高くないらしいが、公家の中では実務畑の有力者といっていい。
「で、義兄上は如何見る」
「1つ目に大事なのは、実際に若殿が父を害する何かを行なっていたか否かだ」
命の危険を感じていたという赤松晴政の主張だったが、話を聞く限り義祐側に晴政の命を脅かす行動などは見られない。義祐派の家臣たちは別所との戦で活躍するのが第一と考え、ある意味晴政を無視していた状況だ。だから今回の騒動は晴政の一人相撲といえる。
「名目上の当主を軽んじていた態度が小寺に見られたのも事実。しかし其れで城を捨てて龍野を頼るは徒に播磨を混乱させるだけ」
「となると当主側の非が重い、と」
「そうなるな。但し、当主との意思疎通を疎かにした小寺にも一定の罰が必要だろう」
「で、あるか」
「となれば現当主は正式に隠居し、龍野の領内で過ごす。一方、小寺の当主である加賀守(政職)も責を負って子に当主を譲る」
「小寺の嫡子は未だ幼い筈だが良いのか?」
「小寺は実質黒田が動かしているのだし、何とかなるでしょう」
黒田の代替わりも考えたが、流石に当主が黒田官兵衛になるのは荷が重い気がした。それに聞く限り黒田の嫡男は未だ元服もしていないらしいし。
「で、宇喜多は?」
「如何しようにも落ち度が無くて、な。強いて言えば佐用殿を立てた事だが、既に赤松が分かれた後では余り強く責められぬ」
客観的に見てしまうと当主が分裂しているわけで、どちらにもつかない中で別の人間を立てるのはやりすぎだが、裁判を提起する上でどちらが勝つか分からない状況でどちらかについて裁判を起こすのはハイリスクハイリターンだ。だが当事者でなければ裁判は起こせないのがこの時代の制度。なので第三者を名目だけ立てたといえばあまり強く言えないのだ。
「一先ず、今後宇喜多は置塩の評定に参加する事。置塩に向かう金は本人負担というのが妥当だな」
「ふむ。では其の様にするのが良いな」
結局、俺の意見を全面採用して裁判は終わった。全てが丸くは収まらないだろうが、理由を丁寧に説明した上での判決にその場での不満はでなかった。夏の終わりまで諸々の処理で時間をかけ、宇喜多と接触せずにすむように俺と信長と義兄殿は必死に忙しそうに動いた。三好と赤松の別所攻めの準備は一応終わり、秋の収穫前に攻め込む準備を万全にした頃だった。
台風の襲来。
今年の台風は四国南岸を通過した。播磨や摂津とともに伊勢・遠江にも被害をもたらし、織田領と三好領に結構な被害を与えた。
どちらも経済力はあるし被害は最小限におさえるだけの手を打つことは出来たわけだが、収穫前に攻め込んで別所の身動きを封じるという戦略は破綻した。敦賀に戻っていた俺は信長からの書状で状況を聞き、しかし自力でなんとかできるという信長の言葉を信じて加賀に戻った。
金沢の防衛は盤石になっており芳賀兄弟の苦労が偲ばれるものだったが、能登の内戦を逃れてきた人々が難民化して加賀にやって来る状況だった。輪島から来た職人なども保護しつつ、平年並みだった越前・美濃の食料で彼らに炊き出しを行った。余剰人口は新しい産業への効果的な労働力となる。最近は美濃生まれだと学校で教育を受けた役人志望や教師・医者などの方面への志望者が多く、常備兵志願者は減っていたので越前出身者が増えている。逆に越前では水路整備などでできた新田などに今回の能登難民が入っていくようにしている。
自然災害は恐ろしい。だが、それ以上に人災は恐ろしい。生まれる必要性のない災害だからこそ、恐ろしい。人と人の争いをすべて止めるなんてことは出来ないが、だからこそ手の届く範囲の争いは止められるようにしなければならないだろう。
ひとまず表面上は収まった今回の一件。ただし、当然これで全部が丸く収まりはしません。火種が多いのが戦国播磨なので。
史実での台風は9月。記録が残っている地域を見る限り上陸はしていないようですが、四国沿岸をかすめた可能性は高いのかなと思います。




