第197話 新世代の息吹
美濃国 稲葉山城
俺の小姓から一部を息子の新九郎龍和の補佐に回すことにした。補佐役として特に頼りにしているのが、最近出仕してくるようになった蜂須賀正利の嫡男である蜂須賀小六龍正だ。間違いなく蜂須賀ってあの蜂須賀だろう。秀吉の家臣団、大丈夫かな。まぁ秀吉に天下とらせる気はもうないので気にしなくて良いか。
優秀なのは間違いなく、十兵衛光秀から一部の仕事を新九郎に回すといい具合に補佐してくれているそうだ。そして新九郎に前々から側で仕えていて仕事の分量や難度をうまく調整しているのが龍造寺安房守信周と彦法師丸改め鍋島孫四郎信安だ。年齢的に多分鍋島直茂かその兄弟なので、俺にとっての十兵衛になれるはずだ。一応安房守信周の家臣に近い扱いだが、どちらも禄は俺が出しているし当人たちも問題ないと言っている。
他にも古田重安の息子や氏家直元の息子、加藤景泰の息子、岸信周の息子、竹中重元の次男、妻木広忠の息子、道家定重の息子、原頼房の息子、日根野弘就の息子、不破光治の息子、明智遠山氏の当主の息子と、主だった者だけでも相当見栄えのする面々がついた。これに後々一柳氏や羽島の加賀井ももう少し大きくなったら小姓として家臣団に加えて欲しいときたわけだ。恐ろしいほど順調だな。竹中重元の息子は多分竹中半兵衛だ、こいつは頑張って育てつつ長生きさせてやらねば。
そして、犬山の一件で美濃に落ち延びてきたのが織田信清家臣だった生駒親正という男だ。彼は犬山の挙兵に応じなかったので信長は普通に許す気だったらしいが、信長が怖いからと所領を捨てて美濃にやってきた。名前に見覚えがあったので受け容れたが、まぁ加賀の代官役が足りていないので活躍させてどこかを任せるとしよう。
そして次郎龍頼は元服を機に芸術方面の強化と身辺警護を考えた布陣にした。狩野一族で以前扇のこと以降懇意にしていた狩野元信様の孫の1人、狩野秀頼殿を美濃に招き、更に土佐派の後継者である土佐光茂殿の次男である土佐光吉も狩野元信様に紹介して頂き招聘。以前救った狩野雅楽助殿が最近また体調がすぐれないとのことで美濃で静養をかねて彼らのまとめ役をしてもらう。そして彼らの身辺警護に当たるのが以前世話になった飯篠盛信殿の弟子師岡平五郎ら10余名だ。これを聞きつけた三河の奥山某とかいう男も押しかけてきて護衛をしながら剣の腕を磨いている。
そんな安定した状況の中で、秋の収穫に関する報告書があがってきた。美濃は平年通り。越前はやや不作。加賀は収穫ほぼなし。予想通りだった。
十兵衛からの情報も含めて報告をしてきた成安市右衛門幸次と方針を決めていく。
「加賀は今年年貢免除。諸役を課して食料と服、住居を其の対価に与えよ」
「越前は昨年と同じで宜しいでしょうか?」
「ああ。九頭竜川の浚渫と三国湊周辺の堤造りを進めよ」
「御意」
美濃の木曽三川は順調に安定してきたので(これ以上は機械がないと無理とも言う)、俺の現在の目標は越前の暴れ川こと九頭龍川を安定化させることなのだ。
「物資については何時も通り橘屋に任せよ」
「では三国湊まで川で運びまする」
橘屋三郎五郎は越前商人のまとめ役として働いてくれている。だがまだ若手ということもあり三国湊と北ノ庄周辺だけひとまず任せる形だ。越前にも学校の卒業生が大規模に送り込めており、代官については現状なら足りている。戸籍作りとか始めたら今の倍でも足りないという試算が出ているけれど。
「加賀に送り込んだ日根野らは最終的に金沢を任せたい。小松は龍造寺かな」
「富樫様は野々市で宜しいので?」
「松任東部の野々市周辺だけでも現状では破格だからな」
小松までの主要な砦についてきっちりと現地で案内してくれた(残り3人の家臣が、だが)そうなので、手取川北岸に渡ったら素直に渡すとしよう。
「海運は試作の安宅船を訓練兼ねて護衛に使う。志摩から来た衆は操船に慣れたか?」
「向一族と三浦新助等は大分扱える様になった様で。他は未だ未だに御座います」
「ふむ。まぁ太平洋から日本海に来たばかりと考えれば仕方なし、か」
志摩で九鬼と争っていた水軍はほぼ壊滅した。降伏した水軍もあれば九鬼の下にはつきたくないという水軍もいた。で、信長が声をかけた所織田に仕えるのは九鬼より下に扱われるのが目に見えて嫌だが斎藤になら従うという水軍がいた。そのためその水軍を越前・加賀に招き、今手元の安宅船やら小早やらといった軍船を扱わせる訓練をしているのだ。
その中で早い段階で日本海と安宅船に適応しつつあるのが向忠綱・正重親子と三浦新助率いる安乗衆だ。特に三浦新助は九鬼が扱えるのに自分に扱えないはずがないとかなり必死に訓練をしていた。
「では2隻の安宅船は此度は向と三浦に与えよう。物資の手配も宜しく頼むぞ」
「御任せ下さい」
当初の計画では物資は三国湊周辺から大八車で陸上輸送の予定だったのだが、災害で被災した小松・大聖寺一帯の民衆の食料や復興のための物資もとなると陸上だけでは足りない。なのでこうして水運を大規模に使うことになる。相手の妨害もありえるので護衛は必須だ。
「他の点で何か受けるべき報告はあるか?」
「えー、あぁ、辰砂が手に入らなくなっていた件で」
「辰砂というと、伊勢か」
丹生鉱山でとられていた辰砂(硫化水銀)だが、織田と北畠の開戦によって北畠が売買を停止し手に入らなくなってた。赤色顔料として、硫酸・水銀の原料として重宝していたわけだが、さすがに戦となれば仕方なしと思っていたのだが。
「実は、白粉として北畠は畿内に売る心算だった様なのですが、濃尾の白粉と違い体に良くないと辰砂から作る白粉を誰も買わなくなっている様で」
「ほう。其れは其れは」
実に良い傾向だ。
「濃尾の白粉も出回り始めてから13年か」
「最近、以前の三十過ぎると肌が荒れるという状況は白粉の影響と人々が気づき始めた成果に御座います。其れで辰砂は肌に良くないと買う者がいなくなったと。流石は殿」
「其れだけでは無いが、まぁ結果的には悪くないな。其れで北畠は如何したのだ?」
「戦で人手も不足した為か鉱山の人夫を戦に連れて行こうとして逃げられたそうで。今は辰砂を採る事も出来ておらぬ様子」
結果的に収入も減って人材も失ったのか。
ちなみに、肌荒れに効果があったのは辰砂より石鹸で余ったグリセリンと椿油などを混ぜて作っている肌用クリームのおかげだろう。椿油は構成する脂肪酸がオリーブオイルと似ている。なので前世では肌ケア用のクリームにも使われたりシャンプーに使われたりしていたのだ。これが斎藤の領内だけでなく織田・北条・更に堺などでも最近売れつつある。
「結果的に織田の援護にもなったなら良しとしよう。硫酸自体に今は困っておらぬしな」
「では、此方に花押を」
「ふむ。相変わらず夕庵の字は上手いな」
「殿の字は何時も読みにくいので、逆に御本人と分かりやすいと家臣には評判に御座いますよ」
「字が下手でも大名は出来るから良いのだ」
俺は祐筆を多めにしているから問題ない。問題ないのだ(強調)。
♢
雪が積り始める頃、織田の軍勢が大湊を全面降伏させ北畠一族の木造氏を降伏させたところで冬季の休戦に入ったと連絡がきた。
予定通り沿岸部を押さえ、じわじわと伊勢を制圧しているようだ。残す北畠の支配地域は多気一帯と大河内一帯のみである。
伊賀からの妨害もあったらしいが、沿岸部の織田軍の活動地域の手前に長野氏・田丸氏の支配地域を通らなければならないためか目立つような動きは見られなかったそうだ。唯一文字通りの鉄砲玉として伊賀忍が狙撃を狙ってきたらしいが、狙われた柴田権六の肩付近をかすめただけで終わったそうだ。織田側についた木造氏の家臣・柘植某という男の情報によると、逃げたのは『楯岡の道順』と呼ばれる男らしい。火縄銃の鍛冶師は大部分が大名家お抱えになっている。それでも火縄銃を手に入れられるのは伊賀でも名のある忍びということだ。
狙撃か。俺は背が高いから戦場だとどこにいるか分かりやすいのが問題になってきそうだな。奥田七郎五郎は俺より少し背が低い程度だが、影武者にするには身分が高すぎるし失いたくない人材だ。何か手立てを考えておきたいところだ。
名前が沢山出てきていますが、そのうちきちんと出てくる面々は都度紹介いたしますので、とりあえず「嫡男には大量に側近となれる小姓がついた」とだけ認識していただければ大丈夫です。その中の筆頭格は蜂須賀・鍋島・竹中です。
北畠氏は一族の木造氏も寝返ったことでいよいよ支配地域が南伊勢の山奥ばかりになりつつあります。
『楯岡の道順』こと伊賀崎道順も派遣されていますがアウェイになった沿岸地域では満足に活動できず失敗しています。
椿油はオリーブオイルと成分的になかなか近いです。女性用化粧品などでどちらも使われることがあるのはそういう理由だったりします。
オレイン酸80%前後、パルチミン酸7~8%、リノール酸6%前後、ステアリン酸2~3%の椿油と、
オレイン酸75%前後、パルチミン酸10%前後、リノール酸8%前後、ステアリン酸2~3%のオリーブオイルとなります。
ちなみに菜種油はオレイン酸70%前後、パルチミン酸3~4%、リノール酸18%前後、ステアリン酸2%弱ですね。エゴマ油はα―リノレン酸65%のオレイン酸10%と大きく違います。




