第194話 ルビコン川
全編3人称です。
摂津国 越水城
その日、摂津の拠点越水城に、三好一族と重臣の大部分が一同に会していた。
篠原長房が司会進行的な役割で会議は始まった。
「現状、敵対しているのは南近江の六角、丹波の波多野、播磨の別所、大和の筒井、土佐の本山と安芸・長宗我部、讃岐の香川・奈良に御座います」
「そして其れを纏めるが管領殿、か。面倒な」
「御飾りの管領代では納得出来ない、という事ですかな」
参加者の淡路水軍に養子入りした安宅冬康や野口冬長、十河一存ら兄弟から口々に現状を確認する言葉が続く。
「管領を打ち破った後は新たな管領となって貰おうとしていたのですがな」
「日向守(長逸)は比叡山に?」
「はっ!叡山の僧より書状が届いております」
当主である三好筑前守長慶の問いに篠原長房が答える。京都の留守居を務めていた三好長逸は六角軍の侵攻と管領の動員を知ると、即座に摂津方面に逃げるより官僚文官の保護を考えて北の比叡山延暦寺を頼った。
「管領の動きは?」
「六角殿へ頻りに使者を送っておりますが、管領が京に入る様子は御座いませぬ」
「ならば一先ず京は捨て置く。どの道守り難い場所だ。京童が騒ぎ出す前に先手を打てる場所で動く」
「噂ですが斎藤宮内大輔様が美濃で動員を始めたとか」
「流石だな。何処に向かうとも分からぬのだろう?」
「左様に御座います。恐らく六角や筒井を牽制する狙いかと」
堺を通じた連絡と金銭は三好の生命線というのがここでもよくわかる。
「今は苦難の時だが、抑此処数年はずっと苦難が続いておる。今更六角が動いたところで我等のすべき事は変わらぬ!」
「兄上の仰る通り!」
十河一存がそれまで話に加われなかったからか、大きな声で兄の言葉に同意する。
「故に堺を守る事、其の為に冬康と冬長には注力して貰う」
「御任せを」
「淡路の海に敵は近寄らせませんよ!」
淡路水軍をまとめる安宅冬康と野口冬長の2人は、堺と海路の安全確保に動く。これが今までも今回も変わらぬ彼らの役目となる。
「一存、其方は先ず讃岐を纏めよ。讃岐が落ち着けば四国兵を畿内に運べる」
「応!お満の三谷殿に協力して頂き、香川と奈良を潰せば良いのだろう!」
「九十九の伊予守が如何動くか分からぬ。警戒を怠るな」
讃岐の西、九十九には伊予守家と呼ばれる細川一族がいる。香川・奈良という西讃岐の主要国人にこの細川が加わると油断できない勢力になるため、警戒は必要だった。
「六角が敵意を見せた以上、此方も新しい神輿が必要になる。不本意だが、彼の御方を担ぐしかあるまい」
「う、彼の御方ですか」
その言葉に、露骨に嫌がるのは次弟の三好豊前守義賢である。日頃から阿波にいて御方こと細川持隆と共にいるため、非常に苦手意識をもっていた。
「他に候補が居れば良かったのだが、もう我等の庇護下に管領家の人間は彼の御方しかいない。仕方ない」
「確かに、せめて畠山の誰かでもいれば良かったのですが」
「せめて其の話は此方でやろう。義賢、其方は摂津に入り波多野からの防衛と小寺に別所の背後を突いて貰える様話して参れ」
「畏まりました、兄上」
近年戦続きの三好だが、外から見る限りその強さは盤石だ。しかし、実際は現在も堺の資金と織田・斎藤の資金で勢力を維持しているにすぎない。
(万一にも斎藤と織田が揺らいだら、我等も堺の支援が如何なるか分からぬ)
兄弟相手ですら表情には出さないが、現状は筑前守長慶にとって正念場といえる状況だった。
♢♢
阿波国 勝瑞
阿波入りした筑前守長慶を、細川持隆は満面の笑みで出迎えた。
「筑前守、久しいな!先祖の墓参りか?」
いかにも平和ボケしたといった表情の持隆に、長慶の頬がひきつる。
「いえ、此度は讃岐守様に御会いしたく馳せ参じまして御座います」
「何と、嬉しい事を言ってくれるな、余に会いたいとは!」
そのまま最近手に入れた茶道具の紹介を始めようとした持隆を、長慶は慌てて止めた。
「こ、此度は御願いしたき議が御座いまして!」
「おぉ!其方が余を頼るとは!良いぞ、申してみよ!」
「実は、讃岐守様に管領に就いて頂きたく」
長慶のその言葉に、持隆はそれまでとうってかわって大きなため息をつく。
「筑前守。以前も言ったであろう。余は争いは好まぬ」
「こと此処に至り、管領と手打ちに出来る状況では無くなり申した。讃岐守様に管領になって頂く他御座いませぬ」
「余が管領と会って来よう!」
「其れをすれば捕まって利用されるだけです!」
「しかし、争いは何も生まぬのだ」
長慶からすればそのようなことは十分分かっているわけだが、それでも管領とは相容れないのだからどちらかが敗れるまで争う他に道はないと思っている。しかし、夢想的平和主義者である細川持隆という男の中では「話せばわかる」という考えは会話の大前提になっているため、両者の話し合いは平行線を辿らざるをえない。
「管領は我が父の仇というだけでは御座いませぬ。戦乱を大きくし、人心を惑わし、罪無き民を巻き込み、幕府を私利で壊す男なのです!」
「彼奴は心配性なのだ。余が話せばきっと分かってくれる。其方も其の様に頑なにならず、余に任せてみるのだ」
長慶の脳裏に一瞬最大の疫病神はこの細川持隆なのでは、という考えが浮かぶ。握りこぶしが無意識に刀に近づいていたことに気づき、慌てて戻す。
「我等は管領に讃岐守様の様な御人柄の優れたる御方に御願いしたいだけに御座います」
「だが、余が管領になっても彼奴は認めまい。戦が長引くだけぞ」
「だからと言って、今は相手が攻めて来るのを防いでいるのみに御座いまする。管領が我等を討とうとしているだけに御座いまする」
「ならば先ず筒井とやらに会わせよ。其の者を余が止めて見せよう」
絶対に筒井は応じないが利用されるだろうと思った長慶は、とにかく管領に就くことだけ言質をとり他は曖昧に進めることを決断する。
「では、管領になって頂き其の威も用いて筒井を説得して頂くという事で如何でしょうか?」
「いや、別に管領にならずとも余の言葉なれば筒井も行いを改めるのだが」
「京童は公方様と管領が共に居る、『本来の幕府』を求めております。現管領が其れを望まぬ以上、先ず讃岐守様が京に入り、其の後現管領と話し合われれば民も安んじるかと!」
「ううむ、確かに京の民が不憫ではある。先ず京に来る様余が促すが上策か」
「其の通りに御座います」
「仕方あるまい。余の思い、確と管領に伝える様にせよ」
「御意」
1回の話し合いだけで10日は命を削ると言われる相手との会談が終わったため、今日は以後何もしないと心に誓う長慶であった。
♢♢
摂津国 越水城
讃岐で弟の十河一存が香川・奈良・讃岐細川連合軍に勝利したのを確認した長慶は摂津に帰還した。讃岐が安定化すれば戦力配置の自由度が大幅に上がる。好転の兆しととらえた長慶は讃岐の支配を固めるべく動き、香川氏を降伏に追い込んだ。
しかし奈良氏を降伏寸前まで追い込んだところで彼の元に急報が届いたため、彼は後を弟に任せて摂津に戻る事となった。
摂津越水城に戻ったところ、比叡山に逃げ込んでいた三好長逸が戻っていた。しかし彼は憔悴した様子であり、長慶は報告が真実であると悟った。
「六角は坂本を攻めたか」
「流石に比叡山には手を出せぬとの事でしたが、坂本と日吉神社は焼かれました」
「抑叡山と六角は関係が良好という訳でも無いからな」
六角氏9代当主・六角満綱は比叡山の寺領を没収し、最終的に嘉吉の土一揆後比叡山との対立から京の屋敷を襲撃された。その後12代目の六角高頼(左京大夫義賢の祖父)まで六角氏は安定しなかったことを考えれば、どちらが対立のきっかけかは別として良好な関係とは言いきれない。
「宮内大輔様と叡山の関係、そして我等が逃げ込んだ事で、叡山の僧兵に疑念が強まったのでしょう」
「皆が無事に逃げられただけ上々、と見るべきか。叡山は身動きが取れなくなったな」
「三井寺は六角と公方様を支援する様で。公方様は管領の側に居た近臣が一部戻って其の専横が始まっております」
「とはいえ京の行政には人手が足りぬであろうよ」
実際、六角氏が京に上って以降、少しずつ徴税や関所の通行が滞るようになっていた。
「管領は斯波と土岐に専横甚だしき守護代を討て、と命じた。織田と斎藤を多少なりと封じたいのだろうが動揺する両家ではあるまいよ」
「とはいえ厄介なのは変わりませぬな。丹波から来る波多野兵は個々に限れば優秀故」
「先代が亡くなった後で良かった。そう思うしかあるまい」
左京大夫義賢は京を自分が押さえることで調停者としての立場を補強したかったわけだが、結果的に織田・斎藤との対立が明確になりうる行動しかとれなかった形である。彼は本来は進軍速度を遅くすることで無血かつ穏便に京を押さえるつもりだった。山岡が進軍を早めた為に大きな混乱をまねいたことなども影響して結果的に六角の思惑は空回りしており、遅かれ早かれ彼は管領を味方にせざるをえなくなるだろう。
「讃岐守様を御輿とする用意は出来た。此処から引き返すは無理と心得ねばな」
「ええ。六角も細川も呑み込み、新しい幕府の旗頭となりましょう、殿!」
気力を取り戻した長逸を見て安堵しつつ、長慶は絵地図の叡山の位置に置かれた石を1つ取り除くのだった。
三好視点では少し余裕ができそうな、そうでもないような状況です。ただし、彼らの活動資金を一部担保していた京での諸収入がなくなっているので、長慶は結構焦っています。
六角は親斎藤・三好の比叡山と対立を開始。六角視点だと僧兵という兵力を抱えた勢力が背後にいる形だったので仕方ない部分もあります。信長の焼き討ち前の比叡山僧兵はなめちゃいけません。
別の管領を立てるということは「細川晴元を対手をせず」宣言と同じ。なので副題のような意味となります。讃岐守細川持隆はそこまでわかっていませんが。




