第191話 崩れゆく信仰の国
回線の不具合で投稿が1日ずれました。申し訳ありませんでした。
後半♢♢から三人称です。
加賀国 大聖寺城
加賀領内に入ってすぐ、俺は明らかに「暗い」と感じた。
加賀と越前の国境にいた本願寺の兵が波が引くように撤退したため、状況把握も兼ねて17000を率いて国境を越えた。周辺の城は(人も物も)もぬけの殻状態で、周辺最大といえる大聖寺城すら城主津葉氏の兵しかいなかった。包囲して2日で降伏した津葉氏も状況をほとんど把握していない状態だった。
そして噴煙はそこまで大きな影響を与えていないらしいが、それでもどんよりとした雲がここ数日空を覆い肌寒さを感じさせた。
「十兵衛、近隣の情報は集まったか?」
「十日で漸く噴火当時の状況が見えてまいりました。山が僅かに火を噴いた後、一部で黒い土の波が山を下りてきたそうで」
「やはり長く此の一帯に居た耳役は頼りになるな」
服部党には主に商人や旅の人間に聞き込み含め色々としてもらっているが、そもそも噴火以来北から人が来ない状況らしい。朝倉攻めのこともあって父道三の時代から根付いている耳役の方がこういう状況だと頼りになる。服部党は京周辺の情報を相手に渡すことで情報を全国どこでも一定程度集められるのが売りだ。
「黒い土の波は木々を押し倒し、時に燃やしたとの事」
「となると、火砕流か?土石流なら木は燃えない」
「其れと、一部の川の上流から魚の死骸が流れて来るそうで」
「其れは絶対に食べぬ様我が軍だけでなく近隣の農民等にも伝えよ」
万一噴火で出た有毒物質で川が汚染されていたら相当危険だ。しかし川の水を飲むなはこの時代ではそのまま死ねと同義語になりかねない。だからひとまずその魚だけは避けてもらうしかない。
「既に北へ逃げた一揆兵が獲って食べてしまったそうで」
「無知とは怖いな」
あと飢えも、か。恐らくなんとなく危険とは分かるのだろうが、明日の食事もままならないなら食べてしまう人間もいるだろう。
「で、一揆兵は周辺にあった食料をほぼ食い尽くしていたわけだな」
「捕まえた一揆兵によれば、二日後には国境を越えると命じられていたそうで」
つまり、生きるか死ぬかというところまで追い込むことで士気をむりやり上げようとしていたわけだ。
「しかし、白山が噴火した為に残していた家族が心配になった兵が勝手に脱走したらしく」
「其処から一気に瓦解したのか」
信仰も覚悟を決めていた生死とは違う偶発的な生死の危機の前には動揺するのか。なにより彼らが衝撃を受けたのは薬師如来の生まれ変わりと言われる俺を攻めようとしたら白山が噴火したことらしいが、そんなことは完全に偶然である。
「周辺、特に江沼郡は極端な食糧不足の様で。先ずは此の地を支配下に置くべきかと」
「では十兵衛、其の様にせよ。先ずは兵糧米の一部を配り周辺の住民を慰撫する」
「御意」
侵攻よりまずは足元固めだ。小松以南を押さえればそれだけで一揆勢は勢力維持が困難になる。餓死させたいわけではないが、信仰より目先の食事になる人間も多少は出るはずだ。
ひとまずの方針が決まった所で、陣幕にやって来た尭慧殿を迎えた。加賀一帯で浄土真宗を捨てようとしない人間対策に真宗高田派へ改宗を勧めるため来てもらっていた。後ろにはかつて加賀本願寺にいながら亡き蓮淳に破門されていた光教寺顕誓がいる。
「白山の噴火とは何とも。薬師如来の件は個人的に余り頷きたくありませぬが、仏罰と言われても仕方のない状況ですな」
「尭慧様の申される通りです。一揆の一部は白山権現を蔑ろにしていたとか」
まぁ、別に俺に逆らったから白山が噴火したわけではないだろうが。しかし結果的に一揆勢の信仰が揺らぐなら利用させてもらう方が良いのは確かだ。
「石山本願寺にも破門されている者共だ。死して極楽浄土にいきたければ道を選ぶしか無いと周辺に先ずは広めて頂きたく」
「任されよ。顕誓も嘗ての地元で味方を増やす予定でな」
「御任せします。大事なのは我等に従う事故」
信仰なんて極論自由でいいのだ。過激にさえならなければ、ね。流石に輸血も許さないというのは前世の医師的な感覚として理解しきれなかったとはいえ、それでも信仰の自由は守られているべきなのだろう。
♢
6月に入った。
織田の軍勢が志摩国に上陸したらしい。いよいよ危険と感じたのか大湊の商人や伊勢神宮が様々な形で織田やうちと接触をはかっているそうだ。特に伊勢神宮は斎王の関係で天皇家と関係が深いのでうちに織田と話をさせてくれと仲介の願いが来ているそうだ。
「其れ所では無いのだがな」
「五万人が住む地を追われている上、手取川が泥川になっております。松任等へ逃げた一揆兵は無理に渡った様ですが、流された者もいるとか」
「暴れ川として知られる川を無理に渡った者がいる、か」
「今は手取川を渡れる状況では無いとの報告に御座います」
状況は想像以上に危険だった。火砕流などはそこまでではなかったようだが、手取川は加賀中部の貴重な水源だった。ここが噴火の影響で濁り、汚染物質が混ざったためか火山灰やら噴石やらが混ざったためか使い物にならない。手取川の水で稲作をしていた地域も影響を受けだしているらしい。
10日前の情報だからそろそろ状況も変わったかもしれないが。
「で、小松は?」
「超勝寺と本蓮寺だけが抵抗しておりますな。山の近くで水源が近いので攻め難く」
「大砲を撃ち込め。食料を配るのも治安を回復するのも人手が欲しい。戦なぞに手をかけられん。顕誓にも協力して貰え」
「御意」
大砲の使用は俺の許可が緊急時以外必要なので十兵衛も準備をしつつ俺に裁可を仰ぐ。炊き出しと一部噴石被害を受けた地域への復興支援だけで1万の兵程度は平気で足りなくなる。しかも一部地域には野盗化した一揆残党が食料を求めて暴れている。これにも兵をとられる。住民が好意的になってきたからなんとかなっているが、最悪援軍を追加する必要があるかもしれない。
♢♢
近江国 大津
その日も日吉大社の中で、六角左京大夫義賢と管領細川晴元は話し合っていた。しかしこの日はその場にもう1人の男がいた。近江国瀬田城主・山岡景隆である。
「殿、決断すべきは今ですぞ」
「其方、本気か?公方様の御意向にも逆らう事になるぞ!」
山岡景隆は六角氏にも将軍家にも仕える両属の領主である。そして現将軍である足利義輝は細川・三好の対立を快くは思っていない。
「幕臣達も徐々に公方様の下に戻りつつある。今其れを崩せば再び戦乱に京は荒れる!」
「殿、今の儘では六角に未来はありませぬ」
そこで左京大夫義賢は言葉に詰まる。彼の言葉の真意が分かるから、詰まってしまう。
「弾正様は武威を示し、争いを収め、民の暮らしを良くして管領代として畿内最大の有力者となりました。しかし今の殿には其れが無い」
そう。亡き父六角弾正定頼から考えれば実績が足りない。だから管領代への任命は今もない。
「畿内に動員出来る兵の数も既に織田・斎藤・三好が手を組めば上回る事が容易」
そう。南近江だけでは織田の4万以上という兵力には既に敵わなくなっている。
「しかも小浜を織田に、敦賀を斎藤に、堺を三好に抑えられております。伊勢にも織田の手が伸びつつある今、此の儘いけば我等は物の流れを織田や斎藤、三好に頼らねばならなくなる時期が来まする。」
今や南近江や京で流通する物はほとんどが織田・斎藤・三好の領内を通過した物だ。彼らが本気になれば六角領は干上がる可能性もある。
「今の儘では、近いうちに織田か、三好か、何れかに頭を下げねばならぬ日が来るのです!」
先日の凱旋する彼らの姿が左京大夫義賢の脳裏に浮かぶ。歓喜の声を誰も自分へと向けなかった。京の童が口にする名はまず三好、そして斎藤、最後に織田だ。直接支配を安定させつつある三好が今一番人気、最近はその武威で織田も人気が上がりつつある。そして安定の斎藤。
「決めねばならぬ時が来ております。織田か三好に頭を下げるか、管領様と共に戦うか!」
左京大夫義賢は内心ではわかっていた。もう中立などとふんぞり返ってはいられない、と。だからこそ、彼は管領と極秘で話す事を続けていたのだから。そして目の前の男が、ただただ六角のことを思ってこの言葉を言っていることも。
そして、それまで黙っていた管領細川晴元が口を開いた。
「怖いのぅ。頼りになるのは其方だけだのぅ。三好は親の仇と思うておろう。頼れるのは血の繋がりのみよのぅ」
彼の言葉はほぼ本心である。だからこそ、頼られることがなくなりつつあった六角の若き当主には響く。
「其れに、三好も織田も斎藤も成り上がりの守護。幕府を守るべきは本来尊氏公より代々御仕えしてきた家であるべきよのぅ」
「お、」
左京大夫義賢はそれでも、
「御帰り、下され」
その場だけは、誘いを断った。
満面の笑みを浮かべる管領がその場を立ち去っても、彼はしばらく顔を上げることなく苦悶の表情を浮かべていた。
日吉神社を出た直後、細川晴元は近臣を前に、ぽつりと呟いた。
「後二度程話せば、枕を高くして寝られるようになりそうだのぅ」
加賀の状況と主人公の支援。そして暗躍する細川晴元。
実際、現状の六角氏は周囲を織田・斎藤・三好に包囲されつつあるわけで。友好が維持できる保証があれば問題ないのですが、六角はそこまで織田や三好を信じられないので(特に三好長慶の野心はとてもよく理解しています)こういうことになっている形です。




