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第188話 美濃の救い主?

 美濃国 稲葉山城


 久しぶりに秋の収穫の成果を眺める。稲穂に実がしっかりとついてはいるが、今年の夏も気温があまり上がらなかったためか重みで稲穂が垂れて曲がったような様子は見られない。


「此れでも他国よりずっと実りは良いかと」

「確かに、帰って来る途中で見た摂津や近江は田圃か荒れ地か見分けがつかぬ場所もあった。」


 稲葉山一帯の管理で最近頭角を表しているのがこの石谷光重だ。幕臣である石谷光政の甥にあたるが、俺の造った学校での成績が優秀だったために稲葉山の耕作地管理を任せている。


「此処数年、夏が寒い気が致しまする」

「温度計の記録を見たが、最高気温で30度を超えることがほぼ無かったな。定時観測とはいえ、25度までしか上がらぬ日が多かった。」

「数字で暑い寒いを記録出来る装置でしたか。殿は色々な物を御作りになられる」

「褒めても何も出さないぞ。其れに、風の影響で体感温度はもっと低い。冷夏、というやつだな。」


 新田開発も一段落している。これ以上は地形改良をしながらでないと新規開墾は厳しい。冷夏となれば今年は昨年より収穫が減るだろう。


「畿内がもう少し落ち着いてくれれば米の値も下がりましょうが」

「厳しいな。明らかに貨幣がうちと織田の領内に流れているのに、其れでも尚米価が高止まりしている。」


 紙・薬・石鹸(越前朝倉が滅んだことで粗悪品の生産も止まり、再びうちの独占状態となったが、最近では大和と備中で偽物が作られているらしい。備中の石鹸は九州でよく売られている)などで美濃は潤い、その金が木綿の生産で徐々に儲けを増やしている織田に一部が流れる。結果として畿内で流通していた宋銭が大分濃尾で流通するようになっている。


「やはり、織田・北条・武田と協力してアレを造らねばならぬだろうな」

「試作品は良い出来と思いました。しかし皆が受け入れるか」

「宋でも使われていたと聞いたぞ。其れに、受け入れる様に準備をしているのだ」


 後醍醐天皇が失敗した紙幣。俺はこれを造ろうと数年前から準備を始めていた。しかしお金を造るというのはかなり難しい。経済の授業で習ったが、お金とは信用で成り立つものだ。現在畿内で流通している証文は各大名の信用によってその価値が上下している。だから三好が戦費ばかりかかって財政的に厳しいと判断されればその証文を受け取る商人も減るし、それでは三好も戦えなくなる。だからうちと織田でこれを支えたわけだ。


 紙幣も信用がないと使われない。そもそも貨幣でさえ宋銭以外はほとんど信用されていないのが戦国時代だ。粗悪品が多く出回ったから足利幕府は昔撰銭令を出している。

 信用を担保するために俺が考えているのは金本位紙幣、かつ斎藤・織田・北条が信用を担保する形だ。3つの大名家が合同で担保すれば安心感が増す。更に複数の商人に取引に使えるよう保証をしてもらうことで商店で流通させてお金としての利用実績をつくっていく。


 金については武田に販売されている塩・米などの支払いに使われている甲州金と伊豆で採掘されている金を使う予定だ。一番の問題は偽造されないようにどうするか。印刷機の構造なんてさすがに知らないので、現状は前世小学生の時にやった版画の要領でやるしかないわけだ。ただ、木版は木目の面倒さがあるのを絵本の製作時に学んだので金属板でできないか試行錯誤の最中だ。偽札防止に特殊な塗料も考えないといけないだろう。プルシアンブルーだけではちょっと心許ない。



 金山の稼働率を上げる為に(同時にうちの鉱山の作業も安全性を上げたいので)ランプの試作をした。耐熱性を考えてホウ砂が欲しかったが、小西に聞いた所分からないそうだ。スライムが作れるやつといっても分かるわけがないし、そもそも日本で採れるのか不明だ。現状は今のまま頑張るほかない。


 金属部品はワイヤー状の部品と腕輪状の部品を組み合わせて完成。ちょっと芸術品扱いされそうだなと思っていたら、案の定北条では義父である氏康殿の部屋の灯りとして使われているらしい。十兵衛光秀にも「御自分で御使い下さい。鉱山で採れる石より高価では誰かに盗まれまする」とばっさり言われた。この様子だとワイヤーでデービー灯を作っても同じ事しか言われそうにないので、残念ながら高級品として売り出すだけになった。ガラス製品のレパートリーが増えた扱いで信長も愛用するようになったそうだ。おかしい、こんなはずでは。


 ♢


 尾張国 清州【→清洲】


 年末。


 ザビエルが降誕祭を身内だけで行ったそうだ。布教も進まず祖国ともほとんど連絡もとれず可哀想だったので、七面鳥代わりに鶏の丸焼きを贈った。本人たちは喜んでいたらしいが、なぜ鶏の丸焼きなのか不思議そうにしていたと言われた。あれ?クリスマスに七面鳥食べるのはプロテスタントだけなのか?教えてケンタの叔父様。


 さすがに窮屈な生活が続くザビエルに申し訳ないと思ったので年末に1度だけうちの通訳(俺が育てた)つきで布教をやらせてみようという話になった。場所は尾張。いざとなれば信長と俺の名前でどうとでもなる場所だ。ザビエルには布教の様子を見て畿内に報告するためということにした。


 張りきるザビエル一行。すでに6人だけになり逆に連帯感を強めている彼らを、死角となる建物内で信長とともにその様子をじっと見ていた。

 ザビエルは必死に神の言葉を口にする。日本語は挨拶程度ならできるようになっていたが、それでも辞書つきテキストつきでドイツ語英語を教えられるこちらの人間の方が早く言葉を習得する。ドイツ語を話せる宣教師の言葉を通訳が訳して伝え、ザビエルの言葉は片言で彼と共に過ごすヤジロウが訳す。


「パードレは、神によってメシアが使わされたと申しております」


 サクラ数名と共に20人ほどが彼らの話を面白半分に聞いている。今日だけは各宗派も手だし無用としてある。そのためすぐ近くの別の建物では久し振りに冬を美濃で過ごす尭慧殿がいる。

 そこに、聴衆に混じっていた1人の男の子が何気なく声を上げ質問をした。


「めしあって誰に御座いますか?」

「メシアはデウスが使わされた救い主です」

「救い主?」

「此の地を御救い下さる方の事です」

「でも今は織田の御殿様が居るよ?」

「我等は生まれながらに罪があって、其れを」

「何の罪?」

「えっと、デウスの命に背いて」

「デウス?」

「えっと、神様の事で」

「何に背いたの?」

「ち、知識の実を食べて」

「知識の実?頭が良くなる?」

「で、でも其れはディアボロの誘惑で」

「ディアボロ?」

「非道を勧める愚か者で、其の策略で人は罪を負って」

「悪いのはディアボロではないのか?」

「つ、罪を認めなかったのです」

「でも、会った事無いよ、ディアボロ。食べた事ないよ、知識の実」

「大昔の最初の人が、食べたのです」

「でも、其の人はアフリカの人だと。日ノ本と殆ど関係無い」


 通訳が間に入っての会話はたどたどしさを増す。通訳の不備もあってか質問がどんどん重なる。しかも信長が「那古野で出来たばかりの学校で一番優秀な生徒ぞ」とこちらに告げる。遠めだが身形も良く知性的な目をしているのがわかる。好奇心旺盛な将来を嘱望される子ということか。ちなみにやらせではないそうだ。ミトコンドリア・イブなんて今世界で知っている人間は200人もいないぞ。ザビエルもその答えに目を回している。

 必死に答えるヤジロウ。汗をかきながらようやくメシアことイエス=キリストの話に戻る。


「メシアは如何いう人なの?」

「油注がれし者。そう聖書に記されております」

「油?」

「はい。デウスはメシアに油を注いでおります。其の為ミラクルムを起こせるのです」


 側にいた英語通訳が気づいてミラクルムを奇跡と訳す。聖書の説明を聖書を読んだことのない人間が通訳とはいえしなければならない辛さ。大変そうだ。


「メシアでないと奇跡は起こせない?」

「メシアとプロフェタムなら?プロフェタム?」


 ヤジロウがうまく説明できず混乱している。しかし、子供はあごに手を当てて悩んだ様子。


「のう義兄上。気付けば辻説法では無くなっておるぞ」

「確かに、2人の問答になってしまって殆どの人間が居なくなってしまったな」


 残っているのはサクラを除くと彼と同年代の子供3人と大人3,4人だ。


「奇跡……油?うーむ、斎藤様?」


 突如、男の子が呟いた。


「斎藤美濃守様は誰も知らぬ事を為し、米を増やし、人を飢えから救っている」

「ん?え、いや、そういう意味では」

「確か斎藤様は油売りから身を立てられた御家柄」


 話がおかしな方向にいっている気がする。


「斎藤様がメシア?」


 男の子の呟きに、周囲の人間がなぜか乗り出した。


「何じゃ、此の南蛮人は美濃の殿様を崇めておるだけか」

「小難しい言い方しちょったが、つまり比叡山の御親類か」

「しかし流石比叡山よな。南蛮にも教えが広まっているとは」


 おかしい。明らかにおかしい。だが横で腹を抱えて声を押さえて笑っている信長には肘打ちしておく。

 集まっていた人々は去り、そしてその場に居ずづらくなったサクラもコソコソと消える。残るのは男の子と「ち、違うのです!そ、某では神の教えをきちんと御伝え出来ぬだけで!」と縋るように人々に話を聞いてもらおうとするヤジロウ。そして、事態が訳されていないためによくわかっていないザビエル一行がいるだけだった。



 後で、この少年の名前を松平竹千代と教えられた。その俺の驚きように大喜びだった信長に本日二度目の肘打ちを食らわせる以外、俺にできることはなかった。

実家にはタウ○ページサイズの聖書があるので読んだことがありますが、イエス・キリストは「油注がれた者」すなわちメシアとされています。一連の話をミサで聞いたのは何年前だったか忘れましたが、聖書を読みつつ「へー」と思ったものです。

本作を構想し始めて半年ほど経った頃に突然この話と斎藤道三・義龍親子の身上が頭の中で結びつき、こういった展開が思いつきました。実際、キリスト教自体は大日如来信仰と最初は間違われていたと聞きますし、この程度なら寛容な神は御許し下さるでしょう。


金本位紙幣構想開始と冷夏の話ですが、調べる限りこの1550年前後は小氷期に当たりますので相当寒かっただろうと推測されます。その後の江戸時代もかなり寒いのですが。金本位紙幣は色々とまだ問題点が多いです。今後少しずつ準備が進んで行く予定です。当時の日本は全体的に貨幣流通量が少ないので、代替通貨が徐々に必要性を増してきているのです。

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― 新着の感想 ―
[一言] 紙幣は偽造対策が難しい理由に、その複製の難易度が関係ないのが大問題ですね なにせ適当な手作りの証文を紙幣と偽れてしまうほどの情報伝達レベルでしょうからねぇ… 油被った大工の息子が漁師兄弟な…
[良い点] 面白くて2日ほどで一気に読ませていただきました。 斎藤義龍がメシア説、納得です( *´艸`) 登場人物も、ザビエル、織田信長、徳川家康、斎藤義龍と大物ぞろいですね。 すべてのお話の中で、最…
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