第187話 大内上洛阻止戦 その8 凱旋不穏
日付またいでしまいしました。申し訳ありませんでした。
最後の♢♢以降三人称です。
播磨国 神崎
尼子との和睦交渉が終わり、信長は山名と共に但馬の接収に向かった。俺は美作を守っていた部隊と合流すべく一足先に播磨に入った。途中波多野と山名の係争地周辺を通ったが、事前に連絡しておいたとはいえあまりにもあっさりと通行が許されたのは意外だった。特に何も起きないまま播磨に入ると、俺のもとに早馬がやって来た。美作にいた芳賀兄弟の家臣からだ。
「赤松が撤退する大内を追撃せんと三石へ進軍。殿の毛利の計略に掛かり、死傷者多数で追撃を諦めまして御座います!」
「怪我人の手当は?」
「我等が隊の衛生兵がとりああじ?を行い、治療に当たっておりますが人手不足に御座います!」
「直ぐに本隊の衛生兵を向かわせる!十兵衛、消毒液の予備も出すぞ!」
「御意」
幸いにもここから御着城を通って英賀から海路を使えば三石にはたどり着ける。道はそれなりに整っているので、現状の少し損耗した大八車でも運べるはずだ。
しかし、流石は毛利元就だ。早馬の聞くところでは大内本隊や備後の国人を退避させる動きの中で自らの息子である吉川元春を退路上に伏せ、少しずつ押し込まれているように見せかけて赤松軍を誘導したらしい。
側面をつかれた赤松は大きな損害を出して進軍を停止。元就は悠然と備前から撤退したそうだ。やはり侮れない。
♢
播磨国 置塩城
置塩城に着く頃には赤松の諸将も少しずつ帰ってきていた。そして、第一陣の中には以前会ったことのある男がいた。
「いやいやまさか此の様な場所で御会いする事になるとはやはり我等は再び出会う定めだったのですねいや最近の御活躍常々耳にし流石は典薬頭様否美濃守様だと日々思うておりましたよ。」
宇喜多直家。尼子に協力することで備前一国を奪いとった若き梟雄。その男が、赤松軍と肩を並べるようにやってきたのだ。
赤松軍の大敗で大内を追撃する計画は頓挫した。損害の多さに三石で茫然自失だった赤松晴政の元に、北から軍勢の接近が告げられた。手柄を譲るために追撃時後方に控えていた小寺勢が立ちふさがろうとしたところ、軍勢の長である宇喜多直家は降伏を願い出たそうだ。
宇喜多直家は三石一帯を赤松に献上する代わりに、朝敵解除のため赤松の家臣となることを認めてほしいということだった。撤退支援を受けた上、明確な勝利を対外的に示すことができる領土獲得が可能なこの提案は赤松にとって受け入れたいものということだろう。
城内に入るとそんな話をされた。宇喜多を別室に留め置き、本家・佐用・龍野の赤松氏と俺・信長名代で叔父の信次で話し合いとなった。
「美濃守。儂としては此度の件を受けたいのだが」
「彼の男は危険です。庇を貸して母屋を取られかねませぬ。既に主君殺しをしており、更に尼子との繋がりもあります。」
「庇を?明の故事?は知らぬが、しかし、此れから備前守護を頂く予定の我等だからこそ、其の安寧の為に敵は全て撫で斬りという訳にはいかぬのだよ。」
微妙に伝わらないのがもどかしいが、それはそれとして。俺だってわざわざ今の状況で戦争を続けるようなことは言いたくない。だが前世知識で乱世の梟雄の1人としてゲームでも優秀だった宇喜多直家は怖い。関ヶ原の頃には五大老格まで上り詰めた宇喜多の拡大は間違いなくこの宇喜多直家の功績が一番大きいのだ。信用などできるわけもない。
だが、同時に赤松の言いたいこともわかる。備前に拠点がない以上、拠点となる地を戦無しで確保できるのは大きいのだ。しかも大敗の直後。名ばかりと言われないためにも、この提案は受けたいのだろう。逆に言えばそういうタイミングで宇喜多直家は赤松に接触した。本当に厄介だ。
「では、せめて守護代に任ずるのは御止め下さい。信用出来る相手では御座いませぬ故」
「そうだな。では三石は一族に任せ守護代も一族から出すとしよう」
結果だけ見れば一連の騒動を利用して宇喜多直家は勢力を拡大した。献上した三石だって浦上氏を下克上して奪った土地の一部でしかない。しかも浦上の本拠の周辺という一番反発の大きかった地域を献上したのだ。宇喜多は今後赤松の名を利用しながらそれ以外の獲得した領地の安定化に専念していくのだろう。他家のことである限り俺にこれ以上できる事はなかった。
結局、今回の件で赤松は宇野氏・浦上氏の所領を得た。それらを一族に分けることで赤松氏のまとまりは強固になったが、独立状態だった小寺氏が今回の奮戦で守護代に正式に任じられた。別所氏は戦後処理の終了と同時に再び三好・赤松と対立を再開したが、互いに交渉役が決まったことで話し合いの余地が生まれたのは大きい変化と言える。
そして摂津の国人たち。策略によって決戦に参加しなかった負い目からか、今回の一件以降三好への従属を強めているそうだ。義兄長慶は「此れは思わぬ収穫となった」と喜んでいた。
但馬では太田垣・八木といった山名氏を裏切った国人が領土を半減。大いに反抗した田結庄一族は尼子領内へ追放となった。空いた土地に山名祐豊や垣屋続成が復帰し、因幡で織田が交渉を続けていた草刈氏と因幡の毛利氏が山名に従うことが決定。生野の銀山は織田に渡したものの、山名本家が支配する土地は増えたため(織田の後援という条件はあるものの)山名の中央集権化が進むことになるようだ。信長は「生野は赤松や波多野とも揉める地。我等が守るというのは今の消耗激しい彼等には有り難い部分もあるそうだ」と言っていた。
そして、一定の戦後処理を終えた俺は摂津を通って京へ向かう事となった。いわゆる凱旋のためである。
♢
山城国 京
公方様と六角左京大夫義賢殿が待つ京へ、各家が1000ほどの兵を率いて凱旋となった。
朝敵・幕敵を見事打ち破り京を守ったということで、どの家も民衆に大歓迎を受けることとなった。
特に人気だったのは三好・織田と当家だ。赤松や別所、小寺も個別に参加し独立性をアピールしていた。三好は大内の侵略を止めた大活躍と見られており、数十年前に上洛し大いに京を疲弊させた大内義興の再来を止めたと特に凄まじかった。2日かけて行われた後、諸大名を公方様と左近大夫義賢殿が公方様の屋敷で出迎えた。広間にて褒美となる守護職の任命などが行われた後、程々の宴会が催されて京の人々に幕府健在をアピールしたのだった。
翌日は公方様と主要大名が揃って朝廷に出向いて朝敵に勝利した旨の報告が行われた。さり気なく昇殿が許されている俺も管領代代行である左京大夫義賢殿と共に公方様の後ろで参加したが、昇殿までは許されていない三好や織田は外で待つ形となった。早く信長の官位も上がると良いのだが。
大内はまだ本領が健在ということもあり、新帝からは油断なく追々朝敵討伐のため然るべき処置をとの御言葉を賜った。その場で公方様が秋の叙勲で従三位に任じられることも言い渡された。公方様も面目躍如といったところだろう。
加賀の一向一揆は小康状態との連絡もあったため、俺は最近病がちの皇女様について相談を受けた後美濃へ戻った。信長は凱旋後但馬・丹後方面へ戻り、冬まで過ごすとのことだった。戦が終わったことに安堵しつつ、千宗易に摂津で貰った茶器数点を父道三や信長にも見せてやろうと思い稲葉山に帰った。だが帰宅直後に父道三が首がすわったばかりの我が子を大泣きさせながら困惑気味に抱いているのを見かけた。
「御義父上様、其れでは泣き止みませぬ。此処を腕で支えるのです」
「こ、こうか?あぁ泣くな泣くな!何故皆儂が抱くと泣くのだ!」
「良いからお満に其の子を返して下さい。堺の茶器を1つあげますから」
「そんな物より、儂は孫を抱きたいのだ……何故……」
まずはその謀略で歪んだ魂を浄化しないと赤子は懐かないぞ。つまり無理だから諦めてください、俺の子を泣かせるな。少し嫌そうな顔をしつつも泣きはしない別の子を抱きながら、俺はそう思った。
♢♢
近江国 大津
日吉大社の中で、六角左京大夫義賢は管領細川晴元と極秘会談を行っていた。普段は少ない供で管領が姿を現す事などありえないのだが、今日はその場に10にも満たない護衛と共に現れていた。
「管領様、兵を集め始めていると伺いましたが?」
「そう怖い顔をするで無い」
「京が守られた今、此処で三好と和すれば幕府は再び安寧へ向かいまする。後は貴方様の御決断のみですぞ」
左京大夫義賢はこの機会に管領を説得したいと考えていた。管領が幕府に復帰すれば波多野もそれに従う。そうすれば筒井も大人しくなるだろうしならなければ自分が討てばいい。そして大内討伐軍を組織して大内を討伐すれば畿内一帯の幕府権威は完全復活できる。そう、彼は考えていた。
「のう、左京大夫。其方其れで良いのか?」
「……仰る意味が分かりかねまする」
「織田・三好・斎藤。随分と大きな歓声であったの。で、六角は如何かの?」
管領の言葉に、左京大夫義賢は答えにつまった。つまってしまった。
「焦りを感じたであろう?今の儘幕府が安定した時、其方に居場所は無いぞ」
「ろ、六角は畿内で最も京に多くの兵を送れる幕府の要職に御座いますぞ」
「織田は本気になれば四万を集める。斎藤が織田の後ろを完全に守って居る故な。斎藤も兵は出せる。三好も此度は相応の兵を出した。人々は六角を覚えて居るかな?」
左京大夫義賢は答えられない。幕府の調停者。それは確かに幕府に必要な存在だが、下々の人々にその必要性は見えない。
「今の儘では、何か在れば誰も六角に味方せぬぞ。其方の父弾正は長く幕府の為働いた故に認められた。だが其方は未だ何もして居らぬ。」
左京大夫義賢は答えられない。幕府の調停者。しかし一度も調停をなしえていない彼は誰にも認められていない。
「左京大夫。今此方に来なければ、其方は今後ずっと幕府で何者にもなれぬぞ」
結局、左京大夫義賢は最後まで何も答えられず、極秘会談の場を去っていった。
管領細川晴元は、彼が去った後部下に動員を進めるよう命じると、そのまま足早に神社を後にするのだった。
「怖いのう。六角ですら何時滅ぼされるか分からぬのだ。此の身が安全になる為にも、三好や織田、斎藤を抑え込まねばならぬのぅ。」
ひとまず大内・尼子上洛編はこれで一段落です。まだ色々と火種はくすぶっていますので、主人公にも織田にも三好にも平安は訪れませんが。今後の大内や尼子を含む中国地方の動きは時折主人公と関わる部分から情報が出てくることになりますが、一旦話は美濃・畿内中心に戻ります。




