第186話 大内上洛阻止戦 その7 尼子停戦
遅くなりました。今年も宜しくお願い致します。
但馬国 豊岡
尼子晴久が使者を送ってきた。そして同日にやって来たのが幕府の御供衆である細川晴経と陰陽師(というより唱門師)の賀茂在昌だった。
あからさまに全員が示し合わせていた。後で調べたところ、晴経は管領細川晴元と仲が良いらしいことがわかった。三好が大勝するのも尼子・大内が大勝するのも良く思っていない人物のようだ。そして賀茂在昌は賀茂別雷神社(前世で言う上賀茂神社だ)の代表として来たらしい。本人曰く、勘解由小路家を実父に追い出されて神社所属の派遣陰陽師をしているらしい。18歳の頃追い出されて官位もないらしいが、色々あって公家にも伝手があるようだ。
一応ということでこの両名と俺、信長が上座に対面で座り、下座に尼子の使者である立原幸綱が座る形となった。
「細川様と賀茂様には御機嫌麗しゅう御座います。御足労頂き恐縮に御座います」
立原幸綱はまるで来る人物まで分かっていたといった素振りで両者に挨拶をする。いや、実際分かっていたのだろう。俺たちへの挨拶の後でそう言いつつ頭を下げた。
「立原殿が御越しになるとは、尼子殿も本気が窺えるの」
「立原殿は尼子でも最も信を置かれている将。此度の和睦が本気と分かるな」
露骨すぎる話の展開に、場にいる信長に青筋が立つ。出来レースを下手な芝居で見せられることほど苦痛なことはないのだから当然だ。俺だってうんざりしている。その後も露骨に和睦へ展開しようとする3人に、ついに信長が口を挟んだ。
「御託は要らぬ。尼子の条件を言え」
良い意味で空気の読めていない信長の発言に、細川・賀茂の両使者は顔を見合わせ、そしてこちらを向いた。そして、立原幸綱に目線を向けると、立原が口を開く。
「但馬を全て山名殿に御返し致す。和睦の金子として帝に二千貫、幕府に千貫、織田・斎藤の御家に合わせて千貫用意して御座います。」
大金だ。だが尼子の身代なら払えない額ではない。
「金で終わると?」
「美濃守様、尼子は負けてはおりませぬ」
こちらの問いかけに、立原幸綱はキッパリと言いきった。
「毛利が兵を退いた故に我等も退かざるを得ず斯様な結果となり申しました。然れど我等は但馬という得た地を幾らか失っただけで、我等を成す全てを何一つ失ってはいないのです。」
賠償金は払うが土地は渡さない、渡せないという日露戦争のロシアと真逆な決意。しかしこの時代は金より土地の方が武士にとっては大事ということだろう。
♢
「義兄上、如何思う?」
小休憩をとることとなったところで、俺の控えの部屋に信長が来た。信長もまだ若いために落としどころが難しいのだろう。俺だって今回の落着点なんてわからない。
「朝廷は賀茂別雷神社との関係もあって二千貫に納得していた。やはり彼の神社は特別な様だ。」
「其の賀茂の神社の荘園が石見の久永荘。で、尼子は神社側に此の復活を約束している」
「祭が応仁の乱以降の戦乱の中で出来ておらぬ故、帝も賀茂には引け目が在るか」
承久の乱で混乱し皇族の女性による斎院制度が絶え、祭も行えなくなっている賀茂別雷神社は日本随一の神社ととても言えない状況だ。個別の行事としていくつかは続いているが、平安時代京の祭と言えば賀茂別雷神社の祭と言われたとは思えない。門前の集落は相応に人が住むものの、京都最古の神社に相応しい力があるとは思えない。
当然だが衰退しているこの神社に朝廷も申し訳なさを感じている。特に皇族にとっては縁の深かった神社であり、1500(明応9)年の大火災や麻疹の大流行で中断した祭を再開できるよう支援したいと考えていたらしい。
また足利将軍家も細川一族のゴタゴタがあっての祭りの中断だったらしく負い目があるらしい。
「公方様が尼子との和睦を拒否しておらぬ以上、我等が反対しても意味は無いやもしれぬ」
「しかし、動員した兵の数から考えれば、義兄上も俺も五百貫ずつでは割に合わぬぞ」
出兵に使っている費用だけでも相当な額になる今回。確かに俺の兵ですら足りないのに織田はもっと多くの兵を出しているのだから足りないのは当然だ。
そうして話しているところに、細川晴経殿が訪ねてきたという連絡が入った。ちなみに連絡係は秀吉だ。どうやら文官的な方向で少しずつ出世しているようだ。
「織田殿、斎藤殿。此度の和睦、受け容れては頂けぬか?」
「何故幕府は其処まで乗り気なので?」
「此度の和睦を公方様が主導したという実績が欲しいのです」
「実績、か」
信長が小さくつぶやいた。
「左様に御座います。公方様は今管領が京を脱出し、管領代が亡くなり、守護同士が争っています。此の状況を、朝廷との仲介まで含めて治める事が出来れば、公方様を中心とした幕府は立ち直れるので御座います!」
そうか、管領代の六角定頼様はやはり亡くなっていたのか。99%の情報がこうして100%になるのは不思議な気分だ。
「だが、其処に我等への利が無いな。確かに我等は幕府に従って動いているが、足利も源も新恩在っての奉公なのは変わらなかった。」
「信長の言う通りだ。500貫で矛を収めろと言われても俺ではなく俺の家臣が納得しますまい」
戦乱の世の中、舐められると良い事はない。俺が甘い条件で矛を収めれば侮る敵が出てくる。それは結果的に戦を増やし、人の死を増やすことになる。20年以上この人生を送っていればそんな理屈は嫌でも理解できるのだ。だからここは譲歩すべき所ではない。
「幕府に渡される千貫、此れは別所らに下賜致します。ですので幕府からは織田殿に若狭守護、斎藤殿に加賀守護をと考えておりまする。」
「三好と赤松は?」
「三好には讃岐守護を。赤松には備前守護を其々用意しておりまする」
織田は現状若狭の支配に武田氏から保護した幼子を使った間接統治を行っている。これは尾張・遠江などの斯波と一緒だが、そういう存在が複数いるのは面倒な状況でしかなかった。それが解消されることになるわけだ。そしてうちは加賀本願寺を征伐する正当性を確保した形になる。
赤松からすれば以前所有していた守護職を取り戻す形になるので良いだろう。これで赤松晴政は播磨・備前・美作の三国守護になる。そして三好は今まで守護代でしかなかったのが讃岐の守護職を獲得する形となる。いわゆる壁を1つ超える形だ。十分だろう。管領細川晴元に対して対抗できる地位をようやく手にしたとも言える。
「だが、山名は如何する?俺は山名に御家を再興する代わりに戦後銀山を貰う約束をしている」
「因幡北東を一部山名に譲る様尼子に伝えております。これを根拠に山名を但馬・因幡の守護とする予定で御座います。」
「二か国守護か。面目は立つな。面目だけは」
「実も求めるのは無理があるかと。抑々因幡を失う程弱体化し織田殿を頼った山名に守護職を与えるというだけで破格に御座います。」
「むぅ」
そう言われると信長も答えに窮する。今回の幕府の使者である細川晴経という人は山名の状況をよく理解しているようだ。ぶっちゃけ、山名が戻っても既存の国人を御すことはできないだろう。
「我等は幕敵・朝敵を討った織田・斎藤御両人を大いに頼りにしている。然れど尼子を討つべく出雲へ行けと命じる訳にも行きますまい。」
「確かに、出雲まで攻め込むのは今は厳しい」
現状ではまだ尼子の方が水軍の数も質も良い。しかも相手に地の利がある場所で戦い続ける事になる。食料だけ考えても大変なんてものじゃない。
「ならば公方様にも、帝にも尼子が頭を下げるという形で終えるのが最上に御座ろう。大内を許すのは厳しいが、尼子は大内に加担したのみとも言えるしの。」
「幕府がそうまで言うなら乗っても良い。但し、もう一つ位此方で要望をしたい所であるな」
信長はそう言ってこちらを見る。何か要求しよう、ということだろう。しかし簡単には浮かばないな。尼子って毛利にこの後滅ぼされるはずだが、これだけの切れ者である尼子晴久がそうそう元就にやられるとは思えないのだが。
「尼子の当主である晴久殿が定期的に京で公方様に御会いする、というのは?」
尼子晴久の行動を一部縛る。尼子は今明らかに大内や毛利より強い。歴史の変化で尼子が中国地方を制圧したらとてつもない強敵になるだろう。それを防ぐための一手だ。今のままでは厳島の戦いに向かいそうもないし。
「ふむ。応仁の頃は守護と言えば京に居た訳で、良いかもしれませぬな」
「義兄上がそう言うなら其れで良い」
信長の賛同も得たので尼子当主の晴久を改めて出雲・伯耆・隠岐・石見守護に任じ(これは賀茂別雷神社の荘園管理のためにも必要だった)、守護として公方様に定期的に会いに来る様命じる一文が和睦に追加されることとなった。
尼子晴久が撤兵後、話し合いの前に今回の責をとるとして尼子当主の座を嫡男に譲り、そのまま屋敷を用意して嫡男を在京させる形で約束を履行してくるのを俺が知るのは、大内や毛利も撤兵して諸々が一段落した後だった。やはり尼子は侮れない。
尼子との和睦までです。尼子晴久、転んでもただでは起きません。
賀茂在昌については一説にはキリシタンになった陰陽師とか秀吉お気に入りの陰陽師とか様々な人物像のある面白い人です。色々な方の諸説見れば見る程不思議な人物。とはいえ本作ではキリスト教の布教がほぼまったく行われていないので(キリシタン説でも洗礼を受けたのは1560年前後)当然キリシタンではありません。更に言うなら実父の勘解由小路在富もミステリー溢れる人物です。またこの親子の関わるエピソードは出てくると思います。




