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第185話 大内上洛阻止戦 その6 播磨決戦

身内の不幸もあって投稿間隔が開いてしまい、申し訳ありませんでした。

投稿再開致します。


全編三人称です。本来2話分だった内容ですが、投稿間隔が空いたのでまとめて投稿させていただきます。文字数が多いです。

 播磨国 龍野


 三好筑前守長慶は、盛んに行き来する伝令の報告を聞きながらじっと動かずにいた。途中、弟の十河そごう左衛門尉一存(かずまさ)が耐えかねて兵を出そうとしても、家臣の岩成友通に命じて無理矢理陣に連れ戻すほどだった。


 それは、対峙する相手を警戒するからに他ならなかった。龍野西部の南北の山と山に挟まれた平地。ここで対峙する相手の名は毛利元就。

 斎藤美濃守義龍から情報を受けて、三好軍は自分から攻めることはなかった。それどころか、挑発的な毛利軍の行動に対しても動くことはなかった。


「兄上、良いのか?兵数は此方の方が多いぞ」

「動かぬ。其れが敵にとって一番辛い」


 義龍は毛利が厳島の戦いで勝利するのを覚えていた。そして、情報として集めていた吉川・小早川の乗っ取りも知っていた。三好も同様の情報を集めていたが、大内との関係があった時代により詳細を知っていた義龍の情報が筑前守長慶の判断を決定づけた。


「毛利は決戦をしたがっている。何故なら此処で毛利は自らの強さを見せたいからだ。」

「我等の方が強い」

「違う。其方の強さと毛利の強さは種類が違う。故に戦えば此方も相応以上に被害が出る。だから戦わぬ。」

「兄上!」

「ならぬ。相手の望まぬ形を徹底するのが最も勝利に近づく方法だ。」

「……わかった」


 そして、自らの率いる14000のうち9000を展開するこの戦場を、停滞させてでも毛利元就という男を封じたことは大きな意味があった。少なくとも、後世では大きく評価されている。


 そして、誰よりこの行動を評価したのは毛利元就その人だった。数多に張り巡らせてあった謀略の糸を、一切触らないという手で封じたためであった。毛利と戦にならねば気付くことのできない仕掛け針は、全てその機能を果たすことなく大戦が終わることとなった。もし摂津勢がいれば兵数の多い三好勢は搦め手のこちらに布陣しなかっただろうし、そうなれば毛利は存分に実力を発揮することができただろう。


「見事也筑前守」


 彼はその日、息子たちの前でこう呟いたという。


 ♢♢


 播磨国 赤穂


 赤松氏の主力12000と三好の援軍4000の合計16000の軍勢は、主戦場である龍野南西の相生に布陣した。比較的平地が広く、かつ元々浦上氏の領地であったこの一帯が戦場に選ばれた。

 一方の大内軍は陶晴賢を筆頭に弘中隆包(たかかね)江良えら房栄ふさひで、そして城井きい長房や宗像むなかた氏貞ら九州勢が参加し27000を動員。兵数に勝る大内軍は赤穂に本陣を置き、備中勢と九州勢、そして弘中隆包を相生の平原西部に配置した。


「赤松は守りの側。尼子本隊が我等を補佐すべく因幡に留まっている関係上、別所を北西部に残さざるを得ない。」

「殿、油断は禁物ですぞ」

「江良は臆病が過ぎるぞ。相手は三好では無い。何とでもなる」


 陶晴賢は尼子晴久という勇将と幾度となく戦ってきた。だからこそ磨かれた自信から、江良房栄に止められても彼は攻勢に出る事を決めた。


「其れに浦上が今も白旗城で粘って居る。素振りでも助ける動きは必要だ」

「其れは、間違い無いのですが」

「室津を手に入れれば補給も楽になる。宗像の水軍と村上の水軍を共に出せば良かろう。」

「宗像と村上は厳島で一度戦った仲。恨みこそ在れ、協力して戦うのは無理に御座います。」

「む。大内の命令でもか?」

「人は喜びと恩義を忘れ恨みと怒りを忘れぬ物に御座いますれば」

「上手く行かぬ物よ」


 陶はこと戦場における判断だけは正確だったため、室津攻めを信用のおける宗像水軍に、讃岐側の抑えに村上水軍を動員した。

 しかし、開戦後すぐに室津の西にある相生湾周辺で発生した海戦で、三好の安宅水軍が織田の水軍によって導入され始めた安宅船と大鉄砲による攻撃をしかけたことで宗像水軍は大敗した。宗像氏自体が大寧寺の変の後御家騒動を起こし、火種が今もくすぶっていることで弱体化が著しかったことが最大の要因であった。そして博多周辺と関門海峡を縄張りとする宗像水軍では瀬戸内海での活動には地の利がなかったことも影響を与えた。中村彦太郎ら有力家臣を失った宗像水軍は撤退し、以後村上水軍が前線の維持を務めることとなる。


 陶晴賢は互いの有利な地形を求めて細かく動きつつもより優位な立ち位置を探っていた。しかし、この相生湾での敗戦を聞いて全軍を押し上げることを決意した。赤穂に大内晴英を残し、江良房栄も残して相生へ進軍。陸上での1戦で流れを変えようと考えたのだった。


 ♢♢


 播磨国 相生西部・若狭野


 大内軍22000と赤松三好軍16000は11月末に激突した。赤松軍の先鋒は赤松政秀、大内軍の先鋒は弘中隆包であった。赤松政秀は地の利と狡猾さを生かして軍勢を正面から当てず、側面を取りつつ一撃離脱の戦法で弘中隆包を煙にまく。しかし弘中隆包は強引に側面を無防備に晒しつつ正面から赤松の陣形に割って入る動きを見せ、やや奥に控えていた長慶の弟である三好豊前守義賢を戦場に引っ張り出した。


「此の儘前に突き進め!大内の上洛は前進によってのみ成し遂げられる!」

「火縄隊、前へ!猪武者に、都の戦作法を教えてやれ!」


 突進力に優れる弘中勢は強引に陣形を破壊しようとしたが、三好勢は強固な陣と火縄銃による威嚇いかくでその思惑を阻止した。赤松政秀は弘中勢の無防備な側面をつくが、そうはさせじと城井長房が前進してその穴を塞いだ。


「城井め、山奥の田舎侍が豊前から態々出張って来るでないわ!」

「斎藤と縁戚の北条に我が本家宇都宮氏は所領を追われ、今や佐竹の客将扱い。其の恨み晴らさぬ道理無し!」


 双方の中でも士気の高い軍勢が最前線を構築し、戦が激化していく。しかし、その状況下で冷静に戦場を見ている者がいた。黒田職隆(もとたか)。小寺氏の重臣で、今回の戦では小寺の全兵力を預かる男だった。大避おおさけ神社の分社付近に布陣していた黒田は、大内軍の中で明らかに士気が低い一隊を発見した。


「向こうに見える敵、何者だ?」

「旗印を見るに内藤、ですな。長門守護代家ながら当主以外は乗り気でないとか。」


 長門守護代の内藤氏は当主の内藤隆世(たかよ)が陶晴賢と義兄弟の関係にあったことで大寧寺の変にも関与した。しかし、一門の内藤隆春は正室が先年に陶に滅ぼされた吉見氏だったこともあり今回の出兵に内心乗り気ではなかった。


「狙えるな。明らかに動きが鈍い」


 黒田職隆は小寺全軍に命じて乱戦を迂回しつつ内藤軍に肉薄した。

 内藤隆世自身は意気軒昂で迎撃する気だったが、遠距離の移動も影響して兵の士気はどん底といっていい状況だった。


 わずかな火縄銃を黒田は空に向けて撃つ。轟音を合図として小寺軍が内藤の兵に食らいついた。矢戦は互角だったものの、数的優位なはずの内藤兵があっという間に押されていく。


「右馬頭(元就)の援軍は未だか!」

「三好本隊の動き甚だ軽快にて未だ優位を得ずとの事!」

「ちっ!早々に目前の敵を打ち破ってみせると豪語しておった癖に!」


 毛利は当初得た情報から相手を赤松と考えていた。そのため早期に決着はつくと判断した交渉役の吉川元春が内藤に事前に連絡をしていたのだった。これは元春の若さがでた判断となった。

 結果的にこの判断を信じた内藤は士気の低さにも拘わらず前線に近い布陣を崩さず、陶の本隊が前進を進めることもあってこの位置を守っていた。この判断が決戦の勝敗を分けたと言っていい。


 陶晴賢にとって内藤隆世は貴重な大寧寺での積極的協力者であり、この戦でも大軍を率いている盟友だった。そのため、陶は前線で唯一苦戦しているという事情も踏まえて支援を命じた。


「内藤殿を守らねば!三村と庄を向かわせよ!」

「両者をですか?」

「兵数的に内藤殿が立て直すには相応の数が必要だ。近いのは彼等ならば当然だ!」


 ここで陶晴賢は判断ミスをする。備中という大内にとっての遠国の有力国人2名を派遣した形だが、両家は元来対立関係である。毛利・尼子・大内の圧力で和睦したが、親毛利の三村からすればあと一歩で庄氏の居城である猿掛城に攻撃をしかけられた段階からの和睦だった。庄氏からしても三村に奪われた領地がそのままの状態であり、両者の対立は根深かった。それを遠方の陶晴賢は理解していなかった。


 この一戦で活躍し戦後の備中での主導権を握りたかった両者は、陶から届いた報せに意気込んで応えた。

 両軍は小寺・内藤両軍が争う戦場に競い合う様に向かった。ちょうど耐えきれなくなった士気の低い部隊が潰走を始めた時に。彼ら敗走する兵の逃げ道を塞ぐように。

 三村も庄も、先に戦場に辿り着いて目に見える形で活躍をしたい。実際、現状の内藤の混乱を収めて戦場を五分か優位にできればその戦果は誰も文句のつけようがないものになる。だから彼等は退くことが出来ない。あわよくば相手が撤退する兵の道をつくるべく行軍速度を遅くしないかという考えを抱きながら。


 しかし現実にはそのようなことはおきない。両軍はほぼ同時に戦場の端まで辿り着き、そして内藤の逃げ惑う兵を巻き込んで騎兵が速度という武器を失った。


「愚かな!烏合の衆とは正に此の事よ!」


 黒田職隆はここぞとばかりに自身の馬廻りを引き連れて混乱する三村・庄両軍へ殺到した。寡兵ながら内藤の部隊をほぼ打ち破っていたその勢いのままに混乱する三村軍を襲い、その混乱を助長していった。庄の軍勢が立て直す頃には内藤軍全軍が潰走を始めており、今度はその波に呑まれぬよう慌てて軍勢を下げざるをえなくなっていた。


 この様子を把握していたのが三好勢だった。敵の弘中隊を受け止めるのに過半数の兵を動員していたが、遊兵となっていた部隊を三好山城守康長に率いらせて加勢に向かわせた。三好豊前守義賢はこの戦場の勝敗が決戦の勝敗を決すると判断したためであった。


「弘中を食い止めるだけなら今の兵で何とかなる!小寺を支援せよ!」


 当然、弘中の部隊はそれを見て攻勢を強めたが、ここが正念場と三好勢も各備えを率いる将が前面に出て兵を鼓舞。中には自ら兵を率いて弘中隊と交戦する将もいるほどの激戦だった。


 開始から3刻(約6時間)で初日は終戦となった。この日の戦闘で内藤隊は壊滅的打撃を受け、後方の赤穂で立て直すことが決まった。三村・庄・弘中らも大きな損害を受け、陶晴賢は大きく求心力を失った。


 一方の赤松・三好連合軍は三好軍と小寺軍が大きな損害を出したものの、初日を明確に優位な形で終えたことで士気を上げた。


 ♢♢


 翌日。損耗の激しかった三好・小寺に代わって最前線には佐用赤松の軍勢と別所氏から送られた援軍が立った。大内方は山崎興盛や椙杜すぎもり一族ら周防衆を送り込んだ。両者は昨日とは違い、弓矢や火縄銃による威嚇と遠距離での攻防を中心とした。1日目が終わった戦場の壮絶な骸の数に互いが及び腰になったためだった。大内はまだしも、赤松の兵は播磨国内や周辺国との戦以外の経験はほとんどなかった。だからこそ、この戦場に横たわっていたおびただしい死体に将も兵も関係なく恐怖が芽生えたのだ。大内側もここまでの激戦は尼子の本城を攻めた月山富田城での戦以来であり、大寧寺の変以降世代交代や有力武将の刷新が進んだ結果耐性の強い将が不足していた。


 そして、畿内で大規模な戦を毎年のように続けていた三好の兵はそれに一切怯えていなかった。昨日も犠牲を多く出していながら、しかもやや後方に下げられながら、それでも戦場で武功をあげんと機を窺っていた。三好の狙いは自分たちが主導する幕府の再建だ。その上で武勲を示すことは絶対的に必要であり、対毛利の状況連絡を明け方受けていた三好豊前守義賢は自分たちが活躍するのだという強い信念を持っていた。


「三好の勇壮なる姿、西の京などと名乗る西国の田舎侍大将に見せつけてくれる!」


 三好勢はまずあえて北上して毛利本隊のいる龍野の後方にある矢野に兵を移動した。毛利の後方には備後の親毛利派国人がいたが、三好勢の奮闘という情報に及び腰になっていた。

 この国人が即座に毛利元就に救援を要請し、そして元就もそうなると予想して伏兵を明け方から後方へ戻していたために三好隊はここでも釘付けになってしまった。


 しかし、伏兵を伏せない状況で突出して戦おうとするほど毛利元就という男は大胆な男ではなかった。彼は昼前には陣を片付け、三好本隊を前にしながら堂々と撤退した。待ちに徹していた三好本隊はこれに対しても動けず、動かなかった。彼らの撤退後、筑前守長慶は一部を残して赤松本隊と合流を目指すことになる。


 ♢♢


 2日目の夕方には毛利の龍野撤退が大内・赤松両陣営に伝わった。陶晴賢はそれでもまだ戦えると判断したが、翌朝に入った一報を受けて全軍の備前撤退を決定することとなる。


 それは尼子晴久が公方・足利義藤に和睦を申し入れ、退位した後奈良院に大金を献金することで朝敵解除を願い出た、というものだった。

播磨サイドの決着までです。大軍故に1箇所で展開できないために各地の小規模な盆地で数千単位の兵がぶつかり合っています。

三好は戦後の立場を強くしたいので積極的。毛利は戦後の対陶を見据えて自分が優位な状況以外で戦う気はなし。筑前守長慶が情報を集めていなければ、摂津兵が戻っておらず赤松が相手だったら、また結果は違っていたでしょう。


次話は尼子の動きと織田・主人公の動きからです。

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